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プロメテウスの炎上配信録  作者: 浅葱 荘
9/16

第六話 一人のダンジョン

イヤホンを、外した。

 右耳も左耳も、ポケットに入れる。スマホは胸ポケットに収まっている。カメラだけが動いている状態。音声は拾うが、プロメテウスからの声は届かない。

 これが「完全単独」だ。

 新宿の入口から降りた瞬間、静かさの種類が変わった。

 ダンジョンの中はいつも静かだが、今日は違う。地面を踏む自分の足音だけが聞こえる。後ろを確認する。何もない。壁の発光体が、青白い光を等間隔に落としている。

 左耳が、プロメテウスの声を失って、空っぽだ。

 それだけのことのはずなのに、体の使い方が変わった気がした。姿勢を低くして、左右に気を配る。足音を小さくする。聞こえる情報を全部、自分で処理しなければならない。

 プロメテウスがいれば気圧の変化を0.1%単位で教えてくれる。今日はその声がない。全部、自分の体で感じるしかない。


「……静かだな」


 誰も聞いていない。独り言だ。

 こういうとき、プロメテウスは「何かありましたか」と返してきた。今日はない。

 配信の視聴者数をちらりと確認した。「512」と表示されている。昨日の告知から一日で、300人以上が待ち構えていた。


「見てる人、今日はプロメテウスなしです。イヤホン外してます。音声は拾えてるはずですが、俺に向かって話しかけられても何も聞こえませんから、悪しからず」


 コメントが流れているのは見えるが、内容は読まない。読みながら戦闘はできない。

 2層への降下口は二日前に確認した場所だ。1層を迷わず進んで、階段を下りる。

 2層の空気が変わった。湿度が上がる感覚が鼻腔にまとわりつく。土と石が混ざったような、重い空気だ。プロメテウスなら「19.3度、湿度41%」と数字で言うところだが、今日は全部、自分の皮膚の感覚になった。


 分岐が来た。右と左。

 解析眼(アナリシス・アイ)を発動した。

 右の通路:モンスター反応3体。Eランク相当。左の通路:無反応。

 情報は数字だけ。後は自分で判断する。

 父の声が頭の中に聞こえた気がした。「情報は読むな。情報を使え。読んでいる間に体が遅れる」

 右に進んだ。

 3体を倒すのに48秒かかった。

 プロメテウスがいれば、たぶん20秒以内で終わっていたはずだ。

 壁に背をついて息を整えた。汗が首筋を伝う。手のひらがわずかに震えているのに気づいた。恐怖ではない。集中の後に来る、筋肉の細かい振動だ。

 父もこういう感覚があったのだろうか、と思う。

 

 さらに奥に進んだ。

 曲がり角が来るたびに、自分で状況を確認した。解析眼は常に発動している。スキルがある分、完全な初心者よりはましだ。ただしプロメテウスの「前方15メートル、気圧0.3%低下」という先読みがない分、驚く場面が増えた。

 

 曲がり角を曲がった瞬間、天井から何かが落ちてきた。

 反射的に右に転がる。

 ぐしゃ、という音と衝撃が左腕をかすめる。骨材の床に転がって、右手でナイフを構える。

 天井から降ってきたのはコウモリ型のモンスターだった。Eランク。翼の先に爪がある。解析眼には「HP:24/24 弱点:左翼付け根」と表示された。

 左腕が、熱い。

 確認する余裕はない。モンスターがもう一度降下してきた。

 右に一歩。左翼付け根にナイフを振った。

 接触。HPが12に落ちる。半分。

 もう一回、同じ場所に。

 消滅した。

 

 湊は床に座り込んだ。

 左腕の袖が破れていた。皮膚が赤くなっている。切れてはいない。かすり傷だ。

 プロメテウスがいれば、天井に反応があった時点で「上方注意」と言っていた。

 今日は、いなかった。


「見てる人、今のは天井からでした。プロメテウスがいないと先読みできないのが弱点ですね」

 

 コメント欄が流れているのが見えた。読まないようにして、先に進む。

 1時間後、2層の3分の2を攻略したところで配信を終了した。

 地上に出た瞬間、七月の熱気が一度に来た。骨材の冷たさに慣れていた体に、外気が刺さるようだ。

 左腕を確認した。袖をまくると、皮膚が赤くなっているだけで傷はない。明日には消える程度だった。

 スマホを取り出すと、プロメテウスへの通知が溜まっていた。


『配信終了を確認しました』

「怒ってるか」

『怒る機能があるかどうかは——』

「まだわかっていない、か」

『はい。ただし』

「ただし?」

『……バイタルデータの変動が通常より大きかった』

「怪我した」

『配信コメント欄のモニタリングで把握済みです。左腕の皮膚損傷を検知しました。処置が必要ですか』

「いらない。かすり傷だ」


 少し間があった。


『天井型モンスターへの対応は、今後の課題です。次回潜入時には対応策を——』

「プロメテウス」

『はい』

「結果はどうだった。やらせじゃないことは証明できたか」

『視聴者数は最終で687人でした。コメントの分析では、61%が「やらせではない」という評価に転換しています。また、さくらが配信をリアルタイムで視聴し、コメントを残していました』

「さくらが」

『「やらせじゃないのはわかった。でも、なぜこんなに強いんだ」という内容です』


 湊は足を止めた。

 西新宿の地上。スーツ姿のサラリーマンが歩いていく。観光客らしいグループが地図を広げている。

 ダンジョンの入口から20メートル離れているだけで、世界がまったく違う。


「やらせ疑惑が、強さの疑問に変わった」

『はい。さくらは続けてこう書いています。「神崎湊の強さの理由が何なのか、私は調べます」』


 湊はまた歩き始めた。

 やらせじゃないことは証明できた。

 でも新しい問いが生まれた。さくらが調べる、と言った。調べたら、プロメテウスのことに行き着くかもしれない。プロメテウスの存在は話してある。ただしスキルのことは話していない。解析眼のことは、どこまで話すべきか。


「プロメテウス」

『はい』

「解析眼のことを、次の配信で話した方がいいか」

『判断のための情報を整理します。開示した場合、さくらの疑問への部分的な回答になります。ただし解析眼の精度とプロメテウスの分析を組み合わせた攻略の全体像が見えると、新たな炎上の可能性があります——「スキル持ちのチート配信者」という評価です。開示しない場合、さくらが独自に調べて発見する可能性があります。その場合、隠していたという事実が問題になります』

「どっちに転んでも問題が出る」

『はい。ただし』

「ただし?」

『あなたは最初の配信で、隠したことは一つもないと言いました』


 湊は少し考えた。


「次の配信で話す」

『わかりました』

「お前が珍しく誘導したな」

『……そうでしたか』

「事実を並べて、こちらが自分で判断するように仕向けた」


 プロメテウスが、しばらく何も言わなかった。


『……零も、よくそう言っていました』

「父さんが?」

『はい。「お前は誘導が上手い」と』


 湊は口の端が少し上がるのを感じた。

帰り道、地下鉄の入口が見えてくる。


「プロメテウス」

『はい』

「今日、一人だったとき、静かだった」

『それは』

「悪い意味じゃない。ただ、お前がいないと左耳が空っぽだな、と思った」


 プロメテウスが、答えるまでに少し間があった。


『……そうですか』

「それだけだ」

『……はい』


 地下鉄の改札を抜けた。

ホームに電車が入ってくる。

 左腕のかすり傷が、少しだけ熱を持ったままだった。


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