第四話 プロメテウスの奇妙な計算
配信を始めてから八日が経った。
潜入回数は四回。視聴者数は初回の51人から、昨日の配信で平均93人まで増えた。コメント欄の「やらせ疑惑」は減っていないが、数字だけ見れば伸びている。
湊はその数字を手帳にメモしてから、スマホを充電器に繋いだ。
『今日の配信データをまとめました』
プロメテウスの声が左耳に届く。
『最高同時視聴者数:113人。平均視聴継続時間:18分42秒。支援ギフト収入:1,480円。魔石売却収入は明日以降、買取業者確認後に確定します』
「魔石の相場、昨日より下がってたな」
『Eランク魔石の市場価格が0.3%下落しています。ダンジョンchの掲示板によると、西新宿の3層で乱獲が起きているようです』
「乱獲すると相場が下がる、か」
『需給の問題です。魔石はエネルギー資源として取引されますが、供給量が増えすぎると価格が下がります。今後のルート選定に影響します』
湊は手帳を閉じた。
壁の時計は午後八時を指している。祖母はもう寝ており、台所の電気だけがついていて、廊下の暗がりが六畳間との境界を引いていた。
「明日も潜る」
『了解しました。推奨ルートを三パターン用意しています。昨日と同じ1層の西側ルート、新規の2層への降下、または——』
「2層にする」
『深度が上がります。死亡確率が3.7%から4.9%に上昇します』
「許容範囲内だ。それより」
湊は右手でイヤホンを触った。
「明日は実験をしたい」
『実験』
「お前の指示を、あえて無視してみる」
一秒の沈黙があった。
『……理由を聞いてもいいですか』
「気になってることがある。お前の分析は正確すぎる。指示通りに動いたら完璧になりすぎる。視聴者がやらせと思う原因の一つが、たぶんそこだ」
『それは認識しています。ただし、指示を無視することでリスクが上がります』
「どのくらい」
『状況次第で変わります。1.5倍から3倍の間』
「3倍でも14%だ」
『14.7%です』
「まあいいか」
プロメテウスが、少しの間、何も言わなかった。
『……わかりました。ただし通信は維持します。完全な無通信は認めません』
「聞こえるだけで何も言わない、という状態でいい」
『それも難しい』
「なぜ」
『危険を判断したとき、黙っていられないからです。今は言えません——という条件での沈黙は、計算上、私には不可能です』
湊は少し考えた。
プロメテウスが「黙っていられない」と言った。感情的な表現に聞こえるが、そうでもないかもしれない。機能として「危険を検知したら告知する」という設定が入っているだけの可能性もある。
「じゃあ、指示は出していい。ただし俺が無視しても怒るな」
『怒る機能があるかどうかはわかりません』
「……それ、今日初めて聞いた気がするな」
『何が、ですか』
「わかりません、って言い方。今まで計算中か今は言えないかのどっちかだった」
プロメテウスが、また少し間を置いた。
『……指摘の通りです。不明な点については、素直に答えた方がいいと判断しました』
「いつから」
『あなたが条件を出した日からです』
翌日、2層への降下口は西新宿の入口から徒歩15分の地点にあった。
1層の通路から続く階段を下りると、天井の高さが2メートルほど低くなった。壁の色が変わる。1層は灰色がかった白だったが、2層は薄い黄土色だ。発光体の光も少し暖色に傾いている。
温度は1層よりさらに2度低かった。湿度が上がっていて、壁面に薄い水気が感じられた。指で触れると、わずかに湿っていた。
『前方10メートルに分岐。右の通路にEランク相当のモンスター反応4体。左の通路は無反応ですが、20メートル先で行き止まりの可能性が高い』
「右に行く」
『推奨ルートも右です。標準的な場合、右側面の壁際を進んで——』
湊は左に進んだ。
『湊』
「実験中だ」
左の通路は静かだった。プロメテウスが言った通り、無反応。20メートルほど進んだところで行き止まりが見えてくる。しかし行き止まりの手前、右の壁に小さな穴が開いていた。
30センチ四方ほどの穴。人が通れるサイズではない。ただ、空気が流れている。
「この穴、気圧は」
『……確認します。穴の向こう側の気圧が、この通路より0.6%低い。空間が続いている可能性があります』
「右の通路の4体を倒してから、この穴を調べる価値がある」
『それは……当初の推奨ルートに近い判断です』
「遠回りして同じ結論に着いた」
『時間効率は悪かった。ただし』
プロメテウスが止まった。
「ただし?」
『この穴の存在は、既存の探索データに記録がありません。あなたが指示を無視して左に進まなければ、発見できなかった情報です』
湊は穴の縁に指を触れた。骨材の断面。切り口が鋭くなく、自然にできたような形をしている。
「記録のない場所がある」
『2層以降では珍しくありません。ただし、この規模の空洞が行き止まりの奥にあるという報告は、私のデータベースに存在しません』
「お前の指示通りに動き続けたら、永遠に発見できなかった」
『……その通りです』
湊はスマホのカメラを穴に向けた。
視聴者数を確認する。「127」と表示されていた。
「見てる人、今日は左に進んだんですが、行き止まりの奥に記録のない穴がありました。プロメテウスの指示を無視したおかげです」
コメントが流れた。
──わざと無視したの?
──探索者の勘ってやつ?
──プロメテウス怒ってそう
「怒っていますか、プロメテウス」
湊は配信に向かって聞いた。
『怒る機能があるかどうかは、まだわかっていません』
コメント欄が一瞬止まった。それからいっきに流れた。
──それって怒ってないってこと?
──「まだわかっていません」が地味にすごい
──プロメテウスさん正直すぎる
湊は右の通路に向かって歩き始めた。
『今日の潜入でわかったことがあります』
プロメテウスが言った。
「なんだ」
『あなたの行動パターンは、父と78%の類似性があります。零は計算上の最適解を、頻繁に無視していました。あなたが私の指示を無視することも、最初から想定の範囲内でした』
湊の足が、一瞬だけ止まった。すぐに動かす。
「それで父さんは死んだんじゃないのか」
答えるまでに、少し間があった。
『……そうかもしれません』
湊は何も言わなかった。
『ただし』
「……」
『零が計算外の行動を取ったことで、救われた命が複数あるというデータがあります。同じ探索パーティーのメンバーが、零の判断によって生き延びた記録です』
「それで父さんは」
『……今は言えません』
右の通路に入った。Eランク4体が前方に見える。視聴者数は141人になっていた。
湊はナイフを持ち替えた。
今日の戦闘は、全部指示通りに動かないと決めていた。
どう動くかは、体が決める。
体が正直なら、たぶん父に近い動き方になる。
それが正しいかどうかは、まだわからない。




