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虫を愛でる伯爵令嬢は、毛虫姫と蔑まれ婚約すらされない……が、どうやら王太子殿下が彼女にご興味を持たれたようです

作者: 夜狩仁志

この物語は、古典の「堤中納言物語」ご存じ「虫めづる姫君」のお話を異世界恋愛バージョンにした内容です。

どこかで聞いたような話だと思います。

後半は頑張って書き足してみました。

 ある国の伯爵家に、18歳というお年頃の“カトリーナ”と呼ばれるお嬢様がおりました。

 両親からとてもかわいがられたお嬢様は賢く、美しく成長されましたが、だだ一つ変わったところがありました。



 それは……



 様々な昆虫を集めては籠に入れて飼い、その成長する様子を見守り、面白そうに観察することでした。


「みんなが、花や蝶など綺麗なものをもてはやすけど、そんな愚かなことはないわ。花は種から、蝶は毛虫から育つもの。人も同じ。何事も外見ではなく物の本質をみなくては意味がないのよ」

 そういっては、毎日、昆虫を愛でるのでした。

 特に、

「毛虫が可愛らしいわ。それにこの姿が蛹になり、まったく別の姿をした蝶へと生まれ変わるなんて、本当に素晴らしくて興味深いわ」

 といっては、一日中、毛虫を頭の上に乗せたり、手のひらに乗せて遊ぶのでした。


 そんな様子に若いメイドたちは気味悪がって近寄らず、裏で陰口をたたくのでした。

 周りの者が恐れて逃げるので、近所に住む平民の幼い男の子の呼んでは、近くの森に行って昆虫を集めるのが、カトリーナの日課です。

 そして箱いっぱいに捕まえてきた昆虫をお屋敷に持ち帰り、その虫の名を調べ、新しくて名前のない虫にはカトリーナ自身が名前を付けて楽しむのでした。


 世間での高家な令嬢は、16歳になれば婚約するのが一般的。

 そのため自らの美しさをアピールするのに必死です。

 眉は細く整えられ、髪のお手入れも毎日欠かせません。

 毎朝スキンケアを行い、顔には日焼け止めから、下地、ファンデーション、これでもかというくらいのパウダーにリップを塗りたくる。

 美白が美しさの象徴とされ、日にあたることなく屋内に閉じこもり、わざと貧血状態を保つために血を抜くくらいしているという状態です。


 しかし、カトリーナは、

「人前で取り繕うことはよくないことです!」

 と言っては、お化粧もせず、眉毛を抜くこともしませんでした。

 口紅も「口にそのようなものを塗りたくって、汚ならしい」といって付けようとしません。

 服も動きやすく平民が着るような質素なものを身に付け、リングやネックレスなどの貴金属も一切身に付けませんでした。

 逆に着飾ってお化粧をしたメイドたちに「そのようなもので自分を飾ろうなどとは、下品極まりないですわね」と罵るのですから、メイドたちの立場がありません。


 このように18歳ともなり、美しい姫君であるはずのカトリーナですが、口紅もせず、化粧もせず、眉毛もぼさぼさで生やしっぱなし。

 女性がたしなむ刺繍や音楽などには一切興味を持たず、今日も屋外に出て日焼けするくらい走りまわり、昆虫採集に勤しむ始末。


 もちろん父親である伯爵様は、こんな娘であるカトリーナに困っておりました。


「年頃の女の子が平民の男のような格好ばかりして、本当に見苦しい。磨けばそれなりに美しい我が娘なのだが、変わった趣味を持ってしまって、まったく困ったことだ」


 その思いは、母親も同じでした。


「何度注意しても、理屈ばっか唱えて。なにか悟ったような言動もして……本当は賢い子なのに。もったいないわ」

「本来ならば宮殿へ奉公に行かせてもよい歳なのに。あの様子では……到底皆の前には……」


「そうそう。この前、公爵夫人から宮殿内に広まった噂の真相を尋ねられましたわ」

「宮殿での……噂、だと?」


「伯爵家のご令嬢は、虫好きの“毛虫姫”だという……」

「な! なんだと!?」


「毎日毎日、毛虫を愛でて、殿方には興味が無いと……」

「なっ!!」


「毛虫の格好をして、屋敷に引き籠っていると……」

「だ、誰がそんな噂を!!」


「このままですと、誰にも婚約されないまま……一生を……」

「カ、カトリーナ!!」 


 大慌ての父親はカトリーナの部屋と向かいました。


「カトリーナ!!」

「お父様? どうされたのです? 血相を変えて?」


 部屋の中にいたカトリーナは、採取してきた昆虫と書物を見比べている最中でした。


「またそんなことをして!! だから変な噂が広がってしまうんだ!」

「噂が、どうかされたのですか?」


 カトリーナは父親の慌てようとは裏腹に、動じることなく澄ました顔で毛虫を手のひらに乗せているのでした。


「お前が宮殿でどのように言われているのか分かっているのか!!」

「存じません。噂は噂です。そのようなものに踊らされるのは、所詮その程度の人間だったということでしょう」


「いい加減、身なりを整えてだな……」

「整えておりますが?」


「その……だな……ちゃんと眉毛も剃ってだな……」

「何事も自然のままがいいのです」


「化粧もだな……」

「なんでも表面だけの良いところを、他人に見せようとするものではありません。その取り繕う姿勢が良くないのです」


「口紅くらいは……」

「食べ物を摂取するところに塗料を塗るなどとは、不潔極まりないです」


「あのな、18歳にでもなれば、みんな着飾って宮殿や社交会などに出向くんだよ。そこで交流をはかって、よい男と……」

「そのような煩わしい場所に行ってどうするというのですか?」


「髪も整えて、綺麗なドレスも着て……」

「なら何故、殿方は化粧をしないのですか?」


「そ、それは……」

「髪などでその人間性など計れないではないですか? 年々後退していくお父様の生え際で、お父様の価値が下がるというのですか?」


「くっ……」

「外見で人を判断することほど愚かなことはありません。自然の中にこそ、生きる意味や真実が見えてくるのです」


「だ、だがな、カトリーナ。お前がしていることは普通ではない、恥ずかしいことなんだ。世間体が悪いんだよ。

 中身が大切なのは分かっている。そうは言っても人は見た目の美しさを好むものだ。

 気味の悪い毛虫に夢中になっているなんて、世間の人の耳に入ったりしたら、大層みっともないことなんだ」


「私は気にしません。私はこの毛虫が蝶になるプロセスを究明してこそ、この世界の事象がはっきりと分かるのだと思っております」


 と、このように賢そうに反論しては、父親を黙らせてしまうのでした。


 ただただ、虫を愛するという風変わりな姫君。

 根は優しく賢い子なのですが、そんなお嬢様の生き方は周りからは理解されず、煙たがられているのでした。

 しまいには、メイドからも気味悪がられて陰口を叩かれる始末でした。


「もう! どうすれば言うこと聞くのよ!」

「私にはお嬢様を分からせる方法が見つからないわ」

「お嬢様はいいでしょうけど、私は嫌なのよ、あの毛虫という生き物が!」

「化粧もしないで、みすぼらしい格好して、毎日泥だらけになって外を駆け回って! 誰が洗濯すると思ってるの!」

「で? お嬢様はいつ綺麗な蝶になるっていうの? ずーっと醜い芋虫のままじゃん!」

「あーあ、公爵家のお嬢様は、メイドも一緒になって美しい花に囲まれて、毎日お茶会を催して……優雅な生活を送っているというのに!」

「うちらは泥臭い芋虫お嬢様のお世話で……」

「本当に、まいっちゃうわ! 気が狂いそう!!」

「お嬢様の眉毛も毛虫みたいでボウボウ!」

「そんな目で睨んでくるんですから、恐くて恐くて……」

「冬が来ても着るもので困らないわね、これだけ毛虫がいれば」

「そんなに好きなら、何も着なくて毛虫だけを身に着ければいいのよ!」


 そんな悪口や噂は、あっという間に広がり、ついには王宮の若き王太子殿下の耳にまで届くことになります。


 この殿下は勇ましくハンサムで、とても聡明で誰からも尊敬される素晴らしいお方でした。

 その殿下にも、尾ひれのついた酷い悪態のついた噂のお嬢様のことを耳にされ、

「いったい、どれ程の女性なのだろう……」

 と、興味を抱くようになられたのでした。


 宮殿の廊下では、殿下の護衛の兵たちが、今日も噂話で盛り上がっておりました。


「例の伯爵家のご息女、蛹になって引きこもってるようだ」

「ああ、あの毛虫の姿をしたという娘の事か?」

「さぞかし立派な蝶となって、羽ばたいていくのだろうな」

「お前、どうする? 毛虫姫に婚約でもされたら?」

「全身、毛だらけで、ブヨブヨらしいぞ」

「やめてくれよ、俺にだって選ぶ権利くらいはあるだろ」


 そこへ殿下が通りかかると、慌てて兵たちは口を閉じ、整列して敬礼するのでした。


「し、失礼しました。王太子殿下」

「ご苦労様……ところで君たち、この中で毛虫姫を実際に見た者はいるのかい?」


 兵士たちからの返事はありませんでした。


 噂ばかりで実際に目にした人物はいませんでした。


 本当はどのような人物なのだろうか?

 こうなったら、一目でもこの目で確認してみなくては、気がおさまらない。


 殿下はそう思いになられ、付き人数人を伴って、お忍びで伯爵邸へと向かうのでした。


 昼下がりの午後。

 伯爵邸近くの林。


 殿下は木の影から庭を覗き込みます。


 しばらくすると……


 メイドのように後ろに髪の毛を束ね、一般の市民が着るような飾りのない灰色の着物を身にまとった、毛虫眉毛の若い女性が、お屋敷から飛び出してきました。

 おそらく近所に住む身分の低い男の子たちでしょう。一緒になって、虫を捕まえ戯れております。


 ああ、あれがきっと噂の毛虫姫だろう。眉毛が毛虫のようだ。


 殿下は毛虫姫のことを、噂でしか知らないため、風変りな変貌の女性だと思っておりましたが、目の前の光景は想像を遥かに越えた、素敵な姿でした。


 なんと生き生きとした、愛嬌のある姿なのでしょう。宮殿では見たことのない、周りの貴族たちとは違った、また別の美しさを身にまとった魅力的な女性に見えました。

 驚きのあまり釘付けになってしまい、その姿にしばらくの間、殿下は見とれてしまうのでした。


 眉毛は太く、ぼさぼさで化粧もせず色気はありませんが、目鼻顔立ちは整っていて、鮮やかで涼しげに見えます。

 自然体であっても姫君には気品があり、決して醜くはない。

 むしろそこから醸し出される精神は、今まで見てきたどんな女性よりも美しく輝いているように見えました。


 所詮、噂は噂話に過ぎなかったか……

 彼女は想像していた姿よりも数倍美しい。

 身なりを整え化粧をして着飾ったら、きっと奇麗になるだろうに……


 と残念がる殿下。


 宮殿に戻られた後の殿下は、毎日あの姫君の事が気になって頭から離れません。


 そして暇をみつけては、こっそり宮殿を抜け出して、林の影からカトリーナの様子を覗き見するのでした。


 そうしてある日のこと、


「そうだ。少し試してみよう!」


 と、殿下は1つの悪ふざけを思いつかれます。


 木の棒と布の切れはしを使い、ヘビの形に似せて、さらに動くような細工までしたものを職人に作らせてました。

 それを、脱皮した蛇の皮に入れて、箱に納めると、毛虫姫に手紙を添えて贈ったのでした。


『とても珍しい生き物を見つけました。これは貴女に向かって動いて行きます。どうかお納めください』


 これを使いの者に持たせて、殿下は庭の外から様子を伺うのでした。

 それを受け取ったメイドが何気なく、庭で虫を捕まえている毛虫姫の前に持ってきます。


「お嬢様、このような物が届きました」

「……珍しいもの?」


 カトリーナは不思議に思いながらも、箱を開けたところ……


 突然!

 リアルな蛇のおもちゃが飛び出してきたのでした。


 周りのメイドたちがびっくりして騒ぎ立てます。慌てふためき逃げまどうメイドたち。


 しかしカトリーナは、


「こ、これは、た、確かにとても珍しい、ものですね」


 と落ち着いた口調で話すも……


 さすがに恐ろしく思ったのでしょう。

 その場で立ち尽くし、落ち着きなく、

 声はうわずり、顔はひきつり、

 体が小刻みに震えるのでした。


 そんな毛虫姫の滑稽な様子に、覗き込んでいた殿下や付き人も大笑いし、メイドたちも逃げながらも笑ってしまうのでした。

 最終的に、メイドたちが助けを求めに父親を呼びにむかいます。


 父親が急いで駆けつけよく見ると、それは蛇そっくりに作られたおもちゃだということが分かり、手に取りながら

「なるほど、これはまた、手の込んだ……これを作った人は、たいしたお方だ」

 と思いました。


 そして、


「カトリーナが偉そうに虫を集めている噂を聞いて、誰か悪戯をしたのだろう。しかし、この巧みな細工。使いの者から感じられる品位から、きっと高貴なお方に違いない」


 と感じ、


「カトリーナ、取りあえず感謝の返事を書いて、使いの者に早く渡しなさい」


 と言いつつ部屋へと戻られました。


 メイドたちは、これが手の込んだ作り物と知り、

「お嬢様も変わってますけど、それ以上に変なことをする人もいるのね」

 と罵っておりました。


 カトリーナは返事を書くのに、なんの飾り気のない業務用の用紙を用いて、


『たいそう珍しいものをいただき、ありがとうございます。ヘビは縁起の良い幸運の使者。一族繁栄の象徴でもあります。このようなお心遣い、大変嬉しく思います』


 と、もっともらしいことを書かれて、送り返すのでした。


 林に身を潜めていた殿下のもとに、返事を受け取った使いの者が戻ってきます。

 殿下はその手紙を待ちきれず、その場で開封し中身を読まれます。


 そして美しい文字と、ウェットに富んだ返事に、ますます感心されるのでした。


 このことに気をよくされた殿下は、その後も頻繁に面白いものを見つけては毛虫姫に贈るのでした。


 ある時は巨大なカブトムシの幼虫を、

 そしてある時は奇妙な花を咲かせる種子を。

 またある時は鳥か蛇かなのかもわからない卵を……


 その度にカトリーナは不思議に思いながらも、どんな姿に成長するか楽しみで、ありがたく頂戴し返事を書くのでした。


 こうして贈り物を送り、御礼の手紙を受け取ること数回……

 王太子殿下は毛虫姫に直接会って、話がしたくなりました。

 その機会として今度開かれる宮殿での晩餐会で、彼女を招待することを思い付きました。


 綺麗なドレスを着て、煌びやかな宝石を身に付ければ、きっと美しく見えることでしょう。

 そんな見違えるほど美しい毛虫姫の姿を見て見たいという欲求と共に、晩餐会に集まった者たちに、あの噂の毛虫姫を殿下自らが紹介することで、驚かせてみたいという悪戯心も生まれるのでした。


 こうして殿下は、さっそく毛虫姫用のドレスやアクセサリーなどを作らせて、伯爵家へと贈るのでした。


 その日の伯爵家は大騒ぎです。

 突然、まさかの王太子殿下からのカトリーナ宛の贈呈品、しかも晩餐会出席のご命令に、両親他メイドたちも大慌てです。


「大変だぞ! カトリーヌ!! 殿下からの贈り物だ!!」


 カトリーヌの前に出された純白のシルクのドレスに、金銀宝石のふんだんに使われたアクセサリー。

 これを見て、今までの事は全て殿下のしわざだったなのだと、カトリーナは悟ります。


 これを身に付けて晩餐会に出席よと?

 きっと殿下は私をからかっておいでなのでしょう。

 噂の毛虫女だか芋虫人間だかを見物するおつもりで、このような戯れを。

 これを着て皆の前で笑い物にでもするのでしょうか?


「カトリーナ、これは絶好の機会だぞ! これを着て晩餐会に出れば、きっと素敵な男性と親しくなって……」

「…………」


「しかもこれは大変名誉あることだぞ! 殿下自らこのような……いったいなにがあったと言うのだ」

「…………」


 興奮する父親に対して、冷静なカトリーナはなにも答えません。


 母親もここぞとばかりに、カトリーナに晩餐会に出席するよう促します。

「これは良い機会よ。宮殿で殿方にカトリーナの可愛らしさをアピールできる絶好のチャンスよ」

「これを機に婚約が進めば、もしくは宮殿での職が見つかれば、そのまま王族との……」


「行きません」

「な! なんだと!」


「何の理由も分からず、このような高価な代物を受け取るわけにはいきません」


 そう言ってカトリーナは殿下からの贈り物を突っぱねます。


「カトリーナ!! またそのような屁理屈を言って!!」

「そうよ、これはあなたのためでも、私たちの親孝行でもあるのよ」


「私には興味ないことです」


「では殿下のお気持ちを蔑ろにして、晩餐会には出ないと言うのか!」

「お願い、カトリーナ。今回だけでもかまわないから」


「…………殿下の真意が計り知れません。なぜこのようなことを……」


「直接、晩餐会でお伺いすればよかろう!」


 さすがに両親や、その他メイドたちに非難され、カトリーナも最後にはしぶしぶ承諾して、このドレスを着て晩餐会へと参加することを承諾したのでした。


 しかしカトリーナは一つの提案をするのでした。


「お父様、一つお願いがあります」

「おお、なんだね?」


「殿下に御礼のご挨拶をいたしたく思います」

「それはそうだな」


「このドレスを身に付けて、直接、宮殿までお会いしたく思います」

「おお! そ、そうかそうか!! 分かった、すぐ手配しよう!」


 カトリーナが着飾って宮殿に向かうということだけでも大喜びの両親は、さっそく使者を送り、その旨を殿下へとお伝えするのでした。


 カトリーナはたしかに変わった趣味を持ってはおりましたが、礼節と規範、一定のマナーは心得ているのでした。

 こうして、贈り物のお礼をカトリーナ自身が直接宮殿に参じてお伝えしたいという旨の知らせが、皇太子殿下にも伝わりました。


 あの泥臭く庭を駆け回っている毛虫眉毛のカトリーナが、自身が用意したドレスと宝石を身につけて、この宮殿まで自分を尋ねに来るとは。


 この知らせを殿下はお聞きになられますと、驚きと喜びで飛び上がるのでした。


 これは願ってもない知らせです。

 あのカトリーナが着飾れば、たいそう美しい娘になるだろう。あの毛虫姫と噂された女が殿下と親しくする。

 それをみなの前に披露し、驚く顔をみるのが殿下には楽しみで仕方ありませんでした。


 この毛虫姫が殿下へ謁見するということは、宮殿の貴族の間であっという間に広まり、その当日、一目見ようと廊下や中庭まで人だかりができるほどでした。


「ついに好奇心旺盛な殿下が、怖いもの見たさで毛虫姫を呼び寄せたようだ」

「いったいどうやって?」

「引き籠りの毛虫姫は、どうやってここまでやってくるのだ?」

「地面を這いながら来るんじゃない」

「もしくは、虫かごに入れられたまま、担がれてくるんじゃなかろうか?」


 皆は、そう言って馬鹿にしながら笑うのでした。


 多くの野次馬が見つめる中、宮殿に馬車で到着したカトリーナとそのご両親。


 だれもが注目する、馬車から降りてきた伯爵令嬢は……


 正装された両親はもとより、殿下から受け賜れた純白のドレスと煌びやかな宝石類をまとって、まるで神話に登場する女神のように美しく光り輝いているのでした。

 髪の毛は川のように淀みなく流れ、眉も切り揃えられ、控えめにされたら化粧も、全てが気品さに溢れ、普段のカトリーナの姿を知る人にとっては別人とも思えるほどのオーラを身にまとっておりました。


 期待外れの、想像外の、噂の姿とはかけ離れたカトリーナの姿に、見る者すべての人が目を丸くし、口を開けたまま、声も出ないまま固まってしまうのでした。


 殿下のいらっしゃる広間までの廊下を歩くカトリーナに、周囲の者たちは老若男女関わらず、その美しさに目を奪われるのでした。

 歩き方から身のこなしまで、品格のある正真正銘の貴族の風格。

 知性も美貌、それに品性も兼ね備えた優れたお嬢様。

 そこにいるカトリーナは、まさしくそのような人間に誰の目にも見えました。


「あちらの女性は、いったいどちらの?」

「この国に、あれほどの人物がおられたとは……」

「隣の者は伯爵様では?」

「ま、まさか、あちらのご息女は、伯爵の?」

「噂の毛虫姫では!?」

「そんな!」

「噂での姿とは、全然別人ではないか!」

「毛虫などではない。まるで美しい蝶のようではないか……」

「あんな美しいご令嬢とは、早く知っていれば婚約を申し出ていたというのに……」


 周りの高貴な若い殿方は、カトリーナに目を奪われます。


「あ、あの子が? 毛虫姫?」

「誰がそんなこと言い出したの?」

「これじゃ、まるで私たちの方が虫けらじゃないの……」

「王太子殿下に謁見ですって? どういう事なの!」

「ま、まさか、殿下と毛虫姫が!?」


 同性の夫人やメイドたちからは嫉妬と羨望の眼差しで、カトリーナの姿を追います。


 そんな周囲のささやきをカトリーナの両親は耳にし、自慢の娘が評価されることに鼻が高くなる思いでした。

 一方、周囲の目や声にはお構い無しに、カトリーナはまっすぐ殿下のもとへと参るのでした。


 広間に案内された一行は、今か今かと待ち構えておられた王太子殿下に歓迎されます。


 殿下の御前に畏まるカトリーナは、臆することなく、


「突然の謁見、恐縮でございます」


 芯のある真っ直ぐと凛とした声で唱えます。

 それがカトリーナの、いっそう高貴なオーラを醸し出させます。


「よくぞ、いらしてくれた」


 殿下はカトリーナが自らが宮殿にやってくると聞いたときは驚きましたが、目の前のその姿を見て再び驚くのでした。


 目の前には、美しい女性が立っているではありませんか。

 でも、それは確かにあの庭で走り回るカトリーナの姿でした。

 殿下の目に狂いはありませんでした。

 カトリーナは誰よりも美しい女性だったのです。


 そんな様子に、殿下はますますご機嫌です。


「この度はこのような高価なものを頂戴いたしまして、誠にありがとうございます」

「いや、大したものではない。貴女に似合うと思って贈っただけのこと。どうやら、その考えは間違いなかったようだ」


「しかし、理由もなく、わたくしめのような輩が、このような代物を頂くのは気が引けます」

「気にしなくていい。これは私が勝手にしたこと。貴女にはこのような美しいドレスが似合うと思ってしたこと」


「大変光栄に存じます。これはそのお礼と致しまして、ご用意いさせていただいた品でございます。お気に召しますかどうか…… 」


 カトリーナは付き人に預けていた白い箱を取り出し、殿下へと差し出すのでした。


 殿下はすっかり有頂天です。

 美しい姿を目の当たりにし、カトリーナに心引かれてました。そんな彼女から、用意されたと品など、嫌な気持ちはしません。


「そうか、ではありがたく頂くとしよう」


 殿下は気持ちが舞い上がってしまいました。

 ひざまずくカトリーナの前まで殿下は直接近寄り、自らの手で喜んでその箱を受け取るのでした。


 そして嬉しさのあまり、その場で箱を開けてしまうのでした。


 すると……


 箱の中に一杯に敷き詰められた緑の葉に……?


 いくつもの、白くうごめくものが……




 それは白い毛虫でした!!




 何匹もの白い毛虫が這いずり回っているのです。


「うおおぉぉ!!」


 驚いた殿下は思わず箱を放り投げてしまい、腰を抜かしてしまいます。

 辺り一面に飛び散ったそれを見て、周りの者も初めてそれが毛虫だと気がつき、悲鳴を上げ騒めくのでした。

 白い毛虫は、尻もちをついて座り込んだ殿下の体にも、何匹もくっ付いて動き回ります。


 すぐさま護衛の兵士が、倒れた殿下に駆け寄ります。


「カ、カトリーナ!! お、お前はなんということを!!」


 父親は顔を真っ青にして怒鳴ります。

 母親はあまりのことに、倒れ込んでしまいます。


 しかしカトリーナ本人は、眉一つ動かしません。


「な、なんと無礼な!」


 これにはさすがに温厚な殿下も、怒りを隠せません。


 その場で兵士に取り押さえられるカトリーナ。


 そこで初めて口を開き、話すのでした。


「殿下、この生き物をご存じではありませんか?」

「この……毛虫を? だと?」


「これはかいこの幼虫でございます。このドレスに使われたシルクを産み出す、貴重な昆虫でございます」

「か、かいこ?」


 殿下も聞いたことはありました。

 シルクの原料は、とある虫の吐く糸から取れることを。

 そのため手間がかかり、高価になるということも。


「農民は生糸を生産するために、この蚕を大量に飼育しなくてはなりません。それはもう大変な労力です。

 蚕の幼虫は繭を作り蛹になりますが、この繭がシルクとなるのです。そして蚕が羽化をすると繭が破けてしまうため、羽化する前に殺されてしまいます。

 いくつもの蚕の犠牲と、そこまで大切に育てる農民の苦労が、このシルクには存在するのです」


 静まり返る広間には、カトリーナの声だけが響き渡ります。


「人々は外見の美しさばかりに囚われてしまい、その本質を見失ってしまっております。

 宮殿での生活は、さぞかし優雅で煌びやかなものなのでしょう。

 多くの人が目を奪われるような宝石で着飾り、艶やかなシルクのドレスに身を包みまして。

 しかし、それは多くのものの犠牲によって成り立っているのです」


 カトリーナを兵士は連れ出そうとします。

 しかし殿下は、彼女を解放し下がるように合図します。

 カトリーナは続けて話します。


「殿下は将来、この国の未来を担うお方。是非この事実だけでも心に留めておいていただきたく、このような無礼を致しました。

 このような高価なものを理由もなくいただき、身に付けることは、私の本意ではありません。

 しかし、この純白のドレスを私の血で赤く染める代償として、殿下に少しでも民や、下々ののこと、自然の摂理をご理解頂ければとの思いでいたした次第でございます。

 私の身をわきまえぬ、失礼なもの言い。大変申し訳ありませんでした。

 どのような処罰でも受ける所存でございます」


 そう話しながらカトリーナは、飛び散った蚕の幼虫を素手で一匹ずつ拾い上げては、箱の中へと戻します。

 殿下に這いずり回る幼虫も一匹残らず取り去ると、全てを回収しその箱の蓋を閉めます。

 そして静かに覚悟を決めて立ち尽くすカトリーナに、護衛の兵たちがもう一度取り囲みます。


 そこに殿下が立ち上がり、割って入りました。

 ジッと前を見つめるカトリーナの両手を掴み握りしめます。

 引き締まった表情の殿下は、そのままカトリーナの目を見つめながら口を開かれるのでした。



「カトリーナ。


 貴女は身も心も美しいお方だ。


 その考えに感銘を受けました。


 どうか私の妃となってはいただけないだろうか?」




 き、きさき?



 静まり返った広間で聞き間違えることのない言葉。

 王太子殿下は確かにカトリーナを見つめながら、そう話されたのでした。


 あまりのことに、周囲から悲鳴に似た驚きの声が漏れます。


 なにより一番驚愕しているのは、カトリーナ自身でした。

 最悪、処罰され命をおとす可能性もあったと思っていたからです。


 しかし殿下は、カトリーナの振る舞いにお怒りになられるどころか、その振る舞いと言動に心がうたれたのでした。


 いえ、それは初めて彼女を見にした時から、心のどこかに感じていたのかもしれません。


 この込み上げてくる感情。

 初めて目にしたあの時……

 木の影に隠れて覗き見した、庭ではしゃぎ回る素朴で屈託のない笑顔に。

 普段のカトリーナの姿を一目見た時の、心震わすあの気持ち。

 毎日、彼女のことをばかり考えていたこと。

 少しでも彼女に喜んでもらおうと、夢中になって珍しいものを探し回ったこと。

 そして毎回帰ってくる返事を楽しみにしていたこと。

 着飾った姿も見て見たいと思ったこと。

 彼女を宮殿に呼び寄せ、周りの者に自慢したく思っていたこと。

 そしてこの場での、聡明で人々を思いやる心を見せてくれたこと。


 そしてこの一連のカトリーナに思い抱いていた感情は……


 恋だったのだと。


 今では、この目の前にいるカトリーナが、いとおしくて仕方がない。

 すぐにでも抱きしめたい気持ちでいっぱいでした。


 ようやく自分の気持ちに気が付いた殿下は、溢れ出た気持ちを抑えることが出来ずに、思わずこの場でカトリーナに求婚するのでした。

 驚きのあまり言葉を失って返事ができないカトリーナに、殿下は再びおしゃられるのでした。


「どうか私の求婚を、受け入れてくれないだろうか?」


 突然の大衆の前での、殿下のプロポーズ。

 しかも、噂の毛虫姫にです。


 だれもが驚き騒めきますが、毛虫姫がどのような返事をするのか気になり、自然と広間は静まっていくのでした。


 なによりも一番驚いているカトリーナは、心を落ち着かせます。

 自分を見つめる殿下の瞳は、着飾った今の姿ではなく、まっすぐ自分自身の本来の姿を見つめているのが分かりました。

 そして視線を下げると、殿下は蚕を素手で掴んで汚れてあるはずの自分の手を、両手で堅く握りしめているのが見えました。


「……なぜ、私なのでしょうか?」


 ようやく口から出てきたカトリーナの言葉に、殿下は優しくお答えになられます。


「初めてお会いしたときから、この気持ちは変わらないのです」

「……はじ……めて?」


 直接お会いしたのは今日が初めてのはず。

 そうカトリーナは、疑問に思うのでした。


「庭で子どもたちと駆け回り、虫を取っていた時の貴女は、どんな女性よりも持ち合わせない不思議な魅力がありました」


 どうやら、いつどこかで普段の自分の姿を目撃されていたようだと、カトリーナは感じるのです。


 あんな姿を殿下に目撃されていたのだと知ると、初めて恥ずかしさを感じると共に羞恥心で顔を赤くし、うつむくのでした。

 しかし、そんな本来の自分自身の姿に好感をもっていただいたことで、しだいにカトリーナは言い知れぬ喜びで、宙に浮く感じがしました。


 そしてカトリーナは決心し、

 うっすらと紅をさした小さく可愛らしい唇を動かし、

 一言、

 返事をするのでした。




「私のような、


 風変わりな女でもよろしければ……


 喜んで……」




 こうしてめでたくカトリーナは殿下の婚約を受け入れ、ご結婚され、王太子妃となられたのでした。


 自然を愛し、どんな者でも分け隔てなく接し、優しく聡明なカトリーナは、よき妻として、そしてよき為政者として多くの者に慕われることとなったのでした。


 かつて彼女のことを軽蔑と嘲笑とで“毛虫姫”と呼んだことも、今では誰一人いなくなりました。

 代わりに、カトリーナ妃の博愛と美しさに、尊敬と畏敬の念をもって人々は“胡蝶姫”と呼ぶようになられたのでした。

最後までお読みいただきありがとうございます。

今から約1000年ほど前の話でしょうかね。古典も面白いんですけどねー


ちなみに「小説家になろう」内で、原作の古典を翻訳されてる凄い方がいまして、大変参考になりました。

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