ワレスの迷宮5
そうだ。ここへ来る途中、リュックたちに刺されたとき、痛かった。でも、まったく致命傷にはならなかった。彼らのことは、ちょっとした友人、またはあるていど親しい知人としか、ワレスが見ていないから。
一方、ジョスリーヌになら、ワレスにそうとうの打撃をあたえられるだろう。彼女は信頼しているし、とても大切な人だ。それはどちらかといえば、母親に甘えるような愛なのかもしれないが。だからこそ、最後のとどめにまでは至らない。
「犯人はジョスリーヌ。だが、おれは二度殺されている。つまり、もう一人、おれを殺したやつがいる。それが、踊ってたおれをナイフで刺したパートナーの少年だ」
ワレスはまっすぐにその人を見た。やっと思いだした。とても大事な記憶なのに、なぜ、今まで忘れていたのだろう。
陶器の人形のように美しい、永遠の少年。
「ルーシィ。君だ。このなかに該当する少年は君しかいない。客のなかには、マノンとエチエンヌのほか子どもはいない。が、裁判官は客ではないからだ」
無表情なルーシサスのおもてをただ見つめる。数分もして、ようやく、ルーシサスは微笑んだ。
「ワレサ。君の手のなかで、もう一度、踊ってみたかったんだ。あのころのように」
「じゃあ、どうして殺したんだ?」
「今でも、ぼくが君の一番なのか、知りたくて」
「ずっと一番だ。そうだろ?」
ルーシサスの瞳が物悲しい色を帯びる。優しい、消えいりそうな笑みを浮かべ、ルーシサスはそっと、ワレスの胸によりそってきた。
「でも、ワレサ。君は生き返ったよ。今も、生きてる」
ルーシサスへの想いが、ワレスにとどめを刺さなかった。それは、つまり……?
「さよなら。ワレサ。ほんとは君をつれていきたかった」
「ルーシィ!」
少年の姿が風に溶けていく。
「ルーシィー!」
手を伸ばしても、もう何もふれるものがない。
いや、誰かがワレスの手をつかんだ。
「ワレス! ワレス! しっかりしろ。今、ひきあげるから。絶対にあきらめるな!」
ガンガンと頭の芯が熱くなる。痛い。でも、心地よい。
暗闇の欄干でのぞきこむジェイムズの顔が、ふっと眼前によぎった。
*
目をあけると、天使が頭上で踊っていた。青空を背景に純白の翼をひろげ、金色の後光をまとっている。プラチナブロンドの天使は、どこかルーシサスに似ている。だが、本物ではない。フラスコ画だ。
その天使より近い位置に、人間の顔があった。ジェイムズだ。それに、ジョスリーヌ。
どうやら、ラ・ベル侯爵邸らしい。ワレスは豪華な寝台に寝かされている。
「ワレス!」
「気がついた!」
両側から迫る二人の目には涙が浮かんでいる。
ジョスリーヌはワッと声をあげて泣きだし、すがりついてくるし、ジェイムズだって、ものすごい力でワレスの手をにぎりしめる。二人のようすに、ワレスは圧倒された。
「な、なんだ? いったい……」
起きあがろうとすると、頭が痛む。
ズキズキするこの感じ。上からのぞきこんでくるジェイムズ。なんだか、おぼえがある。
「……そうだったな。おれは男を追っていて、橋から落ちたんだ。そのとき、欄干で頭を打った」
「三日も目をさまさないんだもの。もう死んじゃったかと思ったわよ!」と、ジョスリーヌの泣き声が激しくなる。
「バカ。バカ。あっけなく死ぬなんて、わたくし、ゆるしませんからね!」
「生きてるじゃないか」
「こんなに心配させて!」
泣きついてくる彼女には好きにさせておく。これも愛情表現だと思えば、くすぐったい。
「なんだか、変な夢をたくさん見たような気がするが……」
「どんなだい?」と問うジェイムズに答えようとするものの、もう内容は思いだせなくなっていた。
「さあ。あの世でおれの生前の罪をあばく裁判がひらかれたんだったかな?」
ワレスが笑うと、ジェイムズも安堵の表情で口の端をゆるめる。
「冗談ごとじゃなかったんだよ。ワレス。あやうく、ほんとに君は死ぬところだった。頭を打って失神したまま水中に落ちていたら、いかに君が水泳が得意だったとしても、まちがいなく溺れてたよ」
「まあそうだろうな」
だから、あの世の夢なんて見たのだろうか?
忘れてはいけない大切な、そして幸福な夢だった気がするのだが。
ワレスはそっと目を閉じた。まぶたの裏には、もうろうとするワレスをひきあげるために、懸命なジェイムズのおもてが焼きついている。
ルーシィ。まだしばらく、君のもとへは行けそうにない。
遠のく天使の気配を感じながら、でも、どこか満ちたりていた。
了
あと一話、来週投稿ぶんで、この連作短編集は完結です。




