ワレスの迷宮1
ジェイムズに頼まれて事件を解決するのも、なんだか習慣になってしまった。
たいていの犯人は罪を解きあかされても抵抗しないし、そもそも、ワレスは世間に害悪がなれば犯人を捕まえようともしない。
だが、なかには逃走をはかる者もまれにはいる。いつものように完璧な推理で、罪状を看破すると、その男は逃げだした。
「ワレス、そっちに行ったぞ!」
「オーライ」
皇都内にはりめぐらされた水路の橋の上、かけてくる男に、さきまわりしたワレスがとびつく。
だが、相手は何人も殺してきた凶悪犯だ。あっちも死に物狂いである。もみあいになり、ワレスをつきとばすと、欄干にとびあがる。ワレスも追った。
そのあと、欄干の上で曲芸じみた追いかけっこがくりひろげられ、橋の中央近くで追いつめる。
そこまではいい。もう逃げられないと観念したのか、男は水中に活路をみいだす。一か八かで、冬の大河を泳いで逃げようというのだ。
とっさにワレスは男の服の端をつかみ、ひきあげようとする。だが、男があばれたため、バランスをくずす。欄干で頭を打った。
「ワレス!」
水中に凶悪犯とともにくずれおちようとする瞬間。かけつけてきたジェイムズが、必死の形相で手を伸ばすのが見えた。
暗転——
*
さて、問題はここからだ。
暗闇のなかで目をさますと、目の前にルーシサスがすわっていた。よこたわるワレスを、ひざをかかえて見つめている。
「ルーシィ!」
ワレスはとびおきる。
五年間、一日たりと忘れたことなどなかった相手だ。ワレスの後悔と悲しみと懺悔の結晶。それが目の前にいるのだから、思わず、両手で細い肩を抱きしめようとした。
すると、俊敏にその手をさけて、ルーシサスは立ちあがる。
あいかわらず、少女のように華奢で美しい。プラチナブロンドの髪が繊細に風にゆれ、若草色の瞳は魂のない宝石のように、ワレスを射すくめる。白い肌は磨かれた大理石のなめらかさで、どこかひんやりと透きとおってさえ見える。
「ルーシィ。会いたかった。ずっと、おまえに聞かせたい言葉があったんだ」
ルーシサスはなんとなく、ワレスを哀れむ目をして、無表情に見返している。
「ルーシィ。おれをゆるしてくれ。ほんとは、おれも……おれも……」
そのとき、急に頭のなかが真っ白になって、言葉が霧中に消えてしまった。何を言いたかったのか、思いだせない。
そんなバカなことはない。ルーシサスがこの世にいなくなってから、これまで、ただひたすら、言いたくで言えなかったその『言葉』だけを虚空にささやき続けてきたのだから。
「あ……おまえを……なんだっけ?」
「ワレサ」
やっと、ルーシサスが名前を呼んでくれた。伝えたい想いがこみあげてくる。なのに、思いだせない。激しく頭痛がして、ワレスを苦しめる。失われた言葉の一つ一つが、するどいナイフとなって頭のなかをあばれまわっている。
「ムリだよ。君はソレを言えないんだ。もう二度と」
「な……ぜ……?」
そっと手をかけると、ルーシサスの手はぬれたように冷たい。まるで氷だ。
その冷ややかな手で、ルーシィは暗闇を示す。天使そのままに無垢なおもてに、復讐の笑みを浮かべて。
「だって、君はもう死んでるから」
ルーシサスの示すさきには、たしかにワレスの死骸があった。自分で見てもたいそう端麗だと思うが、その美貌は半分くだけちっている。ポカリと頭蓋骨にあいた大穴から、何かが流れだしていた。
血?
いや、違う。
それはワレスの記憶だ。ワレスがずっと胸に秘めていた伝えたい言葉。
ワレスは叫び声をあげ、くだけた頭部の穴を両手でふさごうとした。だが、その手のすきまからも、それはもれでていく。やがて、白い霧となり、かすかにきらめきながら、いずこへか飛んでいった。羽が生え、それじたいが生き物となったかのように、詩さえさえずりながら。
ワレスは滂沱たる涙をこぼしていた。
それはとても大切なものだった。決して失ってはいけないものだったのに。
真っ黒なタールのような地面に両手をついて嘆いていると、ルーシサスが身をかがめ、ワレスの耳元にささやく。
「君は誰に殺されたの? 謎を解かないと、ここからは出られないよ」
どうしよう?
ワレス殺人事件が発生してしまった。




