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ジゴロ探偵の甘美な嘘〜短編集3 透明な季節〜  作者: 涼森巳王(東堂薫)
第八話 静寂の森

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静寂の森5



「そもそも、あなたがサンドリーヌと逃げたのは三十年から五十年前の話だろう? 間男を作ってうんぬんと言うのだから、サンドリーヌがまだ若く美しい年だったはず。だが、あなたが彼女を埋めたという石碑のまわりには、白いキノコがたくさん生えていた。あれは死人茸しびとたけという動物の死体を養分に生える種類だ。それも範囲から言って、かなり大きな動物の死骸が埋められている。ちょうど人間くらいのな。あそこには人の死体が埋まっているんだ。ただし、それはサンドリーヌではない。そうだろう?」


 あいかわらず、老人は黙っている。だが、その目に物騒な光が宿った。今度こそ、本気で斧をふりあげようとする。ワレスはそれを片手で制す。


「あなたはサンドリーヌをかばっているんだ。彼女は今も生きている。何十年も前にサンドリーヌが死んでいるなら、墓場の死人茸もとうに枯れている。つい最近——少なくとも、ここ数年のうちに人が埋められたから、新しく生えてきたんだろう」

「いや、サンドリーヌは、わしが殺した。だが、たまにどうしようもなく誰かに話したくなってな。だから、迷いこんだ旅人に聞かせては秘密を守るために殺しているんだ。二年だか前に、ちょうど、おまえさんくらいの年の男をあそこに埋めたよ。だから、新しい茸が生えてきたんだ」


 その可能性も考えられた。しかし、それではつじつまがあわない。


「さっき、あなたはおれを本気で殺そうとはしていなかった。なぜか? おれに逃げ帰って、伯爵に報告してほしいからだ。サンドリーヌは何十年も前に死んでいると」

「……」


「何度も言うが、おれはほんとに伯爵の臣下ではない。そもそも、伯爵というのが何伯爵なのかすら知らないんだからな」

「では、なぜ戻ってきた?」


「気になったからだ。この家に女の暮らしていた気配はまったくなかった。たとえ数十年前だとしても、愛した女の形見だ。くしや髪飾り、指輪の一つくらいはとっておくはずだ。現に、細密画は飾ってある。誰が見てもサンドリーヌがここにいたとわかる証拠がとってあるのに、形見の品を全部すててしまうのはおかしい」


 ワレスの言葉を老人は無言で聞いている。もはや、反論もしない。


「真相を言おう。あなたはサンドリーヌを殺していない。いや、それどころか、サンドリーヌの浮気相手ですらなかった。サンドリーヌは別の男と逃げたんだ」

「違う」

「言ったじゃないか。サンドリーヌは贅沢な生きかたしかできない女だったと。あなたと彼女は愛しあっていたかもしれない。しかし、ともには暮らせなかった。サンドリーヌは金持ちの男と逃げだした。あなたはそれを手助けした」


 また、老人は黙りこむ。


「あなたは自分とサンドリーヌが駆け落ちしたと言いふらし、ウワサを聞きつけてきた相手には例の話をして墓を見せる。サンドリーヌのほんとの行方が一生、誰にも知られないように。サンドリーヌは偽名を名乗り、髪でも染めてふんいきを変え、別の街で生きている。あなたは数十年たった今でも、サンドリーヌのために、この場所でカラの墓を守っているんだ」


 老人はワレスをにらんだあと、深々と嘆息した。


「そんなことを言わんでくれ。あんたをほんとに殺さんといけなくなるじゃないかね」

「まさか、墓の下に眠ってる死体は、それで殺したのか?」

「あれはただの行き倒れだ。森のなかで死んでいた。墓をあらためられたとき、人骨が埋まっているほうがよかろうと思い」

「じゃあ、おれを殺す必要はない。あんたはもう墓守をしなくていいんだ」


 老人はハッとしたようすで息をのむ。


「な、なぜ……?」

「考えてもみてくれ。あんたがサンドリーヌと共謀して、彼女を逃がしてから、いったい何十年がたったんだ? 五十年? へたすると六十年?」

「五十六年だ」


「あんたが老いたように、サンドリーヌも老婆だよ。当然、伯爵はとっくにこの世の人ではないだろう。伯爵の正妻も今ごろは夫のあとを追っているか、生きているにしても、孫にかこまれて、そんなはるか昔の愛人の一人や二人、忘却の彼方に決まってる。誰もあんたたちを追いかけてはいない」


 老人の手がワナワナとふるえ、斧が戸口に落ちた。その音は森の静寂にひときわ響きわたる。


「もう……いい。もういいのか? ほんとに?」


 愛する女を守るために必死で、ついぞその考えにはいたらなかったらしい。今日まで、ただひたすら、一つの信念のもとに時を重ねてきたのだろう。


「もしも、あんたの言うのがオージュベール伯爵なら、五十年のあいだに当主が三人代わったよ。おれの知ってるオージュベール伯爵はまだ二十歳すぎの青年だ。おまけに他家で育っているから、昔のしがらみなんて、まったく知りもしない」


 老人はひざからくずれおちた。あるいは真実、オージュベール家が因縁の伯爵なのかもしれない。この森がオージュベール伯爵家の領内であることをかんがみれば、その可能性は高い。


 ワレスは老人を見おろしながら、ささやいた。


「急いだほうがいいんじゃないか? 今、会いに行かなければ、サンドリーヌはほんとの墓石になってしまうぞ? 居場所を知っているなら、まにあううちに旅立つんだ。きっと、彼女も会いたがっている」


 言うだけ言って、ワレスは老人に背をむけた。老人がどうするかは知らない。それは彼の人生だ。


 長い年月を愛する女のために捧げ、孤独に生きてきた老人。

 願わくば、残りの人生が幸福であらんことを祈って。




 了

とりあえず一話書きおえました。

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