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そろそろ水やりの時間ね…。横に座る彼女はそう呟くと、強引に私の手を引き椅子から立たせる。無断で授業を抜け出そうとするふたりを咎めるものはいない。小煩い数学教師もだんまりだ。五限の途中のこの時間、私達は透明になる。
靄がかかった教室を後に、彼女に付き従う。廊下の窓から生暖かい風が吹いた。鼻がむず痒くて、くしゃみをする。「風邪かしら、大丈夫?」と、彼女。「いえ…花粉だと思います…。」教室をでる時に持ってきた手提げ袋から、ティッシュを取り出し鼻を拭く。また手提げ袋の中を弄り、今度はビニール袋を取り出し今使ったティッシュを入れる。思えば、この手提げに何度助けられたか。これがあれば受験戦争にも容易に打ち勝てる気すらする。
どうでもいい事を考えていたら目的地に着いた。毎日何度も来るせいでもう足が覚えてしまった。目を瞑っても来れるんじゃないだろうか。そう女子トイレだ。まあ職員用を除けば基本的に女子トイレしかないのだが…まあ今はいいか。ここの奥の個室は、私達の専用のようになっている。使い易いようにと、近くに出しておいた梯子がまだ片付けられていない。いつも通り私は便座に腰をかけ、戸を閉める。目を閉じる。プラスチックに、勢いよく水がぶつかる音がする。用具入れの方から聞こえるそれは、スロップシンクなるものに置かれたポリバケツに、水が注がれる音なんだろう。水音が止む。タイルを踏む上履きの音が近づいてくる。次は梯子が軋む音。それも止む。そして目を開ける。目の前に水壁。次の瞬間、私は水浸しになっていた。
「どう、おいしいかしら。お水。」梯子に乗り、上から見下ろしてくる彼女。日差しのせいか、少し火照った彼女の顔はやはり綺麗だった。切り揃えられた艶のある前髪から覗く蠱惑的な瞳。通った鼻筋。薄い唇。こんな事をされても見惚れてしまうほど整った顔だった。
「それじゃ、先に戻るわ。」そう言い残し、戸上から覗かせた顔が沈む。
個室の中で軽く水を払い、個室のそとに立て掛けた手提げからタオルと替えの下着、ジャージを取り出す。慣れたものだ。最初は、突然水をかけられた衝撃と恐怖でお昼を戻しそうになった。だけれど人間とは案外頑丈なもので、二週間ほどで私の身体は慣れてしまった。最近では休みの日も、同じ時間帯にシャワーを浴びてしまうくらいだ。それほどまでにこの“水やり”は、私の生活に染み込んでいた。