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7 魔獣の森

 ハラグから程近くに広がるロイエの森。


 平坦な森ではなく、いくつかの山が連なっている所に広がっており、山と山の間にある渓谷が特に美しい事で有名な場所だ。自然豊かで、特にここで採れる薬草は効能が良いと知られている事から、採集に訪れる人は多いという。


 山道も整備されており、馬車1台なら通れる幅は確保されているため、普段ならここを通り抜ける人々はそれなりにいるのだが、今はハラグ側からの通行は規制されている事もあって私達以外の人影は見られない。それどころか――


「鳥の声ひとつしないわね……」


 見上げた木々の隙間から見える空には、鳥の姿すら見られず晴れ渡っている。この森には多くの動物や鳥達が住んでいた筈だというのに、今はその気配すらなく不気味なくらいに静まり返っていた。


 その上、何もしていなくても汗が滝のように滴り落ちるくらいのこの異常な暑さは何なのだろう。神官達の結界が施されたハラグではまだマシだったというのに、これではまるで火山の近くにでもいるような感覚だ。


 森に何かしらの異常が起きているのをひしひしと肌で感じながら、私は頬を伝う汗を乱雑に拭った。


「うはー……ハラグとは比べられないくらい暑いっすね。確かにこれなら炎系の魔獣がいてもおかしくないような……」

「森の植物もかなり枯れているのが気にかかります。これは薬草にも被害が出ていそうですね」

「本当、ここで一体何が起きているのかしら……」


 騎士達の言葉に頷きながら、辺りの気配を探るように見渡す。幸い、近くに魔獣がいそうな気配は感じられないものの、じっとりとした嫌な感覚が纏わりついていた。


 ただ、私以上に難しい顔をしているのが、昨夜遅くに大神殿に戻ってきたマロリーだ。いつもは暗い雰囲気の時こそ明るく場を和ませてくれる彼女が、今は誰よりも真剣な表情で先頭を突き進んでいる。


 昨夜は戻ってくるなりたった一人でロイエの森に飛び出していきかねない勢いだったものだから、これでもまだマシになった方なのだけれども、彼女からは明らかな焦りが滲み出ていた。


(でも、無理もないわよね……)


 ミラン大神官様の想い人であり、数日前にこの森に薬草を採取しに来て行方不明となっている女性は、マロリーの実家の近くに住んでいるという彼女の幼馴染だったのだ。


 それもかなり親しい間柄らしく、あれ程動揺している彼女を見るのは初めての事だった。


 きっとその女性は私にとってのエカードのような存在なのだろう。幼い頃から仲の良い友達が行方不明だなんて、そんなの平静でいられる筈もない。


 ただ、今は何が起こるか誰にも解らない状況であり、未知の魔獣の脅威に晒されている状態だ。焦りは隙を生み、それは個人だけでなく、ここにいる全ての騎士達の命を脅かす事にもなりかねない。


「マロリー、そろそろ渓谷に着くわ。そこで少し休憩しましょう」

「っ……副団長!ですが……!」

「あなた、今とても酷い顔色をしている自覚がある?気持ちが焦るのもよく解るわ。でも、だからこそ一旦落ち着いた方が見えてくるものもあると思うのよ」

「…………わかり、ました」


 あまり納得できてはいない様子ではあったけれど、小さく頷いた彼女に対して、私はひとつ頷き返すとそっと労わるように彼女の背に手を添えた。


「皆も聞いていたと思うけれど、渓谷に着いたら一旦休憩をとるわ。各自交代で周囲の警戒も怠らないように」

「「「はい!」」」


 そうして警戒しながら山道を進んでいくものの、相変わらず動物の姿はおろか普段見かける魔獣の姿も見られない。不気味な静けさの中で、私達の足音や声だけがいやに大きく響いていた。


 何もないならそれで良いのだけれど、進むにつれて枯れた木々はいや増し、何かが焦げたような痕跡も見られる。


 最初は軽口を叩いていた騎士も徐々に口数が少なくなっていき、新人の騎士達に至っては緊張からか今にも倒れそうな者までいた。彼等にとっては初の実戦であり、ただでさえ緊張するだろうに、今の状態が長く続く事は流石に酷だろう。


 渓谷の少し先には薬草が群生している場所があり、行方不明の女性が居るとしたらこの辺りだと思われる。その周辺を捜索したら、今日は一旦ハラグに戻った方が良いかもしれない。


 そう考えていたところで、ようやく視界が開け渓谷が見えた。やっと休憩できるという希望が見えたからか、新人騎士達の足取りも心なしか軽くなり、喉を潤すために我先にと流れる川へと近付いていくのだけれど――


「副団長!渓谷の水が……!」

「熱っ!これ、温泉ですよ……!」


 悲壮な表情で声を上げる彼らは、冗談を言っている様子もない。まさか水が温泉になるはずもないだろうと思うのだけれども、確かによく見てみれば流れる水からは湯気が立ち昇っており、触れると思っていたよりも熱い。


「気温が上がったら水も温泉になるのかしら……」


 ぽつりとそう呟けば、近くにいたエカードが呆れたような表情で溜息を漏らした。


「アレッサ……流石に気温が上がったくらいじゃ温泉にはならないよ。そもそも温泉というのは、火山性のものと非火山性のものがあって――」

「あ、難しい話ならいいわ。休憩の時まで頭を使いたくなんてないわよ」

「本当に君は……はぁ……まぁいいよ。今は僕と難しい話をするより大切な事があるんだろ」


 そう言う彼の視線の先には、一人だけ離れた場所に座り込み、俯いているマロリーの姿があった。行ってこいと言わんばかりの笑顔を向ける彼に、私は一つ頷くと彼女の元へと足を向ける。


「マロリー、隣座ってもいいかしら?」

「はい……」


 小さく彼女が頷いたのを見て、私もゆっくりとその隣に腰をおろす。他の騎士達が思い思いに休憩しているのを、彼女は生気の無い瞳で見つめていた。


「……私とエカードが出会ったのはお互いに5歳の時だったわ。その頃、私の母が重い病に罹ったのだけれど、その治療の為に来てくださったのが素晴らしい治癒術士だったエカードのお母様、クレー子爵夫人だったのよ」


 突然話し始めた私の話に、マロリーは相槌を打つ事もなく、視線は前に向けられたままだ。ただ、なんとなく話はしっかり聞いてくれている気がして、私は視線をエカードの方へと向けた。


「子爵夫人はいつもエカードを連れてきてくださっていて、その頃同じ年頃の友達がいなかった私は、ものすごく喜んで毎日のようにエカードと一緒に遊んでいたの。今思えば、私が母の治療の邪魔をしないようにと父が子爵夫人に頼んでいたのでしょうね。……小さい頃のエカード、今とは比べられないくらい可愛かったのよ。木登りや虫捕り、剣の稽古といろいろ振り回した自覚はあるのだけれど、私の我儘に全部付き合ってくれたのはエカードだけだったわ」

「…………」


 きっと、彼女に今必要なのは時間と共感だ。同じ幼馴染という点でエカードとの話をしてはみたものの、話していると子供の頃の私はかなりエカードの事を振り回していた記憶しかない。


 これでどうしてエカードは今でも私の事を女性として好きなのか、甚だ疑問しかなかった。


 内心首を捻っていれば、前を見つめる彼女の瞳はゆらゆらと朧げに揺れていた。


「……私とアンナは、家も近くて、ずっと仲の良い幼馴染だったんです。アンナは昔から世話好きでおせっかいで、剣を振り回して怪我ばかりしてた私の事をいっつも心配してくれてました。そういう所は副団長とクレー卿に似てるかもしれません」

「確かにそうね……!でも、私よりもマロリーの方がしっかりしてると思うわよ」

「副団長、剣術以外はいろいろ酷いですもんね」


 いつもよりも元気はないものの、軽口が出てきた事に少しだけホッと胸を撫で下ろす。やっぱりマロリーは、こうしてはっきりと物を言ってくれる所が良い所なのだから。


「私が騎士団に入れた事を一番喜んでくれたのもアンナでした。彼女、私が怪我をした時に助けられるようにって薬師の見習いをしてるんです。だから、私はそんな彼女が誇れるような騎士になろうと……っ」


 じわりと目元に滲んだ涙を彼女はぐしぐしと拭うと、勢いよくその場に立ち上がる。私を見下ろすその顔は、迷いが吹っ切れたようなそんな表情にも見えた。


「すみません、ご心配をかけました……!こんなんじゃ、あの子が誇れるような騎士じゃありません!もう大丈夫ですので……!」

「この先に薬草の群生地があるわ。アンナ嬢はきっとその近くにいるはずよ」

「はい……!」


 ようやく笑顔を浮かべてくれた彼女だったけれど、その表情はすぐにまた曇ってしまう事となる。


 短い休憩を終え、暫く進んだ先に広がっていたのは、真っ黒に煤けて変わり果てた森の姿だったのだ。山火事、というよりもかなりの火力で焼き払われたような光景は、以前の青々とした薬草や木々の姿を想像できない程だった。


「一面、焼け野原ね……」


 かなりの広範囲が焼け落ちており、アンナ嬢の手掛かりや炎系魔獣の痕跡を探すために、この一帯を手分けして捜索する事にはなったものの、燃え方がかなり酷く、植物も原型を留めていないものが殆どだ。


 何か少しでも手掛かりがないかと必死に探していても、これといった収穫がないまま時間だけが過ぎていく。


「まだ焦げ臭いって事はそんなに日が経ってないだろうな。この辺りにはかなり珍しい薬草も生えてた筈なんだけど――」

「エカード?どうかし、た……」


 言葉に詰まった彼の視線の先、そこに横たわったものが何かを理解した瞬間、私も思わず言葉に詰まってしまう。


 それは黒く焦げてしまってはいるけれど、確かに人の形をしていたのだ。


「酷いな……かろうじて人だったとは解るけど、男か女かも判別がつかないよ」

「これだけの火力だなんて、炎系の魔獣でも上位種としか考えられないわね……」


 蹲るようにして亡くなっているその姿は、身長は然程高くない。女性か、はたまた子供という可能性もあり、見ただけでは性別まで判別するのは難しい状態だ。


 衣服も全て燃えてしまっており、手掛かりは――


「待って、エカード!それ、たぶん首元に何か残ってるわ!」


 頭を抱えるように手が添えられているために解りにくいけれど、装身具と思われる物が奇跡的に燃え残っていたのだ。エカードが御遺体を傷付けないよう、慎重に金具をはずしていく。


「これは……ロケットペンダント、か。保護魔術がかけられていたお陰で焼けずに済んだみたいだ」


 手渡されたのは、ペンダントトップの中央に青緑色の宝石が埋め込まれている美しい装飾のロケットペンダントだ。これだけの火力に晒されていたというのに、傷一つついておらず、目立った汚れもない。


 ペンダントトップの横にある金具を押すと、カチリという音と共に中から現れたのは笑顔で寄り添う仲の良さそうな二人の少女の絵姿だ。


 そのうちの一人は、とても見覚えのある少女だった。


「マロリー!!」


 思わず声を上げれば、弾かれたようにやってきた彼女は、私達の後ろにある御遺体に気付いて一瞬足を止める。そうして私の手の中にあるロケットペンダントを見た瞬間、その目は大きく見開かれた。


「っ……これ、アンナがいつも着けてたロケット、です……私が……いつかの誕生日にあげたやつ、で……っ……」


 そろそろと近付いてきた彼女は震える手でロケットペンダントを握り締めると、膝から力が抜けたようにその場に崩れ落ちてしまう。


「う……ぁぁ………アンナぁぁぁ……!!」


 慟哭のようなその泣き声は、暫くの間止むことはなく響き続けていた。






「……炎系の魔獣の痕跡は見つかったけれど、ひとまずハラグに戻りましょう。何より、アンナ嬢を御家族のもとに早く帰してあげないといけないわ」


 本当は元気な姿で帰してあげたかったけれど、それが叶わなくなってしまった今、少しでも早く御家族のもとへと連れて行く事が私達に出来る最善の事だろう。


「そうですね……マロリー、立てる?」


 アンナ嬢の前で力無く項垂れたままだったマロリーは、女性騎士が肩を貸す事でようやくその場に立ち上がる。彼女が少し離れた所で、御遺体を安置するための対応に取り掛かった。


「念の為に持ってきましたけど、役立たない方が良かったんすけどね……」

「本当にそうね……」


 誰もが何ともやりきれない、鎮痛な表情の中、御遺体が崩れてしまわないように保存の魔術を施した後、丁寧に袋を被せていく。運んできていた救護用の担架の上に安置し、前後に配置した騎士がゆっくりと担ぎあげた。


「担ぎ手は途中で交代して、これ以上傷付けないよう慎重にね」

「魔獣の討伐はどうしますか?」

「これだけの火力がある上位種相手に、新人を含めたこの人数では無謀だわ。王城に救援を要請して、十分な戦力が揃ってからでないと――」


 その時だった。


 轟音と共に、爆発にも似た炎が一気に燃え上がり、既に焼け野原となっていた場所を再度炎で染め上げたのだ。


「あぁぁぁぁぁぁ!?」

「嘘っ!?探知魔術には引っかかってないのに!?」


 周囲を警戒していた騎士の悲鳴が上がった方に視線を向ければ、そこに広がっていた光景に思わず目を見開く。


火蜥蜴(サラマンダー)!?これだけの数がどうして!?」


 そこに居たのはこれまで火山での目撃情報しかなかった炎系魔獣の上位種、火蜥蜴だった。


 蜥蜴といっても、その大きさはゆうに人の身長の3倍は大きく、蜥蜴というよりは火竜と呼ぶ方が正しいような地を這う魔獣だ。


 私も父から話では聞いた事があったけれど、実際にこの目で見るのは初めてだ。しかもその火蜥蜴が十数体以上、火山でもない森で群れをなしているというのだから、異常事態としか思えない状態だ。


 火蜥蜴一体に対して、討伐するのに適切な騎士の数は十名程と言われているというのに、私達の数は二十名。しかも実戦が初めての新人騎士もいるというのはどう考えても無謀な数だ。


「くっ……まずい、この中で水か氷の魔術が出来る者は攻撃の準備を!他の者は準備が整うまで援護に回って!エカードは負傷者の対応をお願い!」

「解った!アレッサ、絶対に無茶するんじゃないぞ……!」

「解ってる!どうにかして全員無事に撤退できるよう時間を――」


 騎士達の動きを確認しながら見渡していた所で、それまで力無く項垂れていた筈のマロリーが、彼女を支えていた女性騎士を振り切り、ゆらゆらとした足取りで火蜥蜴の群れの方へと向かっている事に気付く。その手にはしっかりと剣が握られていた。


「………………さない。お前らがアンナを……!絶対に許さない!!」

「マロリー!止まりなさい!!」


 彼女を静止するように声を張り上げるのだけれど、目の前の火蜥蜴しか目に入っていない様子の彼女には、私の声は届かない。


「うぁぁぁぁぁ!!!」


 駆け出した彼女は声を上げながら一足飛びに間合いを詰めると、一体突出していた火蜥蜴へと素早く斬りかかる。


 剣は皮膚を覆っている硬いウロコの隙間に入り込み突き刺さるのだけれど、そこからなかなか剣が抜けない。マロリーがそれを抜こうとしている間に、彼女の左半身目掛けて他の火蜥蜴の吐く炎が浴びせられたのは瞬く間の事だった。


「マロリー!!」

「っ……!?アレッサ、駄目だ!行くな!!」


 エカードの静止を振り切り、私は考えるより先に地面に倒れたままのマロリーの元へと駆け出していた。


 火蜥蜴の炎が再度彼女に届く寸前の所で、どうにか抱きかかえる事は出来たものの、僅かに触れてしまったらしい私の髪が一瞬で燃え、髪留めが焼き切れて纏めていた髪がはらはらと舞い落ちる。燻る火の粉は勢いよく頭を振って振り払うと、短くなった髪が顔にかかるのも構わずに、私は必死に腕の中のマロリーへと声を上げた。


「マロリー!聞こえる!?」

「……ぅ…………」


 微かに呻き声は聞こえるものの、左半身の火傷が特に酷く、意識は無い。早く治療しなくては、致命傷となるのは火を見るよりも明らかだった。


 これだけの大怪我になると、この中で最も治癒術に優れたエカードでさえも一人では完全に治す事は難しい状態だ。後数人の治癒術と、怪我の回復薬を直接かければどうにかなるだろうか。


 そう頭の中で算段をたてている間にも、先程炎を吐いた火蜥蜴が咆哮をあげながら飛びかかってくる。その横腹に他の騎士が放った氷の槍が命中し、僅かに体が揺らいだ所で急所である目に剣を突き立てる。


 マロリーを片腕に抱えながらでは、流石に力の入りが甘かったのか、片目を突かれても止まらなかった前脚が脇腹を掠め、炎のように熱い爪が肉を抉る感覚に一瞬だけ視界が歪む。歯を食い縛りながらも片目に刺した剣を勢いよく引き抜き、もう片方の目に突き刺した所でようやく目の前の火蜥蜴は音を立てて倒れ込んだ。


 ただ、火蜥蜴の数は私達よりも圧倒的に多く、一体倒した所でキリはない。時間が経てば経つ程、負傷者が増える一方で、最悪の場合は全滅だ。


 まだこちらの水と氷の魔術が効いているうちに撤退の合図をしようと声をあげようとしたその時だった。


 一際大きな咆哮が辺りに響き、今までの比ではない熱波と呼べる程の風がぶわりと襲ってきたのだ。


「……ぁ」


 声にならない声が漏れる。マロリーを抱える腕に力は篭もるけれど、視線は縫い付けられたように目の前に現れた圧倒的な脅威から逸らせずにいた。


 普通の火蜥蜴よりも一回りも二回りも大きいその体躯に、熱に、これ程近くに来るまでどうして気付かなかったのか。


 上位種である火蜥蜴が変異したのであろうその生き物は、絶対的な捕食者として私達を見下ろしていた。


 戦うまでもなく、この災厄とも呼べる生き物に勝てる者は誰一人としていないだろうという事は、この場にいる誰もが悟り、絶望的な眼差しで見上げている。諦めたくはないのに、そのあまりの力の差に私の足は全く言う事を聞かず、その場からもう一歩も動く事は出来そうもなかった。


 ここで私達がこの生き物を止められなかったら、ハラグの街は、ロルベーア王国はどうなるのだろう。


 この国を護る騎士として、一矢でも報いたいと心ではそう思っているのに、体はほんの少しも動かない。やはり私は騎士として至らない所ばかりだ。


 ハラグに残してきたライナ王女殿下、ワーレン様、ガーラン騎士団長――お父様。ウルリック国王陛下にも申し訳がたたないし、そして何より――


(キルシュ宰相様……)


 アレが最後になるのだったら、もう一度好きだと伝えておけばよかった。ずっと、ずっと大好きだと、そう伝えたかったのに。


『貴女が好きなのは、この私でしょう?今更他の男と結婚だなんて、許しませんよ』


 燃えるような瞳でそう言っていたあの人は、私が死んだら少しは悲しんでくれるのだろうか。


 次に訪れるであろう炎の衝撃を覚悟し、ぎゅっと目を瞑った所で、ぶわりと私を包み込んだのは嗅ぎ慣れたシトラスの香りだった。


 一瞬の静寂が永遠にも感じられ、夢なのか現実なのかも曖昧な感覚の中、炎の熱さも何も感じない事に戸惑いながらも恐る恐る目を開ける。


「へ……?」


 目を開けた所で、目の前に広がる光景が理解出来なくて、私はぽかんと呆けたように目を丸くしてしまう。


 そこには文字通り、()()()()()()


 火蜥蜴の変異種も、群れも、見える範囲の木々までもが跡形もなく燃え尽きてしまっていたのだ。あまりに見晴らしの良すぎる光景に、あの一瞬で一体何が起きたのか全く理解出来ず困惑していれば、後ろから勢いよく抱き締められていた。


「アレッサ……!よかっ……良かった……っ!」

「エカード……?あなたまさか、泣いているの?」


 彼の顔は私の肩に埋もれていて全く見えないのだけれど、固く回された腕は小刻みに震えていた。


 私自身も死を覚悟はしていたけれど、アカデミーに入ってからは泣いた所を見た事がないエカードが人前で泣くだなんて、これは相当心配させてしまっていたらしい。


 宥めるように柔らかな癖毛を暫く撫でていたのだけれど、私はハッとして彼を引き剥がすと、まだ涙でくしゃくしゃの彼の肩をがっしりと掴んだ。


「私の事よりマロリーよ!早く治癒術をお願い!」

「はぁぁぁっ……本っ当、君はそういうとこだよ!言っておくけど、後で説教だからな!!」


 私の言葉に一瞬呆気にとられたエカードは、俯きながら大きく溜息を漏らすと、ぐしゃぐしゃと乱雑に髪をかき上げる。顔をあげた時にはまだ目元は赤かったけれど、涙はすっかり引っ込んでいた。


 そうしてマロリーに治癒術をかけ始めていくらも経たないうちに、ぽつりぽつりと頬を濡らし始めた久しぶりの雨は、今までの分を取り戻すかのように勢いを増していく。


 それはまるで、全ての悲しみを洗い流し、癒やすような優しい雨だった。






読んでくださってありがとうございます!


作者のやる気に繋がりますので、面白かったと思って頂けたら下にある☆を押して評価やブクマを宜しくお願いします!

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