4 出立の挨拶
日々の任務に追われていれば、ライナ王女殿下の避暑を目的としたキュールへの出立はもう明日に迫っていた。
明日は早朝に王城を出立する予定になっている為、ウルリック国王陛下への挨拶は前倒しで今日行われるという事になり、王女殿下の後ろについて入室した謁見の間には、既に玉座に座られているウルリック国王陛下がおられ、その斜め後ろにはキルシュ宰相様が控えていた。
この数日は忙しさもあったけれど、もしかしたら嫌われたのではないかと考えてしまうとどうにも顔を合わせるのが怖くて、彼が毎朝通っている回廊を避けてしまっていたものだから、姿を見るのはあの日以来だ。
ちらりと視線を向けるものの、彼の視線が私と重なる事はなく、その表情も無表情なままだった。
久しぶりに姿を見られて嬉しい気持ちと、あの日の事を思い出して辛い気持ちが綯交ぜになるものの、今はウルリック国王陛下の御前だ。
ライナ王女殿下の専属護衛騎士としてしっかりしなくてはと気を引き締めたところで、今回の滞在に同行する騎士達全てが謁見の間に整列を終える。それを待って王女殿下が私達騎士より一歩前に出られると、その場で美しい礼をとられるのに続き、私達も一斉に騎士の礼をとった。
「ライナ、それに騎士の皆も明日の準備で忙しいところをわざわざ足を運ばせて悪かった。こればかりは儀礼的なものだから省く訳にもいかなくてな」
「まったくじゃ。兄様は義姉様が実家に戻っているから、どうせ暇なんじゃろう?」
「おいおい、オレには国王という立派な仕事があるんだぞ!?そうでなければとっくに逃げ出してエルリカの所に行ってるんだからな!」
ウルリック国王陛下が溺愛されているエルリカ王妃殿下は、この度めでたく御懐妊された事が公表されたばかりだ。
御二人にとっては初めての御子様であり、エルリカ王妃殿下の御両親であるグラース公爵夫妻にとっては初孫となる。その為に現在、エルリカ王妃殿下は公爵夫妻への御報告と静養を兼ねてグラース公爵家領に行かれているのだ。
エルリカ王妃殿下の護衛には私の父であるガーラン騎士団長に加え、第1騎士団の半数以上と他にも大勢の騎士、侍従に侍女といった過剰とも言える人員をつけて盛大に送り出されたウルリック国王陛下だったのだけれど、どうやら王妃殿下の不在にかなり参っておられるらしい。
夜な夜な王妃殿下がお世話されている薔薇園に行かれてみたり、果てはこっそり王城を抜け出そうとされたりしていると王城警備の騎士達から報告があがってきているのだが、結局は毎回逃げ出す前にキルシュ宰相様に捕まっているのだそうだ。
その事もあってか国王陛下の御言葉に対して、キルシュ宰相様は眉根を寄せてじとりとした目を向けていた。
「……陛下、そのように威張る所では全くありません。どうやら昨夜の事すら忘れてしまわれたようですね?」
「あ、おい……!じょ、冗談だって!そう怒るなよ、ライノア。オレなりにちゃんとやってるだろ?」
「なんじゃ、もしや既に逃亡を図った後か?まったく情け無い……義姉様に報告せねばな」
「待てライナ!それだけは勘弁してくれ!」
真っ青な顔で必死に叫ばれる国王陛下の御様子に、私は内心少しだけ笑みを漏らす。
ウルリック国王陛下は王族らしい金の巻き毛にサファイアブルーの瞳を持たれ、特に武芸に秀でられた御方だ。体格も良く、騎士団の訓練にも時折参加されており、おおらかで人好きする性格は騎士達からの人気も高い。
政策においても何よりも民を思いやり、親しみのある大変良き王だというのは間違いないのだけれど、ことエルリカ王妃殿下に関する事だけはあまりにも判断が鈍ってしまわれるのだ。そこがまた親近感が持てると民にも人気ではあるのだけれども。
そんな御兄妹の微笑ましいやり取りを遠巻きに見守っていれば、ウルリック国王陛下が一瞬こちらを見られる。目が合ったかと思えば、国王陛下は何かに気付いたような表情を浮かべられると、ニヤリと悪戯っぽく微笑まれた。
その表情はライナ王女殿下が悪戯を思い付かれた時とそっくりで、私は少しだけ身構えてしまう。
「そうだ、ライナ。そんな事よりも、プリーメル卿の事で何かオレに話があったんじゃないのか?」
どうやら国王陛下は話を逸らすのに私を利用されるおつもりらしい。
案の定ライナ王女殿下は、それを聞いてハッとした表情を浮かべられると、キルシュ宰相様の方へとちらりと一瞬だけ視線を向けられる。そうしてにっこりと花が綻ぶような笑みを国王陛下へと向けられたのだけれど、なんとなく嫌な予感ばかりがするのは気のせいだろうか。
「そうであった。兄様、どこぞに見目麗しく、誰よりも頭の良くて、とびきり優しーい男はおらぬか?わたくしのアレッサに相応しいのは、最高の婿じゃからな!!」
「ライナ王女殿下!?」
嫌な予感というものは得てして当たるもので、まさかの飛び火だ。しかも私がキルシュ宰相様を好きな事は王女殿下も御存じだというのに、彼の前でそんな話はあからさますぎるし、背後に居並ぶ騎士達からもざわめきが広がっている。
慌てる私に対して、ウルリック国王陛下はライナ王女殿下と私、キルシュ宰相様の顔を順々に見られ、面白そうに片眉を釣り上げられた。
「ほぉー?プリーメル卿は結婚相手を探していたのか?オレはてっきり、既に心に決めた男がいるとばかり思っていたのだが?なぁ、ライノア?」
「…………」
楽しそうなウルリック国王陛下とは裏腹に、ひたすら無言を貫いているキルシュ宰相様を何故か私は直視する事が出来ず、つい視線を逸らしてしまう。
一体何なのだろう、この重苦しい空気は。
ひゅっと息が詰まりそうな程の重苦しさは、間違いなくキルシュ宰相様から放たれている。元より無表情な事が多く、その類稀な美しさもあって恐ろしく見られがちな方ではあるのだけれど、この異常なまでの冷たさと重苦しさはどうした事だろうか。
顔を合わせれば好きだ好きだと言い続ける、キルシュ宰相様にとっては鬱陶しい存在であろう私が結婚すると知ってホッとされこそすれ、こんな重苦しい感情を放たれる筈もないというのに。
これはもしかしなくても、私の結婚話だなんていうくだらない話題が始まった事で、限られた謁見時間を浪費している事へのお怒りなのではないだろうか。
そんな自分の考えが妙に腑に落ちて一人で勝手に落ち込みつつも、後には何とも言えない気まずさだけが残り、額からは嫌な汗ばかりが滑り落ちた。
恐らくこの気まずさは、好きだと言い続けていた恋人に浮気がバレたようなそんな感じに似ているのかもしれない。まぁ実際は私が一方的にキルシュ宰相様を好きなだけで婚約している訳でもないし、他に結婚する相手だなんて本当は全くいないのだけれども。
とりあえずまずは誤解を解かなくてはと私はこほんと一つ咳払いをすると、そのまま深々と頭を下げた。
「ウルリック国王陛下。御言葉ですが、私はまだ結婚するつもりはございません。それに私個人の為に陛下や王女殿下の御手を煩わせるだなんてそのような事は身に余ります」
「ふむ、だがライナはそうは思っていないんだろう?」
「アレッサにはどこぞの顔だけ宰相を忘れさせるような、容姿、性格、全てにおいて完璧な者が必要なんじゃ!まぁ一番大切な事はアレッサの事を真っ先に考えられる者じゃがな。兄様なら顔も広いし、心当たりがあるのではないか?」
名前をはっきりとは仰られなくとも、ライナ王女殿下の御言葉はあからさまにキルシュ宰相様への当て擦りだ。
本当にどうして王女殿下はここまで彼を嫌われるのか、その理由が皆目見当がつかないのだけれど、御二人の立場は一国の王女殿下と宰相様だ。そんな御二人の関係がこのままでは、王国としてもよろしくないというのは明白だろう。
それに王女殿下はキルシュ宰相様の事を顔だけなどと仰られるけれど、私は彼がそれだけではない事をよく知っているのだから。
「お待ちください……!不敬を承知で申し上げますが、キルシュ宰相様は確かに王女殿下の仰られる通り完璧ではないかもしれません。ですが、人知れずたゆまぬ努力をされて今の地位におられる素晴らしい御方です。御尊顔は御覧の通り完璧と言えますが、決して顔だけなどという事はございません」
そこまで一息に言い切った所で、謁見の間はしんとした沈黙に包まれていた。私はやってしまったと思いながら、慌てて深々と頭を下げる。
「っ……申し訳ございません。出過ぎた発言を致しました」
勢いに任せて公の場で王女殿下の御言葉を否定するだなんて、専属護衛騎士としてあるまじき事だ。それが人命に関わるような御言葉であれば、この身を賭してお止めするのは当然ではあれど、今の話はそういう訳でもないのだから。
思えば幼い頃から考えなしに発言してしまう事が多く、父であるガーラン騎士団長にも『アレッサ、お前は迂闊な発言が多すぎる。こうも馬鹿正直すぎると、お前を世に放つのはいろんな意味で心配だ』と口酸っぱく言われ続けているというのに、少しも改善できていないのだから我ながら情けない話だ。
「ぷっ……!くははは……!」
どうして私はこう今ひとつ考えが至らないのかと項垂れていれば、ウルリック国王陛下の一際大きな笑い声が謁見の間に響き、私は恐る恐る顔をあげる。
玉座に座られている国王陛下は笑いが止まらない御様子で、口元を手で覆いながら肩を震わせておられるのだけれど、ここまで笑われるような事をしたのだろうかと困惑するばかりだ。
そんな中、顔を真っ赤にされたライナ王女殿下が、壇上におられる国王陛下をじとりとした目で見据えられた。
「もう!兄様、笑い事ではなかろう!これこの通り、アレッサは深刻な状態なんじゃ!」
「くくっ……なるほど。これは面白……いや、確かに深刻だな。ライノアがあぁなるのも納得だ」
「……はい?」
一体私の何が深刻なのだろうかと疑問符ばかりが浮かぶ中、未だ笑いを噛み殺しておられる様子の国王陛下は、立ち尽くすばかりの私に対してふっと目元を緩められた。
「あぁ、プリーメル卿。不敬罪になど問わないから安心するように。だが、せっかくライナがどこぞの宰相とぼやかしたというのに、そうもはっきりライノアの名前を断定するとはな」
「あっ……!そ、れは失言を致しました……」
ライナ王女殿下にキルシュ宰相様の素晴らしい所を伝えなくてはという思いでいっぱいになってしまっていたせいで、そこまで気が回らなかった事に今更ながらに気付き、勢いよく頭を下げる。
はっきりとキルシュ宰相様の御名前を出してしまった事に、彼は気を悪くしたのではないかと内心冷や汗を流すのだけれど、そういえばいつの間にか先程までの重苦しい気配が消えているみたいだ。
その事にホッと胸を撫で下ろしていれば、壇上からは微かに忍び笑いが漏れた。
「っ……くく……プリーメル卿は本当に考えている事が解りやすくて良い。これは卿にとって完璧な婿を勧めなくてはならないな。まぁ既に相手は決まっているようなものだが」
「はい!?」
もうその話は終わったものとばかり思っていたものだから、私は思わず目を丸くしてしまう。しかもウルリック国王陛下には既に思い付かれた婿候補がおられるというのだからとんでもない事だ。
どうやったらこの話から逃れられるのかと必死に頭を働かせていれば、キルシュ宰相様が眉間にぎゅっと皺を寄せながら国王陛下へと鋭い視線を向けた。
「……陛下、お戯れがすぎます。冗談はそれこそ顔だけになさってください」
「うっ……そりゃお前に比べれば冗談みたいな顔かもしれんが、オレだってそれなりの顔なんだぞ!?」
「…………」
それこそ氷漬けにしてしまいそうな彼の冷ややかな視線と無言の圧力に、ウルリック国王陛下は所在なさそうに視線を彷徨わせられる。ややあってくるりと私達の方へと視線を戻されると、こほんと一つ咳払いをされた。
「……話が逸れてしまったな。ライナ、それに騎士の皆も気をつけて行ってくるといい。毎年の事だから問題は無いとは思うが、エルリカに大勢の騎士をつけてしまったから、いつもより数が少ない。その分、各騎士団長達から精鋭を見繕わせた。卿等の実力なら必ずライナを護ってくれると信じている」
「「「「はい!」」」」
謁見の間に整列した騎士達は、皆一様に声をあげると騎士の礼をとる。それを満足そうに眺められた国王陛下は、にっと人好きする笑みを浮かべられた。
「うむ。では気をつけて行って来るといい。1ヶ月後に再び全員と対面できる日を楽しみにしていよう」
こうしてこの場はお開きとなり、いろんな意味で息が詰まるようなこの謁見からようやく解放されると、私は扉を出た所で思わず大きな溜息を漏らしてしまうのだった。
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