1 お見合いの打診
「……それでアレッサはそんなに締まりのない顔をしておるのか」
ライナ王女殿下の私室に着いたところで、私の顔は相当緩んでいたのだろう。
それを見てハッとした表情を浮かべられた王女殿下は、護衛であるはずの私を無理矢理ソファに座らせると、何があったのかを根掘り葉掘り聞かれるものだから、私は先程のキルシュ宰相様との出来事を洗いざらいお話しするしかなかったのだ。
思い出すだけでつい口元が緩んでしまう私に対して、ライナ王女殿下は少しだけ拗ねたようなむすっとした表情で頬を膨らませられた。
「ライノアはただ単に、そなたに対して嫌味を言っただけではないか。だというに何故そなたはそんなにも嬉しそうなのか……毎日毎日あの顔に騙されておると何故解らぬ!?」
「何を仰いますか、あの素晴らしい御顔は見るだけで幸せになれるのですよ」
「くっ……恋は盲目と言うが、そなたは本当にライノアに夢を見すぎじゃ!あやつの本性は、ねちねちの粘着系で性悪の腹黒男だと何度も言っておるというに……」
苦虫を噛み潰したような御顔で腕組みをされているライナ王女殿下は、つい先日13歳になられたばかりで、再来年アカデミーに入学されるところだ。
まだ少し幼さが残る顔立ちはとても御可愛らしく、王族の特徴であるくるくるとした金色の巻毛やサファイアブルーの瞳はお人形のように愛らしい。きっとアカデミーを卒業される頃には、ロルベーア王国一の美姫になられているのは間違いないだろう。
その上洞察力に優れ、私の様な護衛騎士を気遣われる優しさも持ち合わせておられるのだ。流石は私のお護りしている王女殿下だとにこにこと微笑んでいれば、彼女は身を乗り出して私の手をぺしゃりと軽く叩かれた。
「もう!そなた、またあの憎きライノアの事を考えておったな!?そなたが一番に考えるべきなのはライノアではなくわたくしであろう!?あやつめ……名前が妙に似ておるのがほんに忌々しい奴じゃ……!」
「あぁ!確かに言われてみればそうですね!」
何故かキルシュ宰相様の事を毛嫌いされているライナ王女殿下は顔を歪めておられたけれど、言われてみれば確かに御二人の御名前はライナとライノアで少し似ていた。
御二人共に並外れた美貌の持ち主であるところも似てはいるものの、性別も違えば性格も違う。似ているようで全く似ていないのだから、そこまで気にされなくても良さそうなものなのだけれど。
ふいと視線を逸らし、すっかり気分を害してしまわれた王女殿下の様子に、私はそっと立ち上がると彼女が座られているソファの方へと近付きその場に跪いた。
「ですが誓って私は御二人を混同した事などございませんよ。ライナ王女殿下は私がお仕えする唯一無二の御方です。この身はいついかなる時も王女殿下にお捧げすると、お誓い申し上げたではありませんか」
「うぐっ……!そ、そうであったな!」
その御手に誓いの口付けを落とし見上げれば、頬を真っ赤に染めながら大きな目を眩しそうにぱちぱちと瞬かせているライナ王女殿下は本当に可愛らしく、私は自然と笑みが溢れた。
王族の子息子女は、7歳を迎えられた折に御自分の専属となる最初の護衛騎士を選ぶという儀式があるのだけれど、あの時の王女殿下はさながら花の妖精のような愛らしさだったのを今でも鮮明に覚えている。
当時私はアカデミーを卒業し、騎士団に入団してからまだ1年という時だ。実力には自信があったもののまだ新人という頃で、護衛騎士選定の儀に参加したのも勿論ライナ王女殿下が初めてだった。
王城の大広間には各騎士団から選りすぐりの実力を持った騎士が集められており、扉から続く赤絨毯を挟んで整列している光景は壮観とも言える。騎士達の表情は、皆一様に大きな期待と少しばかりの不安に彩られていた。
かく言う私もそうだったのだけれど、そんなものは扉が開いた瞬間に消し飛んでしまったのだ。
『皆、今日はわたくしのために集まってくれてありがとう。父様からここに集まった者は特に優秀だと聞いておる。どうかよろしく頼む』
まるで絵本から飛び出して来たように可憐で愛らしい王女殿下が、そうしてにっこりと花が綻ぶように微笑まれるのだからこれに心を奪われない騎士はいないだろう。
この御方の御傍で、ずっと御護りできる栄誉を与えられたい。この場にいる騎士の誰もがそう望む中で、ゆっくりと赤絨毯の上を進まれる王女殿下の足は、私の前でぴたりと止まった。
『……そなた、炎のようにきれいな髪をしておるな』
キラキラと輝くような瞳を私へと向けられる王女殿下がまず目を留められたのは、私のこの癖の強い以外は特に気にもしていなかった赤毛だ。
『わたくしは暖炉の火を眺めるのが好きなんじゃ。あったかくてきれいじゃろう?それに何より、マシュマロが焼けるんじゃぞ!』
『姫様……!』
『あ!い、今のはなしじゃ!』
お付きの乳母に咎められ、慌てて両手で口元を抑える王女殿下の仕草はあまりに愛らしく、それまで少し緊張していた私の口元もつい緩んでしまう。
そんな私の顔を見た彼女は、大きなサファイアブルーの瞳が溢れるのではないかと思うくらいに目を丸くされると、その顔はみるみるうちに赤く染まってしまったのだ。
一体どうされたのかと慌てていれば、私の手は小さな王女殿下の御手にぎゅうっと掴まれていた。
『そなた!名は何と言う!?』
『アレッサ・プリーメルと申します、ライナ王女殿下』
『アレッサ……!うむ、そなたの手はずっと剣を握ってきた良い手じゃ。わたくしの護衛騎士になってくれるか?』
その場には有能な騎士が大勢居並ぶ中で、こんなに愛らしい王女殿下が私を選んでくださったというのは本当に僥倖としか言い様がないだろう。
私はその場に跪き、差し出されたその小さな御手にそっと口付けた。
『……謹んでお受け致します。いついかなる時も王女殿下の御為にこの身を捧げ、御身を御護りする事を御誓い申し上げます』
『うむ!よろしく頼むぞ、アレッサ!』
そうして私はライナ王女殿下の最初の専属護衛騎士となり、それまでは特に気にもしていなかった私の赤い髪は、王女殿下のお気に入りとなったのだ。
それからはずっと切らずに伸ばしているし、王女殿下の侍女達がこぞって手入れをしたがるものだから、今では自分でも愛着がわいたくらいだ。まぁ夏場は少し鬱陶しく思う時もあるのだけれども。
そんな出会いから早数年が経ち、王女殿下には護衛騎士が何名もつくようになったのだけれど、専属に指名されているのは結局私だけだ。
それだけの信頼を私に寄せてくださるというのは嬉しくもあり誇らしくもある一方で、そんな専属護衛騎士がキルシュ宰相様にうつつを抜かしているのだから、王女殿下にしてみれば御自分を疎かにされているように感じられたのだろう。
ライナ王女殿下は私が護るべき主だという事は揺るぎない事であるし、それとキルシュ宰相様の事は全くの別問題なのだからそんな心配はいらないというのに本当に可愛らしい方だ。
「本当にこんなにも花の妖精のように可憐で愛らしく、聡明な御方をお護りできて身に余る光栄です。心配されずとも、私はずっとライナ王女殿下の剣であり盾としてお傍におりますよ」
「っ!?そ、それならよいのじゃ!アレッサはずっと、ずぅーっとわたくしだけの騎士なんじゃから!」
にっこりと微笑めば、ライナ王女殿下はごくごくと一気に紅茶を飲み干される。紅茶が余程熱かったのか、その頬は真っ赤に染まってしまわれていた。
そうして彼女は大きく深呼吸を繰り返されると、こほんと一つ咳払いをされた。
「……それはそれとして、アレッサ。そなた、あのライノアに片想いしてもう何年になる」
「えっ、そうですね……アカデミーの入学式で一目惚れして以来なので、もう10年でしょうか?」
指折り数えていれば、ライナ王女殿下はがたりと音を立ててその場に立ち上がられるものだから、今度は私が目を丸くして彼女を見詰めてしまう。
ぐっと拳を握りしめられたその顔はまだ赤く、眉間に皺が寄っている上にぷるぷると震えておられるものだから、私も慌ててその場に立ち上がった。
「一体どうされ――」
「よいか、アレッサ!!そなたが10年も一途に想い続けておるというに、あの拗らせ男はそなたの想いに胡座をかいておるのじゃぞ!?好かれて当然というあの態度!なんと傲慢であろうか……あんな男はそなたには勿体ない。結婚したいのなら、わたくしの邪魔にならないもっと無害な――いや、そなたは頭の良い男が好きなのであろう?もっと大人しくて優しい文官を紹介してやろうではないか」
ばんと大きな音をあげて机を叩かれた王女殿下の目は完全に据わっており、私はどうしたものかと内心溜息を漏らす。
「ライナ王女殿下、大変勿体ないお申し出ではありますが、私は別に結婚をしたい訳ではありません。私は父のように立派な騎士になるまでは結婚はしないと決めておりますし、危険な任務にも寛容な相手でなければ難しいと思っておりますから」
それに騎士団長でありプリーメル伯爵でもある父の実子は私だけだ。
この国では余程の問題がない限り、男女関係なく長子が嫡子となるのが定石となっている中で、代々王国を護る騎士の家系であるプリーメル伯爵家は何より騎士としての実力を重んじている。
それを鑑みても爵位を継ぐのは私だと既に明言されている以上、結婚するのならば婿をとらなくてはならない。
けれどキルシュ宰相様は公爵家の嫡子だ。歳の離れた弟君はまだアカデミーに在学中だというし、優秀な彼が爵位を継ぐのは間違いない。だからそもそも私の想いが叶う事はあり得ないのだ。
今は立派な騎士になるまではという理由で結婚を遠ざけてはいるけれど、いずれは家の為にキルシュ宰相様以外の人と結婚をしなくてはならないだろう。
それまではせめて自由に彼を眺めていたいという私の一方的な想いだけで、彼に応えてもらおうとは欠片も思っていないのだから。
「ふぅむ……ならば同じ騎士ならどうじゃ?第5騎士団にそなたの幼馴染がおったであろう。あの者は穏やかで礼儀正しく、わたくしの目から見ても性悪なライノアなんぞよりも余程好青年ではないか」
「エカードですか?彼は姉弟とも、男友達とも言える存在ですから、恋愛対象ではありませんよ」
顎に指をあてて思案顔をされる王女殿下が出された名前が私には思いもよらない人物だった為、私はぱちぱちと瞬きを繰り返してしまう。
ロルベーア王国騎士団には第1から第10までの騎士団があり、私が所属しているのは王族や各国からの賓客などの護衛が主な任務となる第1騎士団だ。
各団により王城の警備や各地の治安維持などそれぞれ役割が分かれているのだが、私の幼馴染であるエカード・クレーが所属している第5騎士団は、魔術による防衛や救護を主な任務として行っていた。
エカードは特に優れた治癒術の使い手が多いクレー子爵家の次男であり、魔獣の討伐任務などに同行する事が多いのだが、剣の腕もそれなりにたつという有能な男だ。
ただ性格は非常に温和で、幼い頃は私の影に隠れてよく泣いていたものだから、私にとっては今でも護らなくてはという思いが強く、恋愛対象だと思った事は一度もない。見た目もほんわかとしていて、可愛い弟分といった所だろうか。
だからまさか私の結婚相手候補として、ライナ王女殿下が彼の名前を挙げられるとは思いもしなかったのだ。
「そうか?良いと思ったんじゃがなぁ……」
残念そうに溜息を漏らされる王女殿下の様子は可愛らしく、私は少しだけ口元を緩める。
「そんな事よりも、そろそろ歴史の授業のお時間ではありませんか?図書室へ移動致しましょう」
「むぅ……もうそんな時間か。わたくしはまだアレッサと話したいというに……」
王女殿下は頬を膨らませながらぶつぶつと何事か仰られてはいたものの、授業に向かうための準備を侍女達に指示される。
それを微笑ましく眺めながらふと窓の外を見やれば、眼下に広がる庭園には夏空に鮮やかに映えるオレンジが今を盛りに実っていた。
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