35話 停止
妖の逃げ込む先には神穢山があった。妖の逃げる速度に変化はないが、太郎の歩みは少しずつ変化していた。
「これは、ヤバいな」
意識せずにはいられないほどの圧倒的な気配に、自分でも感じ取れる程あからさまに歩みが止まる。
神穢山の目の前まで来ると今までとは桁違いの気配に気圧される。
「ふーー、行くか!」
太郎とて、百花組の一員である。守るべき者を認識しているし、そもそも太郎は誘拐された者を放っておくような精神はしていない。
あれだけ怖気づいてはいたが、一歩踏み込むとそれは慣れ親しんだ山である。入ってみれば存外大したことはない。
しかし、歩みを一度止めたこともあり、妖の姿を見失っていた。
すぐに気を取り戻し、再び歩み始めた太郎は慣れた様子で地面や植物を観察し、妖怪の歩みを確認する。山は太郎の主戦場である。並の妖怪が容易に逃げ切れる相手ではない。
すぐさまに、妖の進んだ方向に目星をつけると走り出す。
そうやって追いかける太郎と妖の再会は意外と早い。しかしそれは、想定した遭遇の仕方ではない。
太郎が追いかけて、妖怪に追いつくというものではなかった。
「何か近づいている?」
太郎がそう呟く。そう、妖がすごい速度で降ってきたのである。
「どっ...どけーーー!!!」
「ちょっ大きな声出すなって!!」
妖が震えた声で叫ぶ。それに対して、他の妖が咎める。それは、大きな声を出したことに対する咎めであり、何かに怯えている様子であった。
あまり妖に使う言葉ではないが、その姿は鬼気迫るほどである。思わず太郎も身を退いた。
「あの女はいなかったな...」
太郎は避けてしまったものの見るべきものはしかと見た。女性がこのような危険な山に置いていかれているという事実がそれである。そのことを認識すると、妖を無視してさらに速度を上げた。
太郎が速度を上げて向かった先。そこには妖が逃げた原因が存在している。それは、やはりと言うべきか山の主。
ーーー鬼神である。
鬼神は神穢山の主であり、何よりも強いとされている。だが、闇雲に人間を害したという話はどこに行っても聞くことはない。これは、人間から供物を与えられているからと言われいる。
現に、女性は無事である。
そして、太郎が山にたどり着く前から感じていた気配の正体がこの鬼神である。
「さて、我はこの人間の娘をどうするべきか。もう一匹入り込んでいる人間を見てから決めるか?」
妖達はこの鬼神と太郎をぶつけるために、女性を攫っていた。しかし、あまりの恐ろしさに女性を生贄に鬼神から妖は逃げ出したのである。鬼神は人間を害すにはないため、このままいけば、両者が争うことはない。
むしろ、鬼神からすれば、無理やり人間を連れ込んだ妖こそが殺すべき対象である。
しかし、鬼神はそれよりも面白いことを考えていた。
それは、妖の目論見に乗ることである。
「あまり、我を待たせるなよ?」
鬼神が女性を横目に呟く。その言葉は、耳の良い太郎には聞こえていたのだろう。
「来たぞ!!」
鬼神が呟いてから、少しした後に大きな声で返事をする。
大きな声は威勢を張ったのであろう。こうでもしなければ挫けてしまう。
それほどまでに鬼神は強大な存在であり、あの大天狗と比べても、月とスッポンほどの実力差があるほどである。
「懐かしい気配がすると思えば、やはりお前か」
鬼神は言う。しかし、太郎には全く心当たりがない。
「俺はお前を知らないぞ!」
「だろうな。我もお前のような未熟者は知らん。我が言っているのはそっちだ」
そう鬼神が指を指す先には太郎の刀がある。
「なんだ? この刀を知ってるのか?」
太郎が刀に手を触れる。それは、以前、大天狗から妖刀契約を済ませていると言われたものである。そして、太郎は依然として本当に気づいていないのかは不明であるが、知らないふりをしていた。
「お前が何故頬被りをして素知らぬ態度でいるのか問いただしたいが、未熟なお前の口調を正すのが先だ」
鬼神がそう言うと、鬼神の周辺に三本の刀が浮かぶ。その一振り一振りから神聖な気配が放たれていた。
しかし、それほどのものでありながら、周辺には全く影響を及ぼしていない。
「行くぞ!!」
太郎が、勢いよく鬼神に向かい吠える。そして、そのままの勢いで走り出す。
鋭い一撃が鬼神の眼前へと迫る。
しかし、太郎の攻撃が鬼神に加えられることはない。それは、太郎が怖気づいて攻撃を寸前で止めたわけではない。
「どうした?」
鬼神は尊大な態度で太郎を煽る。鬼神は知っている。太郎の攻撃は届かない。何故ならば、鬼神と他の生物では存在としての格が違う。
「なんだこれ!?」
柄にもない様子で、太郎が狼狽える。太郎の拳は、見えない何かに阻まれて鬼神に届かない。
「わかったか? 我と貴様では格が違う。神の前に跪き、そして、その不躾な口を閉ざせ」
尊大な態度であった鬼神であるが、正真正銘の戦闘体勢をとっていた。鬼神の周りに浮く刀は全て神刀である。そして、その神刀ら特殊な力を持っていた。
それは、三振りの刀から作られた三角形の中は、下界から触れることのできない隔離された世界を作り出すと言うものである。
神としてふさわしき力の前には、地上の生き物では突破することができるはずがない。太郎は、足掻くことも許されず、地面へと伏せることになる。
「我は人に寛大である。お前に二つの選択肢をやる。そのまま屈服し、この女を犠牲に逃げるか、我に再度挑み女を逃すかだ。無論、我も下界の貴様らに合わせてやる。刀は使わん」
選択肢を与えられたものの太郎にとっては実質一つである。そもそも、この地に足を踏み込んだ時点で、やるべきことは決まっていた。
「戦って勝つ!!」
太郎の目は死んではいない。ここで、鬼神を本気で倒せるとは考えていないが、悪い方向へと想像を巡らすようなことはしない。
「ふん。未熟な割には勇敢だな。いいだろう。遊んでやる」
鬼神はこう言うが、太郎は未熟だからこそ勇敢なのであろう。一度止まろうとも最終的には歩みを進める。
「俺は、遊びは強いぞ?」
長く止まることを知らない太郎に、鬼神は笑みを浮かべる。鬼神は、自らが望んだ暇つぶしに心を躍らせていた。
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