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小牧君と長久手さんの戦い  作者: 糺ノモリ
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第五章 小牧長久手の対局

 第五章 小牧長久手の対局


 清々しい朝だった。

 登校拒否をしようか悩んでいた小牧麟太郎は、昨日で終わりを迎えていたらしい。

 その予兆はあった。悩みの原因の一つのスパムメールが、昨夜には途絶えていたからだ。

 ネット上の書き込みに関しては調べもしなかった。有名人は別かもしれないが、エゴサーチなんて、普通凡人はしないものだ。ストーカーの称号を冠して有名人だった時は変態的にサーチしていた。まさに変態的に自分をストーカーしていたのだ。

 長久手さんによる抹殺プログラムは、戦法の心得『目には目薬を、歯には歯ブラシを』 を見事に体現してくれたらしい。洗浄効果抜群、綺麗さっぱり衛生的な戦果を生んでくれた。

 精神衛生的にはシリアルキラーになってしまったが問題ない。平凡な生活が送れるなら、多少の猟奇的な部分には目を瞑ろう。現実のシリアルキラーもそうやって平凡に暮らしているかもしれない。そう思うと怖いが実際、この平凡な世界では猟奇的な事件も起きてしまっているのだ。凡人にはどうしようもない。

 登校してクラスメイトの反応を伺ってみたが変化は無かった。透明人間のままだ。しかしそれも問題ない。平凡な学校生活に戻ったのである。

 三時限目の体育の時間は長距離走だった。チームを組まずに出来る素晴らしい種目だ。平凡なぼっちの男子高校生は全く苦に思わない。トラックを清々と黙々と走れば良いのだ。

 清々しく走っている途中、異変に気付いた。自分の身体には異変は起きていない。だが違和感がある。

 違和感の正体は『妙に清々しい気がする。異常なほど清々しいんだけど』 だった。

 俺は平凡なペースで走っていた。高校生として平均的ペースだ。だから平均より速く走る者には追い抜かれ、平均より遅い者を追い越すことになる、それが道理。

 道理としては平均的ペースで走っている俺は誰かと並走しても可笑しくない。だが今回の長距離走には平均値に異変が起きていた。だから違和感を覚えたのだ。

 俺の周りには誰もいなかった。だから異常なほど清々しいのだ。

 同じペースで走っている者は、俺から一定の距離を保ったまま。これは問題ない。友達でも無い者と一緒に走ろうなんて奴はいないからだ。

 異常は平均より速い者と遅い者の中で起きていた。ある特定の生徒だけが平均値異常の原因だ。

 特定の生徒のみ、俺を追い抜く時に短距離走に種目を変更し、一瞬で駆け抜けて行った。

 特定の生徒のみ、俺に追い抜かれる際、牛歩に種目を変更し、一瞬で道を譲った。

 長久手さんと俺が繰り広げた前衛芸術的な牛歩。この学校では誰も理解されないと断じていたが、特定の生徒の中ではインスピレーションを得るきっかけになれた。演者としては感無量だ。

 ただ短距離走者も牛歩走者も、恐怖の感動の面持ちだったのが疑問に残った。

 疑問が残ったまま昼休みになり、俺は何時も通りに図書室に向かった。その道中、またも異変に遭遇した。

 特定の生徒のみ、俺を見ると逆走のスタートダッシュを開始した。

 特定の生徒のみ、俺を見ると硬直し、不気味な痙攣を開始した。

 そこでようやく、俺は長久手さんの神髄の一端に気付いた。

 戦法の心得、『目には目薬を、歯には歯ブラシを』 の神髄だ。

 長久手さんの目薬には人を恐怖の目の色に変える成分が配合されている。そして歯ブラシは鋭利な刺でできていると。

 洗浄効果もあって衛生的。長久手さんが言った言葉。

 俺はそれをハンムラビ法典より全然優しいと支持した。

 だがある意味、長久手法典はハンムラビ法典より優しくなかった。無慈悲に衛生的な洗浄戦法だったのだ。

 図書室に入室してまず探したのは、本ではなくて長久手さん。

 でも貸出中で図書室に無い事は分かっていた。本ではなくて、神出鬼没の長久手さんなのだから。


 放課後に昨日の茶室に寄ってみたが、茶道部員が賑やかに活動中だった。その中に長久手さんはいない。

 探している相手は神出鬼没で所在不明なのである。茶道部員とお茶でも飲んでいてくれたら良かったのに。

 しかしそこで、俺は長久手さんがなぜ全ての文化系の部活に正式入部しているのか、理由が分かってしまった。

 理由が分かればあとは簡単な話だ。別棟の中を歩くと将棋部の部室があった。そこは静かだ。

 扉を開けるとノートパソコンを弄りながら、一人で詰め将棋をしている長久手さんがいた。

「あら変態さん。一局いかが?」 今回は予想出来ていた台詞だった。

「悪いけど弱いから直ぐに負けてしまうよ?」

「構わないわよ。どんな変態的な戦法をするのか楽しめそうだもの」

「定石も知らないから、本当に変態的になる予感がする!」

 長久手さんはノートパソコンを横に除けると将棋の駒を並べだした。俺も自分の陣地の駒を並べて準備する。準備が終わると長久手さんが言った。

「先手と後手どちらにする?」

「先手は何時も長久手さんだったと思うけど」

「後手でスカート捲りをするのね。変態棋士の小牧君は」

「二度も成功してるから。名人級だけど君には勝てない」

 長久手さんは歩を一歩前へ指す。続いた俺も適当な歩を一歩前に指した。

 静かに無価値な変態将棋の戦いが始まった。

「戦法といえば、長久手戦法で気になる事があってね。教えて欲しいんだ」

 何手か応酬を終えた後、考えもなく銀将を動かして俺は尋ねた。長久手さんは素早く角行を滑らせて反撃する。

「対戦中に相手の戦法を聞くって変態行為よ。でもいいわ」

「今回の対戦じゃなくて、昨日の対戦なんだ。俺は長久手さんの戦法のおかげでスパム相手に勝利出来た。本当に感謝してるよ。さっぱり衛生的な環境になった。でも衛生的過ぎて凡人の俺には少し居心地が良く無いみたいだ。それで特定の生徒達にも影響を与えてしまった」

 俺は飛車を敵陣近くまで走らせる。対して長久手さんは歩を一歩前に出してきた。

「それが気になるのね。でもそれは小牧君が気にする事ではないのわ。貴方も分かっているんでしょ? その特定の生徒達がスパムや書き込みの犯人だって」

 次の一手は飛車を横に一歩ずらす。相手は同じ歩をまた一歩前に出した。

「分かってる。それに本音で言えばそこまで気にしていない。だって要は相手は敵で敗者だ。そもそもそこまで義理立てする関係でも無い。気になっているのは戦法の方だよ。一体どんな戦法を用いたら、あそこまで衛生的な反応を起こせるのか?」

「それは虫除けの反応よ。虫自体は殺していない。つまり彼らは虫で、小牧君は動く変態虫除け君。殺すほどの効果は無い。わたしは昨日、情報を殺すのと、虫除けのお手伝いをしたのね」

「虫?」 俺は適当に桂馬を動かした。長久手さんは角行で、その動かした俺の桂馬を捕った。

「虫よ。相手は小牧君という情報に群がっていた虫。情報を殺しただけでは駄目なの。虫を情報から遠ざけて戦いは終わるのよ。そうしないと、再生した小牧君という情報にまた群がって来てしまう。それが虫の習性だから」

「だから目薬と歯ブラシ! 非常に衛生的な戦法に納得出来たよ。長久手さんはこの前、虫相手に戦っているって言ってた。俺と似た経験をした事があるからこそ、生み出された戦法だ」

 牛歩で一緒に下校した時に聞いた言葉、『虫相手の愚かな戦い』 だった。

「ええ。わたしの場合は、それが本物のストーカーという虫の違いがあるけれど」

 変態将棋の戦局は未だ混戦の最中にあった。


「猟奇的変態連続殺人ストーカーの小牧君なら、本物のストーカーごときの心理は解明出来るわよね?」

「笑止! ストーカーなんて小物にすぎぬ。だが俺はハンニバルのレクター博士ではない!」

「レクター博士以上の変態よ! 貴方はニーハイとブルマを穿いた女子高生だけをターゲットにする小牧博士! その変態的なプロファイリングで右に出る者無し!」

「新たな称号は不要だ! それに残念。すでにその犯行の数々は証拠ごと消えてしまった! 優秀な助手、長久手さんの手によってな!」

「嗚呼、わたしは史上最悪の猟奇的変態を野に放ってしまったのね...。世界に終わりをもたらすとも知らずに」

「終わらせたくなかったらニーソックスを穿け。そしたら思い止まる。ブルマも穿いてくれたら新世界にもしてやろう。だけど俺のプロファイリングでもストーカーの心理は解明不能だ」

「変態プロファイリングでは普通のストーカー程度に適合しないのね。でも解明不能のストーカー被害に遭った人間はどうなってしまうと思う?」

「恐怖におののくね。ホラーの世界だ」 とりあえず香車を前進させながら答える。

「そう。小牧君なら喜びに身を震わせる事でも、わたしはそうなってしまった...今思うと屈辱よ!」

 ビシッと王将を先進させる音が響いた。

「長久手さんは喜びの顔で俺に屈辱的な発言をしているんだけど!」

 猟奇的な顔にも見える。それでも綺麗な長久手さん。

「わたしは恐怖してしまったのよ。それは悔しかったわ。でもそこに戦場が用意されていた。三方原さんのおかげね。だから戦いを始めたのよ。虫相手の戦いを」

「そうか。そこで重要なのは戦法の具体的な内容だな。どうやって虫を相手に退散させたのか?」

「非常に簡単な方法よ。ストーカーをストーキングする。逆ストーカーよ。相手に解明不能の恐怖をお返しすれば良い。数倍の恐怖でお返しすれば、虫は火の粉を散らすように退散するわ」

 俺は一手を指しながら、絶対に退散ではなく、『飛んで火に入らせられる夏の虫 BY長久手さん』 であると信じて疑わなかった。

「ストーカーに脅迫のメールを送り捲ったの?」

「脅迫なんてわたしが悪い人になってしまうじゃない。ストーカーの本質は『愛』 よ。受けとる相手を恐怖させるほどの愛。だから愛情で溢れた情報をプレゼントしたのよ。天使でしょ?」

「愛の倍返しか。天使だね。どんなプレゼントだったのかな?」

「天使らしく見守ってあげたの。例えば、GPS情報からストーカーがいる場所を教えてあげれば良いのよ。『お前はここにいる』 って見守りメール。その場所の近くある防犯カメラに映っている相手の静止画像を添付すれば、さらに愛情のトッピングになるわ」

「なるほど、警告のメールか」

「警告では無く愛なのよ。警告ではストーカーは止まらない。無価値な事実よね。だからわたしは『愛情溢れる天使の長久手一蘭』 という意思を情報に与えてプレゼントしたわけ」

「ストーカーはその愛情を沢山受け取ったんだ。喜んでた?」

「残念な事に、愛情は伝わらなかったわ。ストーカーにはそれが恐怖として伝わった。なぜか見守りメールを監視メールとして受け取ってしまうのよ。まあ、わたしはプログラムにお任せしてたから、見守りもしてないんだけど」

「プログラム任せの愛情ってどうなの? CMや雑誌に出演したのもその愛情活動の一環?」

「どう? CMと雑誌で、わたしはそれこそ愛情一杯の笑顔をしてたでしょ?」

「そうだね。観るものを魅了させる笑顔だったよ」

「ありがとう。わたしがその時心掛けていたのは『モナリザ』 ね」 金将を前進させる長久手さん。

「モナリザ?」 とりあえず、俺も金将を前進させておく。

「モナリザの微笑。あの絵って謎の情報集合体よ。だから観る人によって解釈が別れる」 王将を前進ながら答える長久手さん。モナリザ以上の微笑だった。

「ストーカーにとっては猟奇的な笑顔に見えるってことか。情報として」

 俺にとっては神出鬼没にしか映らなかったが。

「それで無事解決はしたのかな?」 歩で応酬してみよう。

「どこかのメンタルクリニックに通院したのを最後に、ストーカーさんの足跡は途絶えたわ。わたしの愛情が重すぎたのよ。わたしの情報から離れてしまった。天使らしく最後まで見守ろうとしてたのに」

 香車を走らせて俺の陣地に侵入する長久手さん。俺は次の一手を考えながら、次の光景も浮かんでいた。

 通院途中の本屋で、長久手さんが表紙の雑誌を見かけて逃げ出すストーカー。息抜きにテレビを観ている時に長久手さんが登場。テレビから這い出してくると錯覚して悲鳴を上げるストーカー。ホラーの世界。

 ここで一つ、妙手が浮かんだ。

「見事なり長久手戦法! しかし平凡なプロファイリングだと致命的な欠陥がそこにはある!」

「嘘よ! 変態的プロファイリングでないと、欠陥なんて指摘出来ないわ」

「いや、すごい平凡なんだけど、雑誌やテレビに出てしまったら、新たなストーカーが生まれるのでは?」

「あ.......」

 変態将棋は終盤戦、なんと俺が優位のまま進もうとしていた。


 次の一手が出ないまま、モナリザ状態で固まっている長久手さんに凡人的配慮をする。話題変えだ。

「でも芸能界から引退したんだから、その可能性は少ないよ。それに芸能活動も期間が短かったようだし。あと俺への虫除けプログラムなんだけど、これはストーカー対策と同じプログラムだったのかな?」

「もっと優しいプログラムよ。小牧君に群がった虫はストーカーじゃなくて広告代理店業者なの。普通は広告代理店にお金を払って小牧君の情報を広めて貰うものだけど、無料でコマーシャル活動してくれてたのね。奇特で感謝すべき相手を追い払った。小牧君は変態よ」 長久手女流名人、定石の一手。

「凡人には『タダより高い物は無い』 という教訓があってね、辞退させて貰ったよ」 小牧棋士の平凡返し。

「だから小牧君には大物スポンサーになって貰ったわ。代理店業者は今頃、小牧君のコマーシャル対応で精一杯よ。具体例を見てみる?」

 一旦対局を中断し、ノートパソコンを見せてくれる長久手さん。

「最初は『小牧麟太郎です。あなたは見事一億円当選しました! 先ずは手数料の入金をお願いします』メール」

「俺は一億円払わないといけないの? スポンサー料高過ぎ!」

「そんなお金は無い? では次に送ったのは『オレオレ、小牧麟太郎だよ。ちょっと会社のお金横領しちゃってさ。示談金が必要なんだ。今から友達が取りに行くよ』メール」

「オレオレ詐欺にもなってねーよ! ただ俺が集ってるメールだよ!」

「メールは嫌だった? 次のはネット画面に自動的に出てくる広告。携帯会社の『お父さん小牧犬』 よ」

「俺の顔した白い人面犬じゃねえか! それに月額一メガバイト、一億円! せめてギガにしろよ!」

「犬は駄目か。でも次のは良いわよ。そのまま『小牧麟太郎』 だから」

「桃太郎、浦島太郎、金太郎、小牧麟太郎、『四太郎』 になっとるわ!」

「携帯の次は奇跡の商品、『変態パワーストーン』 割引価格一億円で販売中」

「俺が札束のお風呂に入ってる! それに両脇の微妙な美女は誰?」

「次に行くわ。オークションサイト。現在小牧君は即決価格一円で出品中よ」

「そこは一億円だろ! それに送料込って完全赤字だし! なら運送便使わずに自分で行ってやるわ!」

「まあ、こんな感じで広告代理店業者さん達は、業者間だけで小牧君のコマーシャル合戦に勤しんでるわ。業者以外には、誰も小牧君が一円で落札出来るなんて知ることが出来ない」

「よかった。ただスポンサーとして、他に何かやっている事があれば知っておきたいね」

「それほどは。『検索トップ画像小牧君』 『ヘッドニュース小牧君』 『スマホ待受画面小牧君』 『スクリーンセーバー小牧君』 ってっところだと思うわ」

「悔しいが『スクリーンセーバー小牧』 って響きがなんか格好良いな。凡人じゃないけどヒーローらしい」

「悪いけど変態的な動きをするヒーローなの」

「畜生! 長久手さんは結構楽しんで昨日戦ってくれたんだな。ここまでくると笑い話だ」

「ノリノリで楽しませて貰ったわ。だってこれはジョークよ。ジョークは楽しんで貰わないと」

「しかし業者にとってはジョークどころの話じゃない。笑って貰えないね」

 一息つくと、長久手さんはペットボトルのお茶を口にした。

「たぶん小牧君に群がった虫達も、最初は半分ジョーク気分だったはず。だから無料で広告活動を始めたのよ。後半分はつまらない正義感や倫理観とか。でも正義と倫理なんて物は、一秒後にはゴミ同然になってしまうのに」

「辛すぎる冗談は笑えない。俺も経験して実感したけど無価値な事実だ。虫達にはその無価値さを味わって貰おう。でもこの冗談はもうすぐ終わるんだよね?」

「虫相手にはもう充分でしょ? そもそも虫は、冗談も正義も倫理も理解出来る脳味噌が不足している。習性で動いているだけの存在。お笑いが理解出来ないのよ」

「そして冗談が得意な長久手さんは、正義も倫理も越えた偉業を目指している、と」

 スクリーンセーバー小牧が変態的な動きを始めたので、変態将棋の対局に戻る事にした。


「そうよ。世界一の偉業を成し遂げて、世界一の偉人になる。この考えはわたしの習性になってるわ」

「でも何をしたら良いのか分かってない。冗談にするにはスケールが大きすぎるね」

「笑っても良いのよ?」 長久手さんは真剣に言った。

「笑わないよ。しかし世界一の偉人になったら、どうしたいのかは気になるかな」

「先ずは暦を変えてみたいわ」

「暦?」

「西暦ね。世界一の偉人になったんだからイエス様には引退して頂いて、長久手暦にする。長久手暦では現在十七年よ」

「世界史がほぼ紀元前になってるよ! 歴史認識で混乱が生じるな」

 もうすでに俺の中で歴史の語呂合わせが通用しない!

「そうなのよね。あまり迷惑をかけるのも申し訳ないから、月でも良いかもって考えてるの」

「月は三日月から満月まで色んな月がある。さらに形を変えると?」

「そっちは天体の月よ。こっちの月も暦の月。わたしは七月生まれなの。英語ではJulyね。その由来を知ってる? ジュリアス・シーザーのジュリアスの語源からよ。シーザーはコメディアンだから、代わっても比較的問題無さそうじゃない?」

「俺の平凡な見解だと、シーザーは古代ローマの元祖皇帝ってイメージだな」

 古代ローマ時代にコメディアンの石像を作ってたとしたら、職人は虚しさを感じなかっただろうか?

「全然違うわ。シーザーはね、暗殺された時にこう言ったの『ブルータス、お前もか!』 これは死を前にしての渾身のツッコミよ! 偉大なるコメディアンは最期の間際にもツッコミを忘れなかった。偉業ね」

「まあ、コメディアンならJulyから長久手月に変更されてもいいのかな?」

 だとするとブルータスは殺人的なボケをかました事になる。彼も偉大なコメディアンのコンビの相方だ。暦の月に彼の名前が無いのを不憫に思う。

「日本人には比較的抵抗は無いだろう。でも海外の方は何とも言えないね」

「ならお金ではどうかしら? わたしは常々疑問に思っていた事があるのよ。なぜ一万円札が福沢諭吉なのか?」

「聖徳太子の方が良かった?」

「そうではないわ。福沢諭吉が何をしたっていうのよ? 学問のすすめをしただけ! 勧めるだけなんて教師以下よ? なのに日本の最高紙幣になっている事実に疑問があるのよ」

「そのぅ、『学問のすすめ』 の中で『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』 とか有名な教えがあったんだよ?」 

「造らずってあるんだから、それは結局天は何も造って無いって事よ。福沢諭吉は何を言いたいの? 勧めるにしても説明不足に程があるわ」

 俺の学力では入れないが、福沢諭吉の作った学校に同情してしまう。

「長久手さんの読解力について確認事項がいくつか...」

「次に五千円札の樋口一葉さん。同性だけど彼女がしたのは『たけくらべ』 巨人並みの身長だったのかしら?」

「ジャイアント樋口じゃない! 進撃の身長合戦に勝ち抜いたわけじゃねえよ! 小説だよ!」

「小牧君は彼女の小説を読んだ?」

「読んでない」

「わたしも読んでない。でも全日本人読書必須な作品でもないのに、五千円札になれる、疑問ね」

 誰かの財布が樋口一葉の涙で濡れているに違いない。俺の財布には入ってないが。

「じゃあ、千円札の野口英世についての疑問点を教えてくれよ」

「野口さんに関しては疑問は無しよ。彼は偉人ね」

「凡人の俺に、その偉大さを教えてくれ」 一連の流れでは、絶対に一般的に知られている偉業では無い。

「野口さんはね、借金王だったのよ。それに結婚詐欺までした天才詐欺師ね。借金を踏み倒して死んだ後に、千円札になってお金を貸す側になった。借金に追われる立場から追う立場になって、相手を踏みつけてる。偉業よね」

 千円札を持つことに嫌悪感を感じる。捨ててやりたいが庶民には無理だった。

「長久手さんが世界一の偉人になったら、一億円札でも造ると良いよ。価値も高いし誰も疑問を持たない」

「価値が高過ぎると流通しないから困るわ。二千円札みたいに、どんな絵柄かも思い出せない末路なんて嫌よ」

 長久手さんにロックオンされている、福沢諭吉と樋口一葉に『逃亡のすすめ』 を推薦図書にしよう。


「あ、王手だ」

 意識しないで駒を進めていた結果、俺は長久手さんの王将に王手を掛けていた。王将に逃げ場は無い、完全詰みの状態。変態棋士、小牧名人の変態的勝利だった。

「そうね、王手ね。では次はわたしの一手よ」

「いやいや、悪いけど俺の勝利だ。長久手さんの『参りました』 で終了だよ?」

 長久手さんは完全詰みにも関わらず、次の手を平然と打ってきた。将棋では自分で負けを認めなければいけない。それが倫理的マナーだ。長久手さんにはそんな倫理も通用しないらしい。

「では、無慈悲にいかせてもらうよ。すまないね」 俺は角行で王将を取った。無価値な戦いに終止符を打った。

 はずだった、はずであった。しかし長久手さんは次の一手を止めないのだ。

「何で?」

「何でって対局は終わって無いわよ。だから次は小牧君の番」

「俺が王将を取った。だから終わりだろ?」 次の手の浮かびようが無い!

「王将を取ってどうしたのよ? そんなの平凡過ぎる将棋だわ」

「勝利条件の確認を要求する!」

「簡単な将棋よ。わたしは王将では無い。だから王将なんか取られても問題ないのよ」

「そんな話あるか!」

「わたしには王将って一番価値が無いの。前後左右斜めに一歩ずつしか動けない駒。それに平凡な将棋だと守られてる立場の駒でつまらない存在よ。それに比べて歩の方が断然価値が有る。前に一歩しか動く事を許されないけど戦える。敵陣まで攻め込めば金将と同等の存在にもなれる。まさに自由のために戦う戦士よね」

「ドラクロワらしいと言えば良いのかな?」

「それはやめて頂戴」 長久手さんは赤面の駒に裏返った。

「なら話を将棋に戻そう。この対局、王将でなく自由の女神の駒はどれ?」

「飛車よ。わたしの飛車を取れたら小牧君の勝利」 赤面状態続行中の長久手女流名人。

「飛車か。確かに長久手さんらしい駒だ。問題は俺も王将では無いんだよな。平凡に歩を全部取られたら俺の負けか」

「それは自己評価が高過ぎよ。変態名人にはもったいないわ」

「俺は歩以下か! そうなると俺は駒でも無くて将棋台になってしまう」

 やけっぱちで歩を前に出す。俺にも世界一の凡人を目指す矜持があるのだ!

「駒でバシバシと打たれて喜んでる小牧君。変態将棋ここに有りね。だけど小牧君は将棋台では無い」

「もう俺には打てる手も駒も無い! 参りました!」

「変態名人に勝ってしまったわ。負けても喜んでそうな気がするから、素直に喜べない」

 それでも喜んでそうな表情の長久手さんであった。

「俺は最初から負けてたのか?」 ルールも無いも同然なので、悔しくも無かった。

「れっきとした対局よ。それも小牧君が有利に出来ていたの」

「平凡な将棋だったら俺の勝ちだったけどね」

「小牧君は自分の有利な点に気付いてない?」

「この局面のどこにあったの?」

「わたしの駒は一つだけ。小牧君の駒は二つ有る。有利でしょ?」

「そう言われたらね。だけど俺の駒はどれなんだ?」

「これよ」

 長久手さんは飛車を走らせると、俺の駒を取ってしまった。そして取られた駒を見せつける。

「桂馬か」 金将でも銀将でも香車でも無い。凡人には使い道に困る駒だった。

「納得出来ていない顔をしてるわね。でも小牧君は桂馬なの」

「凡人にも分かりやすい説明を頼む」

「一つの桂馬は変態の駒。斜め二歩前にしか行けない変態性よ」

「それは変態的とも言える。だが俺の凡人的な動きを忘れて欲しくないね」

「もう一つの桂馬はその凡人性よ。貴方の場合は世界一を目指してしまっているから歩にはなれないの」

「周りから見たらそう映るのかもしれない。世界一の歩になろうとしたら前に行けないのか?」

「小牧君がそう考えたいのなら、それで良いのかもね」

 少し冷たい声色で長久手さんは言った。

「しかし、俺が参ったって言ったのに桂馬を取ってしまうとは。情けは無いのかい?」

「自由の女神は戦っているのよ。容赦はしないわ。神様だもの」

 女神は少し笑って、駒を片付け始めた。

「敗者の小牧君に質問よ。なぜわたしが将棋部の部室にいることが分かったの?」

「これは実に平凡な答えだったんだ。『誰もいない所に長久手さんはいる』 という」

 スーパーコンピューターを使うには誰もいない環境でないと出来ない。だから使用されていない部室に長久手さんはいるのだ。

「それはとても変態的な解答に聞こえるわよ」

 以上をもって将棋界史上、最低最悪の変態将棋は投了した。

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