第二章 小牧炎上の変
第二章 小牧炎上の変
「以上が、昨日あったことの全てだ」
ニュース番組のキャスターばりに淀みなく昨日の放課後の一部始終を語り終えると、俺はペットボトルに残っていた緑茶を飲み干した。喉がカラカラだったのだ。
「ようは、小牧君は長久手さんと付き合うことになったってことよね?」
怒涛の如く続いた俺の話を、若干引き気味に聞いていた三方原ミカは呆れ顔になって言った。
「そういうことだ」
「ちょっと信じられない話」
そりゃそうだ、と応えつつ、長久手一蘭がここにいれば説明不要、論より証拠で話が済むのに、と俺は思った。だが無理だ。なぜか?
結論をいうと、長久手一蘭は学校に来なかった。以上。
また明日、と言っていた彼女は一瞬も学校に姿を現さなかった。そう、一瞬もだ!
まさに神出鬼没。長久手一蘭らしい行動といえば分からなくもない。しかしその行動のおかげで俺は一転、窮地に立たされていたのだった。
白い目。
登校してきた俺に向けられてきたのは、突き刺さるような白い目の嵐だった。
なぜこんな仕打ちに遭う羽目になったかというと、それは昨日の校門での長久手一蘭とのやり取りを、複数の生徒に目撃されたからだった。
歴史とは勝者から語られる物語である。まさに名言だ。
名言通り、歴史は勝者によって都合良く歪曲される。敗者の言葉は無意味でしかない。
『小牧麟太郎という変態が、長久手一蘭さんという学校一の美少女のスカートを捲って返り討ちにあった』
という歴史認識が、朝までに全生徒に出来上がっていた。
「重大な事実誤認がある! 殴られたからこそスカート捲りで返り討ちにしたのだ!」
俺は声高にそう主張したかった。だが悲しき敗者である俺には主張すべき相手の友達さえいなかった。
そして正当な歴史に訂正出来うる、唯一の勝者である長久手一蘭は不在のまま、全生徒の白い目を浴びて俺は苦痛の一日を過ごしたのだ。
放課後までなんとか耐えきった俺は、敗れ去りし青春の忘れ形見というべき、文化祭実行委員の会合に出席した。そこで同じ実行委員である三方原ミカにぶちまけるように、昨日の全てを語った。三方原にとっては単なる変態の弁明としか響かなかったかもしれないが。
小柄でショートカットの三方原は、眼鏡を外すと眉間をつまみ、暫し考えて言った。
「これはおめでとうと言った方がいいのかしら?」
「今のところ、おめでたい展開にはなってないな」
「そうだよね」 と言って眼鏡を掛け直す。
「でも困ったものね。本能寺先生も長久手さんも、小牧君も」
「俺も?」 心外な発言である。
「スカート捲りはないわ」 もっともな発言である。
「難しい問題よ。特に本能寺先生の方は。結局のところ、先生は二人をだしにして桶狭間先生と親密になりたいってことよね?」
そうなのだ! その点は昨夜眠りにつく前に気づいていた。むしろ生徒指導室にいる時点で気づくべきであった。
「そこは桶狭間先生が復帰してくれないと、どうにもできん」
今日は金曜日だ。オケタンにはこの土日で元気になってもらって、月曜日にはなんとしても復帰して頂きたい! そのためなら宗派を問わず、何処にでも祈願に行くつもりでいる!
「それに長久手さん。率直に言うけど、小牧君とまともにお付き合い出来るとは、とても思えないもの」
サクッと内蔵を抉るお言葉。
だがしかし、正論である。片や超級美少女、片や弩級ノーマルな男子代表。バランスが取れなさ過ぎて、地軸が移動してもおかしくない。地殻変動でも起きるかもしれない。
「たしかに釣り合いが取れてないのは認める」 だが美少女とお付き合いするチャンスだったのだ。それに飛びつくのは凡人として当然の行為であろう。
「もちろんそれは当たり前なんだけど、それ以外にも。いろいろ大変よ? 長久手さんは」
俺に対するフォローが一ミクロンもなかった。だが気になる言い方をする。
「三方原は長久手と仲が良いのか?」
「特別仲が良いってわけじゃないけど、部活が一緒だもの」
そうだ。三方原はプログラム研究部の部長だった。体育系以外の全ての部活に入部している長久手一蘭とは、俺以上に彼女と接してきているはずだ。
「長久手さんとは、いったいどういう人なんだい?」
「小牧君、それは君が答えるべき質問」
恋人に関する核心的な質問を、ほぼ無関係な人にしている。なんとも間抜けな話である。
三方原はそんな俺に、同情と少しの憐憫を込めた目をして答えてくれた。
「一言で表せば『超優秀』、てとこね。最近は滅多に顔を出さないけど、一年生の時に、一時期熱心に部室に来ていたもの。その時に彼女の作ったプログラムの一部を見たけど、それは素晴らしい出来だった。たぶん、うちの父の会社に入社したら、即戦力で幹部コース一番乗りになれるのは間違いないよ」
三方原の父親はIT企業の有名社長である。そして寄付として市内全域の学校のコンピューターを最新式に刷新してくれるほどのお金持ちだ。そんな社長の娘である三方原ミカも、IT業界では神童として有名人らしい。
俺はそっち系のことは、ずぶの素人なので理解できたとは言えないが、長久手一蘭はその神童が認めるほどの才能の持ち主なのはわかった。
「そして危険人物になりうる可能性もあるかな」
「俺にとって?」 既に危険人物である。一応恋人ということになってはいるが。
三方原は嗤って話題を変える。
「最後に小牧君が陥ってしまった状況をどうにかしないと」
「そうそう! 俺が変態だという誤解をなんとしても解かなければ!」
「変態行為をしたのは、動かざる事実」
「健全なる性的反抗だ」
「他の生徒が今の意見を受け入れる可能性について」
「限りなくゼロに近い」 ブルーになる俺。
「せめてデコピンくらいにしておけば良かったのに」 どうして俺はそこに考えが至らなかったのだろうか?
「でも! でもだよ? 男女交際をしていれば、いずれそんな破廉恥な場面にも、普通なるさ! それなら問題ないだろ!」
「当事者以外には、私と本能寺先生しか二人が交際していることは知られてない」
そうだった...。
「これは長久手さんに直接動いてもらって誤解を解いてもらうしかないよ。小牧君を殴ったんだから、少しは彼女にも非があるもの」
少しどころの非の量ではない気がするのだが、それは今言っても仕方ない。
「だが長久手さんは学校に来なかった。どうしようもなかったんだ」
「恋人になったんだから連絡して学校に来てくれるように頼み込むべきだったね」
「ああ、ところが俺は、長久手さんの連絡先を知らない」
胸を張って応える俺。絶句する三方原。
「そ、そうなの。では御愁傷様だけど、長久手さんが学校に来るまで小牧君は変態として過ごすということで」 手短に帰り支度を始める三方原に俺はすがり付いた!
「そこをなんとか! 相談出来るのはお前しかいないんだ! お願いします! 三方原様!」
これ以上俺に関わりたくない空気は、鞭で調教を受けるくらいにビシビシと伝わってきてはいたが、ここで何もしなかったら、最低でもこの土日、最悪だと卒業まで変態として白い目で見続けられることになってしまう!
だって相手は神出鬼没の長久手さんだぞ? 彼女なら残りの高校生活を神隠しにあったまま送っても不思議じゃない。前代未聞の放置プレイの危機に、俺はいるのだ!
「うーん、でも私も長久手さんの連絡先を知らないし...」
考え込む三方原を、俺は見守る。地獄に舞い落ちる、一本の蜘蛛の糸を待つ気分だ。
「じゃあこういうのはどう? 私の知ってる同級生と先輩後輩達に『小牧君と長久手さんは付き合ってる』ってメールで教えてあげるの。そうすれば全生徒とまではいかなくても多少の誤解は解けると思う」
「よろしくお願いします!」
即採用。現時点を持ってこれ以上の策はない! 恥を忍んで相談をした甲斐があるというものだ。
「ありがとう! 本当にありがとう! これで少し希望を持って来週を迎えられるよ」
「そこまで感謝しなくて大丈夫。ていうか土下座はやめて」
さらにドMの称号まで欲しいの? と言って俺の手を取ってくれた。
「そんな顔しないで。まだ世界は終わってないんだから」
そう言うと、三方原ミカは嗤った。
学校の帰り道、近所にある神社に立ち寄って、俺は桶狭間先生の回復と三方原の作戦成功を神に祈った。
神社を後にすると脇目も振らずに家に帰る。他の生徒に見つかりたくなかったからだ。
玄関のドアを開けて家の中に入って鍵をしっかりロックする。そしてやっと安心のため息をついた。
苦痛の一日が終わった。少なくともあと二日は学校に行かなくても良いのだ。
解放感があっても、納得感はなかった。今日は余りにも理不尽な仕打ちを受けた。あの白い目! もちろんスカート捲りをした自分にも非はある。あるが、弁明する余地なくあの刑が執行されたのが悔しかった。
さらに悔しかったのは長久手さんが学校に来なかったことだ! 俺は待っていたのだ。彼女が来れば白い目から逃れられると信じて。彼女の、また明日、という言葉を思い出しながら待ち続けたのだ。
だがその言葉は虚しく響きながら一日を終えた。
俺は虚しいまま夕食を終え、風呂に入った。風呂の中で明日から日曜日までは平穏に過ごそうと心に決める。そう、平凡に、凡人らしく平穏に。
風呂を出て、リビングで寛ごうとしてテレビを見た瞬間、俺は固まった。
深く息を吸い、大きく吐き出すと、気の抜けた声で俺は話し掛けた。
「長久手さん、『また明日』 といっても、こういう形はないんじゃないかな?」
清涼飲料水を片手に、笑顔で商品名を告げる長久手さんの姿がそこにいた。テレビの中に。
神出鬼没だなぁと、妙に納得している姿の俺も、そこにいた。
『神は死んだ』 哲学者ニーチェの有名な一説だ。
彼がこの一説で何を語ろうとしていたのか、哲学者でもない凡人の俺には、その真意さえ理解出来ない。
しかし世界一の凡人を目指す小牧麟太郎は、いま高らかに、哲学界へ新たな学説を提唱する!
『神は死んでいない! ただし危篤状態にある』
その学説の検証は、まず一つ、月曜日に桶狭間先生が学校に復帰なされたことで立証された。俺の参拝祈願が神によって成就されたのだ。神が生きていることの証明である。
そしてもう一つ神が危篤状態であること、これは先日の土日に起こった数々の天罰ともとれる俺への仕打ちで証明された。その結果月曜日の朝には、ほぼ全生徒から俺は以下のような人物として認識されていた。
『CMタレントとしても活躍している美少女、長久手一蘭に変態行為に及んだ挙げ句、彼女と付き合ってると妄言を吐くストーカー野郎』
平穏な休日を過ごすことさえ、神は許してくれなかった。
「まさに神が危篤状態で錯乱してなければ、こんな結末にはならないだろ? ニーチェ君」
今や亡き偉大な哲学者へ友達のように語り終えると、朝の学校に着いた。下駄箱に行くと三方原ミカがいる。どうやら俺を待っていてくれたらしい。
「なんか本当にごめん。こんなことになるとは思わなかった」
申し訳なさそうに三方原は慰めの言葉を掛けてくれた。
「いいんだ」
俺は首を横に振ると、爽やかに笑った。
そう、三方原は悪くない。悪いのは神が危篤状態にあることだ。早く危篤状態から持ち直すのを期待しよう。
教室に着くと、意外なことに『あの白い目』はなくなっていた! 嬉しいことに。
その代わりに『透明の目』というものが、新たな現象として起こっていた。
どうやらクラスメイトの目には、小牧麟太郎という人間は実在しないように見えるらしい。
神の危篤の御業だ!
だが俺はその御業を感謝の気持ちで受け入れる。
このクラスに俺がいないこと、つまりそっとしておいてくれているということだ。
天罰ともいえた休日を過ごした俺は、透明の存在になることでようやく安息の時を迎えた。
白い目で見られるより、いないものとして見られるほうが断然マシ。超ポジティブシンキング!
それにこのクラスメイトの反応は、以前とほとんど同じようなものだった。
友達のいない教室で過ごす一日。以前と同じ、平常運転そのものだ。
自分に『存在を消す才能』があったなんて驚きだ、と開き直りの境地で自分の席に座る。
三方原が心配そうにこちらを見てくれた。もうそれだけで充分だ。
あとは凡人らしく平穏に一日を終えるのみ。
しかし依然危篤中の神様は、俺に少しの平穏も与えてくれる気はないようだった。
ホームルームが始まる寸前、小さなざわめきが起こる。
『長久手さんが教室に現れた』
RPGのナレーションの台詞が教室に響いた気がした。効果音付きで。
そんな効果音的ざわめきに全く興味を示さず、長久手さんが廊下側前方二列目の机に着席した直後に桶狭間先生も登場する。
若干やつれ気味オケタンの、先週の病欠の謝罪からホームルームが始まったが、耳を傾けているクラスメイトはいなかった。
クラスメイトの視線は長久手さんに集中している。視線の種類は二つだ。羨望と同情。
CMに起用されるほど有名になった彼女への憧れと、それほどの美貌を持ったことでストーカーに変態をされてしまった彼女の悲哀。
ただ一人、俺だけは違った視線を長久手さんに送っていた。明鏡止水の視線。
感心していたのである、その神出鬼没さに。
昼休み、早食いで弁当箱を空にすると、いち早く俺は図書室に向かった。これは以前からしていることだ。昼休みを友達のいない教室で居座るほどの豪胆さを、凡人の俺は持っていなかった。図書室で残りの時間を潰すのは平凡的な知恵である。
長久手さんは、なんと午前中全ての授業に出席していた! 冷静に見るとそれは学生として自然ではあるのだが、不自然に見えるのは長久手さん故であった。
だが流石は長久手さんというべきか、授業の合間の短い休憩時間になると彼女は姿を消した。
女子のクラスメイト達は、タイミングをみて長久手さんに話し掛けようとしていたが、そのチャンスすら与えず、次の授業直前まで教室を出てしまうのである。
あの姿の消し方は、きっと忍術を修めてるはず。長久手さんの本業はCMタレントではなく忍者に違いない!
迷探偵コマキは最終推理に達すると、図書室に入る。後は適当な本を取って流し読みするだけで解決だ。
空席を探していると、読書に集中している長久手さんを見つけた。
『読書する長久手さん』 という題名の美しい絵画が完成しているみたいだ。残念ながら画力のない凡人の俺では未完成のままで終わってしまうだろう。
自然と彼女の下へ足が向かう。彼女の前で足を止めると俺は言った。
「長久手さん、ちょっといいかな?」
彼女はは長い髪を細い指先で耳に掛けると、顔を上げた。
「あら、小牧君。こんなところで何しているの?」 長久手さんはそう言って本を閉じた。本の題名は『偉人伝 アレクサンダー大王』。長久手さんの野望の一部が垣間見えた気がする...。だがそこには触れないでおこう。
「平凡な暇潰しだよ。ところで隣に座っても?」
「勿論どうぞ。恋人を三角木馬に座らせる趣味は、申し訳ないけどわたしにはないの」
早速俺に対する調教が始まったが、ここにも触れない。しかし三日経っても恋人として認知してもらえているのはご褒美、でなく驚きだ。
「長久手さんはもう昼食は終わったの?」平凡な日常会話から話題に入る。俺はかなりの早食いを自負しているが、それより早く図書室で読書をしている我が調教師に疑問を抱いたのだ。
「いいえ、まだよ。だって今はお腹が空いていないし」
「それだと昼休みが終わって、午後の授業が始まっちゃうけど?」
「呆れた...。小牧君は何も分かっていないのね。いい? 『食事はお腹が空いたときに摂ればいい』。 以上よ」
答えになってはいない。いないのだが、長久手さんの学校ライフスタイルを鑑みると、答えのヒントが見つかった。正解は、彼女は言葉通り好きな時に好きなランチタイムをとっているのだ。授業などお構いなく。
「それはこちらも呆れるほどの、素敵なランチタイムだろうね」
「ありがとう。恋人に賛辞を頂けてうれしいわ」
「ちなみにこれまでで最高のランチだったのはいつ?」
「そうね、それは日本史の試験中に『稲作伝来』 という部分で強烈にお腹が空いた時かしら。その時食べた御飯の味は、今でも折に触れて思い出すくらいよ」
『試験の途中で弁当を食べ出す美少女、長久手さん』 という一枚の絵画が、俺の中で公開された。本邦初公開だった。
もはや二の句が告げられるような心境ではないのだが、ここで終わる訳にはいかない。
「ところで長久手さん。君にお話ししたいことがあるんだ」
「小牧君からは、先週充分愛のある話をしてくれたわ」
俺の話に愛は籠っていたのだろうか? 思いだそうとしたが不可能だった。
ここで長久手さんに主導権を与えてはならない! そう判断して、俺は率直に語った。
端的に、俺が学校のほぼ全生徒から長久手さんのストーカーして見られている、と。
俺の告白を長久手さんは脚を組み、顎を手に乗せながら聞いていた。その姿も悔しいながら美しかった。
「それは心外ね。小牧君はわたしの恋人よ? ストーカーなんて虫の存在に昇格させたつもりはないのに」と憤った。
速報速報! 長久手さんには、恋人は虫以下の小ささであることが判明! たぶんウイルスほどの小ささだと思われる! 後報もなし!
「わかったわかった! 俺が長久手さんにとってウイルスみたいな奴で結構だ。コマキウイルスと命名するのも認める。ついでに商標権も譲る」
「あら、ウイルスってとても素敵な存在よ。誇りを持って権利を主張すべきだわ」
「完敗です。長久手さん、君のスカートを捲って悪かった!」
「スカートじゃなくてストーカーの話をしてたと思うんだけど」
いやその通りなんだけれども! と心の中で絶叫する。ここは図書室、そして午後の授業まで時間もあまりない。話を先に進めなければ意味がない。
「スパム」 俺は一言で止めて長久手さんの反応を待つ。
「スパム?」
「そうスパム。スパムメールだ。土曜日から今日までずっと、こんなスパム嵐の攻撃に遭っている」
自分のスマホを取り出してメールのアプリを立ち上げる。それを長久手さんに見せた。
罵詈雑言、脅迫、国籍不明の言語で書かれたメールの山。これが俺の休日を台無しにしてくれた正体だった。
現代社会とは真に恐ろしいものである。三方原ミカが俺のために実行してくれた、『小牧、長久手さんと付き合ってるってよ』メール作戦は、かのインパール大作戦と同じく、無残な失敗に終わった。大敗北だった。
『付き合ってる』 という小さな真実は虐殺され、『ストーカー』 という大きな嘘が生き残った。
その情報はSNSという最先端の文明兵器によって、瞬く間に爆発した。
以降、小牧麟太郎という個人情報の爆心地は制御不可能になってしまった。自宅と家族の情報だけは何とか守られている。だがそれも風前の灯火だろう。
静かに俺のメールを見ている長久手さんに俺は話し掛ける。
「こんな感じで、俺のあることないことが、あっちこっちで書き込まれている。正直もうウンザリだ」
「あることないことってことは、あることも書かれたのね?」
「うん」
スマホを俺に返すと長久手さんは言った。
「ある有名なコメディアンの言葉よ。『米粒一つの小さな真実で大きな笑いに変える。それが芸人の腕の見せ所だ』 小牧君、これは笑い話としておきなさい。そして芸に精進すべきだわ」
小牧麟太郎はお笑い芸人を目指してない! 俺はどこかで説明を間違えたのか?
「笑い話にできれば良かったんだけど、俺は凡人なんでね。それに笑い話にできない事態も起こってるんだ」
俺はスマホを操作して、あるメールをタップして長久手さんに見せた。
「これは?」
「とある女子のとの待ち合わせのメールだ」
「デートのかしら?」
「デートの待ち合わせだったら喜んで行ったんだけどけどね。心中の待ち合わせだったよ」
「まあ、それで小牧君は待ち合わせて行ったの?」
「行ったよ! 『来なかったら先に逝ってます』 って書かれてんだから! むしろ約束時刻の一時間前から待ってたよ!」
「ノリノリだったのね。でも一緒には逝けなかった、と。小牧君振られたのね。でも落ち込まないで」
「振られてない! ビルの屋上から落ち込もうとしてる子を説得してたんだよ! 三時間!」
「でも彼女のことは落とせなかった。振られたのね。小牧君」
オチをつけた長久手さんに、俺は落ち込まされた。昨日の待ち合わせてからの三時間、生死の瀬戸際に俺はいた。行き詰まる攻防、涙ながらの説得の末、女の子は思い止まってくれた。昨日の夜の出来事だ。
ボロボロになって生還した俺に、長久手さんのこのお言葉。これはもう、ご褒美として受け取っておこう。
「これで小牧君が陥った状況は大体把握できたわ」 長久手さんは腕を組んだ。
「ストーカーになった小牧君は、他の女の子と浮気をして三時間に渡る変態行為を犯し、振られてしまった。傷心の小牧君は女の子が生きているにも関わらず、後追い自殺を考えていると」
「要約してくれてありがとう。長久手さんは名探偵になれるよ。大体その推理で合っている」 その推理のスケールは巨大過ぎて、惑星全域にある全物体を有機体無機体問わず容疑者にしかねなかった。
「しかし小牧君は非常に変わっているのね、ストーカーなのに女の子を救うなんて、ストーカーとしての本分を果たさない、変態よ」
「どうだろう? たぶんストーカーの中でも平凡な部類だと、俺は思うよ」 もう俺はストーカーを自認することにした。
「ストーカーだけど、こんな笑えないのが次も起きたら身が持たない。長久手さん、俺はスカート捲りの罰として、アッパーカット以上のものを受け入れるつもりだ。だからここは一つ、コマキウイルスのためと思って人肌脱いではくれないだろうか?」
少し考え込む長久手さんは、綺麗な御御足を組み換えておっしゃった。
「ごめんなさいね、小牧君。付き合いだしたばかりの恋人に、これ以上の肌の露出はできないわ。わたしにも乙女の恥じらいはあるのよ」
小牧麟太郎終了の予鈴が鳴った。もう少しで午後の授業、俺終了の本鈴が鳴るだろう。
チャイムってよく聴いてみると美しい響きなんだなぁと新発見をしたところで、長久手さんは立ち上がった。
「ただ悔しいのは浮気されたことね。ニーソックスがあればここでヒザ蹴りしたいくらいだけど、ご褒美になってしまうわ。やはり小牧君には別の罰を受けてもらいましょう」
「どんな罰かお聞きしても?」
「それは機密事項よ。わたしへの背信行為は高くつく。それだけは覚悟して頂戴」
話は終わりとばかりに長久手さんは本棚に本を返却しに行くと図書室を出ていった。
続いて俺も本を元の位置に戻すと図書室をあとにする。
なんと、長久手さんは廊下で俺を待っていた。
「わたしはこれからランチの予定よ。小牧君も一緒にいかが?」
「悪いけど午後の授業の予定が入っていてね。次の機会に是非誘ってほしいな」
「そう、無理に誘ったのはわたしだから、悪く思わなくていいのよ」
次の機会なんてものがあったとしても、到底実現不可能であることを、俺は確信していた。