その三
「気をつけてね。怪我しないようにね。お友達によろしくね。二チュアに会ったらよろしく伝えておいてね」
ピックは降りしきる雨のように絶え間なくディグにお願いをしていた。その1つ1つに空返事をするディグを見てクリスはリサを思い出していた。
「クリス?クリスってば。新しい部署だから緊張すると思うけど上がっちゃダメよ?上司には頭下げて部下には上司らしくしてればいいの」
S.M.B.の前線部隊長に任命された日の朝、クリスは緊張に押しつぶされネクタイを自分で締められなくなっていた。
「ああ。わかってる。わかってるんだがやっぱり」
リサがネクタイを締め終えるとクリスの首に滑らかで傷ひとつない手を回し、頬に柔らかなキスをした。
「結婚式を思い出すわね。あの日もこんな感じだったわ」
しばらくリサの目を見つめるとリサもこちらを見つめ返していた。
「あの日は君のほうが緊張してたろ?」
クリスもリサの腰にするりと手を乗せた。
「私は普通に緊張してただけよ。あなたったらジョージに渡されたカクテルのグラスを一口も飲まずにずっと握りしめて、マネキンみたいになってたの。自分でわからなかった?」
忘れるわけがない。ジョージのやつ、ずっと俺の方を見て笑っていた。
「おっと。仕事に遅れてしまう。そろそろ行くよ。俺のことを離しておくれ」
再び頬に柔らかくキスをすると、そっときめの細かい身体をクリスから離した。
「そうやって照れて誤魔化すあなたって、とてもチャーミングよ」
クリスは靴を履きながらリサの声を聞いていた。その言葉1つ1つが次に進む一歩への力になる。きっときょうの初陣も乗り越えられる。クリスの心を満たすのは不安や緊張ではなく自信に変わっていた。
取り返さなくてはいけない生活がある。そんな思いがクリスの心を満たしていた。
「クリス?ディグのことお願いね。この人、頭に血がのぼるという何もできなくなっちゃうから」
ピックがクリスの服の裾を引っ張って言った。
「わかったよ。絶対に連れて帰ってくるさ」
ディグが大きな荷物を背負うとピックが立ち上がるのを手伝った。
「それは俺のセリフじゃねえのか?」
ディグが笑いながらいうとピックもニコニコと笑っていた。
「それじゃあ、出発だな」
なかなかピックがディグから離れないので、ディグがピックにハグをしてキスをすると、ようやく離れた。
「昔からピックはああなんだ。ちょっとそこらまで探索に行くだけでも離れたがらない」
クリスは再びリサのことを思い出した。
「いいことだ。そんな幸せを掴み取るのは簡単なことじゃない」
悲しげな顔をするクリスを見上げ申し訳なさそうにディグが言った。
「大丈夫だ。お前は失ったわけじゃない。幸せはお前を待ってる。そこに行くだけだ」
二人は朝の湿った空気を深く体に飲み込みながら、ディグの仲間の元へと歩みを進めた。
「一人目のやつは何度か口にしてるが、サイボーグなんだ。俺と幼馴染でここから20分くらいのところに住んでる」
サイボーグのコミュニティは村というより街らしく、この辺の地域一帯をまとめる役割も持っているとディグは話した。彼らは大戦争当時に怪我を負い壁には入れず外で暮らすことを余儀なくされた人々の末裔で今でもなお戦士としての風格を持っている。特筆すべきは機械との相性で、生まれ持って金属を拒絶することのない身体を持ち、機械と身体をつなぐ神経も非常に発達している。全てディグが話してくれたことで具体的だがクリスにはどのような種族が待っているのか想像できなかった。
「着いたぜ。エメラルドシティだ。って言っても誰も緑色のサングラスなんかかけてないけどな」
オズの魔法使いだとクリスは思った。
蒸気で動いている機械や、もっと近未来的で電子的な機械までさまざまな機械類が息を切らしながら動いている。その中にサイボーグやクリスのまだ知らぬ種族がうごめいていた。
「それで。君の友達はどこに?」
ディグがニヤリと笑いながら地面を指差して言った。
「ここ全部だ。奴はここ全部なんだよ」
まさか。と思ったがあらゆる想像をはるかに超えてきた外の世界に徐々に慣れてきたクリスの思考はかろうじてディグにしがみついていた。
「その…友人の脳か何かに接続されてエメラルドシティが管理されてるってことか?」
今度はニッコリと笑ってディグが答えた。
「そうだ。だから管制室に向かう」
ディグが指差す方向にはエメラルドシティで一番高いように見える建物があった。
その時、後ろから二人に誰かが声をかけてきた。
「そのまま両手をゆっくり頭の上にあげて、こちらに振り向け。我々のいう通りにした方が長生きできるぞ」
クリスがディグの方をちらと見るとディグも気まずそうにこちらを見ていた。
「ソル様がお呼びだ。そのままついて来い」
どうやら冗談ではないらしい。人間の私が来たからだろうか?とクリスは考えたが見た限りサイボーグとクリスとでは大して差がない外見をしている。彼らには私が壁の中から出て来た人間だとバレたのだろうか。
衛兵についていくこと十数分。結果的にディグが言うところの管制室に連れてこられた。
壁の中の大統領府とよく似た内装で中世ヨーロッパを思わせるような壁紙と近未来な機械や家具が互いに強く主張しあっている。個室に誘導されると
「ここで待て」
衛兵はそう言って部屋から出て行った。
「どうするつもりだ?なんで衛兵なんかに」
クリスがディグを問いただすと
「黙って待つんだ」
一言言い残し黙り込んでしまった。
長い沈黙の後、入り口から背の高くたくましいサイボーグが入ってきた。顔には複雑な模様のタトゥーが彫られており首から胸。胸から腕へとつながっている。両足と右側頭部から右眼。左肘から下。右腕と右胸がサイボーグ化しており淡く青く光っている。
「何が目的だ」
サイボーグが低い声で言った。
「なあ頼む。ソルに会わせてくれ。合わせてくれれば話がつく」
ディグが懇願するようにいうとサイボーグは怒りを露わにしながら答えた。
「ソル様を呼び捨てで呼ぶとはなんと不敬な。死罪に値するぞ。幼馴染といえど見逃しはしない」
サイボーグが両手を体の前で合わせると両手の先が何か武器のようなものに変形した。
「冗談だろ?その「ソル様」とやらの幼馴染なんだから俺は国賓級の客だろ」
ディグは引き続き懇願するように言うがサイボーグは聞かなかった。サイボーグの腕は更に変形し大砲のような、ロケットのエンジンのような形になっていた。明らかにディグの頭部を狙っている。既に砲口は眩く輝いており知識のないクリスにも時間がないことがわかった。
「なあ少し話を聞いてくれよ」
クリスが堪えきれずに口を開いた。サイボーグは銃口を下げクリスをにらむ。
「なんだお前は。話せないのかと思っていたぞ。話せるなら黙ってろ。人間」
再びディグに両手を上げ砲口を向ける。このままではディグが消し炭になるか自分が消し炭になってからディグが消し炭になるかの二つしかない。そんなことを考えているとついにサイボーグがディグを消しとばした。かのように見えたが次の瞬間閃光がおさまるとディグとサイボーグが満面の笑みで握手をしていた。
「久しぶりだな!ディグ!」
ディグとサイボーグは先ほどまでの緊張とは真逆に笑顔で和気あいあいとしている。硬い顔つきをしていた他の衛兵達も気がつくといなくなっていた。
「ソル!なんか前よりゴツくなったな!また壁の中と戦争でもおっぱじめるつもりか?」
呆気を取られたクリスは振り絞った勇気と共に、その場に立ち尽くしていた。
「そうだ。こいつが連絡したクリスだ。壁の中に奥さんを置いて来ちまったんだ。だから壁の中に行く必要がある。俺だけじゃ守りきれない。だから一緒に来てくれないか?後生と思って頼む」
ソルの顔が険しくなり少しだけ考え込んだ後、無線で誰かに連絡を入れてから再び考え込み、口を開いた。
「知っての通り、俺はここの総司令官であり責任者だ。誰とも知らぬ人間の願えるためにここに居るわけじゃない。それはわかってるよな?」
ディグは少しうつむき、それでいて納得したような複雑な顔をしていた。
「だよな。わかった。俺らで行くよ」
行くぞとクリスに声をかけ床に沈み込んでいた荷物を肩に背負う。
「おい待て。誰が断った?私はただ事の重大さを説いただけだ。お前の願いとあらば例えそれが修羅の道でもついて行くぞ」
ディグは荷物を投げ捨てソルに抱きついた。友情を確信したディグは泣いているように見えた。
「おいやめろ。毛が刺さる。腹部は肉体だ」
溢れ出る涙を手でこすりながらディグは胸を張って高らかに宣言した。
「ファイアチームだ!」