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夢幻の絆  作者: こじこじ
5/6

変質

再び、ジェイドがベッドで目を覚ました時、まだ部屋の中は明るかった。


ほとんど寝つけなかったのか――


ジェイドはそう思ったが、すぐに、寝起きの気だるさや、意識が定まらず、ボンヤリした頭の状態を実感するかぎり、短時間の寝起き後とは思えなかった。きっとまる1日は寝ていたのだろう。


そして、わずかに期待していたものの、やはり昨日より以前の記憶は戻っていなかった。正確に言えば、ここ数年の記憶が無くなっているのだが、かすかに残っている子供の時の思い出など、今は何の足しにもなりはしない。


ジェイドは、いやでも、昨日突如として頭に思い浮かんだ光景を真っ先に思い出した。「ディーダ」という文字と、あのナイフの刀身を見た瞬間、強烈な黒い感情に飲み込まれ、自分も知らない中年の男女2人が、目の前で凄惨な死を遂げる光景が展開されたのだった。そして、その死に、自分が関わっているのは明らかだった。


ジェイドは、片手で自分の頭をかきむしり、そのまま自分の頭を拳で1発殴った。記憶を失ったばかりか、その失った記憶の中に、殺人を行っているかもしれない、ということを考えると、存在そのものを消してしまいたいような嫌悪感を覚えた。


俺は一体何者なんだ――考えれば考えるほど、ジェイドの頭と胸元を締めつけるような感覚に捉われた。


(俺は昨夜見た光景のように・・・もしかしたら、何人も誰かをあんな目に合わせてきたのか?)


あり得ることだった。考えがそこにたどり着いた時、ジェイドの背中から滝のように、嫌な汗が噴き出した。そして、不安と焦燥感が高まるにつれ、刃物に刻まれた文字を見た時と同じく、暴力的で、多くの負の感情が沸き立ってくるのを感じた。


「ぐぬっ」


その瞬間、ジェイドは、右手で拳を握り、自分のももを思いっきり殴った。鈍い痛みが全身を走ったが、その痛みのおかげで、なんとか自分自身を抑えることができた。思えば、あの光景が浮かんできたのは、刃物に刻まれた文字を見た瞬間だが、その前は、自分の記憶を思い出せずに苛立ち、心が乱れていた。この胸元に渦巻くドス黒い負の感覚の果てに、もしかしたら、あの凄惨な光景を現実にしてしまうのではあるまいか。


自分自身に対して強い疑心暗鬼にかられたまま、ジェイドが、ベッドの上で様々なことを試案していると、まるで部屋の壁が四方から迫って来るかのような、息苦しさを感じはじめた。


(外に出たい)


ジェイドは、昨夜のことを思い出し、やや荒くなった呼吸を整えるべく、部屋を出るべく、立ち上がった。昨日より、足取りが確かで、体調が良いことだけが唯一の救いといえた。ふと、ベッドの傍に置いてある小さな机に目をやると、その上に紙が置かれていた。


「目が覚めたら、これを着てください」


おそらく、昨日会ったミディアという女が書き置きしたものだろう。紙の隣には、薄緑色のシャツが綺麗に折りたたまれていた。ジェイドは、好意に甘えることを一瞬ためらったが、上半身だけ何も着ていないまま、外に出るわけにもいかないので、仕方なくそれを羽織ると、廊下に出た。


天井から床にいたるまで、すべてが木材で作られている廊下を渡り、正面には一階に降りる階段が見えた。周囲を警戒するように、腰を落とし、左右に素早く視線を送りながら、壁づたいにゆっくり階段を降りていくと、すぐ近くが玄関だったので、そのままドアを開けて、家の外に出た。


まだ昼のせいか、強い光がジェイドの顔を照らしたため、片手でそれを遮った。目に映る草花や樹木は、光に照らされ、緑が一層鮮やかにうつった。そして、辺り一面に広がる、新鮮な自然の空気がジェイドを包み込んだ。ジェイドは、両手を広げると、勢いよくそれを口から吸い込み、そして吐き出すことを繰り返した。


気分が落ち着いてきたところで辺りを見回し、施設の壁沿いに、左の方に向かって歩いていくと、そこにはこの施設の庭のようなところなのか、綺麗に舗装された芝生や、高さを整えて刈り込まれている茂みがいくつも点在していた。ジェイドは、ふと木々の合間から見える、遠くの景色に目をやった。


昨日、二階から見たように、一面に広がる田畑のほか、部屋からは位置的に見えなかった高さ30メートルはあろうかという、大きな風車が遠くで4本回っているのが見えた。


ここは、なんという村なんだろうか。遠くで、夫婦のような男女2人が田畑から何かを収穫しているのを遠目に見ながら、ジェイドは思った。


ジェイドは広い庭を奥に向かって歩き、進んでいくと、茶髪の少年が立っているのが見えた。年齢は、自分と変わらないくらいのその少年は、枯れ木を幾層も積み重ねた場所のそばで、青色をした小石を手のひらの上に乗せたまま、何事か呟いた。すると青色の石から枯れ木に向かって、一瞬だけ光のようなものが差し込んだ次の瞬間、枯れ木に火がつき、煙が立ち昇りはじめた。


(あれは、一体なんだ)


その様子を、ジェイドは遠くから眺めている。その興味深そうな視線に茶髪の少年が気づくと、ゆっくり近づき、そばまでやってきた。小柄なジェイドからすると、身長は10cmくらい高い。


「よう」


人懐っこい笑顔を浮かべ、白いシャツと茶色のズボンをはいた、身軽そうな服装の少年は、片手を上げて挨拶をした。


「忌法を見るのは初めてか?」


スプーキーは、ジェイドの傍まで近づき、話しかけた。


マテックが発展するより前、忌法石に内在されている力を抽出するには、忌法という特殊な技術しかなかった。忌法によって抽出された力を、詠唱によって様々なエネルギーに変換して、その力を解放する技術は、かつて、大陸に住む人々の大勢が身に着けていたが、マテックの発展とともに、ごく一部の人しか使われることが無くなった。


忌法石から、火力や動力といったエネルギーに変換する効率は、機械や道具を介在するマテックの方が圧倒的に高く、また、使役者による労力や知識も必要としないため、誰でも使いこなせる点でもマテックは優れており、現在でも本格的に忌法を身に着けている人間は、忌法師と呼ばれており、その多くが軍人だった。


さらに忌法は、強力な技であればあるほど、忌法石に内在されているエネルギーを激しく消耗し、また、そのように強力な技術を習得するには、一流の忌法師から10年以上にわたって厳しい修行を受けなければ、身につくものでなかった。


「俺は、この施設で厄介になってる、スプーキーってんだ、よろしくな」


スプーキーは、「未来の手」と言うらしい木造の施設を顎でしゃくった。そして、握手を求めて片手を差し出した。


(こいつもまた、孤児ということか)


ジェイドは、黙ったまま、棒立ちの姿勢から変わらない。悪意があるわけではなく、単に握手する習慣を知らなかったからなのだが、その目つきは異常に悪く、常にだれかを睨んでいるような目をしている態度から、スプーキーは、ひきつった笑みを浮かべると、差し出した手をひっこめた。


「オーケー・・・とりあえず、こっちは名乗ったんだから、あんたも名前を教えてくんないかな?」

スプーキーは両手を広げ、肩をすくめながら尋ねた。


「ジェイドだ」

「ジェイド?あまりここらへんじゃ聞かない名前だな、アッガートより北にいけば、そんな名がたくさんあるのかな?まあいい、もう少しすればここにニロが来る、あんたも見ただろ、6歳くらいの小さな女の子だ、俺と同じく、この施設で世話になっている孤児なんだが・・・ちょっと元気がありあまってて、生意気なのがタマに傷なんだが、あれでも」


スプーキーは、ジェイドの反応など気にすることなく、まくし立てるように喋り続けた。ジェイドは昨日のことを思い、つとめて心に波を立てず、無感情に徹する。


(よく喋るやつだ)


ジェイドが頷かなくても、顔をよそに向けても、気にせずスプーキーは話し続ける。直感的にジェイドは、この男とは相いれない思いを感じた。


やがて、スプーキーが喋り終わるころ、その男が言うニロはやってきた。ニロは、スプーキーの姿を見つけると、まっすぐに走り寄り、足元へ抱きついた。


「スプーン兄ちゃん、みっけ!」

「おいおい、その呼び方は勘弁してくれって言ったろ」

スプーキーは困惑した表情を浮かべながらも、そのままニロの両脇に手を差し込み、抱き上げた。

「だってスプーン兄ちゃんのほうが呼びやすいんだもん」

「・・・大して変わんねえだろ」


スプーキーは、そう言いつつもニロをそのまま肩車する。


「また、焼き芋?」


ニロは、スプーキーが先ほど燃やした枯れ木の束を上から眺めた。


「まあな!俺様の忌法をもってすれば、ざっとこんなもんよ」

「それって、ギトの忌法でしょ?あたしだってできるよ」

「うるせーな、この絶妙な火加減は、天才的なコツを習得できないと無理なんだよ」


ふーん、とニロはスプーキーの言うことを鼻で笑い、興味無さそうに、そっぽを向いた。


「で、今日はどうすんだ?お前、この人と遊びたいって言ってたけど、まだ病み上がりだからもう少し待てとかミディアに言われてたんだろ」


そう言いながら、スプーキーはジェイドのことを指さした。


「山はダメだけど、この家の庭くらいならいいって言ってたよ」

「家の庭ってここか?ほとんど遊べるところなんて無いじゃないか、山はダメでも、いつも遊んでる北の林とかならオッケーじゃね?」

「だってぇ、ミディアがどうしても庭までならって言うしぃ・・・」


スプーキーは、肩をすくめた。


「しょうがないな、よし、このスプーキー様が黙っててやるから、いつも遊んでる林まで、この人と一緒に遊んでこいよ」

「え、本当に!?スプーン兄ちゃん、話が分かるぅ」


ニロは、目を大きく輝かせて、スプーキーの肩の上で飛び跳ねながら無邪気に喜んだ。


「・・・っというわけで、俺様は今から焼き芋を食べるのに忙しいので、ここから先はバトンタッチな」


スプーキーは、肩の上に座っていたニロを器用に持ち上げ、ジェイドの肩にいきなり肩車の形で乗せた。ニロはジェイドの頭上にいる嬉しさから、何かの歌を口ずさみながら、その上で体を大きく左右に揺さぶっている。


「おい、俺は・・・」


ジェイドは、すぐにしゃがんでニロを下ろそうとしたとき、スプーキーはジェイドの肩を軽く二度叩いた。


「まあ、ニロがこんだけ、あんたを気に入ってるんだし、しばらく気分転換に庭でデートでもしてこいよ」

「スプーキー何マセたこと言ってるのよ、この人とは、おともだちに決まってるでしょ」

「どっちがマセてんだよ・・・豆ガキが」


スプーキーが小さく呟いたのを、ニロは聞き逃していなかった。とりゃ、と小さく言うと、どこで拾ったのか、ジェイドの頭越しに、大きな蜘蛛を1匹投げつけた。そして、スプーキーの胸に止まり、そのまま背中の方へ這い回った。


「ひぃっ」


スプーキーは、甲高い叫び声をあげると、あわててその虫を払い落した。ニロは、スプーキーのその様子を見て、大笑いしている。


その一方、ジェイドは、胸の奥が少し疼くのを感じた。少しでも早く、ここを出て一人になりたい――やはり周りに人がいると心に波が立ち、いつまたあの黒い感覚に自分が染まってしまうかと思うと、気が気ではないからだ。


「・・・ったく、ひでえことしやがるぜニロは」


スプーキーは、気を取り直し、ジェイドへ視線を向けた。


「リハビリがてら、ゆっくり散策するがいいさ、もっともミアマ村は、自然と農作物以外何もないドがつく田舎だがね」

「この村はマグラードのどこにあるんだ?」


今までロクに口を開くことも無かったジェイドが、自分に尋ねてくる反応に満足したのか、スプーキーが大きく頷くと、


「そうか、ミディアから聞いたけど、あんた何も覚えてないんだっけな、ミアマはアッガートの南だから、マグラード大陸全体からすると、かなりの南としか言えないね、地図が家の中にあるから後で位置を教えてやるよ」


マグラードという単語は聞いたことがあるが、アッガートは、初めて聞く地名だった。数年の記憶を失っているジェイドにとって、思えばマグラードは大陸全土のことを指すので、子供の時から覚えていて不思議はない。しかし、アッガートはその中の一部にすぎないのであれば、ここ数年の間ジェイドが行ったことがある地名だとしても、記憶にないのは当然といえた。


「あ、そうそう、もう季節を過ぎたから出ないと思うがトルク鳥だけは気をつけてくれ」

「トルク鳥?」

「紫と黄緑色のまだらをした、気味の悪い体毛と細長いクチバシをした鳥だから、見ればすぐに分かる。そいつのクチバシには毒があるから、見かけたらすぐに逃げたほうがいい」

「ちょっと前も林をお散歩したけど、見なかったし、きっと平気だよ」


ニロがはしゃぎながら言うと、スプーキーは片手をあげ、手をふった。


「ま、天気もいいんだし、元気に行ってこいや」

「またあとでねー」


2人のやりとりを聞き終えると、ジェイドは観念した。体を少し動かしたいのは確かだが、こんな小さい子供と、外へ散歩することについては、おそらく失った記憶の中にも無いだろう。どう接したらいいかよく分からないし、何より、今のジェイドにとって騒がしい話相手は避けたかった。




孤児院「未来の手」の庭から、さらに北へ少し歩いた先に、その林の入り口はあった。日差しがまだ高いにも関わらず、その光をほとんど遮ってしまうほどの鬱蒼と茂る木々の中、林の中をニロと2人で歩いていく。肩車の状態から、ニロを地面に下ろしたら下ろしたで、片手を握ってきたので、やむなく、手をつないだまま、林の中を散策した。


(なんだってんだ)


不快というものとは違う、苦々しい感情がジェイドにはあった。しかし、そんななか、ニロは、ミディアに教わったという花冠の作り方や、林の中で動き回っている虫や動物の名前に至るまで、手振りをまじえながら、色々と教えてくれた。最初は乗り気じゃなかったジェイドだったが、記憶を失っていることもあってか、聞くことのすべてが新鮮に感じていた。


なかでも、ミアマに生えている樹木の1部は、ベベリの木と呼ばれており、その木は夜になると、根を複雑に這わせ、ゆっくりと移動するという話だ。


より自分に合った環境を求めるためなのか、ベベリの木が近くの湖に、集団で移動していく姿は感動するほどだから、見た方がいい、という。ジェイドは興味をそそられ、何度もベベリの木についてニロに尋ねた。夕方まで、まだ時間がありそうだったので、未来の手でしばらく時間をつぶすか、日を改めてでも、その木が動いている姿を見に行きたいと思うようになった。


(いかんな)


ジェイドは、かぶりをふった。勢いに乗せられ、小さい子供と林の中を散策していたものの、少しでも早く荷物をとりに帰り、あの孤児院を出て、1人になりたいという気持ちに変わりは無い。


ニロは、ジェイドに背を向け、地面に落ちている何かをじっと見ている。


「そろそろ戻らないか?」


ジェイドは、声をかけたが、何かに夢中になっており、ニロはそのまま返事がない。


ジェイドは小さく溜息をついた。やむなくあたりを見回すと、多くの鳥や虫たちがあたりを行き来している。ジェイドは木の幹に張りついていた、表面が灰色で、ドームのように半円状の形をした、光沢がある虫をつまみあげた。ニロから教えてもらった、拳の半分ほどある大きさを持つルダマという種類の虫を、そのまま片方の手の平に乗せると、無数の足を這わせてゆっくり歩いた。小さいながらも、生命の確かな存在感と力強さを感じることができた。


(ニロの話では、危険を感じると丸くなるらしいが)


ジェイドは、もう片方の手の人差し指で軽くはじくと、ルダマは一瞬にして、見事な灰色の球体に変化した。


ジェイドは、その様子を楽しんでいると、そのまま、そばにある樹木へもたれかかった。


周囲は木々に囲まれ、わずかな隙間から、心地よい暖かな日差しが少し差し込み、やや冷えた空気が頬を撫でる。今の自分の状態に何も問題が無いのであれば、少しはこの状況も楽しめたのかもしれない。ジェイドは目を閉じ、風でそよぐ木の葉ずれに耳を傾けた。


ジェイドはまるで、自分自身が自然の中に溶け込んでいくような心地よさに浸っていた。


10分ほどが経った。


しばらく、そのままじっとしていたジェイドだったが、心地よい自然のサウンドとは別に、遠くから、低く、腹に響くような不気味な羽音が背後から聞こえて来た。


ジェイドは咄嗟に目を開き、音がする方向へ素早く視線を送ると、紫と黄緑色のまだらをした、気味の悪い色合いをした、30センチほどの鳥が姿を現した。よく見ると、針のように細長いクチバシをしている姿から、すぐにこの鳥がスプーキーが言っていたトルク鳥だということが分かった。



ジェイドは樹木から身を起こし、すぐさま、そばに落ちていた手首ほどの太さがある木の枝を拾い上げると、腰を落とし、身構えた。


(近づけば、殺す)


まるで、周囲の大気そのものが震えるほどの強い殺意が、ジェイドの全身から発せらた。それを敏感に感じ取った他の小鳥たちが、一斉にその場から羽ばたいて去っていく。トルク鳥も、およそ自然界に存在しえない、異質なジェイドの迫力を敏感に感じ取った。


トルク鳥は、距離を開けて空中でしばらく停滞していると、首を素早く左右に向けて周囲を伺うような仕草を見せると、そのまま反対側へ向きを変えて飛び去って行った。


逃げていくトルク鳥の様子を見て、少し安心したジェイドだったが、次の瞬間、ニロの叫び声が林の中をこだました。急いで、ニロのいる場所に向かうと、遠くから、別のトルク鳥が見下ろすかのように、ニロの真上をホバリングしていた。


(あの茶髪野郎、何が出る季節は過ぎた、だ)


ジェイドは舌打ちし、すぐさま木の枝を手にしたまま駆け寄った。まだ身体が完治していないこともあり、全身にズキズキと痛みが走った。


地面にかがみこんでいたニロの顔は恐怖でひきつり、頭を両手でおさえながら、涙でくしゃくしゃになっていた。


トルク鳥が今まさに、その毒針でニロの頭を突き刺そうとした瞬間、ジェイドは、すぐさま、ニロのもとまで走り寄ると、手にしていた木の枝でトルク鳥に向かって頭上から真っすぐに振り下ろした。


びゅっという鋭く風を切る音が聞こえるとともに、ジェイドの手に鈍い手ごたえが伝わった。一瞬にして、トルク鳥は空中から姿を消し、地面に叩きつけられた。トルク鳥は、枯葉のうえで、羽根をばたつかせながら、目を大きく見開き、全身を震わせている。ジェイドは、その様子を見下ろすと、まるで散歩に出かけるかのような、何気ない足取りで上からトルク鳥の頭を粉々に踏み砕き、足首を左右にねじった。赤い血が、地面に広がっていく。


ニロは、涙で目を滲ませながら、ジェイドの足元にしがみついた。


「・・・ここは危ないから、もう戻るぞ」


ジェイドは、泣きついてくるニロに対し、低い声で抑揚なく話しかけると、木の枝を放り捨てた。


足元にしがみついたまま、なおも泣いているのを、落ち着くまでしばらく待っていると、ニロは、おもむろにポケットから、小動物を取り出した。


「ちょっと待って・・・この子も連れてかえりたい」


柔らかそうな長い体毛に包まれ、大きな黒い瞳をした生き物が弱々しく、身を横たえたまま震えている。林の入り口でニロから教わった、確かココチとかいう小動物だ。


「この子、おかあさんとはぐれちゃったみたい、助かるかな・・・・」

「さあな、さっきの鳥はまだ他にもいる。急いで戻った方がいい」


ジェイドは、少しイラつきながら答え、そのままニロの手からココチを取り上げ、自分の掌の上に乗せ、軽く包み込んだ。


「こいつは、俺が持っておくから、そのまま走って施設まで戻るぞ」


うん、とニロは小さく頷くと、涙を袖で拭い、そのまま施設に向かって少しずつ走り出した。


草木をかきわけ、獣道を通り、坂を下っていくと、やがて「未来の手」の施設が見えてきた。玄関の近場まで行くと、出発前には庭にいたスプーキーが、口の中に木の実を含みながら、壁にもたれかかり、両足を広げたまま、だらしなく座り込んでいた。


「おっす・・・なんだまた、ココチを拾ってきたのか」


スプーキーは、ジェイドの手の上に乗っている小動物に目を移すと、うんざりしながら言った。


「ミディアが拾ってきただけでも、ココチ以外に何十匹もいるっていうのに・・・いつか、ここは孤児院じゃなくて動物園になるんじゃないか?」


「いいんだもん、ケージが一杯になったらスプーン兄ちゃんの部屋に、はなしちゃうんだから」


ニロは、まだ少し涙の跡が残ったままの顔で、スプーキーに悪態をついた。


「げ、それは勘弁しろよ」

「それより、トルク鳥が出たんだよ!ジェイド兄ちゃんがいなかったら、あたし危なかったんだから」

「え、そうなのか?」


スプーキーは、ジェイドに視線を送った。それに対し、ジェイドは、まったく表情を変えることなく、鋭い目つきのまま、スプーキーを見ている。ジェイドは睨んでいるわけではないが、その目つきの悪さから、スプーキーは、トルク鳥が出ないと言ったにもかかわらず、林へ2人を送り出したことに、自分が責められているように感じた。


(んだよ、そんなに怒ることないじゃねぇか)


スプーキーは、叱られてばつが悪くなった子供のように、ふてくされながらジェイドから視線を外した。


「ジェイド兄ちゃん凄いんだよ!トルク鳥が出ても、スプーン兄ちゃんは、いっつも逃げるけど、棒1本で追い払っちゃったんだから」

「うへ、あんな気味の悪い鳥、見るのもいやなんだがな」

「スプーン、弱虫だもんね!」

「あのなぁ・・・」

「よーわーむーしー、ヨワヨワスプーン」


ニロが、きゃっきゃっと笑いながら、スプーキーの周りをぐるぐる走り回っていると、スプーキーは苦笑し、癖の無い茶髪を片手でかいた。


「そしたらあたし、その子にあげる水をとってくるから、そのまま持っててね!」


ニロは、ジェイドにそう言うと、施設と反対の方に走り去って行った。


「あっちは、物置小屋がある方だから、きっとココチ用の古いケージも取りに行ったんだな、やれやれ」


遠ざかっていくニロを見届けると、スプーキーは呟いた。


「それより、トルク鳥以外で林の中はどうだった?もっともこの村じゃ、草木と田んぼしかないようなとこだから、大して珍しいものがあるわけじゃないけどな、アッガートまでいけば、マテックの工芸品がたくさんあって楽しいんだが、ここじゃ、女の子もそんなにいないし、退屈だろ、それに・・・」


スプーキーはそれから先も、長々と話し続けた。


ジェイドは、スプーキーの話す内容にまったく興味が持てなかったため、合いの手を入れることもなく、ただ遠くの1点を見つめている。手の平の上で、ココチが体をもぞもぞさせながら、チィチィと小さい体を震わせながら鳴き声をあげていた。空の色が、夕焼けで少しだけ赤く染まりはじめていた。


「・・・あんたさ、どうでもいいけど不愛想だな、まあいいや、今晩の夕食には、モリヤ先生とセイランも来るんだから、もうちょっと楽しくやろうや、なっ!」


スプーキーは、ジェイドと一緒にいることに少し気まずさを覚えたのか、立ち上がると、手のひらでジェイドの背中をドンと音が鳴るほど強く叩いた。その衝撃でジェイドは軽くバランスを崩し、よろめいた。


その様子を見て、スプーキーは両手を腰にあて、大声で笑っている。


ジェイドは、胸の奥底にあるドス黒い感覚が一瞬にして、全身に膨れ上がっていくのを感じた瞬間、意識が完全に途切れ、あたりが何も見えなくなった。


闇―――。



何秒、あるいは何分経ったのか、意識を失っていた実感すら無いまま、ボンヤリしていたジェイドの焦点が少しずつ定まってきた時、ジェイドは自分の目を疑った。顔から胸元にかけ、血で真っ赤に染まったスプーキーが、目の前で仰向けに大の字で倒れていたからだ。


(まさか・・・!)


ジェイドの背中に冷たい汗が伝っていく。


自分の両手を広げると、返り血がベットリと付着している。眼下に見下ろしているスプーキーから流れ出ている血の量からして、その男が無事とは思えなかった。


ぴくりとも動かなくなった死体を前に、ジェイドはしばらく立ち尽くしていると、急いで、玄関から施設の中に入っていった。そして、部屋に戻り、自分の持ち物であるズタ袋を肩に背負い、施設を飛び出した。


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