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夢幻の絆  作者: こじこじ
4/6

生と闇


風が木の葉を揺らす音以外は、静寂に包まれた暗闇のなか、遠くで鳥たちの鳴き声が、かすかに聞こえる。


まぶしい日差しが急に差し込んだため、ジェイドは思わず顔をしかめ、軽くうめくと、光から顔を背けるように寝返りを打った。



長い間、深い眠りについていたのか、ひどく意識が朦朧とするなか、ジェイドは目を覚ました。そして、自分自身がベッドの上に身を横たえ、見上げれば木材であしらえた天井があることに気づいた。


(どこの家だ?)


体中のいたるところが鉛のように重い。


ジェイドは、身を横たえたまま、首をひねってあたりを見回した。その家は、壁や天井にいたるまで、すべてが木造で作られていることもあって、木々の香りが、辺りに満ちていた。


気づけば、見知らぬ家で目を覚ますという事態に、ジェイドはまだ意識が定まりきらないまま、頭を切り替え、あたりを警戒した。そのまま、ゆっくりと上体を起こすと、壁際に寄せられているベッドの近場にあった窓へ、顔を近づけた。


どうやら、どこかの家の二階にいるらしい。窓から外は、一面、広大な平野に木々と田畑が広がっており、わずかに民家が点在していた。そして、遠くには山々が連なっているのが見える。


そして、部屋に再び視線を戻すと、部屋から廊下に続いていると思われるドアがわずかに開いているのが見えた。

どこかに軟禁されている訳でもなく、いつでもここから出ようと思えば出られる、という今の状況に、ジェイドは少しだけ安心した。


ジェイドは、さらに自分の身体を手のひらで触れ、観察した。上半身のみ裸の状態ではあるが、頭部と胸部、そして右腕には厚く包帯が巻かれている。


(怪我をしている・・・)


少し動いただけで、肺のあたりに刺すような痛みを感じた。


目が覚めてからしばらく経ち、意識が少しずつ晴れていくなか、ジェイドは、ある異変に気づいた。全身から氷水のように、冷たい汗が吹き出、思わず頭を片手で鷲掴みにした。


「う・・・」


頭に、重く、芯まで貫くような痛みが走る。



「何も思い出せない・・・俺は、なぜここにいて、どうして怪我をしているんだ?」


さらに、ベッドに寝る前の記憶だけでなく、ここ数年で起きた出来事が、まるでそこだけ抜け落ちてしまったかのように、何も思い浮かばない。


(どういうことだ・・・俺は一体・・・)


額に皺をよせ、頭の血管が音を立てて切れんばかりに、過去の記憶の糸をたぐろうとしても、なんとか思い出せたのは、ジェイドという自分の名前と、7年以上前の子供の時の記憶を、断片的に思い出すことができるだけだった。


ジェイドは頭を両手でかかえ、軽いパニックに陥った。


ひとまずは、この部屋を出て、一人で身の安全を守れる場所に行こう――ジェイドは、そう考え、足をベッドから下ろし、立ち上がろうとした。どれぐらい寝ていたのか見当もつかないが、自分の身体の一部では無いかのように、力が入らない足で自分の上体を支えながら、ゆっくりと立ち上がった。そして、傍らにあった椅子の背もたれに腕をかけた。小柄なジェイドにとっては、それで、丁度いい感じにバランスを取ることができた。


その時だった。


不意に、ドアが開くギィという音が耳元で聞こえて来たので、ジェイドは、爬虫類が自分の身を警戒するかのような素早さで、入口の方へ振り向いた。見ると、部屋の入り口にあるドアがゆっくり開いていき、部屋の向こう側に続いていると思われる廊下には、自分のお腹の前に、熊の人形を後ろから抱きかかえるような恰好で、6歳くらいの巻き毛の女の子が立っていた。


髪の色は金色で、大きな紫色のリボンを頭につけ、女の子らしい薄いピンク色のワンピースを身に着けている。


女の子は何が珍しいのか、よろよろとバランスを取ろうとしているジェイドを、まるで、前から見たかった動物を初めて自分の目で見ることができたかのような、好奇心に満ちたまなざしを向けていた。


ジェイドと女の子で、お互い無言のまま、視線だけがからみ合った状態のまま見つめ続ける。ジェイドは、その場に立ちながらも観察を続けた。まさか、あんな小さな女の子が、怪我の治療をしてくれたわけではないだろう。


「おい」


久しぶりに声を出したせいか、ほぼ聞き取れないような小声しか出なかったが、ジェイドの低い声を聞いた瞬間、女の子はそのまま向きを変え、廊下の奥に向かって走り去った。木のきしむ音とともに、遠ざかっていく履物のバタバタする音が聞こえなくなっていくと、遠くで誰かを大声で呼んでいる声がわずかに聞こえた。



ジェイドは舌打ちした。今誰かを呼ばれたら、まともには戦えない。


(戦えない?)


自分のことをほとんど思い出せないジェイドだったが、心に深く根を下ろしているかのように「誰かと戦う」という前提で考えている自分自身に軽い違和感を覚えた。



このまま逃げるか、それとも追いかけて―――


その時、ドス黒いモヤのような何かが、ジェイドの胸元に小さく沸き上がりはじめた。


自分でもよく分からないが、その感覚が大きくなった時、何かまずいことが起きそうな予感だけはあった。


「ぐっ」


ジェイドは、重い荷物を引きずるようにして、自分の身体を無理矢理動かすと、二階の小窓を開け、窓のサッシに片足をかけて外に出ることを試みた。足がふらつくため、近くのカーテンをしっかり握りしめ、倒れないよう注意するも、少し動いただけで、痛みが身体中を走り回る。


窓から下をのぞき込むと、家の外壁にはちょうど、一足分のみではあるが、立っていられそうな出っ張りがあり、壁づたいに他の部屋へ移動ができそうだった。二階なので、大した高さではないが、軽傷とは言えない今の身体の状態で落ちれば、ただでは済まないだろう。


体にはまったく力が入らないが、それでも気力を振り絞って、窓へ身を乗り出そうとした次の瞬間、ジェイドの身体は、何者かによって強引に窓から引きはがされ、そのまま家の中へ押し戻された。


「がっ」


ジェイドは、背中と後頭部を床に叩きつけられた恰好になった。その衝撃によって響いた胸部への痛みが、もっとも堪えた。


仰向けになったジェイドの腹から下にかけて、圧迫感を感じたため、そこに視線を送ると、自分の身体のうえに、誰かが覆いかぶさっていた。自分の胴あたりに、人の頭らしきものが見える。


自分の身体にのしかかり、密着していたその人間が上体を起こし、両手で這いつくばるような形で、ジェイドのことを見下ろしている。


髪がすべてその中にに収まるほどの薄紫色の布を頭に巻き、服装は、汚れた農作業着のようなもの着こんでいるにも関わらず、顔は日焼けしておらず、肌が透き通るように白い。まだ意識が朦朧としていることもあり、すぐに性別は分からなかったが、ジェイドのことを睨んではいるものの、その目鼻立ちがよく整った顔を見て、それが同じ歳くらいの、若い女だということが分かった。


「くそ、離れやが――」


ジェイドがそう言いかけた時、その女は、息がかかるほどの距離まで、顔を近づけた。


「バカ!なんでそんな簡単に命を捨てようとするのよ!」


予想していない一言を聞き、ジェイドは思わず、面食らった。


「なんだと?」

「せっかく助かった大切な命なのに・・・目を離した隙にまた死のうとするなんて・・・」


その女の声は、涙声でかすれていき、最後まで聞き取ることができなかった。


「は?」


ジェイドは、仰向けに寝そべったまま、その様子を見上げていた。そして、少し考えたのち、どうやら自分が窓を伝って逃げようとしたところを、飛び降りて死ぬつもりだったように誤解されていることに気づいた。


ジェイドは、色んなことが立て続けに起きたこともあって、軽く頭がくらんだが、ひとまず、目の前にいる女の口振りや態度から敵意は感じられなかった。


女はジェイドにのしかかり、半分涙目のままジェイドのことを、まっすぐに見据えている。その目を見ていると、ジェイドは、なぜか苦々しい気持ちになり、思わず目を逸らした。


(なんだってんだ)


ジェイドは、そう思ったが口に出すことなく、顔がくっつきそうなほど近くにいる、女の方にもう一度顔を向けた。


「俺は飛び降りて死のうとしたんじゃない、窓から外へ出ようとしただけだ」

「えっ」


女はジェイドが何を言ったのか咄嗟には理解できず、ポカンと口を開けていたが、やがて赤らめた頬を両手でおさえた。


「や、やだ、てっきりニロのお兄さんみたいなことかと思って・・・」


女は、そう言いながら、あわててジェイドのもとを離れると、壁に背を預けて、へたりこんだ。


(誰だそいつは)


と一瞬ジェイドは思ったが、すぐに興味を失い、改めて女を観察した。そして女が、自分の記憶に無いかどうかを必死に思い出そうと試みた。


(やはり何も浮かばないか)


ジェイドが額に皺を寄せ、自分を見る目に苦悶の表情を浮かべているのを見て、女は不思議そうな顔をしている。



「でも、なんで窓から外へ出ようとしたの?」

「・・・・」

「まだ、そんなに怪我も良くなってないし、身体だって痛いんでしょ?私だったらベッドでおとなしく寝てるけどなぁ」

「それは・・・」


ジェイドは答えに窮した。万が一、危害を加えるような相手が来た時、この体の状態では戦えない、という理由は、自分でも冷静になれば、少しおかしいと感じたからだ。目の前にいる女からは敵意がまるで感じられないとはいえ、聞きたいことが山ほどあるジェイドは、話をはぐらかすことにした。


「いや、それより・・・あんたは誰なんだ?俺の知りあいか?」


自分の身体を案じて、本気で叱ったり、涙ぐむ姿から、もしかしたら自分のことを知っている人間かもしれない、という淡い期待を抱かずにはいられなかった。


言いながら、ジェイドはゆっくり立ち上がり、そばにあった椅子に腰かけると、女もそれにならって、ジェイドが寝ていたベッドに腰を下ろし、向かい合った。


女にとっては、その質問の意図が分からないらしく、人差し指を顎に当てがったまま、小首を傾げている。


「俺はその・・・自分の名前以外、今ろくに何も思い出せないんだ」


それを聞くと、女はエメラルドグリーンの大きな目をさらに見開き、悲しげな表情に変わると、自分の胸に片手をあてた。


「そんな・・・」


なぜかジェイド以上に落ち込んでいるように見える女の次の言葉を、ジェイドは食い入るような心境で待った。


「あっ、でもしばらくしたら、思い出せるってことは無いのかな?」

「それを期待しないでもないが・・・今は、分からない」

「そっか、あの時していた大怪我のせいなのかな、自己紹介遅れてゴメンね、あたしの名前はミディアっていうの、あなたとは、まったくの初対面です」


ジェイドは、まだ日が高く、部屋全体に明るい陽射しが差すなかにも関わらず、周りがやや暗くなったように感じた。自分が誰なのかを知るには、しばらく時間がかかるような気がしてきたからだ。


「あの時の大怪我って・・・俺はどれほどの怪我を負っていたんだ?」

「村のお医者さんに最初見てもらった時は、生きているのが奇跡だって言われるくらい、全身傷だらけで色んなところを骨折していたの。何をしたら、こんな状態になるのか不思議に思ってたわ。ここから西に住んでいる大型のサロボテウスにでも何度か襲われたら、こんな風になるんじゃないかって、冗談を言ってたけど、結局、あなたが最初にこの施設に運び込まれてから、10日間は寝たきりだったんだから」


10日間――それほど長い間、意識が戻らないほどの大怪我だったのか。


自分がどんな理由で、こんな怪我を負う羽目になったのか分からないが、結果、記憶を失うことにまでなった自分の行動の軽率さを忌々しく思った。


「あなたを、ここまで運んできたのは、モリヤ先生だから、あの人に聞けば、もっとあの時の詳しいことを教えてくれるんじゃないかしら」

「先生?ここは学校か何かか?」

「ううん、ここは未来の手っていう孤児院なの、もともと戦災孤児といって、戦争によって親を無くした子供たちを受け入れていた施設なんだけどね」

「あんたも戦災孤児なのか」

「うーん、まあそんなところかな」


俺も戦争に巻き込まれて、同じような目にあった人間なんだろうか?ジェイドは拳を顎に当てがったまま考えた。そして、自分のことを知る手がかりとして、大事なことを聞きそびれていたことに気づいた。


「俺は、何か・・・荷物のようなものは持っていなかったか?」

「うん、1つだけ」


そう言いながら、ミディアはベッドから腰を上げると、部屋の隅に置いてあったバッグ、というにはあまりにもボロボロに汚れていたズタ袋のようなものを、よいしょという掛け声とともに、両手で重そうに抱え上げ、ジェイドの膝の上に置いた。


ジェイドは、その袋を受け取ったものの、やはり、自分の荷物だという実感がまるでなかった。よその家の誰かの荷物が、ただ膝に載ってる、というだけの感覚だ。


ジェイドは手のひらを額に押し当て、指で髪の毛を握り込んだ。


そして、自分の荷物のはずなのに、何1つ記憶として蘇って来るものがないことに対し、無性にイラだった。ジェイドはしばらくその荷物を凝視すると、不意に立ち上がり、ズタ袋の口の端を両手でつかむと、そのまま逆さまにひっくり返した。


ズタ袋の中に入っていた様々な所持品が落下し、大きな音を立てながら、床に広がっていく。


ジェイドはそのまま、両膝を地面につけると、床に落ちた物を一つ一つかきわけ、手に取った。衣類、金貨、宝石のようなもの、ボロボロの地図、何かの木の実――いずれも、やはり記憶に無く、さらにイラだちが募ってく。


(自分の荷物を見ても、このザマなのか・・・)


焦りによって、部屋の壁全体が歪み、周囲のあらゆる物音が、すべて遠くで鳴り響いているように聞こえ、自分の呼吸が荒くなっていくのを感じた。


ミディアに背を向けたまま、二匹の蛇のように、自分の手を忙しく動かしていたジェイドに棒状の何かが指に触れた。衣類の間に、挟まっていたその棒を引き抜くと、ジェイドの全意識がその物体に集中した。それは、刃渡り25cmほどのナイフだった。


ジェイドは、それを右手に持つと、目を皿のようにして観察した。そして、ジェイドは、ミディアにも聞き取れないような、小声で独り言をつぶやいた。


「これは・・・俺はこのナイフだけは知っている」


かなり使いこんだ跡がある短剣の柄の部分をよく見ると、文字のようなものが小さく彫られていた。柄は黒く変色し、彫りが薄くなってはいたものの、ところどころ欠けている文字を一つ一つ目で追っていくと、そこには「ディーダ」という文字が彫られていた。


(ディーダ・・・)


ジェイドの赤い目に危険な光が宿ったのは、その時だった。自分の胸元から全身に向かって、ドス黒い何かが暴れ、憎悪や怒りに似た、あらゆる負の感情に支配され、全身の血が逆流して、すべて頭へ昇っていくように感じた。


まるで、自分の意志では無いかのように、ジェイドの右腕はナイフの柄を強く握りしめた。ジェイドから背を向けた位置で立ったままでいるミディアは、その変化に気づかない。


ジェイドの脳裏に突如、ある光景がはっきりと浮かび上がった。キッチンにいる中年の男女2人が、突然家に上がり込んできたジェイドを罵倒すると、中年の男がそばにある果物ナイフを片手で無造作に掴み、近づいてきた。そして、必死の形相で、何度も切りかかって来るのを、ジェイドはそれを紙一重でかわしていく。


やがて中年の男の息が乱れ、切り払うスピードが落ちて来たところで、ジェイドは男の懐に飛び込んだ。そして、ジェイドは手にしていているナイフとまったく同じものを、そのまま真っすぐに突き出した。相手の体内に刃物が突き通った感覚が、腕に伝わって来る。それは、ジェイドにとって初めてではなく、何度も味わってきたかのような感触だった。


中年の男が腹部から流れ出る血を床にまき散らしながら、うめき声をあげ、スローモーションで倒れていく。その姿をみた中年の女は、悲鳴をあげ、恐怖で腰を抜かし、四つん這いで床を這いながら、誰かに助けを求めるべく、家の玄関にゆっくり向かっていった。それをジェイドは、まるで散歩に出かけるかのような普通の歩みで、中年の女に近づき、そのまま躊躇なくナイフを振り下ろし、背中から突き刺した。


(そうか・・・そうだった)


意識が半分だけミディアのいる部屋に戻り、両膝を折り曲げて座ったまま、ナイフの刀身を見つめているジェイドだったが、不意に部屋の入り口から、誰かが無造作に入ってくる音が聞こえた。その小さな影は、ジェイドが、この家で目を覚ましてから、最初に目にした6歳くらいの女の子だった。満面の笑みを浮かべ、ミディアのことを見上げている。


「あらニロ、今日はスプーキーと一緒に山へ遊びに行くんじゃなかったの?」

「うん!これから行くの」


ニロが両手を広げながら元気いっぱいに答えると、ジェイドの方へ振り向いた。


「ミディア姉ちゃん、あのお兄ちゃんのお名前は、なんて言うの?」

「ジェイドさんよ」


ジェイドの耳に、2人の声は100メートル先での会話のように、遠く聞こえた。そして、今こうして座っている時間すら、短いのか長いのか分からなくなってくるような奇妙な感覚を覚えた。


意識が定まりきらない状態にいるジェイドだったが、そこに、ニロと呼ばれている6歳くらいの女の子が近づいてくるのを感じた。そしてニロは、足音をバタバタと鳴らしながら、跪いているジェイドの足元へ駆け寄り、ジェイドの手首を掴むと、無造作に引っ張った。


「ジェイドお兄ちゃん!」


大きな声で急に呼びかけられ、我に返ったジェイドはナイフをその場で落とした。ナイフはそのまま散乱した自分の荷物のなかへ落下し、横向きになった。


ジェイドは、ニロのいる方へ顔を向けた。その表情は幽鬼のように青ざめ、こわばっている。


「・・・ああ、さっきの」

「わたしね、ニロっていうの!お兄ちゃんは、どこからきたの?」


さっき浮かんだ鮮明な光景が、ジェイドの頭の中で何度も繰り返され、手の震えが止まらなかった。そして、元気で甲高い子供の声が、少しだけジェイドの神経に触った。


「ニロ、ジェイドさんはまだお怪我をして、初めて動いたから、とても疲れてるの。もう少しお部屋の外で待っててあげて」


ミディアがニロの側に近づくと、片手をニロの頭上に乗せ、撫でながら言った。


「わかった!お怪我が治ったらあとでいっぱい遊ぼうね!」


ニロは部屋のドアに近づくと振り向き、手の平を頭上で大きく左右に振ると、そのまま向きを変えて走って部屋を出て行った。


「ごめんなさいね、久しぶりに誰かがここへ来るのは珍しいから、はしゃいじゃって」

ミディアは、舌を軽く出して、片目を閉じながら言った。


「いや・・・それより」


ジェイドは、今自分の脳裏に浮かんだ光景のことを、ミディアに話そうとした。自分のことを知る手がかりは少しでも欲しいからだが、今のことを話したら、自分のことをどう思うだろうか。何より、自分がもしかしたら、過去に誰か人を殺していたかもしれないということを認めたくなかった。


(馬鹿なことだ、俺が体験したことしか思い浮かぶはずないのだが)


その事実からは逃れようがなかった。


「それより、何?」


ミディアは、ジェイドの顔をのぞきこんだ。


「それより、急に動いたせいか、身体が痛むので休みたいんだが・・・」

ジェイドがそう言いながら、自分が無造作に床へぶちまけてしまった荷物を拾って、元のズタ袋に入れようとすると、ミディアはその手を掴んだ。


「いいよ別に、後は私が全部片づけておくから、ジェイドさんはベッドでゆっくり休んでて」


ミディアはジェイドの手を握ったまま、にっこり笑った。女の柔らかい手の感触が、ジェイドをわずかに動揺させた。


「すまない」


照れ隠しもあって、ジェイドは顔を俯いたまま、小声でそう答えてその手を振り払うと、ベッドに座り込んだ。ミディアは、手際よく、ほんの数分で床に散らばった荷物を、ズタ袋にしまいこむと、部屋の入り口に向かった。


「じゃあ、食事はこれから私かニロに部屋まで運んでもらうから、その時間までゆっくり休んでてね」


ミディアは、振り向きざまにそう言うと、そのまま部屋を出て行った。


ジェイドは、まだ日が高く、部屋が明るいなか、1人ベッドの中に潜り込んだ。


(俺は、この先一体どうなるんだ)


部屋の明るさとは逆に、ジェイドは1人で暗闇の中にいるかのような、絶望感に包まれた。


記憶が無いだけでなく、さきほど頭に浮かんだ凄惨な光景・・・ディーダ・・・そして、ミディアとニロのこと。色々なことが起き過ぎて、眠れないだろうと思っていたが、まだかすかに残っている、あの凄惨な光景から逃げるように、あっさりとジェイドは深い眠りに落ちていった。

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