表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢幻の絆  作者: こじこじ
3/6

闇に潜むもの


手を伸ばせば、掴むことが出来そうな漆黒の闇に、赤い、二つの光が浮かび上がる。


その光は、ときおり暗闇にまぎれ、消えては現れることを繰り返し、明滅していた。それは人間の瞳だった。



ジェイドは、全身に傷を負い、肩から流れ出る出血を手でおさえながら、太い木陰に身をひそめていた。筋肉質ではあるものの、160cmに満たない小柄な体をもったその少年は、長く山中をさまよっていたせいか、衣服のあらゆるところが裂けた、物乞いのような服装をしている。


既に「ある者」から逃げ、身を隠してから、体感的に1時間は経過した気がするが、実際は10分というところだろう。


鬱蒼と茂る森のなか、少年は特異ともいえる、大きな赤い瞳をギョロつかせ、周囲を警戒しながらも、その場でうずくまり続けている。あたりは、虫の涼やかな鳴き声と、羽音、そして野生の獣が時折、草木を払う音しか聞こえない。走り続けて来た後ということもあって、いくら拭っても、額から汗がにじみ出てくる。


(まったく、俺としたことがドジったぜ)


既に血に染まった刃物と、汚れで黒ずんだズタ袋を肩にかけ、少年は浅く、荒い息をしていた。どんなに空気を吸い込んでも、肺が次の空気を激しく欲しがる。


数日前、ジェイドはアッガートの街で強盗を働いた後、そのまま南を直進し、憲兵の追手をかいくぐるようにして、この山中まで逃げ込んだ。家に上がり込んで、家人を殺害し、金品を奪うところまではうまくいったが、その後がまずかった。肝心の食糧を取りそびれたため、山中で彷徨っているうちに、目がかすむほど空腹になり、やむなく身を休めるために、近くにあった大きな洞穴に入ったのが不幸の始まりだった。


洞穴の奥に進むと、枯れ枝を寄せ集めて作られた、すり鉢状の獣の巣の中に、自分の頭ほどもある大きさの卵と雛を見つけたのだ。少年は歓喜し、卵はその場で殻を叩き割って食べ、雛は首を折って、手にしていたズタ袋に投げ込んだ。


栄養が取れたことで、目に精気が蘇り、足に力が戻って安心したのも束の間、この世で最も怒りに触れてはいけない動物の巣穴だったということを悟った時は、後の祭りだった。



ジェイドは息をきらしながら、身を隠している太い木陰の裏側を、小山を思わせる巨体が低い唸り声を上げながら横切っていく。サロボテウスと呼ばれる全長8メートルもの巨大草食獣だ。この灰色の固い皮膚を持った四足の獣は、目を血走らせ、少年の姿を探し続けていた。


額の上には、大人1人分ほどの大きさの角をもち、耳が異様に大きく発達している。そして何より特徴的なのが、背中に14枚の大きな扇状の骨盤が張りついており、呼吸と筋肉の躍動にあわせ、それらがゆっくりと左右に波を打っている。


サロボテウスは、その巨体と原始的な風貌に反して、知能がとても高く、ときに人間の言葉を理解しているとしか思えない反応を見せることもある、という。


ジェイドも、知識としてそれを知っていた。


そして、その巨体に見合わず、風のように早く動き回れる脚力を持っているということや、その全個体が強者としての自負心を持っており、いにしえの部族の中では、その誇り高き姿から神として崇められていた時代があったということも知っていた。また、同種相手の争いはほとんどせず、知的でおとなしい草食獣であるということもジェイドは聞いたことがある。


しかし、今目の前にしているサロボテウスは、「知的」などとは程遠い、炎のように血走った目を宿し、全身から殺気を発している。


巨躯を大きく左右に揺さぶり、大樹の幹を思わせる足が一歩進むたびに、地響きが鳴り、周囲の小動物たちがあたかも山火事のただ中にいるように四散していく。低いうなり声を喉で鳴らし、鼻息から発せられる風圧で、周囲の葉が舞い上がる。


(俺もここまでか)


ジェイドは、死を覚悟した。しかし、まだ少年ながらも何度か死線をさまよい、そのたびに切り抜けてきたこの男は、死を覚悟すると同時に、どうやってこの場を切り抜けるか、まだ諦めていなかった。木陰で冷静さを取り戻し、呼吸を少しずつしずめていく。


ジェイドは、このような目に会うことは簡単に想像できたにも関わらず、生物界において、ドラゴンに準じる強さを持つと言われている獣の巣を荒らすという、己の無鉄砲ぶりを少しだけ悔やんだ。しかし、親から子のサロボテウスの命を奪ったことに対する同情心は無かった。「弱肉強食」は、ジェイドにとって唯一のルールであり、それ以外の感傷は、すべて雑念でしかない。


ジェイドは、木々の間を縫うように移動し、獣の目線が届かない横っ腹の死角に入っていく。


動き続けながらも、いかにこの窮地を抜けるか、その方法を、頭の中で考え続けていた。



巣を荒らされた親のサロボテウスは、侵入者を粉々にするまで、諦めないだろう。荒々しい息使いが、刻を追うごとに激しさを増していく。


ジェイドは、子サロボテウスの死骸を袋から取り出すと、おもむろに肉を噛み千切って一口だけ胃へ流し込んだ。口から喉にかけ、鉄くさい味とともに肉がつたっていく。何日も森をさまよっていたこともあり、髭や髪が伸び切ってしまったその風貌は、人よりも獣のそれに近かった。ジェイドは、肉を小脇に抱えると、己自身の勘にしたがい、深い闇夜のなか、狼のように茂みから茂みへ、音もなく移動していく。



サロボテウスは、進化の過程で、独特の索敵方法を身に着けていた。背中に14枚ついている、大きな扇状の骨盤を一斉に打ち鳴らすことで、周囲の大気を振動させ、その反響を聞き分けることで、暗い闇夜の空間に存在している敵の位置を、その巨大な耳で把握していく。本来、大型の肉食獣ですら一対一では、相手にはならないほどの強さをもつサロボテウスは、夜間に、対複数の肉食獣による襲撃に備え、己と敵との位置関係を探りながら戦うために発達してきた能力だった。


「ギーン!」


一斉に打ち鳴らされた骨盤の鈍い音が闇に包まれた森全体へ広がっていく。ジェイドの下腹にもそのすさまじい振動が響いた。サロボテウスのその特殊な習性を知っていたジェイドは、同時に、恐怖によって、先ほど胃の中に入りかかった肉を、危うく戻しかけた。


(落ち着け・・・!)


しかし、ジェイドはその持っている生命力すべてを総動員して、早まる心臓の拍動を懸命に抑え、冷静さを保とうとした。


その振動音はあたかも、巣を荒らした侵入者は必ず殺す、という激しい怒りの意志が、大気を振動させながら、伝わってくるかのようだった。


さらに二回、そして三回目の振動音を鳴らした後に、ジェイドの位置を次第に補らえつつあったサロボテウスは、間髪を入れず、咆哮をあげながら、鼻の上にある大きな角を突きつけ、ジェイドに向かって、弾丸のようにまっすぐ突進をしてきた。



もはや、20分近くも逃げ回ってきたジェイドには激しい疲労があった。必要最小限の動きで、倒れ込むようにしてその攻撃をかわすと、再び、また別の木陰に音もなく移動し、身をひそめる。


刹那、凄まじい衝撃音が鳴り、しばらくすると、さきほどまで身を潜めていた樹木がメリメリと音を立てて倒れる音が、近くで聞こえて来た。


サロボテウスは、低いうなり声を発し、周囲を巨大な頭で左右をゆっくり見回すと、再びその背を丸め、骨盤同士を激しく打ち鳴らした。


「ギーン!」


ジェイドは出血により、意識が遠のきながらも、その音を聞き、また正気を取り戻す。サロボテウスは、その闇夜のなか、正確な索敵能力を用いて、再び突進を繰り出してきた。ジェイドはまたしても、必死の思いでそれをかわす。


(そろそろヤツも疲れて来る頃だと考えていたが・・・)


ジェイドは腹をくくった。獣が疲れ、隙を見て逃げ出すつもりだったが、闇の中を想像以上に、正確に繰り出してくるサロボテウスの突進をかわし続けるには、体力的に残り3回が限度といえた。それ以上続けば、こちらの身体がもたない。


漆黒の闇の中、ジェイドがサロボテウスの位置を正確に把握することは困難を極めた。しかし、少年は逃げながらも、死に追い込まれた者だけがもつ集中力からか、子供とは思えない洞察力で、サロボテウスが骨を打ち鳴らす際、かすかに弓を引き絞るような筋肉の収縮音がすることに気づいた。


昔一緒につるんでいた野盗仲間が「サロボテウスはキンニクを限界までシュウシュクし、一気にシカンすることでオウギジョウの骨を打ちならし、相手の位置をハアクする」――そういえば、そんな話を聞いたことがある。


学が乏しいジェイドにとって、言ってることは、理解しきれていなかったが、要するに、その音がする方向にサロボテウスがおり、鳴らすまでの間、自分の位置を悟られることは無い、ということにジェイドは気づいた。


ジェイドは、ある一つの作戦を思いついた。その作戦は、タイミングが合いさえすればうまくいくかもしれない。そもそもサロボテウスの生態については、わずかな知識しかないジェイドにとって、たった今思いついたこの方法に、己の命をかけるしかなかった。


疲労により、動きがやや鈍くなりはじめたサロボテウスが、息を大きく吸い、再び筋肉を収縮させていく。


ギリギリという軋んだ音がわずかに聞こえた瞬間、少年は、力を振り絞って、手にしているものを獣がいる方へ向かって投げつけた。


それは、ジェイドにとって収穫物でもある、体長30センチほどの赤子サロボテウスの死肉だった。


知能が、人ほどでないにしても、高い知能をもちあわせたこの巨躯な獣が、変わり果てた我が子を見れば、精神的に動揺をする・・・かどうかは分からない。しかし、ジェイドは子供の浅知恵ともとれる、この手にかけた。たとえ動揺までいかずとも、わずかな隙が生まれさえすればいい。


暗闇のなか、サロボテウスの動揺を確認するすべは無いが、ジェイドは次の瞬間、脱兎のごとく、隠れていた木陰から躍り出て、一か八かの賭けに出た。


「オアアアアアアアア!!」


男は声を振り絞り、獣の死角から猛然と突進して行く。そして、手にしていた短剣でサロボテウスの太い脚に切りかかった。



闇の中、ぶ厚いゴムのような、確かな手ごたえだけがあった。高密度の筋肉が詰まっている獣の足を、何度も切りつけ、刺していく、狂気に近い昂りに身を置いている当人には、もはや感情や知性といった人間的なものは無く、ただただ、滅多やたらに腕を振り回した。


全身に返り血を浴びながら、人間とも思えない形相に変わっているジェイドは、サロボテウスが頭を振り回すように突き出してくる角による攻撃を、獣じみた反射神経で何度もかわしながら、襲い掛かる。



ジェイドは、サロボテウスを倒せるなどとは微塵も思っていなかった。相手が巨体であるのであれば、まず足元から切り崩し、動けなくすればいい。そうして、身動きができなくなったところで、余力を残したまま、山の麓まで逃げるつもりだった。できるかぎり、獣から遠ざかり、夜明けまで休憩したあと、西へ少し歩いていけば、ナプール川という大きな川がある。その川沿いを、下流まで下っていけば、ミアマという小さな農村に行き当たるはずだ。


しかし、サロボテウスは、そんな甘い相手ではなかった。何度も足元にまとわりつくジェイドに対して、角での攻撃に見せかけ、横薙ぎに尻尾でジェイドの身体を払いのけて来たのだ。体力を消耗し、脚の1本をズタズタにされた手負いの獣であるにも関わらず、男は胸骨に受けたその一撃で、紙屑のように吹き飛ばされた。


「がふっ・・・!」


ジェイドが宙を舞ったのは、2秒ほどだっただろうか。高速で吹き飛ばされ、わけのわからないままに、木の枝を全身にぶつけ、地面に叩きつけられる・・・と思った瞬間だった。



ジェイドの周りは、通常時とは異なる世界にいるような、奇妙な感覚に包まれた。


自分の身体も含め、サロボテウスや、周りのすべてがゆっくりと動き、それに反して、2秒という短さとは思えないほど、自分の意識は鮮明なまま、様々な思考を巡らせることが出来たのである。


周囲は暗闇に包まれているにも関わらず、周囲でうごめている様々な小動物の気配を感じ、近くに落ちて来た一枚の葉が、わずかに左右へ揺れ動くさまをその目で捉え、その葉脈の一本にいたるまで、鮮明に数えることができた。そして、このまま飛んだら何に当たるか、無事に着地が出来たら、どう動こうか、そんなことまで考えていた。


(一体この感覚は・・・)


ジェイドは、まるで周囲との時間軸がずれてしまったかのような、錯覚を感じた。


しかし、2秒が10倍以上の時間に感じられるような、その感覚がなくなった瞬間、背中に強い衝撃が走り、全身の末端にいたるまで痛みが稲妻のように走り抜けた。口の中から鮮血が溢れ、鉄臭い匂いが充満していく。



ジェイドは吹き飛ばされ、樹木の一つに背中をしたたかに打ちつけられた。衝撃によって上体が反射的にのけぞる。


内臓も痛めたらしく、口に充満した血が次から次へと噴水のように噴き上げてくる。ジェイドの意識は遠くなり、深い闇がさらにその黒さを増していくように感じた。


急激に狭まっていく視界の端に、ジェイドは、巨大な塊が、すさまじい咆哮をあげながら、突進してくる姿をとらえた。獣は鋭利な角をジェイドに向け、そのまま真っ直ぐに近づいてくるのを感じた。


(こういうのを天罰っていうのか?)


邪魔であれば、たとえ相手が誰であれ、殺しては奪うことを繰り返してきた。そして、このまま生きていたとしても、同じことをしていくだろう。ここで自分が死ねば、何人の人間が手を叩いて喜ぶだろうか。男は、走馬灯のように走る自らの人生を省み、自嘲じみた笑みを薄く浮かべた。


男は身をよじることで、せめて直撃を避けようとしたが、もはやその身体に力が入ることはなかった。


ジェイドは、何か言葉をしぼり出そうとしたが、その試みも空しく、少年の意識は深い闇の中に消えていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ