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わたしを迎えに来た弟

 わたしの視界に樹と一緒に遊んでいた公園が目に入った。樹の家、すなわちわたしと彼の住む家から五分足らずの場所にあり、よくその公園で日和と三人で遊んでいたのだ。


 わたしと日和は母親の再婚前、公園の脇にある細い道を行った先にあるアパートで暮らしていた。もっともそのアパートは、今は新しいマンションへと変身し、その影も形もない。


 わたしは何かにかられるように、公園の中に入る。そして、鞄を膝の上に置き、道行く人を何の意図もなく眺めていた。


 親しそうに歩いている違う学校の男女を視界に収めた。どういう関係かは分からないが親しそうに話をする二人を見て、利香の忠告が確信へと変わる。


 樹の言動に友達に対する反応をしていたらわたしと樹の関係も目の前の二人のようになっていたのかもしれない。今までの言動を後悔する気持ちが、わたしをこの場に押しとどめる。


 自分に非があるなんて考えたこともなかったのだ。

 家に帰って樹に会ったら、何をどういえばいいのだろう。


 心のどこかで樹が目の前を通りかかり、わたしに気づき「千波」と呼んでくれるのを期待していたのだと思う。


 だが、わたしの願いに反発するように、太陽が徐々に傾き、公園の前の道の人通りも多くなる。

 わたしのある種の期待は外れていたようで、樹が公園の前を通ることはなかった。

 そんな他人任せの気持ちが、今の樹との微妙な関係を産んだのかもしれない。


「何やっているんだろう」


 わたしは唇を噛むと、天を仰いだ。


「今日、英語の宿題が出ていたんだ。古典も」


 郷愁の世界から現実へ戻ると、これからの予定を頭の中で組み立てていく。

 だが、一番にしないといけないのは、樹に謝らないといけないことだ。

 彼の冗談は笑えないものが多かったし、それを全面的に許そうとは思わない。


 わたしは両親が再婚した時、樹のお姉さんになりたいと思ったのだ。

 その気持ちは今でもあると思う。


 だから、彼のお姉さんになるために、今度は自分で動こう。

 今までみたいに他人任せではなく。


 ただ、問題はどう謝ればいいかだ。

 今までごめんなさいといえば、彼は理由を聞いてくる。歩み寄ろうとしなかったと言えば、彼ははねのけるだろうか。それとも受け入れてくれるだろうか。


 答えの出ない問いかけを心の中で延々と繰り返していたとき、砂を踏みしめる音が聞こえた。

 水色のシャツにジーンズ姿の樹が、公園の中に入ってきたのだ。

 思いがけない対面に、わたしがまごついていると、彼はわたしの傍まで歩み寄ってきた。そして、わたしの腕をつかんだ。


「何をやっているんだよ。こんなところで」

「考えごとをしていたの」


 いろいろ考えたうえで、そう返答する。


「家で考えればいいだろう。何もこんなところで」

「わかっているよ。そろそろ帰る」


 わたしはふっと息を吸い込んだ。

 きっと今なら謝れると思ったのだ。

 樹の視線がわたしからそれ、公園の中を泳ぐ。


「昔、樹とここでよく遊んだよね。なんか懐かしくなっちゃった。いつも通っていたのに変な感じだね」


 その言葉に樹が目を見張る。

 わずかに頬が赤くなった気がした。

 樹がわたしの腕を引く。


「日和も心配しているから、早く帰ろう」

「日和?」

「日和が言っていたんだよ。お前が公園でぼーっとしていたと。だから、わざわざ来てやったんだよ」

「迎えに来てくれたの?」


 思いがけない言葉にとっさにそう反応する。樹の頬がより赤く染まる。


「お前があまりにバカで、見知らぬ人についていくかもしれないから、わざわざ来てやったんだよ」


 その乱暴な口ぶりとは違い、樹の表情はどこか柔らかい。

 今まで樹の言った言葉ばかり気にして、その奥にある表情を気に留めたことはなかった気がする。利香のいったことを実感した。

 なぜか分からないがわたしに対してだけは口が悪い。だが、それがわたしの彼への態度の裏返しであれば、ありえないことでもない。

 わたしは深呼吸をして、勇気を補てんした。


「今までごめんね」

「何が?」

「樹に対して愛想が悪かったなって思ったんだ。わざと可愛くないことを言ったりもして」


「そんなの慣れたよ」

「わたしね、樹にずっと嫌われているんだと思っていた」


 彼は驚きを露わにわたしをみる。


「別に嫌ってなんかいない」

「利香にもそう言われた。でも、引っ越したとき、樹はわたしのことをブスと言ったから」


 樹は居心地の悪そうな顔でわたしを見る。


「責めているわけじゃないの。わたし、樹のこと大好きだったんだ」


 その言葉に樹の顔が真っ赤に染まった気がした。でも、辺りを染め上げていく夕日がそう見せたのかもしれない。


「だから、その反動だと思う。樹のお姉さんになれてすごく嬉しかった。でも、ブスだって言われて、姉じゃないと言われて、すごく悲しかったんだと思う。日和やお母さんには優しいのに違いを感じていたの」

「あれは言葉のあやで、別に嫌ってなんかいない」

「そっか。よかった」


 これで少しは歩み寄れたのだろうか。

 その答えはすぐには分からないが、樹の優しい表情がその答えのような気がした。

 わたしはほっと胸をなでおろす。

 これからもっとよい関係を樹と築いていけたらいい。


「でも、樹は悪戯っ子だよね。昨日も意味もなく、あんな嫌がらせをするんだもん」


 いつの間にか真顔に戻った樹が呆れ顔でわたしを見る。


「お前、あれが嫌がらせだって思うわけ?」

「違うの?」


 あんなことそうでなければしないはずだと思ったためだ。

 樹は頭を抱える。


「何か面倒になってきた。嫌がらせでいいよ」

「違うなら、何?」


 彼は冷たい目でわたしを見た。


「バカの相手をすると疲れる」

「樹に比べるとバカかもしれないけど、そんなにバカじゃないよ」

「どっちだよ」

「バカじゃない」


 その時、樹の手が伸びてきて、わたしの頬に触れた。

 心臓の跳ねを感じて樹を凝視する。

 だが、次に襲ってきたのは頬の痛みだ。

 彼はわたしから手を離す。


「樹」


 わたしは頬を抑えて彼を睨む。


「千波のそんな顔、見るのが好きなんだよ。でも、これから俺も気を付けるよ」


 そんな顔って樹にからかわれて怒った顔なんだろうか。それはそれで複雑な気分だ。せめて笑顔とでも言ってくれれば返しようがあるのに。

 彼はわたしの腕を引く。わたしは強引にその場で立ち上がる。

 そして、彼に引っ張られて公園を後にした。


 彼は公園を出ても、わたしの手を離さない。

 家族になる前はよくこうしていたっけ。

 昔は当たり前だったことが、今はくすぐったい。

 わたしと樹が兄弟だと知らない人が見たら、誤解されてしまいそうだ。

 仲直りできたと思ってもいいんだろうか。


 こんなに簡単ならもっと早くに気持ちを打ち明けていればよかったと思う。

 その時、樹の髪が風に揺れ、中学生の時の走る彼の姿を思い出していた。

 わたしは樹を好きだと思う機会がたくさんあった。


 その一つが走っていた彼の姿だ。樹の髪は細く、今みたいに陽の光に当たれば、茶色く煌めく。それを見るのが何となく好きだったのだ。


「部活断ったんだね」

「まさか、説教? そんなにあの男に気にいられたいわけ?」


 わたしは樹の言葉に首を傾げた。

 樹はわたしの気持ちに気づいたのか、眉根を寄せたが、それ以上は何も言わない。


「樹が断りたいなら断っていいと思うよ。ただ、わたしが勝手に陸上に未練があるのかなと思ったの」

「未練、か」


 樹が前方を仰ぐ。


「もともと中学までって決めていたんだ。それに俺は気付いちゃったんだよな。中学最期の大会の時に」

 彼はそこで言葉を切る。

「何を?」


 彼の最後の大会は県大会まで進み、そこそこの成績を残していたのだ。


「俺は走るのは好きだけど、負けたくないとまでは思わないんだよな。競技として走るのは何かが違うと思った」

「そっか」


 わたしは思わず樹の言葉を聞いて笑う。 

 半田君が聞けばぜいたくな悩みと言いそうだ。

 だが、その言葉は彼らしい。

 彼は勉強も運動もトップクラスだが、負けず嫌いというわけではないようだ。

 他人と比較してではなく、自分のために頑張っている。

 何でも持っているからこそ、そうした闘争心がわいてこないのかもしれない。


「何だよ」


 彼は頬を赤らめ、わたしを睨んだ。


「樹は樹なんだなって思ったの」

「そんなの当たり前だろう。バカじゃねーの?」

「部活のこと、しつこく言ってごめんね。走っている樹のことが好きでかっこいいと思っていたからだと思う」


 樹は虚をつかれたのような顔でわたしを見る。


「かっこいいって」


 走っている時と限定したのがまずかっただろうか。

 彼くらいになると、自分の顔が優れている実感があるだろうから。


「もともとかっこいいけど、なんか輝いていると思ったもの。もちろん、大会での成績がよかったのもあるよ。でも、本当に好きなんだろうなと感じたんだ」


 樹が目を見張る。あきらかに同様の走る目をしたのは、初めてのような気がした。

 だが、彼は急にわたしの手を離す。


「お前、さっきから好きって連呼するなよ」

「だって本当のことだよ」

「もし、俺が昨日止めなかったら、どうした?」


 彼が何のことを言っているのかすぐにわかる。恐らくキスのことだ。


「わたしは。あの」


 嫌じゃないと思う。でも、嬉しいかと言われたらよく分からない。

 わたしは樹のお姉さんになりたいとずっと思っていたのだ。

 キスをしたら、お姉さんではいられなくなる。血のつながりがないから、尚更だ。


「お前はやっぱりバカだよ。分かってない。だから、俺に好きと二度と言うなよ」


 さっき頬を染めた幸せそうな彼を見た反動だろうか。そう呻いた彼の表情がやけに、切なそうで、苦しげに見えたのだ。

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