わたしのことを笑顔で語る弟
わたしたちは家を出ると短く息を吐いた。
今日、樹とわたしと日和の三人で一緒に出た。
お母さんはいつもわたしたちより遅く出る日和が一緒に出掛けたのを見て、「珍しいね」とだけ言っていた。
本当は写真のことも言いたかったのか、目が何かを訴えていたが、お父さんがいる手前、言い出せなかったようだ。
日和は鼻歌を歌いながら、軽い足取りで歩く。
「よく平気だね」
「楽しいじゃない」
コート姿の日和は明るい笑みを浮かべた。
わたしが彼女の立場だったら、笑えなさそうだ。
彼女は鞄に加え、学校指定の補助バッグを持っている。といっても今日は特別荷物が多いわけでも、体育があるわけでもない。そこには日和が通っている高校の制服が入っているのだ。
彼女がコートの下に来ているのはわたしの高校の制服だ。ただ、冬服は一着しか持っていない。そのため、彼女は夏服のスカートに長袖のシャツにセーターという十二月にあるまじき格好をしていたのだ。防寒自体はマフラーとコート、インナーで十分だったのだろう。
写真を取り返そうと口にした彼女は、翌週の月曜日早く学校に行こうと提案してきた。
わたしは最初意味が分からなかった。
そんなわたしに日和は丁寧に説明してくれた。
わたしと樹の写真を家に入れたことで、彼女は今度は学校にばらまくと判断したようだ。
そのため、翌週は早めに学校に行き、彼女の靴箱か校門を見張っておくようにというのが日和の考えのようだ。
彼女の考えは大げさなような気がしないでもない。
だが、家に写真を入れるという行動をとったと考えるとゼロだと断言することはできなかった。
そこまでは理解を示したが、彼女はこともあろうか自分も行くと言い出したのだ。
わたしがとめてもきくわけがなく、彼女はクローゼットからわたしの夏服を勝手に取り出し、今に至った。
「学校、遅刻したらどうするの?」
「大丈夫。行く途中で気分が悪くなったと先生に言うよ」
彼女は満面の笑みで答えた。
親や先生にばれたらかなり大変そうだが、彼女ならそつなくこなしそうとは思ってしまう。
「今日、写真をばらまかなかったら?」
「明日も学校に行く」
わたしは頭を抱えた。
「こいつに何を言っても無駄だよ」
樹は呆れ顔で日和を見る。
「さすがお兄ちゃん、よく分かっているね」
日和の言葉に樹は複雑そうな表情を浮かべた。
恵美は本当にそこまでしたのだろうか。
わたしを脅迫した時点で好感度自体は低いが、彼女を犯人だと断定するのは、やはり引っかかる気持ちはあった。
「もし、何もなくても、人が多くなってきたら、学校に行くから大丈夫だよ」
「分かっているけど」
わたしは言葉を飲み込む。
日和は意外そうな顔でわたしを見た。
「その子が犯人じゃないと思っているの?」
「そうじゃないけど、そこまでするのかなって」
「お姉ちゃんを蹴落として、樹の彼女になりたいんじゃないの? お姉ちゃんや樹を脅迫する時点でアレな子だと思うよ」
「その子、佐々木春奈という子の応援はしていたみたいなんだ。だから彼女になりたいわけじゃないと思う」
わたしの中で引っかかっていたのはそれだ。
それなら、彼女はあんなに可愛い佐々木さんを応援するようなことを言ったのだろう。
佐々木さんの恋を実らせるためにわたしと樹を別れさせようとした?
そう考えるが腑に落ちない。
話を聞く限り、そこまで二人は仲がよさそうには感じなかった。
「お姉ちゃんは甘いよね。そんなのその子相手なら自分にもチャンスがあると思ったんじゃないの」
「ものすごく可愛い子だよ。客観的にはわたしのほうが勝ち目があると思う」
何かを言いかけた樹を日和が制した。
「樹はお姉ちゃん以外には興味ないもの。それなりに可愛い子なら目移りするかもしれないし、お姉ちゃんと樹を引き離せると思ったんだろうね。そのあと、その子から樹を奪えばいいってね。そもそもお姉ちゃんから樹を奪えるような子なら、その子にも勝ち目はないだろうけど。それに、樹を嫌っていてばらまくなら、もっと早い段階でばらまいているはずだよ。ここまで引っ張ったってことは、樹からそう言われて多少なりともショックだったのと、もうこうしないと勝ち目がないと思ったんだと思う」
「そんなの、すごい迷惑なんだけど。俺は千波のことだけが好きなのに」
樹は難しい顔をしていた。
「今の段階は仮定でしかないけどね。樹はこれからも注意したほうがいいよ」
そういうと、日和は大げさに肩をすくめた。
わたしたちが交差点に到着すると、見慣れた姿を見つけた。
利香だ。
彼女はわたしたちに気付いたのか、手を振った。
わたしたちは利香のところまで行く。
「おはよう。やっぱり日和ちゃん来たんだね」
利香は日和をみて、苦笑いを浮かべた。
利香にも写真のことを伝えると、彼女も協力すると言ってくれたのだ。
もっとも恵美とのやり取りを黙っていたことは怒られたけども。
「お姉ちゃんたちが困っているんだもん。放っておけないでしょう」
「まあね。でも、日和ちゃんも本当にお姉ちゃん子だよね。樹君には負けるけど」
「違うって。お姉ちゃん、ぼーっとしているから放っておけないだけだよ」
日和は否定するが、利香は含みのある笑みを浮かべていた。
わたしたちは学校に到着すると一息つく。
学校が始まる一時間ほど前で、まだほとんど人気がない。
「わたしと利香さんは門のところを見張っているから、お姉ちゃんたちは昇降口のところででも待っていてよ」
「大丈夫なの? わたしたちも門のところで待つよ」
「大丈夫。携帯は音を切っておいてね。彼女を見かけたらメールするよ」
日和は得意げに微笑んだ。
学校の大まかな見取り図は教えたが、何を考えているのだろうかはよくわからない。
わたしと樹は昇降口に到着して、靴を履きかえる。
隠れられる場所として、わたしたちは階段を選んだ。
そして、わたしたちは階段のところで一息つくと、天井を仰いだ。
「本当にあの子なのかな」
「分からない」
樹は複雑そうだ。
自分に対する恋心から生じた行動に、少なからず抵抗があるのだろう。
わたしたち一階の階段の裏で待つことにした。
そこは物陰になっていて、生徒が早めに登校したとしても話をしなければ姿を見つけられることはないためだ。
携帯が光り、日和からのメールが届いた。
しばらくして靴箱の開く音がした。
再び靴箱が閉まる音がし、足音が聞こえる。だが、急にその足音はとまり、階段に近づいてくることはなかった。
わたしと樹は目を見合わせ、わたしが荷物を置き、昇降口を伺うことにしたのだ。
靴箱の傍にある掲示板に立っていた人を見て、どきりと息を呑む。
そこに立っていたのは田中恵美だ。
彼女はあごに手を当てると、鞄を開け、透明なクリアファイルを取りだしたのだ。
それに挟んであったのは光沢のある用紙に印刷された写真のようなもので、彼女はそれを掲示板の隅に刺してあった画鋲で丁寧に貼っていく。
はっきりとは見えないが、日和の話の影響なのか、それをわたしと樹の写真なのだと確信していた。
わたしが樹を見ると、彼は頷いた。
わたしは彼女のところまで忍び足で近寄り、写真を確認した。
彼女は振り返り、わたしを視界に収めると顔を引きつらせた。
わたしは彼女の腕をつかんだ。
「あなたが家のポストにこの写真を入れたんだよね」
彼女の顔が引きつっていた。
彼女は手にしていた写真を引くと、くしゃっと丸めポケットの中に入れた。
「そんなの知らない。言いがかりよ」
「もう二度とこんなことしないで。写真も返して」
「だから、知らないと言っているでしょう」
樹は短くため息をついた。
その様子に恵美の表情が引きつる。
「写真をばらまこうが、何しようが、俺は千波以外は好きにならないよ。だから、もうこんなことやめてくれ」
樹はそううめいた。
彼女の顔が苦痛にゆがむ。
「あなたたちの両親が知ったらびっくりするんじゃないの?」
「両親にも話をしたし、理解はしてくれた。学校で広まっても構わない。だから言いたいなら言えばいいよ。写真もばらまけばいい。俺が千波を絶対に守るから」
恵美は樹を睨んだ。
「こんな女のどこがいいのよ」
「全部」
樹は即答し、笑顔を浮かべた。
その言葉に彼女の視界が滲んだ。




