わたしと約束をした弟
わたし達は樹の部屋に入る。わたしの部屋だと日和の部屋が隣なのでなんとなく避けてしまったのだ。そもそも日和がわたしと樹の話に興味を持つとは思わないが。
いろいろ文句を言いたかったのに、いざ樹の部屋に入ると、お互いに意識してしまったのかしんと静まり返ってしまった。
だが、勇気を振り絞り、問いかけた。
「わたし、樹の彼女になっていいの?」
「他に誰がいるんだよ」
「そうだけど」
「俺が好きなのは千波だけだよ。昔も、今も、これからも」
樹はそういうと、わたしの右頬に軽くキスをした。
「今日はキスしすぎだよ」
わたしが困った顔をして後退しようとすると、樹がその手をつかんだ。
「嫌?」
「嫌じゃないけど、恥ずかしい」
「そのうち慣れるよ」
そういうものなんだろうか。
幸せだったが、不意にわたしの心に疑問も湧き上がってくる。
「樹はわたしが好きだと知る前から、何回もキスしてきたけど、拒んだらどうしたの?」
「冗談ってことにして無理やり片づけたかな」
樹ならやりそうだと思ってしまう。
「でも、これからは拒まれないと分かったから、安心したよ」
彼は身を乗り出して、わたしとの距離を縮めてくる。
わたしが思わず後退すると、樹は笑った。
冗談だったんだろうか。
さっきキスをしてきただけに冗談で片づけるのは難しい気がするが。
本当に意地悪だと思う。
わたしは頬を膨らませたが、樹と目が合うとお互いに笑っていた。
その笑いも不意に途切れる。
わたしと樹は兄弟で、血の繋がりはないが結婚は出来る。
だが、親から反対されるような恋愛はしたくないという気持ちはあった。
わたしたちのことを何よりも考えてくれた両親に対してだからこそ、そう思う。
わたしの親に関して言えば、日和の言っていたことが真理だろう。
二人はわたしたちが隠れて付き合っていても、その事実にさえ気づかなさそうだ。
「お父さん達に言わないといけないのかな。いつか」
幼い頃から父親でいてくれた彼は、そして樹の母親でいた彼女は今のわたし達のことをどういう目で見るだろうか。受け入れてくれるのだろうか。
そのわたしの頬を無骨な指が這う。
「反対されるかもね。千波のことを娘のように思っているから。特に父さんがね」
「おじさんが? どうして?」
「自分の娘に手を出した男ってことでさ。血のつながりはある分遠慮もなさそうだし」
樹のお父さんはわたしと日和を本当の家族のように育ててくれた。そんな彼にとって、自分の子供同士の恋愛はどんなものなのか想像がつかない。意外とあっさりいくかもしれないし、困難を極めるかもしれない。
両親の愛情が深ければ深いほど、単純には行かないのかもしれない。
それは嬉しいと同時に複雑だ。
贅沢な悩みだとは分かっていた。
「これから苦労をかけるかもしれないけど、俺は千波が大好きだし、ずっと一緒にいたいと思っている。だから、一緒にいてほしい」
彼はそういうと、わたしの上に手を重ねた。
わたしは頷くと、そっと唇を噛んだ。
わたしも樹以外の人をここまで好きになるのは考えられない。
その先にどんなに大変なことが待っていようとも。
わたしたちはそれからいくつかのルールを作った。
わたし達は今まで通り、外では兄弟として振舞うことを約束した。
その最たる原因は親にばれないためだ。
いずれ言わないといけないと分かっていても、まだ高校生のわたし達にはまだ許してもらうには大変すぎる。
ずるいかもしれないけど、せめて大学に入るまでは親に黙っておきたいと思ったのだ。
黙っているとは言ったが、利香を始めとし、一部の人には話すことを決めた。
もちろん、他の人には言わないと断言できる人限定だ。それはお互いが判断することで一致した。
今更な気もするが、日和にも樹と付き合うようになったと伝えておいた。
「わたしは構わないけど、リビングとかでいちゃつくのはやめたほうがいいよ」
日和はその話を聞いた後、腕組みをしてそう告げる。
「気をつける」
日和からは樹と付き合い続ける限り、からわかれ続けそうな気がしないでもない。
それが一生続けば恥ずかしいけど、幸せだ。
日和が妹で本当によかった。もっと生真面目な性格をした妹だったら、今頃大事になっていたんだろうか。
「でも、すっきりした」
彼女はニッと笑う。
「これで樹君を紹介してと言われても彼女がいるからで片付けられそうだもの」
「何、それ?」
「お姉ちゃんはなかったの? わたし、中学の時から周りにものすごく言われていたんだよね。樹君を紹介してってね」
「あったけど、高校に入ってからはそんなになくなったかな」
だが、ゼロではない。
恵美もその一端だろう。
「だから、樹に早く彼女ができてほしかったんだよね。お姉ちゃんもまんざらじゃなかったみたいだし、一石二鳥だね」
「わたしと樹が付き合っていることは誰にも言わないでほしいの」
「どうして?」
「ばれて別れろと言われたら、困る。せめてもう少しは秘密にしておきたい」
「うちの親だとやりかねないね。特にお父さんがやばそう」
「樹もそう言っていたよ」
わたしはそう苦笑いを浮かべる。
受け入れてほしいという気持ちと、難しいのではないかという気持ちが葛藤して、やっぱり後者なのだろうかと、軽く気落ちをしていた。
「黙っているし、応援はしているよ。樹には彼女ができたけど言えないで問題ないでしょう」
「ありがとう。でも、わたしと樹が付き合って平気なの?」
「どうして?」
「義理でも兄弟だし、抵抗ないの?」
「わたしにとってはお兄ちゃんの樹より、お姉ちゃんを好きな樹のほうが先だもん。わたしは気にしないよ。むしろ、樹が思い余って犯罪行為に走る危険性がなくなってよかったよ。お姉ちゃんに彼氏でもできようものならと内心ひやひやしていたんだよね」
彼女は冗談とも本気ともとれるようなことを平然とした顔で言い、大げさに肩をすくめた。
わたしは一応お礼を言うと、日和の部屋を出る。
樹の部屋をノックした。日和との会話を伝えるためだ。
樹がドアを開け、わたしを迎え入れてくれ、日和との一連の会話を伝えた。
樹は苦笑いを浮かべながらわたしの会話を聞いてた。
わたしと樹がずっと一緒にいられる、この時間がずっと長く続くことを願っていた。
翌日、わたしは放課後、亜子と利香を呼び出し、樹と付き合い始めたことを伝えた。
「よかったじゃない」
利香も亜子も驚いたようだ。だが、わたしと樹が付き合うようになったことより、ついにそうなったのかということに対する感嘆の気持ちがなによりも先行していたようだ。
「一時はどうなることかと思ったけど、うまくいってよかったね」
「うまくいったのか分からないけど」
親もこのことを知らないし、まだ未解決の問題も多いはずだ。
わたしも樹もお互いの関係を長く続けたいとは思っていた。
付き合うことでまた別のことが見えてきて気持ちが冷めたりはしないのだろうか。
「大丈夫だよ。少なくとも樹君からは別れるとか言いださないだろうね」
利香はわたしの気持ちを見透かしたかのように言葉を綴る。
「付き合ってみて嫌気がさすかも」
「そういうタイプが十年近くも片思いを続けないと思うよ」
利香はそう背中を押してくれる。
そうだったら嬉しい。
わたしから樹を嫌いになることは多分ないだろう。
彼のいいところも悪いところも、ある程度知っているし、普通の恋人のように何もかもゼロに近い状態からとは少し違うと思いたかった。
「このことには誰にも言わないでね」
「分かっているよ。約束する」
利香の言葉に亜子も頷く。
半田君には昼休みに話をしていた。樹の名前を出さずに好きな相手と付き合うことになったと言ったら、彼は笑顔でおめでとうと言ってくれた。
「そろそろ行かないと」
亜子がわたしの肩を押す。
「樹君をあまり待たせるのも悪いもの」
亜子の視線の先にはベンチに座る樹の姿がある。
「また明日ね」
わたしは二人にお礼の言葉を綴ると、樹のところまで駆けて行った。
わたし達は学校を出ると、家へ帰ることにした。
付き合っていると言っても、外では普通にしようと決めたからか、今までと大きな変化はない。
だが、心臓はいままでの何倍もドキドキしていた。
信号が変わり、わたしと樹は足を止めた。
その時、樹が少し照れながら話しかけてきた。
「今週末、一緒にどこかに遊びに行こうか」
「いいけど、どこに行くの?」
「千波と一緒ならどこでもいいよ」
一見なんてことはない台詞だが、両親に聞かれると危険な台詞だ。
わたしが樹をいさめると、彼はごめんと口にした。
付き合う前より神経質になっている気はするが、注意をするに越したことはない。
彼をいさめながらも、今のこの時間が暖かくてくすぐったかったのだ。いつかどこででも手をつなげる日が来てほしいと願いながら目を細めた。




