わたしの告白された弟
翌朝、樹は無言で家を出る。わたしも彼についていくように家を出た。
別々に出なかったのは、親に心配をかけさせないためだ。
なんで本当のことを言ったのに顔を合わせないんだろう。
樹だって本当は他の子とデートしたりしている。事実を忠実に述べただけだ。
何度心に言い聞かせても、わたしの気持ちは重くなる一方だった。
その時、背後から背中を叩かれる。
珍しく、セーラー服を着た日和の姿があった。
彼女はわたし達よりも出て行くのが少し遅い。
樹は日和をちらりと見ただけで、淡々と歩いていく。
少し遅れて歩くわたしに、日和はささやいてきた。
「喧嘩でもしたの?」
「喧嘩みたいなのならいつもしているけど、樹の気持ちなんてわたしには分からないもの。昔から」
「そっかな。わたしは樹の気持ちなんて、顔に書いてあるも同然だと思うよ。むしろ、お姉ちゃんの気持ちが分からない。でも、わたしに取ってみたら、お姉ちゃんの気持ちも赤子の手を捻るようなものだけどね」
「それって結局、わたしと樹の気持ちはわかりやすいということだよね」
「そういうこと。お姉ちゃんも樹も分かってないよね」
日和はそう笑うと、わたしの背中を叩き、樹に声をかけると、信号まで駆けて行く。
わたしは日和を見送りながら、彼女の言葉の真意を考えていた。
分かっていないって何が分かっていないんだろう。
樹のことだろうか。
あんな不可解な行動を理解できる人がいたらそれはそれで奇跡に近い。
日和はきっと彼と仲がいいからこそ、理解できるのだろう。
学校の近くに来た時、澄んだ声がわたしの耳を霞めた。
振り返ると小柄なのにも関わらず、細身ですらっとしたロングヘアの女性がこちらにかけてきたのだ。
彼女の頬は冬の寒さのためか、赤く染まっている。
「藤宮君、おはよう。話があるの」
あの佐々木という少女だ。彼女は思いつめたような真剣な目で樹を見つめている。
樹がやっとわたしと視線を合わせた。
彼女はそのタイミングでやっとわたしがいるのに気付いたようだ。
彼女の頬が赤く染まる。
「お姉さんと一緒だったんだね。また、後からで良いよ」
「構いませんよ。わたしは先に行きますので」
「姉さん?」
樹が驚いたようにわたしを呼ぶ。
わたしは振り返ると、微笑み、じゃあね、と告げた。
だが、今度はわたしが樹とは決して目を合わせなかった。
樹が彼女をどんな目で見ているのか気づいてしまえば、わたしの失恋が決定的なものとなる気がしたのだ。
もう思いが届く可能性がゼロに近いのにも関わらず、わたしは宝くじにかけるような可能性に浸っていたのだろう。
自分の馬鹿さ加減に笑いが出てきそうになる。
だが、わたしは二十歩も歩かないうちに足を止め、振り返っていた。
彼女の潤んだ瞳が頭から離れなかったのだ。
樹とあの少女が横道にそれ、すぐに姿が見えなくなる。
わたしは何かにかられるように、二人の後を追っていた。
何を考えていたのか分からない。自分のみっともなさを自覚していても、そうせずにはいられなかったのだ。
すぐに二人の姿を再び見つけた。
二人は近くの公園に入ると、公園の隅にあるベンチに腰を下ろした。
彼女は寒いのか、何度も手に息を吹きかける。
そして、真剣な目で樹を見据えた。
「ごめんね。朝、呼び出して」
「いいよ。別に。話って何?」
樹はいつもと同じように淡々と話をしていた。
そんなことにほっとするわたし自身に嫌悪感を覚えていた。
「わたしが少し前に告白したの、覚えているよね。わたしとの関係を、少しは前向きに考えてくれた?」
少女の迷いなき懇願に、わたしは二人の後をつけたことを後悔していた。
わたしは自分であとをつけたのにも関わらず、少女の告白を聞きとげるのを待ち、そそくさと学校に向かったのだ。
その日は憂鬱な一日を過ごした。
その日の授業の内容は頭に入ってこず、樹はどう返事をしたのかばかりが気になっていた。
「はい」でも「いいえ」でも、本人たちが言いふらさない限り、二年のわたしのところまでは話が届かないだろう。
樹に彼女ができたという話題が聞こえてこないことにホッとしそうになる心を自らで戒めた。
授業が終わると樹と待ち合わせをしている昇降口に向かう。だが、階段をおり、昇降口にたどり着いたわたしの足は自ずと止まる。
わたしの視界には樹と佐々木さんの姿があったのだ。
一緒にいる二人は、その場だけスポットライトが当たったように輝いて見えた。
美男美女ってここまで映えるんだと今更ながらに感じるほどに。だが、彼への気持ちを過去にできていないわたしにとっては、今の状況が辛すぎる。そして、今朝あんな告白をして笑っているのなら、樹は前向きな返事をしたのだろう。
その時、樹と目が合う。
わたしは目を逸らすと、靴を履き替え、そのまま昇降口から外に出た。
走り出そうとしたわたしは急に腕をつかまれた。
振り返ると、怪訝な顔をした樹が立っていた。
「目が合ったのに、何で逃げるんだよ」
「仲が良さそうだったから、邪魔したら悪いでしょう」
「仲がいいって」
苦い表情を浮かべた樹を心の中であざ笑う。
「今朝、告白されていたよね」
わたしは精一杯明るい声をでそう告げる。
「聞いていたんだ」
「ごめん。つい気になって聞いちゃった。だから、邪魔しないように先に帰るよ」
「邪魔って」
樹は呆れたような顔でわたしをみる。だが、彼は口元を歪めた。
「美人だし、頭も良いし、誰かさんみたいに意味不明な行動はとらないから、断る理由なんてないよな」
「なら付き合えば?」
「お前がどうしても付き合わないでほしいなら、断ってもいいよ」
「別にいいんじゃない? 彼女くらい。樹もシスコンを卒業して、彼女くらい作ったほうがいいよ」
ショックを受けながらも彼を突き放した。
わたしが断ってほしいといえば、彼はきっとみじめなわたしを笑うだろうと思ったのだ。
そして、姉弟であるわたしと彼の結末はこれでよかったのだと痛む心に言い聞かせた。
好きになってもどうしょうもない相手なのだ。
さすがに二股、三股でもかけようなら姉として注意すべきだと思ったが、好きな相手と付き合うことを拒む権利もない。彼への気持ちが蘇り、溢れそうになるが、受け入れるべきことだと考えたのだ。
「じゃ、そういうことだから」
わたしは彼の手が離れたのを見逃さず、その場を立ち去る。
彼のわたしへの返答は、暗に彼女と付き合うと告げていた。
食事の時もわたしは意図的に彼と目を合わせようとしなかった。
彼のお姉さんになりたかった。
兄弟になって、彼女ができたと聞かされて、からかえるような関係を望んでいたはずなのに、そんな関係を、台無しにしてしまったのもわたしだったのだ。
わたしは部屋に戻ると、行き場のない気持ちを抱えて泣いていた。
わたしと樹の微妙な関係とはお構いなく、半田君の誕生日の計画は着々と進行していた。
半田君へのプレゼントはケーキで決定した。その日集まるメンバーの希望を聞いたうえで、チョコレートケーキになり、予約も済ませていた。
樹と佐々木さんは付き合っていることを隠しているのか、樹が返事を保留しているのかは分からないが、二人が付き合っているという噂は流れていても、事実としては伝わっていなかった。わたしも幾人かに真相はどうなのかと聞かれたが、分からないと答え続けていた。それは嘘ではない。
樹と登下校を一緒にしていても、佐々木さんの話は一切出てこなかった。
彼女の気配を感じることさえもなかった。
わたしは樹と仲直りができないまま、半田君の家に行く日を迎えた。




