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わたしを起こしに来た弟

 十月に入ると、夏の名残りが徐々に消えていき、過ごしやすい時期になってきた。夏から秋にかけてもっとも過ごしやすい時期だ。


 でも、わたしは過ぎ去る夏を懐かしむよりも、過ごしやすい秋を歓迎するよりも樹のことばかり気にしていた。

 気持ちを自覚してからは、その気持ちが一段と強くなり、時間があれば樹のことを考え続け、わたしの思考の大部分を樹が占めはじめていた。


「おはよう」


 まだ、夢のまどろみに浸かっていると、聞き馴染みのある声が耳に届く。

 わたしが目を開けると、目の前にあったのは笑みを浮かべた樹の姿。


「樹?」


 わたしは思わずいつの間にか体の下になっていた布団を胸元に手繰り寄せ、樹から若干目を逸らした。

 彼はわたしの動揺にものともせず、目を細めた。


 ものすごく今、だらしない格好で寝ていた気がする。よりによって何で今日何だろう。もともと寝起きがわるいほうではないのに。

 体全体が熱を帯び、言いようのない恥ずかしさがわたしを支配する。


「起きたし、着替えるから出ていってよ」

「分かった。寝癖も直さないとね」


 樹はわたしの乱暴ないいようにものともせずに、笑顔でそう言うと、わたしの前髪に触れる。

 わたしは布団にうつった影を見て、寝癖ができているのに気付いた。

 心臓が嫌な意味でドキドキし、体が余計に熱くなってきた。


「寝起きの千波をからかうのも楽しいね」


 樹の手がわたしの頬に触れ、強制的に樹を見るはめになった。

 彼はわたしを魅了する瞳にわたしの体をすっぽりと収める。


「遅刻するから、離して」

「少しだけ」


 樹の指先がわたしの頬をゆっくりとなぞり、その反動でただでさえ寝起きで乾いていた喉が干上がってしまった。

 口の中がざらざらし、わたしの心臓が寝癖を見られたショックと、樹の手によってその鼓動の回数を終えなくなるほど、何度も鳴り響いた。


 すっと樹の手が頬から離れ、彼が立ち上がる。

 わたしは物足りない気持ちで樹の姿を目で追っていた。


 だが、再び彼の顔を視界に収める前に、わたしの部屋のドアが開く。そして、既に制服姿の日和が顔を覗かせていた。


「お姉ちゃん? 遅刻するよ」


 彼女は部屋の中にいる樹を見て、小さく声を漏らした。

 わたしは樹を追おうとした視線で妹を見てしまい、気まずさから、布団を口元にまで引っ張り上げた。


「樹が起こしたのか。なら、大丈夫かな。あと十分で出ないと遅刻だよ」


 わたしは声にならない声をあげ、枕元の携帯を覗く。

 日和の言った通り、あと十分以内にでないと全速力で走るはめになる。

 彼女は早く準備をしないとと言い残し、ドアを閉めた。


 彼女はわたしと樹がキスをしたりする関係になっているとは考えてもみないのだろう。

 それは当たり前だと思う。わたしと樹は兄妹なのだから。


「じゃあね」


 樹は少し膝を曲げると、わたしの額に唇を重ねた。


「樹」


 突然の不意打ちに、声にならない声をあげるが、樹はまるで挨拶の言葉を交わしただけとでも言いたそうに普通の表情を浮かべている。

 彼はわたしを見て、くすりと笑うと、部屋を出ていった。


「不意打ち過ぎる」


 そう愚痴をこぼしながらも、わたしの口元が自ずと緩むのが分かった。

 わたしはそのまま一、二分程にやにやし続け、隣の日和の部屋の扉が閉まる音で我に返る。

 そもそもそんなことをしている場合ではなかった。


 慌ててベッドから身を起こし、制服を着るが、すでに一階に到着した時には家を出ないと間に合わない時間になっていたのだ。

 寝癖をなおすのも許されず、朝食のパンとお弁当を母親に持たされ、寝ぐせを治すのと、学校まで走るのをはかりにかけた結果、そのまま家を出るはめになった。

 家の外に出ると自分の影を視界に収めてため息をついた。


「寝ぐせ直したかったのに」

「大丈夫だって。寝癖がついていても可愛いから」


 その言葉にわたしの顔が真っ赤になっていたような気がする。それ程、わたしの頬が急激に熱を持ったのだ。


「可愛いって変なこと言わないでよ」

「本心でそう思っているよ」


 あの利香の会話の影響からか、彼はわたしを可愛いとよく口にし始めたのだ。

 きっとわたしと樹の兄弟としての関係を知らなければ、恋人同士とも見まがうような会話だと思う。


 わたしと樹の関係はこれといって大きな変化はなく、夏休み明けと同じような中途半端な関係を築いていた。


「自分で起きないといけないのは分かるけど、もう少し早く起こしてほしかった」

「もっと早く部屋に来たんだけど、千波の寝顔を見ていたら起こせなくなってさ」

「何分くらいいたの?」

「五分くらい」

「それだけあったら髪の毛も直せたし、日和にも見られなくて済んだのに」

「見られたって、俺が千波の部屋にいるのを? そんなのよくあるだと思うけど」


 キスしてほしいと思っていた顔とは言えず、わたしは唇を結んだ。


「五分も何をしていたの?」

「さあね」


 樹は悪戯っぽく笑う。

 きっと何もせずにわたしの寝顔を見ていたんだろう。

 そんな気がしたが、含みのある言い方をされると、顔がかっかと赤くなる。


「何もしてないよ。見ていただけだから」

「わかっているよ。本当に物好きだよね」


 わたしは唇を尖らせた。

 わたしは自分の気持ちを伝えられないのにも関わらず、樹もわたしと同じ気持ちでいてくれて、いつか気持ちを伝えてくれるのではないかと期待していたのだ。

 だが、今日の今日までわたしの願う言葉が降ってくることはなかった。


「文化祭っていつもどうしている?」

「昨年は利香と一緒に適当に出店を回ったかな」


 樹と日和も遊びに来て、そのときはわたしも二人を案内していた。

 今年は去年と同じく研究発表を張り出すくらいで、そんなに人手も必要ないのは確定していた。


「今年は姉さんと一緒に回ろうかな」

「いいけど、友達と回れば? 木崎くんとか?」

「あいつはあまり細かいことは気にしないから」


 確かに樹のシスコン振りを知っていて、樹と仲の良い友人関係を続けているくらいだ。

 わたしと文化祭を回るといえば、ほほえましいと見送ってくれそうだ。


 学校の近くに来ると、樹から悪戯っぽい笑みが消え、普通の優等生としての彼の表情が見え隠れし始める。

 彼は通りすがりの生徒に話しかけられ、会釈していた。

 わたしと樹を周囲から見た関係は、おそらく一学期と同じように、ブラコンに構う樹なんだろう。

 今になると力いっぱい否定できなくなるのがつらいけれど。


「じゃあな」


 樹は二階に到着すると、軽く手を振り、教室のほうに歩いていく。

 わたしはそのまま階段をあがり、三階に到着した。

 だが、廊下に出たわたしは自分の教室の前に立っている人を見て、心臓をわしづかみされたような気持ちになる。彼女はわたしを見て、笑顔を浮かべると、わたしの傍に駆け寄ってきた。

 そんなわたしの迷いを読んだかのように、彼女はにこりと微笑んだ。


「先輩、おはようございます」

「おはよう」


 わたしはどんな表情をしていいか分からず、欠伸をかみ殺す振りをして、彼女に返事をした。


「今日、寝坊したんですか?」

「ちょっとね」

「先輩らしくていいですよ」


 わたしは反応に困りながらもあいまいに微笑んだ。


「どうかしたの? そろそろホームルームが始まるから、教室に戻ったほうがいいよ」

「今日の放課後、時間ありますか?」

「忙しくはないけど、何かあるの?」


 時間があると言えなかったのは、樹と帰るのが恒例行事になってたためだ。

 彼女はほっとしたような笑みを浮かべる。


「今日の放課後、四時過ぎに図書館棟の近くまで来てください」

「放課後? 昼休みじゃダメなの?」

「はい。どうしてもお願いします」


 わたしは首を傾げながらも、頷いた。

 放課後、樹が迎えに来たら待っていてもらおう。

 そんなに時間もかからないだろうと思ったためだ。


「わたし、見ちゃったんですよ。花火大会の日に」

「何を?」

「さあ。それは先輩たちのほうが知っているんじゃないですか? でもお友達や家族が知ったらびっくりするでしょうね」


 手をつないでいたことだろうか。それともキスをしていたことだろうか。

 幸せな思いでが頭の中でぐるぐるとかきまぜられ、真っ黒になる。

 彼女は含みのある笑みを浮かべると、そのまま階段のほうに歩いていった。


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