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わたしの理解不能な弟2

 わたしを避け、嫌っているとでも分かればすっきりはしただろう。だが、わたしの言動にいちいち文句をつけながらこともあろうに同じ高校まで受験した。そして、帰りがけにわたしを迎えに来たように、辞書を忘れたときや気が向いたとき、頻繁にわたしの教室に顔を覗かせることも少なくない。それがわたしの心を余計に複雑にしていく。


 そんな関係を続けていたため、仲のよい姉弟へと傍目には映っていただろう。



 わたしの隣の席に座る樹が立ち上がると、お箸をおく。

 ごちそうさまという言葉を残し、お茶碗を手に立ち上がった。

 流し台に置くと、あっという間にリビングを出ていく。

 わたしの右手には日和の姿があり、わたしは樹と日和に囲まれるようにして食事を食べている。いや、正確には食べていた、だ。

 これもよくある日常の景色だ。

 この場所は樹と日和が真ん中で食べるのを嫌がったため、自動的にわたしが座ることになった。


 なんでわたしがと最初は思ったが、マイペースな二人に押されてしまい、今に至り、今ではもう慣れてきてしまった。


 わたしの正面に座る母親の藤宮花枝は歳の割には可愛い感じの女性だ。優しげながらも凛とした目元は日和を連想する。わたしはどちらかといえば童顔で、母親とは似ても似つかない。母親の身内とは誰一人として似ていない為、父親似なのだろうと感じていた。


 わたしの母親の隣で、丁寧な箸使いでご飯を食べるのは、樹の父親の藤宮陽輔だ。目鼻立ちの整った男性で、客観的に見ればかっこいいとは思う。樹は大人になれば、彼に似るのではないかと思うほど、彼と面影がある。朗らかな人だが、怒るときは容赦ない。それは実の子供の樹だけではなく、わたしや日和に対してもそうだと思う。ただ、わたしも日和も怒られるようなことをしないタイプだったので、あくまで思う、と想像の域を出ない。ただ、幼いとき樹を怒っていた彼を見る限り、後に引かずフォローを忘れない、気遣いができるタイプのようだ。


 わたしも最後の一口を食べ終わり、ごちそうさまと告げると、流し台にお茶碗を運ぶ。

 その足でリビングを出ていくと、階段を上ってから二番目にある部屋の前で足を止めた。

 そこには自信に満ちた笑みを浮かべている黒いシャツを着た樹の姿があったのだ。

 わたしは唇を結び、前方を見据える。


「部屋に入れないんだけど」

「古語辞典を貸して」


 わたしは無言で部屋の中にはいると、本棚から古語辞典を取り出した。それを入口付近にいる樹に手渡そうとした。

 だが、彼は一足早くわたしの部屋に入り込み、部屋の中央にあるサイドテーブルに触れる。

 わたしは眉根を寄せ、辞書を彼に差し出した。彼はそれを受け取ったまま身動きしようとしない。


「用事がないなら出て行けば?」


 わたしは冷たく言い放つ。


「姉さんって本当に整理整頓が苦手だよね。まるで子供みたい」


 彼はわたしのベッドの上に置かれた洗われたばかりの洗濯物を指差す。

 母親は洗濯物を畳んでくれる時もあれば、こうやって部屋に置いて立ち去ることも少なくない。樹もそんな母のアバウトな部分を知っているはずだ。だが、彼はわたしをからかうネタだと思ったのか、挑発してくる。


 もっとも帰ってから食事までの数時間の間に片づけをしなかったという意味では樹の言うこと当たっているのだが。


「余計なお世話です」

「俺が片づけてあげようか?」

「自分でするから、バイバイ」


 わたしは樹の背中を押すと、部屋から追い出した。

 そして、安堵のため息を吐いた。


 本当に勘に触る言い方をする。


 今の樹は好きではない。それは本当だ。

 わたしは幼い頃の彼が、妹の友人として好きではあったんだと思う。母親の再婚を受け入れられた要因の一つに、彼と一緒に暮らせることへの喜びがあったことはわたし自身も認めていたのだ。だが、彼の態度は極めて一貫性がなかった。


 彼はわたしのことが嫌いなくせにことあるごとに食って掛かってくる。

 わたしは洗濯物に触れると、短く息を吐いた。



 わたしが通っているのは、普通よりは良いレベルの学校だ。だが、樹が通うようなレベルかといえば、彼の中学の担任も両親も含めてノーを突きつけるだろう。もう少し彼の学力に見合った学校が、通える範囲にいくつかあったのだ。

 彼はわざわざランクを下げてわたしの高校を受けてきたのだ。


 この家にはもう一人とてつもなく勉強ができる人がいる。それはわたしの実の妹の日和だ。高校受験を控えた中学三年の春、日和と樹は学校でもトップクラスの成績を誇っていた。


 二人は当然のように家の近所にある難関といっても過言でない公立高校に通うと思っていたのだ。日和は当然のようにその高校を志望校に決めたが、樹が親に打ち明けた志望校はわたしの通う高校だったのだ。その話を聞いた両親は困惑し、樹を訝しげにみつめていた。

 わたしも驚いていた。

 だが、日和はあらかじめ樹から聞いていたのか、涼しい顔をして両親と樹の会話に耳を傾けていた。


「お前はそこに行きたいのか?」

「行きたい」


 そうはっきりと言いはなった樹を見て、お父さんはため息をついた。


「分かった。行きたいなら反対はしない」

「ありがとう」


 だが、それで「はい」と頷けないのはわたしだ。

 わたしを嫌う彼と同じ高校にできれば通いたくなかったのだ。


「ちょっと待ってよ。何でわざわざわたしの高校を受けるの?」

「近いから」

「あの高校だって十五分しかかからないじゃない」

「五分は結構重要用なんだよ。姉さん」


 わたしの通う高校までは歩いて十分。かなり近いという自覚はある。だが、日和の通う高校も歩いて十五分ほどだ。遠いと大声をあげていうほどではない。

 そもそも時間が惜しいのであれば、バスもあるし、バス停からは歩いて二、三分で到着する。自転車を使えばもっと早く往復できる。現に日和も急いでいる時はバスで登下校をしていたのだ。バスという選択肢のないわたしの学校はあまり便利とは言い難い。


 そんなふざけたことをしたり顔で言う彼を誰もとめようとしなかったのだ。それは彼が一人でたいていのことをこなしてしまう人間だったからだろう。


 その志望校の話をした日の夜、リビングに行くとお茶を飲んでいる樹と顔を合わせた。

 彼はわたしを舐めるようにして見渡す。


「俺と同じ高校に行けるのがそんなに嬉しい?」


 彼はわたしの複雑な気持ちを悟っているだろうと嫌味を言いたくなるような、満面の笑みを浮かべた。

 ここで挑発に乗っても仕方ないと己に言い聞かせた。


「別にいいんじゃない? ただ、せっかくいい高校いけるのにもったいなくない?」

「別に。俺はどの高校に行こうが関係ない。これから先輩って呼ぼうかな」

「受かるか分からないでしょう」

「あんな高校落ちるわけないじゃん。下手するとトップで受かって面倒そうだよね」


 彼はそういうと美しい笑みを浮かべた。

 いくらランクが落ちるといってもそれなりに成績のいい人は受験する。そんなことは虚言だと思っていたが、そう言い放った彼は入学式の総代まで勤めていた。


 同じ高校に通っていると言っても、わたしが受験のときは、ぎりぎりでダメ元での受験だった。そのため、高校に入ってからの成績もあまり芳しくなく、クラスに平均よりちょっと上程度にとどまっている。


 けれど、彼はあっさりと学年のトップクラスの位置に君臨した。恐らく中間テストもそれなりの成績を残すだろう。


 わたしにとってそんな弟は理解不能な存在だった。



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