わたしの口数の少ない弟
花火大会の日、わたしは浴衣を一度手にしたが、少し迷った挙句、ピンクの花柄のワンピースを引っ張り出した。それに白い薄手のカーディガンを着る。
リビングに行くと、既に紫のアジサイがプリントされた浴衣を身にまとった日和と本を読んでいる樹の姿がある。長身で美人の彼女には良く似合う。
今では日和とわたしのどっちが年上なのかよくわからない。
童顔のわたしは日和の妹扱いされたことは数えきれないほどある。
わたしも日和みたいに美人だったら、樹にブスと言われなかったんだろうか。
「いつくらいに出る?」
日和はソファから立ち上がると、そう問いかけたわたしの腕をつかんだ。
「お姉ちゃん、浴衣は?」
「部屋にあるよ」
「わたしが着せてあげるから、浴衣着ようよ」
「本当に着るの? 歩きにくいじゃない。靴擦れしたら痛いし」
「大丈夫、樹がおんぶしてでも連れて帰ってくれるよ」
「お前」
樹が苦言を呈するが、日和がそんなことを聞くわけもない。
「大丈夫だって。樹のことは分かっているもの」
日和の得意気な笑みに樹は黙り込んだ。
日和はわたしの手を引き、部屋へと導く。
そして、日和に言われたとおりピンクの花がプリントされた浴衣を渡すと、彼女の手を借りながら、袖を通す。
帯を結び終わると、日和の手がわたしの髪に触れる。
彼女は髪の毛を複数に分けて三つ編みすると、それを頭部に巻き付けていく。
あっという間にわたしの肩の下まである髪の毛が、一つにまとまる。
彼女は着物と一緒に買った花の髪飾りをつけると、鏡越しにわたしの姿を見て、満足そうに微笑んだ。
「器用だね。日和は着方をしっていたの?」
「お母さんに昨日、教えてもらった」
昨日の今日で、一人でこなせる彼女の出来のよさには溜息が漏れるばかりだ。
「やっぱりお姉ちゃんによく似合っているね。可愛い」
「可愛いって」
可愛いかはともかく、メイクをしているわけでもないのに、いつもと雰囲気がガラッと変わる。でも、本当にそれだけだ。
「早く樹に見せてあげようよ。きっと喜ぶよ」
「そんなことないよ」
「照れなくて大丈夫だよ」
彼女はわたしの反論に聞く耳を持たずに、リビングへと連れて行く。
日和が扉を開けてリビングの中にわたしを連れ込んだ。そして、本を読んでいた樹と目が合う。
日和はわたしの肩に手を載せて、自分より前に着きだした。
「お姉ちゃん、似合っているよね」
だが、樹は目をそらし無反応だ。無反応は少し間違っていて、彼は短くため息を吐く。
こんなくだらないことに巻き込まないでくれとでも言いたそうだ。
きっとわたしの格好なんてどうでもいいと思っているんだろう。
「じゃ、行こうか。樹も早く来なさい」
日和はリビングの扉に歩きかけながら、樹を呼び寄せる。
だが、樹はソファからぴくりとも動かない。
「行かない」
「折角浴衣を着たのにもったいない。じゃあ、二人で行こうか」
「行くなら着替えて行けよ。そんな恰好で行くな」
樹はそう冷たく言い放つ。
それを見て、日和は何か察したのか、口元を歪めた。
「お姉ちゃんを他の人に見られたくないんだ。可愛いもんね。ナンパとかされたらどうしようかな。お姉ちゃん人がいいから口車に乗せられて、連れていかれたりしてね」
にやにやと笑う日和に、樹は不機嫌を露わにする。
「お前が断ればいいだろう。口が回るし、お前がいたら大丈夫だよ」
「そっかな。わたしは一応女の子だし、力も樹に比べると弱いもの。樹がいればナンパしてくる人はいないだろうし、お姉ちゃんも男の人がいたほうが安心できるよね」
「そうだけど、嫌なら無理に連れて行かなくてもいいんじゃないかな」
わたしは一応、樹のフォローをするが日和は聞く耳を持たない。
「お姉ちゃんが靴擦れして、痛い思いをしても平気なの?」
日和は樹を連れていくと心に決めているし、来てほしいのだろう。
こうなった日和をそう簡単には止められない。
確かに樹が来てくれたほうがいいことはいい。
こういうとき、いつも樹が折れるが、今日の彼はいつもとわけが違う。
そこまで花火が嫌いなんだろう。
嫌がっている彼を連れていくのは気が咎め、わたしは日和を諌める方法を考えた。弁の立つ日和にどう言っていいか戸惑っていると、樹が立ち上がる。
「行けばいいんだろう」
樹はそう乱暴に言い放つと立ち上がる。
「行くの?」
わたしは思いがけない返答に驚く。突然の樹の申し出だったからだ。だが、日和は分かっていたかのように全く驚いた様子はない。
樹はわたしに目もくれずに家を飛び出した。
「じゃ、行こうか」
わたしは日和に促され、家を出る。
まだ辺りは日の長い季節ということもあり、明るい。
家の前の道路に出ると、少し先を浴衣姿の二人組が歩いている。
まずは日和の友人と合流して、わたしの友達と合流する予定だ。
半田君や岡部君も来るらしいが、彼らは部活があるため、それが終わってくるらしい。そのため、彼らと合流するのは少し後になる。
「わたしは小梅を迎えに行くよ。小梅と合流したらメールするから、どこかに言っていていいよ。会場でも、別の場所でも」
「まだ時間があるし、一緒に行ってもいいよ」
「集団で迎えに来られてもびっくりするかと思うから、わたしだけでいいよ」
彼女はそう明るく言い放つと、細い道に入っていく。
その細い道を進み、大通りに出て少しいったところに、小梅ちゃんの家がある。
「どこかで時間でも潰そうか?」
家に一度帰ってもいいが、また樹が行かないと言い出すと日和に怒られそうだ。
わたしは樹を強引に連れ出すことはできないため、できるだけ外で過ごしたい。
一番いいのはどこかのお店に入ってゆっくりすることだと思うが、始めて着る浴衣を汚してしまったらどうしようという迷いがあった。
樹はそんなことを考えているわたしの腕を強引につかむ。
「樹?」
わたしは驚きのあまり、彼の名前を呼ぶが、彼はそんなわたしにおかまいなしにすたすたと歩き出す。
一応、花火大会の会場に近づいてはいるが、一般的に通る、花火大会に行くコースとも若干離れている。
利香たちとは花火大会の会場の近くで待ち合わせているが、そちらの方角とも違っていた。
「どこに行くの?」
わたしが聞いても樹は返事をしない。
彼は細い道に入っていくと、しばらく歩き足を止めた。
目の前にあるのは住宅地の中にある、植物の生い茂った緑の豊かな公園だ。
花火大会のためか、たまたまなのか、人気が全くない。
彼はそのベンチに無言で腰を下ろした。
わたしも彼の隣に腰を下ろす。
樹を見るが、彼はわたしと目を合わせようとしなかった。
無理に家から連れ出したことを怒っているのだろうか。
わたしは拳を握ると、天を仰いだ。
樹はポケットから携帯を取りだし、何か操作をしていた。
「早く花火が始まると良いね」
「始まらないほうがいい」
「始まらないと家に帰れないよ」
「今日、千波のクラスメイトも一緒なんだよな。半田先輩も」
「部活があるから、遅くなると言っていたけど。会うのが嫌なら断るよ?」
「嫌じゃないかど、千波を誰にも見せたくない」
わたしは樹の発言の意図が分からず、首を傾げた。
別に樹の友人に見せるわけでもないため、彼が困る理由が分からない。
そもそも半田君とわたしは学校で頻繁に顔を合わせて居るため、会うのに躊躇するような仲でもない。
樹が会いたくないというなら、そういう言い方はしないはずだ。
樹はそこで黙ってしまっていた。
「飲み物でも買ってこようか?」
そう言い、立ち上がろうとしたわたしの手を樹が掴む。
「いらないの?」
わたしの問いかけにも、樹は無反応だ。
わたしも樹の発言の意図が見えてこず、何も言わずに彼の隣に座っておくことにした。
早送りをするかのように、徐々に辺りが暗くなっていく。それは花火の開始時間が迫っているということだ。
日和と別れて一時間以上は余裕で経過しているはずなのに、いまだに彼女からの連絡が届かない。
小梅ちゃんの家に言って、彼女の着付けを手伝っていたにしても時間がかかりすぎている。
念のためわたしは自由なほうの手で、電話をかけようとすると、樹が右手で制した。




