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わたしの手を引く弟

 家の外に出ると明るい陽射しが頬を叩く。

 樹はあくびをかみ殺しながら、天を仰ぐ。


「動物園に行くんだっけ?」

「その予定。行きたいところがあるなら、べつのところでもいいよ」


 樹は何も言わずに歩き出し、その後を追った。


 大通りに出たとき、同世代と思しき、女の子の二人組と遭遇する。見知らぬ人だが、視界に収めたのは、二人が樹を見て、頬を赤らめながら頷きあっていたためだ。樹はやっぱりどこにいても目立つのだろう。


 樹はそんな少女たちの視線には気付かず、樹を見ているわたしを不思議そうに見ていた。


 まだ高校に入ったばかりだからと言えなくもないが、彼もいずれ彼女を作るんだろうか。

 女の子に告白されたという話はまだ耳にしていないが、人気があるのは一目でわかる。

 中学の時は何度か告白はされていたようだ。

 だが、それ以上に相談と称し、樹に対する恋心を打ち明けられることはあった。

 おそらく、日和も同じような経験をしていただろう。


 わたしや日和と仲良くなり、樹に取り入ろうとした生徒もいる。

 だが、樹は誰に対しても無関心を貫いていた。


 動物園につくと、樹が「入場券を買ってくる」と言い残し、売り場に行く。そして、樹がチケットを手に戻ってきた。


「いくらだった?」

「俺が払う」

「払うよ」

「煩い。そもそもそんなに高いものじゃないから、気にする必要もないよ」


 強引な一言で会話を締めると、わたしの腕を引っ張り入口まで連れていく。

 わたしが彼の名前を呼んで諌めようとしても、全く反応してくれない。

 彼の手が離れたのは、入口を通過した後だ。


「適当に見に行くか」


 そう言い残し、勝手に歩き出した。


「お金だけど」

「だいたい、俺がお前の言うことを聞くと思う?」

「聞かないよね」


 すっと答えが出てくるし、それを当たり前のように樹も受け入れている。

 結局わたしがお金を払うのは拒否されてしまった。

 優しさなのか、他の理由があるのか全く分からない。

 わたしの分をおごっても、彼に何のメリットもないはずなのに。


 わたしの足元に影が届き、顔をあげるときりんが首を伸ばして木に実っている葉を食べていた。

 わたしの複雑な気持ちも一気に吹き飛んでいた。


「大きいね」


 わたしの思わず漏らした言葉に、樹は微笑んだ。


「昔と同じこと言うんだな」

「そうだっけ?」

「そうだよ。幼稚園のときもそんなことを言っていた」

「よく覚えているね」

「記憶力はいいから」


 樹は昔のような優しい笑顔で微笑んでいた。

 その彼の表情を崩したくなかったため、入場料のことはしばらく封印しておくことに決めた。彼は嫌々ついてきてくれたのかもしれないが、今日、彼とここに来て良かったと心から思っていた。


 そのとき、数人の子供がぶつかり、わたしの傍を駆け抜けていく。

 わたしは思わずその場でよろけた。

 わたしの肩の部分に樹が触れ、体を支えてくれた。


「危ないな。大丈夫?」

「大丈夫」

「行くか」


 彼はそういうと、歩き出す。

 わたしはそんな樹の後を追った。


 動物園を一通り見ると、併設されている植物園に入る。動物園と違い人は少ないためか、辺りに広がる植物の影響なのかゆったりとした時間の流れを感じていた。


「どこに行こうか」


 その樹の問いかけに返事をする前に、わたしのお腹が鳴る。

 お腹が鳴るのを聞かれるくらいよくあるので恥ずかしくはないが、わたしは動物園自体が家から歩ける距離ということもあり、昼食のことを失念していたのだ。


 時刻は一時を回ったところで、そろそろお腹が空いてもおかしくない時間だ。

 動植物園は遠足でも使われるように、お弁当の持ち込みは許可されているが、レストランのような、昼食のようなお店がある。店内で食べてもいいし、外で食べられるような、軽食も売っていたはずだ。


「適当に食べる?」

「そうだね。家に帰ってちゃんと食べればいいし、軽食だけでも食べようかな」


 わたしと樹はレストランに行くと、ホットドッグとコーヒーという同じものを注文する。

 わたしがお金を出す前に、樹が支払いを済ませてしまった。

 彼は店員さんから受け取った紙袋をわたしの手に押し付けた。


「お金、払うよ」

「人が並んでいるから」


 わたしはそう促され、列を外れる。

 そこでお金を渡そうとするが、彼はそれを受け取ろうとはしない。


「俺がおごるよ」

「でも、悪いよ。入園料も払ってもらったんだもん」

「だからもう払ったからいいって」


 わたしたちのやり取りが大きかったのか、列に並んでいる人たちがこちらを見てくすりと笑う。

 微笑ましいという笑い方だったが、わたしの体が妙な熱を持つのが分かった。

 恋人同士とでも勘違いされているのだろうか。


「ここで押し問答を続けても俺は別にかまわないけど」


 わたしの同様に気付いたのか、樹はそうさらりと言ってのける。


「そういうつもりじゃないけど」

「なら、早く食べよう」


 彼はわたしの腕を引くと、さっさと店の外に連れ出した。

 わたしたちは近くのベンチに座ると、樹の買ってくれたホットドッグを食べることにした。


 昼過ぎまで動物園で過ごし、わたし達は後にした。

 他の店による選択肢もあったが、そのまま家に帰ることになった。

 家の近くまできた時、わたしは樹を呼び止める。


「今日はありがとう。楽しかった」

「千波が楽しめたならいいけど、何で動物園だったんだ?」

「うん。樹と昔よく言ったから、樹と行きたかったの。久しぶりに樹と出かけられたし、それにこういうところだと友達もなかなか誘えないもん。日和もいたら、もっとよかったかもしれないね」


 樹は虚をつかれたような顔をしてわたしを見ている。

 動物園行きをあっさり許可したときとは別人のようだ。


 だが、日和と三人で行けば傍目にはどう映るんだろう。

 兄弟にはやっぱり見えないだろうか。

 その前に日和は行かないと拒否しそうだけど。


 門の中に入ろうとしたわたしの手を樹がつかむ。

 思わず樹を見ると、彼の頬がわずかに赤く染まっている気がした。

 彼の表情はあの夕焼けの日に迎えに来てくれたときを連想する。


「出かけたいところがあったらたまに付き合ってやってもいいよ」

「大丈夫だよ。遊びに行くのは一人だと気が退けるけど、買い物とかは平気だもん」


 彼なりにわたしを気遣っているのだろう。だから、これ以上気を使わせないために、そう答えた。


「お前は危なっかしいからついていってやるんだよ」


 危なっかしいか。別に迷子になった経験もない。

 そのとき、利香の言っていた言葉が頭を過ぎる。

 樹なりにわたしと仲良くしなろうとしているのだろう。わたしも樹にもっと歩み寄ろうと思ったのだ。

 こうした些細な積み重ねが、きっとわたしたちには大事なのだから。


「分かった。お願いしようかな」


 樹なりにわたしとの距離を縮めようとしているのかもしれない。

 わたしは彼の優しさにあまえることにした。




 その日からわたしと樹の姉弟としての関係が微妙に変わったのだ。

 樹はわたしが一人で出かけようとするとついてくるため、わたしも樹を遠慮なく誘うようになっていた。

 わたしは靴を履くと、リビングに向かって呼びかけた。


「樹、まだ?」

「お前、人使い荒いな」


 水色のシャツを着た樹は、リビングから出てくると靴を履く。


「嫌ならいいよ。一人で行く」

「行かないとは言ってないよ」


 その時、リビングから母親が顔を覗かせ、目を細める。


「最近、二人は仲良いわね。昔に戻ったみたい」

「わたしもそう思う」


 わたしは母親の言葉に満面の笑みを浮かべていた。

 振り返ったわたしの視界に居心地の悪そうな顔をしていた樹が映ったのは言うまでもない。


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