わたしの寝過ごした弟
買い物、映画、遊園地。意外と地の利が良いため、一通りのことはできるとは思う。
でも、樹と友人と一緒に出掛けるような場所に行きたいかと言われると少し疑問が残る。
「まだ迷っているの?」
利香がわたしのノートを覗きこみながら、問いかけた。
「なかなか決まらなくて。利香だったらどこに行く?」
「遊園地は?」
「樹が楽しむイメージがわかないんだよね。わたしは楽しめるけど」
「意外と樹君はどこでも楽しめると思うよ。今まで一緒にどんなところに出掛けたの?」
「動物園や、遊園地、映画も行ったことはあるかな。買い物も樹たちが小学生のときはお父さんとお母さんと一緒に行っていたと思う」
「たいていのところはいっているんだね」
「そうなんだよね」
だから、樹が行けばどんな反応を示すかたいてい想像がついてしまうのだ。映画は自動的に省くにしても、買い物は樹の買いたいものがなければ意味がないし、ごはんを食べに行くというのも微妙な気がする。遊園地や動物園のように本格的に遊びに行くような場所を選んでいいのか分からない。
いろいろな考えが胸中を過ぎり、あの約束から一週間が経過した今も答えが出せないでいた。
「今まで樹君と一緒に行って、一番楽しかった場所に行ってみたら?」
「楽しかった場所?」
そう問いかけて腕を組む。そのとき思いついたのが、わたしの家から歩いて三十分くらいの場所にある動物園だ。植物園と併設されていて、小学校の遠足でも何度か足を踏み入れたことがある。
動物や植物を見るのはわりと好きで、あまり乗り物に乗るのが好きでないため、遊園地にはあまりいい思い出がなかったのだ。
家族で何度も行ったことがあるし、両親の再婚前にもお母さんに連れられ、樹とわたし、日和の四人で行ったこともあった。
「動物園かな」
「だったらそれでいいんじゃないかな」
「でも、わたしが決めていいのかな」
「樹君が決めろと言って、千波の好きな場所なら、反対する理由はないでしょう? 久しぶりにいくのは懐かしいかもよ」
そんなものなんだろうか。
だが、懐かしいと言われた気持ちはわかる気がしたし、その思いでの場所に行ってみたいという気持ちがあったため、樹に聞いてみることにした。
夕食後、わたしは樹の部屋をノックする。樹はすぐに顔を覗かせた。
「何か用?」
「あの約束だけど、動物園に行かない?」
「動物園?」
彼は怪訝な顔でわたしを見る。
「とりあえず中に入れば?」
彼に促されて部屋の中に入る。彼の机の上には数学の教科書が置いてある。
勉強をしていたんだろう。
彼は中間テストが終わっても、家にいる時はかなり勉強に時間を割いている。
樹は目を細め、苦笑いを浮かべた。
「いいよ。次の日曜辺りで良い?」
「そんなにあっさり決めていいの?」
「別にいいよ。距離も近いし、リスクの高い場所でもない」
樹の言葉に、行きたいという文意が含まれていなかったことが引っかかる。
「折角二人ででかけるのだから、二人で決めようよ。そっちのほうが楽しい」
「お前は行きたいんだよな?」
「久しぶりに行ってみたい気はする」
「お前の行きたいところでいいんだから、動物園で問題ないよ」
彼はそうわたしに言ったけれど、やっぱりすっきりしない。
二人で行きたい場所に行ったほうがいいに決まっているのだ。
「樹はどこに行くのかはどうでもいいんだよ」
わたしがその気持ちをぶつけようとすると、樹の部屋の入口から声が聞こえてきた。頬を火照らせた日和が髪の毛をタオルで拭きながら、扉の所に立っていたのだ。
「それってわたしとがそうしろって言ったから?」
「事情は知らないけど、わたしは樹の本心をお姉ちゃんに教えてあげたの」
「日和、お前さ」
「わたしは樹のために行ってあげているのよ。この前だって」
なぜかその脅迫めいた言葉に、樹の動きが止まる。樹は日和に甘い。
わたしが言うとふざけるなと言われそうだ。
「二人でデートでもするの?」
「違う」
「違うよ」
日和の問いかけに、ほぼ同時に否定する。
デートというと、恋人同士の関係を連想してしまうためだ。
「この前、映画に行けなかったから、その代わりにどこかに行こうと思ったんだ」
「それが動物園か。いいんじゃない?」
日和は楽しそうに口にする。
樹はさっきのはにかんだ笑みもすっかり消失させ、反発しあう磁石のように真逆の表情を浮かべていた。
日和に知られたくなかったんだろうか。もしかして、わたしと出かけるよりは日和と出かけたほうがいいんだろうか。
それとも三人でどこかに出かけたいんだろうか。
人数が多いほうがきっと樹も楽しいだろう。
「日和も行く?」
「二人のデートを邪魔したら悪いもの。また今度誘ってよ。風呂入れるから」
日和はそう言って含みのある笑みを浮かべると、わたしたちに否定する隙を与えず、自分の部屋に戻っていく。
樹を横目で見ると、彼の頬がわずかに赤く染まっている気がした。
日和と二人で行きたかったんだろうか。
わたしはその疑問を樹にぶつける。
「日和と出かけたいなら、協力しようか?」
「は?」
戸惑いの色はあっという間に消失し、樹は冷めた目でわたしを見る。
「だから、日和と行きたいなら」
「ここでいいよ。次の休みの日な」
樹は強引に会話を打ち切った。
何か変なことを言ったのだろうかと思うが、口に出せばまた冷めた目で見られそうだ。
「分かった。他に行きたいところがあれば調べておいてね」
「分かったよ」
樹はそう面倒くさそうに言うと、ため息を吐いた。
待ち合わせの日、樹の部屋をノックするが反応はない。
一緒の家に住んでいるため、時間などを設定していないのがまずかったのだろうか。
イメージ的に八時くらいには二人とも目を覚まし、十時くらいには家を出て、二時くらいに帰宅するというプランを大まかにだが描いていたのだ。だが、十時を過ぎても樹は部屋から出てこなかった。
そっと扉を開けると、樹の姿はまだベッドの中にある。
今は休日の朝には違いなく、わたしが張り切り過ぎているともいえる。
そっと扉を締めようとする前に、別の方向から扉の閉まる音が聞こえてきたのだ。
「どうしたの?」
日和が寝癖のついた髪をかきあげ、部屋を出てきた。
「樹の部屋を覗いていたわけじゃなくて」
「うん、覗いていたよね」
日和は身もふたもない言い方をする。
「今日出かけるんだよね。まだ樹、寝ているの? 起こせば?」
「でも、疲れているのに悪いなと思ったの。お昼からでも行けるし」
「樹は起こされないほうが嫌だと思うな。明日、学校に響くしね」
日和は樹の部屋に入ると、腰に手を当てる。
「樹、お姉ちゃんと出かけるんじゃないの?」
さっきまで寝息を立てていた樹がびくりと体を震わせて、体を起こした。
樹の部屋のベッドの位置の関係から真っ先に彼と目が合う。
樹が即座にわたしから目を逸らす。
「よし、完了」
日和はそう言うと、満足げな笑みを浮かべて部屋を出ていく。
わたしと樹が部屋に取り残される。
「リビングにいるから、準備できたら言ってね。遅くなっても良いから」
部屋に取り残されたわたしはそう言い放つと樹の部屋を出た。
しばらくして樹が欠伸をかみ殺しながら、シャツにズボンを履き、降りてきた。
「勉強でもしていたの?」
「別に」
樹は表情一つ変えずに、髪の毛を整える。
彼の柔らかい髪はすぐに整いしゃんとする。
彼の準備が終わるのを待って、わたし達は家を出た。




