2
豪華な食事を終えて、パパの話が尽きた時、丁度ピッチに選手が出て来た。玲香は思わず席を飛び出して、ガラス窓に張り付いた。
「こら、玲香。行儀が悪いぞ」パパが小言を言う。
「ごめんなさい。でも、待ちきれなくて」
「玲香はよほど、フットボールが好きなのね」
すると、玲香は困ったように笑った。「え、ええ・・・・・・友達からよく聞かされるものだから」
「その子の親御さんは困ってるだろう。お転婆すぎると手に余るからな」
パパはナプキンで口を拭くと、ワイングラスに口を掛けた。
「今日日、女がサッカーをするなどというのも、私には理解に苦しむがね」
「そ、そうね・・・・・・あはは」
後ろのソファに座り込んで俯いた――――やっぱり認めてはくれないわ、パパは。直に国歌斉唱となり、試合が始まった。
前半はじれったい展開となった。日本がボールを支配していながらも、得点をなかなかあげられない。ペナルティエリア内で幾度となくボールが渡るのだが、決定的なシーンを演出できずにいたのだ。後半になっても同じような展開が続いた。
玲香はじっと試合展開を見つめていた。パパはママとワイングラスを片手に談笑しているようだった。最初は玲香の隣で試合を観戦していたが、やはりサッカーは男がするものだ云々と嘆くように呟くと、それっきり席を立って見ていなかった。
確かに、男子と比べてスピードもパワーも一段と劣るかもしれない。でも、だからといって女の子はサッカーをしちゃいけないの。そう言いたくて仕方なかったけれど、玲香は堪えた。パパに何を言っても無駄だというのを身を持って知っていたから。
――――玲香がまだ年端もいかぬ乙女であった頃、サッカーを習わせてと両親に頼みこんだ事があった。ママは面白そうねと言ってくれたが、パパは断固反対だった。女の子がそんな危険なことをして何になる。そう言って、無理矢理ピアノやバレエなどさして興味もないことを習わせられた。
それでも諦めきれず、サッカーボールを鈴木に強請って買ってもらうと内緒で蹴っていた事もあった。しかし、サッカーボールの隠し場所がばれると、強引に没収されてもう二度と見ることはなかった。不備があって捨てました、と鈴木は言ったが、代わりのボールは買ってはくれなかった(今に思えば、パパに強く言われていたのだろうけれど)。
一生懸命作っては、パパに何度も壊された。それでもなお、玲香はサッカーに固執した。しがみついた。ただ好きだから、勿論、それも一理あった。しかし、他にもどうしてもサッカーをしなければならぬ理由があった――――。
後半も三十分を過ぎた時だった。一人の選手が交代してピッチに入る。背番号二十番。聞いた事のない名前が背ネームに刻まれていた。
――――代わりまして、背番号二十番。榎本結衣!
場内でその名前がアナウンスされると、停滞気味だったスタジアムの観衆が一気に盛り上がった。
どうしてだろう。不思議に思った玲香は手元にあったスマートフォンをすぐさま開いた。榎本結衣・・・・・・若干十六歳で代表初選出・・・・・・現役女子高生プレーヤー・・・・・・未来を担う天才少女、今夜出番はあるのか・・・・・・。
十六歳、という所に玲香はどきっとした――――私と同い年だ、この子。
榎本はトップ下のポジションに入った。最年少のはずなのに、体格は他の選手に劣らない。雰囲気も若干余所余所しいところはあれど、飲み込まれてはいない。味方と敵合わせて二十二人の選手がこのピッチ上にいて、その中でも私はここにいるのだ、と意思表示していた。
ディフェンスラインでボールが回され、一気に前線へとロングパスが一本入る。九番の長身選手が落とすと、榎本に出した。
ファーストプレー。緊張が走る瞬間。
しかし、難なくトラップで方向を変えディフェンスを揺さぶると、シザースをかましてもう一度手前を変える。抜き去ったのはほんの一瞬だった。
わっ、と場内がどよめく。おのずと玲香も立ち上がっていた。榎本の前には誰もいない、キーパーと1対1。ボールを二度足に当てて持ち込む。キーパーがじりじりと低い体勢のまま詰め寄る。榎本の左足が引かれ、玲香は心の中で叫ばずにはいられなかった。
――――うてっ!
その声が届いたか否か――――だが、左足はゴールへと向かずに切り返された。キーパーは完全に榎本の動きにつられて動けない。
榎本は右足でマイナスのパスを送ると、後ろから走り込んできた十番の選手がガラ空きのゴールに優しくシュートを放つ。
――――ゴオオオオオォォォォオオオオルウッ!!!!
地鳴りのような激しいアナウンスと共に、ピッチに歓喜の輪ができる。スタジアムの観衆は喜び、立ち上がり、雄叫びを上げて、手を叩く。ゴールを決めた選手が応えるようにガッツポーズした。
しかし、影のヒーローは歓喜の輪に加わることなく、そぞろ歩くように自陣に引き返していく。
「ああ、点が入ったわよ!」
パチパチ、と背後で興奮気味にママが手を叩いた。パパは何も言わずにグラスに入ったワインを回している。
玲香は力なくソファに背を預けた。今、あの子確かに――――でも、一体どうして。まるで魂が抜けたように、目と口を開いていた。