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「――――お嬢様、起きてください。もうすぐ到着でございます故」
燕尾服を纏ったご老人が運転席から声を掛けた。上品な質感のある座席が何層にも重なり、一番奥の席の席にはたして、そのお嬢様は眠っていた。
小首をもたれるように傾げ、伏せた瞼は仄かに薄く揺らぎ、儚い夢の世界へと思いをはせているかのよう。長い絹糸のような金髪は胸のあたりで内巻きになり、また美しく上品である。白いドレスに身を包み、姫は眠る――――。
名を鈴木といったお嬢様の執事であるご老人は困ったように笑って、また前を向き直った。
黒光りした高級車はスタジアムの地下駐車場へと入り、"VIP"専用の車庫に駐められた。その頃にはお嬢様は震えるように瞼を開き、現実の世界へと舞い戻っていた。
「お目覚めですか。既に到着致しました」鈴木は後部座席を開けて微笑みかけた。
「ああ、眠っていたのね。私」
「ええ。それはもうぐっすりと」
お嬢様は恥ずかしそうに頬を赤らめる。鈴木に手を引かれながら降車すると、背筋を伸ばして深く息を吸った。
「ご予定の時間より、少々早くなりましたが、いかが致しましょう」
「いいの。見たいものがあるから」
と、弾むようにお嬢様は言葉を述べた。
地下の出入り口へ赴きICカードを差しこむと、自動ドアが開いた。レッドカーペットの敷かれた煌びやかなフロントにてスタッフから首から提げるパスカードをもらい、エレベーターで地上へと昇っていく。
扉が開くと、より一層華やかなフロアが広がっていた。スタッフの案内の下、目的地である個室のVIP席へと通される。扉の前には立て札があって、"鳳桐院様ご一行"と書かれてあった。
スタッフが下がると、お嬢様は待ちきれずに目前のガラス窓に額を合わせた。緩やかに曲がる透明な窓の下には、緑一面の芝生。そして、アップ中の選手達の様子がありありと目に入ってきた。弾むボール、走る選手、ぞろぞろと入り始める観客。それら一切を映す瞳は子供のようにキラキラ輝いていた。
「玲香お嬢様がご機嫌で、なによりでございます」
傍らで微笑む鈴木を振り返って、お嬢様――――鳳桐院玲香嬢は飛び上がるように言った。
「それはもう! この一ヶ月、今日という日を何度待ち遠しいと思ったことか・・・・・・!」
日本の経済界の一端を担う鳳桐院グループと新たに提携事業を組むことになった企業から、今日の女子サッカー日本代表戦に招待され、丁度その日は出張先の米国から玲香の両親が帰国する日でもあった。そんな偶然が重なって、サッカー観戦をしながら優雅な家族のだんらんを、と取り決められたのだった。
パパのくれた招待席、本当に最高だわ! いつも口うるさくて苦手だけれど、今日は感謝しないと――――そう心の中で思いながら、玲香はグラウンドの景色に釘付けになっていた。
三十分後、図ったかのように待ち合わせ時間ぴったりに扉がノックされて、スーツ姿の紳士と艶やかな濃い赤のドレスに身を包む貴婦人が入ってきた。
「パパ! ママ!」
玲香は一目散に走り出して、パパと呼ぶ紳士の胸の中に飛び込んだ。
「おお、玲香。半年ぶりか。元気そうで何よりだ」
そして、婦人の方にも抱きついた。先ほどの紳士よりも、深く長く。
「会いたかったわ、玲香」
「私もよママ」
玲香と同じ金色の長い髪を後ろで束ねて留め、垣間見えるうなじの美しさと言ったら言葉に尽くしがたい。そしてまた彼女の横顔には、遠い異国の情緒が見え隠れする。鼻が高く、瞳は常夏の太陽の光を受けて青々と輝く海面を思わせるような瑠璃色。
綺麗で美しく、誇り高い。そんなママが玲香は大好きだった。それでいて半年ぶりの再会なのだから、より愛おしく懐かしく感じたのだった。
「鈴木。私達のいない間、玲香をみていてくれて本当にありがとう」日本語も流暢に婦人が言った。
「いえ。滅相も御座いません奥様」
「ところで、そろそろ食事にしないか。長旅で少しお腹が空いてね」
テーブルにはスタッフの用意したご馳走が並んでいた。
「私、米国でのお話が聞きたいわ」
「もちろんだとも。いっぱいあったさ――――」
三人はそろってテーブルについて、食事を始めた。