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Episode>>6(編集中)

50万分の1。

この数字で皆は何を思い浮かべるだろうか。

18歳も終わりを迎えようとする年の瀬に、私はその確率と対面することになった。


「骨からできた腫瘍なので、骨腫瘍と言います。」

レントゲン写真の画像を見た整形外科の医師は私と、一緒に来ていた母にそう告げた。

初めは何を言っているのかよく理解できなかった。

目の前にある左足の大腿骨のレントゲン写真。

そこに映る自分の大腿骨と、そのまわりにモヤモヤと見える白い影。


それが、腫瘍だった。

「レントゲン写真から見ると20cm程です。悪性だと骨肉腫になります。」

その日、診察室で目の前に座っていた整形外科の先生は、

県立の大学病院から外勤で診療を行っている先生だった。


骨腫瘍の病名を聞いた母は、過去に私が罹患した神経芽腫の治療の経緯をかいつまんで説明した。

そして、それを聞いた先生は、とても冷静に事実を述べた。

「なるほど、そうですか。今回の骨腫瘍についてですが、県内で治療できる病院は県立の大学病院と島根県西部にある病院の2つしかありません。

 もしよければ、私が医大にデータを持ち帰って年明けすぐに検査入院できるようにしておきましょう。検査で悪性か良性かを調べてから、治療の方針が決まります。

 年明けすぐの1月6日に島根医大へ来ていただけますか?

 もし、お父様にご説明が必要であれば、私からご説明いたします。」


あまりにも唐突なことが起こっていて、私も母も状況を飲み込むのに必死だった。

私は、医師が話す言葉を脳内で反芻した。

母は、一度、診察室から出た後、すぐに父へ電話した。


「いますぐ来て。大変なの。」


今までに無い位切羽詰まった物言いに、父はすぐに病院に駆けつけ、先生から話を聞いた。

―――――


家に帰ってからの母は、壊れてしまったかのように泣きだした。

毎日毎晩、寝室で泣いている声がリビングまで聞こえてきた。










「変われるものなら変わってやりたい」




「私はあの子をちゃんと産んでやることができなかった」




「なんであの子ばっかり」










漏れ聞こえる声に、私はいたたまれない気持ちになるのだった。




近くにいる弟や妹達も同じ思いを抱いているようだった。高校2年生になる弟は豹変してしまった母の身を案じていた。




しかし、当の私は自分でもびっくりするくらい落ち着いていた。




まるで、この『現実』が額の中の絵であるかのように、




私の身に起こっているそれは言葉通り『現実味』のない『現実』だった。




そんな中迎えた年末年始はあっという間に過ぎ去った。




年明けすぐに、学校の寮に行って荷物を全て引き上げた。仲良くなった友人に挨拶をする暇いとまもなかった。










そして入院する前夜、自宅の風呂の湯船に浸かりながら一人、物思いにふけった。










―――こうして、足を伸ばしたり曲げたりできるこの状態で風呂に入れる日はもう来ないだろう。




小さいころの手術の跡はお腹の端から端まで残ったままだ。




治療が終わって帰ってくる頃にはきっと、この左足には手術の傷跡が残り、なんらかの後遺症で自由に湯船の中を動くことはできなくなるだろう。




この身体に、また傷が増える。










不思議と、怖いという思いはなく、ただ、自分のことなのに実感がなかった。



当初感じていた感覚と同じで、他人事ひとごとのように、第三者の身に起こった出来事のように考えていた。











この足の異変にもっと早く気付き、病院に行っていればこの結末は逃れられたのだろうか。


私がまた、抗がん剤治療をすること。

これまでの学生生活で築き上げた居場所がまた無くなってしまうかもしれないこと。

それは、これからほぼ100%の確率で起こってしまう、確定事項だ。


でも、ひょっとしたら、私が昔、死にたいと思ったあの時。

もしくは、部活で居場所が無いと感じたあの時の一瞬に脳裏をよぎった、

「また、病気になれば、みんなは私を見てくれるだろうか」という思い。


もしかすると、そんな願いが、叶ってしまったのかもしれなかった。


しかし、いくら後悔しても過去に戻ることはできず、私は只々、冷静に思考を巡らせていた。

湯船の中に沈んだ私は、多分涙を流した。

でもお風呂の湯舟の中では、涙もお湯も同じことだった。


私は、そこで密かに決意した。

自分が辛い顔を見せると周りが辛くなってしまう。

ただでさえ迷惑をかけているのに、これ以上心配はかけられない。


そう、自分は自分が一番嫌いなのだ。




かつて、自己防衛のために使用したその考えを、私はもう一度頭のなかで繰り返した。




贅沢を言うことはできない。高望みをしてはいけない。




生きているだけで自分は幸せなのだ。




それが、私の人生で、人生なんてこんなものだろう。




無理矢理自分を納得させて、私は風呂から出た。










そして、入院の日がやってきた。




Episode10


2014年1月6日。




15年前と同じ日に、私は再び病院のベッドの上にいた。




入院の手続きが済むと両親は帰ってしまい、私は独りになった。




一言で表すならば、入院しているその時も『現実味がなかった』。




その感覚は、病気がわかった時と同じであり、私は不思議と落ち着いていた。










また、4人部屋だったので、夕方になると部屋に人が戻ってきて、少し賑やかになった。




私は、同じ部屋の人にお見舞いで貰ったものをおすそ分けしていた。










入院してから多くの検査を行った。




骨シンチ、造影CT、レントゲンX写真などなど、




世間で騒がれている放射能汚染の影響が気にならなくなるくらい、放射線を浴びた。




骨の癌だったために、転移を調べるための造影剤を注射する検査が多かった。




昔から血管が細く、注射の針は私の腕を何度も刺した。










そして、最初に生検の日にちが告げられた。




1月14日。




皮肉にも、自分の誕生日の前日に私は手術室に入ることになった。




最初に地方の病院で見たレントゲン写真では、腫瘍の大きさは20cm程度。




私が気になってインターネットで調べた文献によると、18cmを超えると悪性となり、骨肉腫と判断される。




もう、生検をしなくても悪性であることは明確であった。




また、PET-CTの結果から、上から11番目の肋骨にも小さな腫瘍があることが判明していた。




半身麻酔を行うと、麻酔の針を刺す場所が肋骨に触れてしまうリスクがあり、




リスクを避けるために全身麻酔で生検を行うことになった。










1月14日の朝、絶食で空腹のまま、私は手術室に入った。




そして、麻酔によって眠りに落ちた。










―――――




目を覚ますと、元の病院のベッドの上だった。










微かに、生検直後の記憶が蘇る。




手術室のベッドから横に、ストレッチャーに乗り換える。




生検で切ったと思われる足が痛む。










そこから先はよく分からない。




今は何時で、一体どのくらいの時間が経ったのかも分からなかった。




その日天気は良くなかった。病室は薄暗く、生検が終わった私のそばに誰かがいるわけでもなかった。




15年前の入院と違うのは、私はもう独りで闘うしかないということだった。










しばらくして、整形外科病棟の看護師長さんが父と一緒にやってきた。




空腹を告げた私に、父はポケットのお菓子を置いていった。




それは、イチゴジャムの入ったパイのようなもので、私の好みには合わなかった。










そして私は、19歳の誕生日を病院のベッドの上で迎えることになった。




生検で切った傷が塞がるまでは安静で、トイレに行くにも切った所が痛くて動けなかった。




誕生日だということを知った看護師長さんは栄養士さんに交渉して、フルーツ盛り合わせのケーキを用意してくれた。そして、夕食の時に勤務中の看護師さんを集めて『Happy birthday to you』を歌って祝ってもらった。




また、次の日も、同じ部屋の人のお見舞いに来ていた人が




「この間、おすそ分け貰ったみたいで、昨日誕生日だったらしいね。よかったらどうぞ。」




と、ケーキをプレゼントしてくれた。










私は、こんな日々がいつまでも続けばいいのにと思っていた。










生検の傷が安定した所で、結果が出るまではすることがなくなったので、退院できることになった。




病院の先生は、癌治療の腫瘍科に転科手続きをしておくからと言ってくれたので、心置きなく帰ることにした。










再入院の日は、2月8日。




点滴を通すための静脈皮下トンネル(以降、ルート)を通す手術も近々行うことになった。




私は、10代最後の1年を、病院で過ごすことを覚悟して、一度退院した。





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