国境
そこがR棟の一室である事は間違いない。
荘厳な装飾。飾られる絵画に複数のシャンデリア。
大理石が敷き詰められたその床は、とてもここがただ食事をする場所だとは検討もつかないほどの広さを誇る。
ただ一つ違和感。
やたら暗い。
せっかく複数もあるシャンデリアに明かりの灯された物はただ一つ。
淡い灯火を放ち、せっかくの絵画達も視認すら危うい。
カーテンは全て閉じられ、外の光を鱗片すら拒んでいる。
そこに、杖を付きコツコツと大理石を叩く音を立てて入って来たのは一人の老いた男性。
白髪混じりの黒髪、顔はシワに包まれ、腰が曲がっているほどではないが杖に体重を任せながらゆっくりと進む。
「おはようございます、ご主人様」
「おはよう、アルヴェヴォ」
色取り取り、上品なソースの香る食事が並ぶテーブルにその男が近付いた時、そばに立つワイシャツの男が椅子を引いて挨拶をした。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
次に彼にそう挨拶をしたのは、既にその丸く白いレースの乗せられたテーブルに着席し、椅子に膝をついて身を乗り出しながら並ぶ皿を眺め、食事を心待ちにしている小さな女の子。
この上品な食卓にあるまじき行儀の悪さだが、誰も注意を促す様子は無い。
「じゃあ、食べようか」
「頂きます!」
男の合図で食事が開始される。
男はカチャカチャと静かにナイフと皿の音を響かせていたが、女の子の方はナイフは置いたままフォークで次々と品々を刺しては口に運びかぶりつく。
「あたしもそれ食べたい」
その時、女の子が自分と男の食事内容が違う事に気づき、そう言った。
「お前、辛い物はダメだっただろう…
それと私にフォークは向けるな」
「食べられる気がする」
「………」
「いけません」
身を乗り出す彼女の顔の前に、掌を伸ばして傍に立っていたワイシャツの男が止める。
「アルヴェヴォ…」
「この子に辛味は毒…忘れたわけではないでしょう。
少なくとも、貴方が今切り分けている大きさでは致死量を遥かに上回ります…」
「…だ、そうだ」
「やだ!!食べたい!!」
「………」
「食べたい!!食べたい!!食べたい!!
食べたい!!食べたーーーーーーい!!
ああああああああああああああ!!」
椅子を倒し床に寝そべり、手足をバタつかせゆっくりと右に回ってゆく。
「…アルヴェヴォ…どうすればいい」
持っていたナイフとフォークを置き、頭を抱えて「ふー」と溜息をついていう。
「まぁ、待つしか無いでしょうね」
「アルヴェヴォ…私の料理にもう辛い物は出さなくていい」
「よろしいのですか?
それより、やはり娘さんの様に下のメイドに任せては…?」
「いや…いいんだ…。
こいつは貴重だ、そばに置いておきたい」
「…承知」
ーー
「食べられるもん…まだ食べたこと無いからわかんないもん…。
なんでダメって言うの…死んだりしないもん…」
数十分後、奇声ばりの喚きは長い時間を掛けて「ぐずり」程度までに抑えられ、女の子はアルヴェヴォと呼ばれる男に抱き抱えられ、揺らされ優しく背中を叩かれながら彼のワイシャツの肩の部分をしゃぶり、鼻をすする音とえずきを交えながら、ぐちぐちと不満を漏らし続けていた。
その傍らで黙々と食事を続けていたご主人様と呼ばれる男が最後の香り漂うソースに塗れたビーフ肉の切れ端を口に運び、布巾で口元を拭うと彼に問うた。
「アルヴェヴォ、そう言えば昨日のアレはどうなった?
ゴリエが喧嘩を売りに行ったと聞いたが」
「さぁ? 帰って来た時は大分不機嫌な様子でしたが」
「フン…どうせまた麻先生のイタズラだろう
ゴリエの奴、何をそんなにもピリピリしている?
誰も怪我人はでなかったんだろう?」
「貴方の娘さんであるお嬢様が腕と顔に火傷を」
「フン、あいつも仙人だ。
放っとけばスグに直る。それにあいつも今年でもう15だろう、火傷なんて気にはしない」
「……ま、そうですが」
今年で16。
アルヴェヴォはそう言おうと思ったが躊躇した。
どうせ興味はあるまい。
「まぁ、ゴリエが余計な事をしてA棟との仲がこれ以上険悪にならなければいいが」
「そうですね、麻先生の嫌がらせも最近ヒートアップしつつありますし」
「ああ、それに向こうにはタクローもいる」
「…そうですね」




