痛み分け
ボロロンと鳴った電子音に、彼女を待たせている事を思い出す。
すぐさま、その音でお湯を熱し終えた事を知らせるケトルで、安物の紅茶っ葉を入れた、この前貰ったティーカップにお湯を注ぐ。
紅茶なんて飲まねえし、この紅茶のティーパックも酒のオマケでついて来た奴だからわからんが、これで多分大丈夫じゃないだろうか。
「粗茶ですが」
客なんでもてなしたことは無いが、多分こう言っとけばいいんじゃないだろうか。
「ねえ」
明らかに不機嫌なご様子で、人差し指で机を叩き
頬杖を付きながら彼女の方から俺にそう言った。
「いいかしら?」
「え?でも本人はあの調子だし話し合いは…」
「いいのよ、あの人に会いたかったのは同時に「貴方達とも会いたかった」からだし
…まぁ、でも確かに話しは昨日の爆弾の事だから……貴方もそこからしっかりと聞いていなさいよ!!」
そのテーブルから首をひねらせ、横の方にあるベッドへ叫ぶ。
「ひぃぃぃいいい!!」
と、返事が来た。
「まず、昨日の爆弾。
私達の棟の首領であるご主人様の長女であるお嬢様がおやつと聞いてつまみ食いをしようと開封した所で爆発。
お嬢様は、手、顔などの数カ所に軽い火傷を負ったわ」
ご主人様とかお嬢様とか登場して、余りに豪華な話に思わず身を引く。
まぁ、流石はR棟の子供。
火傷程度で済んで良かったが。
「これをA棟からの宣戦布告と受け取った者、お嬢様を傷付けられた事に怒る者の猛りを抑える事は出来なかったわ。
かく言う、私もその一人だし」
「ここまで言えばもうわかるわね?
このままそっちから、事態相応の自らの首を切る様なアプローチが無ければ私達は貴方達に対して
嫌がらせでなく破壊を目的とした攻撃を行う事になる」
彼女の発言は部屋の空気を凍らせた
話を聞く誰もが息を呑み、彼女の表情を伺う
「もちろんこっちだってそんな事はしたくない、ご主人様も戦いを避けようと生徒達を必死で宥めてる
…そこで、この戦いを避ける為にひとつ提案を出させて貰うわ…それは」
「人質」
「ひ、人質?」
「そう、今後貴方達が私達に手を出さないという保証のための人質。
まぁ、もちろん今後の和睦の可能性は捨てる事になるけど。
それでも、貴方達如きが考えうる最高のアプローチで媚びるよりは遥かに確実よ」
「ただし、その人質には五つ!
条件を満たしている必要がある
ひとつ…この棟において重要な人物である事。」
閉じた拳を突き出し、指をひとつ立てて言う。
「ふたつ、若く健全な者、または会長の様に…まぁ、いわゆるまだまだ生きそうな人物。
みっつ、一人で一軍を無力化できる力のある者。」
次々と、指を立てて条件を立ててゆく
正直言って俺はその時「シュアーン先生」を差し出せば、条件を満たすし、厄介者も消えるし一石二鳥なんじゃないかとか考えてた
甘かった。
「よっつ、麻・美爽以外の人間である事」
名指しで拒否された
まさか棟を越えて疎まれているとは
しかし、この条件はどう考えても…
「いつつ、最初からA棟に入学、または2年以上在席している者。
この条件を満たす者…もちろん、生徒か教師かは問わな…」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
横入りしたのはトーマス先生。
そりゃ、そうざるを得ないだろう
どう考えても彼女の狙いは…
「ダメ、待てない
こっちはもう攻撃体制、引き金を引く寸前よ
この交渉が貴方達が判断できる最後の…」
「そんな条件に当てはまる人間…会長しかいないじゃないか!」
「…そう、それなら仕方ないわね
質のいい人材がそんなにも少ないなんて想定していなかったから
まあ、二択になるだけよ
会長を明け渡すか、甘んじて攻撃を受けるかね」
「ざけんな!!
お前達それをタネにして、ただ会長が欲しかっただけだろ!!」
「さぁ?」
「くそ…!!」
「待て、タクロー君
どう考えてもこれは平等じゃない
俺達から向こうに行って、事情を説明しよう
わかってくれる筈だ」
「わかってくれる?
こいつ見ててわからなかったんですか!?
どうせ向こうの連中は皆、話の通じない奴ばっかですよ!!
皆猿ですよ!
動物園の猿が檻の外の人間が檻に閉じ込められてると勘違いするのと同じように、俺達の事を哀れんでんですよ!!」
俺が指を指してそう叫ぶと、彼女は少しムッとした。
「そんな事言ってもだね…他に」
「ねえ」
「ああ!?」
「何もそんなに悩まなくても、探せば他に条件に合う子ならいるでしょ?
だから、私わざわざ貴方達に会いに来たんだから」
「は?他にって…」
「この部屋」
部屋を一周ぐるりと見回す
いるのはトーマス先生とモネとハンと、あと布団の中のシュアーン先生。
と、俺。
「忍者でもいるんじゃない?ニンニン!」
…まさか…俺か!?
確かさっきシュアーン先生が俺の事、副会長だとかなんだとか言ってた気がするし。
若いし、一軍無力化できるかは…わからんけど言われて見たらいけそうな気がするし。
俺、シュアーン先生じゃないし!
「お、おれ…」
「彼よ、彼。
まさか気づいてないの?本当に可哀想…」
彼女が指差したのは
ハヤシライスを食べ終え、そのまま横になって3dsで遊ぶハンだった。
指を差された彼自身も「は?」と言った顔で、忙しく動いていた指が止まる。
「ちょ…ちょっと待て
ハンがお前の言う条件を満たしているとはとてもじゃないが思えないぞ?
確かに人並み以上には強いが、一軍を無力化するってのは到底…
それどころか別に重要人物ってわけでも…」
「はぁッ!!」
彼女は大きなため息で返してきた。
「アンタにはわからないかもしれないけど、その「アン」って子には、将来的に間違いなくそうなる素質があるの。」
「無いよ」
「あるの!!
ともかく!! 会長が嫌ならアンをこっちへ寄越しなさい!!」
両手をダン、とテーブルに打ち付けて立ち上がった。
ハンの方を見ると、ポカンと未だに何が起こっているのかわかっていない様子。
「お、俺嫌だよ…あんな所行きたくないよ!」
状況を理解するのと同時にコタツから立ち上がり、何故か俺のベッドへ走る。
「うわっ!グロっ!」
しかし、掛け布団をめくった先に見た光景に仰け反り、離れようとしたその時
「一緒…君も私も一緒…一緒にいましょ
せめて…死ぬ時は…一緒」
「うわあああああ!!」
そこから伸びて来た腕に掴まれ、まるで蟻地獄に落ちたアリのように布団の中へ吸い込まれて行った
最初は暴れていたが、暫くして大人しくなった。
「ハァ…あの子がここにいたら間違いなく可能性を無駄にすることになるわ。
会長をくれるか、あの子をくれるか…今の内に決めて頂戴」
「そんな…会長かハンかなんて…決められ…」
「あんなジジイあげちゃえばいいじゃん!!」
布団の中から先生が叫ぶ。
「いや、先生流石にそれは……ん?
あげちゃえばいいじゃん?」
あげちゃえばいいじゃん…あげちゃえばいいじゃん…?
あれ?俺達いつから会長の事そんなに愛してたっけ?
俺なんか、寧ろ嫌な思い出の方が…ってか殺されかけてるし。
ん?
あげちゃえばいいんじゃね?
「あの、トーマス先生」
「タクロー君、多分全く同じ事を考えてるよ」
「どう、会長をハンと天秤に掛けても、ハンが重い…ってか会長が軽過ぎてハンが地面を抉るほど釣り合わないんですけど」
「そうか、俺は逆に爆弾で向こうのお嬢様を軽く傷付けてしまった事と
会長を渡すことが釣り合う事に気づいたよ」
「ちょ…ちょっと貴方達…」
「と言うか、あのR棟の背景に会長は合わないでしょ!
あげても、そのうちいたたまれなくなって勝手に帰ってくるんじゃないですか?」
「それは違いねえな
はっはははははは!」
「ちょっと!!」
「と、言うことで会長は」
「「あげます!」」
「ダメよ」
「「は!?」」
「ここまで妥協させといて、会長でいいですなんて許さない
意地でもアンは貰ってくわ」
「「なんだよそれ!!
勝手すぎんだろ!こっちだって苦渋の決断だったんだぞ!なぁ先生(タクロー君)!」」
「「うん!」」
「うるさい!!
いいからさっさとアンをこっちに寄越しなさい!!」
「…つーかさ」
「何!!」
「お前、なんでさっきからハンの事アンって呼ぶの?
ハンだよ、ハーン」
本当はヨハンだけど、誰も覚えちゃいない。
「…ファン」
「ファじゃなくてハ!
ハ・ン! ハー…」
「うるっさいわね!!いいじゃないそんなこと!!
さっきからアンタ何!?人をさんざんイラつかせて!!
アンタ生まれは何処よ!?」
「え…日本だけど」
「日本…はっ!!あのワガママ放題の乞食人間の溜まり場ね!?
貴方にはお似合いだわ!!
大体意味がわからないのは日本食とかいうゲテモノの総称よ!
煮付けとか麺つゆとか…あの甘くて辛くてしょっぱいとか意味わかんない!!
植物の茎とかをこう…なんかまた甘くて辛くてしょっぱい汁につけたり!
あと寿司!あれもわかんない!
大体生で魚を出して、男の人が素手で握った物をお醤油に付けて食べるなんて危険よ!風邪引いちゃう!」
「お、お詳しいですね」
「それに…それに日本人は私の国の人間の名前を聞くと絶対に笑うのよ…!
絶対…絶対に…!!
自分達だって変な名前してる癖に…!!
アンタ!名前は!!」
「た、タクロー」
「ップ!!
ハァーッハッハッハッハッハッハッ!!
ほんっっっとに変な名前!!
こんなすっとんぴょんな名前他にないわ!!」
「あの…」
「何!?」
「失礼ですが、貴方の生まれは…」
「ぜっっっっったいに教えない!!
名前もぜっっっっったいに教えない!!」
「いや、フランスかな?
と思って…」
「フッ!?」
「いや、気のせいかもしれないけどフランス人は「H」を声に出せないとか聞いたことがあって。
ハンをアンって呼ぶのはそのせいかと…」
「そう言えば、英語の発音もたまに変だしな」
俺とトーマス先生のその言葉を聞いた彼女はワナワナと震えながら顔を赤らめさせてゆく
…図星だったか?
「うるさい!!
フランス人だったのは母親の方だ!!
母親のフランス風ロシア語がうつってHがちょっと苦手になっただけだ!!」
「ロシア人だってさ」
「みたいですね」
「!!…………。
バカにしてぇ…!
アンタ達は何と言おうと私は私の国に誇りを持ってるし、母の国と言葉を疎いと思ったことは無い!!
母のくれたゴリエ・スフォフォノビッチ・ボロディンコと言う名前も!!」
「……ップ!」
「笑うなああああああああ!!」
「あ、いや笑うつもりは無かったんですけど、ついいきなりだったもんで…」
「こんな…こんな日本人なんかに…。
食文化もセンスも何もかもロシアの方が勝ってるのに…!!
その証拠にこのクッキーも!!
…ン……ング……グォフグフ!!
ング…まず…グフフォ!!」
「早く!早く紅茶を!」
「ン…んん…。
紅茶も…………まずっ!!
帰る!!」
一口で紅茶を飲み干した後、ツカツカと部屋の扉の方へ向かってゆく。
「明日の朝までにいい返事が無かったら、覚悟しなさい!!」
バタン!!
と、勢い良く扉が閉められたその時
この学校史上かつてない戦いの火蓋が切って落とされた事を
この時は誰も知る良しもなかった