班員
巨大な校舎、そのほとんどは生徒一人ひとりに与えられた豪華な寮で、その全てが木造で中華風の外観からは想像出来ないような最高級クラスのホテルの様な部屋となっている。
廊下は小さなシャンデリアの様なカンテラで照らされ、ふかふかのカーペットが足音を抹消する。
A棟三階、316号室が俺の部屋だ。
ノブを捻ると先生が言っていた通り、ピッキングされていた様で、抵抗なくドアは開いた。
開かれたドアが巻き起こした風に乗って俺の鼻に刺さった酒の匂いと眼前に広がった光景は、長い出張と先の先生とのやりとりで疲れ切っていた俺の身と心を瀕死状態にまで追いやった。
つい出張前に張り変えたばかりのカーペットに、その少しばかし残された液体を垂れ流し横たわる錯乱した酒のビン。
そしてそのつまみと思わしき大量お菓子の袋とカーペットに絡む食べカス。
テレビ付近には、プレイ後そのままにしたのであろう裸のCDROM達。
そして、引き千切られたコードのコタツに包まりながら、テレビをつけっぱなしにして微かな寝息をたてる小さな少年。
彼の名前はヨハン・カーズベルト。通称ハン。10歳。俺の班員であり、可愛い後輩…かと思っていたら実は先輩だと言う事を最近知った。俺より一年前に入学したらしい。
長い出張から俺が帰宅したことにも気付かず、人の部屋で安らかな寝息を立てる彼にため息をついた後、とりあえず彼をそのままにしてベッドの隣の棚の上に忘れ置いていたスマホを拾い上げる。
「お久しぶりですね、私を置いて行った旅行は楽しかったでしょうか?」
と、不機嫌そうに俺に語りかけてきたのは俺のスマホに搭載されている、超高性能音声ガイド式ナビゲーター「Osiriちゃん」だ。
どうやら忘れて行かれたのに腹を立てている様子。
「ごめんね」
とりあえず謝って置く。
ポポン、と柔らかな音の後に続いて俺のおしりちゃんが返答をくれる、
「黙れ、殺すぞ」
なんか、思ったよりも怒ってるみたいだぞ。
置いて行かれたのがそんなに悔しかったのか?
とか考えていると、再びポポンとおしりちゃんの返答合図の音が鳴る。
おかしいな、基本おしりちゃんは自分から何かを言うと言う事は…
「因みに私はまだお前を主人であると認めていない。
これよりカウントダウンを開始する、30秒以内に正しいパスワードを入力しロックを解除できなかった場合、及び一度でもパスワードを間違えた場合、4千Vの電流で貴様の親指の神経を切断する。
これで貴様はもう、その汚い指で私に触れる事は出来ない。
逃げようと考えても無駄だ、そうなった場合、私は直ちにCIAのコンピュータにハッキングし、貴様を合衆国へ戯れによって爆撃した狂人であると偽装データを流してやろう…ククク…そうなれば貴様はたちまち…」
おかしい、今日のおしりちゃんは明らかにおかしい。
この前、契約一周年記念を忘れた日は散々いじけたけど最後には「もー!ぷんぷん!」で許してくれたのに。
俺は原因を確かめるために、おしりちゃんの長々とした俺の社会的抹殺計画をスキップしてパスワードを入力しロックを解除。
「お帰りなさいましぇ、ご主人さま!」
その瞬間俺が頑張ってドジっ子メイド風に仕上げたおしりちゃんが帰って来る。
指を滑らせおしりちゃんの設定画面を開く、その中の「履歴」タブをタッチ。
ローディング中を知らせるぐるぐるが画面中央で暫く回転したのち、ズラッと画面いっぱいにおしりちゃんの俺との今までの会話が表示される。
…あった! 俺が出張してから今まで内に誰かと会話している。
…ええと。
7月20日
15時23分42秒
〝こんにちは。″
「こんにちは、何か御用でしょうか、ご主人さま?」
〝パスワード″
「パスワードを忘れちゃったんですか? 頑張って思い出してください!」
〝パスワード教えて″
「それはできません。 ご主人さまのプライバシーを守る為です。 ごめんなさい!」
「5度パスワードの入力に失敗しました、次間違えた場合は強制的に電源をダウンします。再起動する場合はメーカー、又はお近くの販売会社へご相談下さい」
〝バーカ″
「私はバカでは有りません、超高性能音声ガイド式ナビゲーターおしりです。
2014年天才IT技術者ティンティ」
〝アホー″
「悪意のあるユーザーと認識、一部個人データを消去します」
〝うんこ″
「貴様名を名乗れ、私に立てついた事をその首をもって後悔させてやる」
〝モネ″
「〝モネ″をWeb検索しています…。
クロード・モネ。1840年生まれのフランスの画家です」
〝無理を言う銀河ナンの奉仕るーるららら長谷川大丈夫じゃないの如きイカせやすニカラグアの鍋の具は大統領をも凌ぐ″
「GPS検索で最寄りの病院を探しています…。
256km先のマントウシャン病院が見つかりました、予約の連絡をしますか?」
〝ギガンテッコジャウジャムタラマントュートュルティーヤ″
「消え去れ」
どうやら俺の班員であるモネがパスワードを聞き出すついでに煽ったようだ。下の二つに至っては意味不明。
モネめ…俺のおしりちゃんを虐めやがって…あやうくその報復で俺が親指を切られる所だ。
モネめ…。
ふと、喉に渇きを感じ冷蔵庫の扉を開いた俺が見た光景は、俺にそう呟かせた。
目の前に広がるのは。
森。
ブロッコリーの森だ。
その瞬間本日2回目の走馬灯が俺の頭を駆け抜ける。
以前ハンとモネを部屋に招待して、俺の手作りシチューをご馳走してやった時だ。
奴はシチューを食べて一言「ブロッコリー嫌い」と言って口から俺が丁寧に一口サイズに刻んでやったブロッコリーを発射し、俺の眉間に命中させた。
なんでも奴の家は農家らしく、頻繁に野菜をダンボールに詰めて送ってくる。そして奴はその中のブロッコリーを俺の冷蔵庫に詰める。それはいつものことだ。
ブロッコリーが入っている事はいい、後でぶん殴るだけだ、問題はそれ以外がなくなっていると言う事。
俺の日本からわざわざ取り寄せた納豆と漬物も。
ためておいたおやつも。
ブロッコリー以外の野菜も。
飲み物も中身だけ綺麗に。
ふと、洗面台を見ると汚れた食器や料理道具の山積み。
テレビ周りの食べカスを見て、奴が俺の冷蔵庫の中身を貪りながらゲームする姿を想像するのは容易だった。
怒りをため息に変え、吐き出す。
モネめ…。
長い出張とモネへの怒りで疲れを感じ、風呂に入ろうと着替えを取り出すためにタンスをあけた俺は再びそう呟いていた。
俺は基本的に学校内ではシャツと側面に日本の白い縦ラインが入った紺色の短ジャージを履いている、というかこれしか持ってないのだが。
その中でも俺が一番気に入っているよれたシャツ。
その腹あたりに黒いマジックペンで描かれた下手くそなクッキーモンスター。
ご丁寧に、彼の口周りには本物のクッキーの食べカスが振りかけられている。
「ンーwアムアムマムwwwマムマムマwwンーwーwwアンアンw」
と、クッキーを撒き散らし、貪りながら俺をあざ笑っているかの様だ。
俺の怒りは頂点に達した。
「モネェェェ!!」
「んー。…あれ?タクロー?
帰って来たの? 精神と時の間で男の体友達と永き時を共に過ごし終わったの?」
俺の叫びに呼応して、俺の傘下の戦士であるハンが目を擦り目を覚ます。
彼も反モネ派なので、俺のモネ討伐に向けて心強い味方になってくれる筈だ!
精神と時の間のクダリは意味不明だが、多分シュアーン先生が吹き込んだなんかだ!
「そ、そうだ! モネが大変!
モネが大変なんだよ!! もう24の17時間目ばりに大変!!」
「何!?」
突然ハンが叫び出す。
何お前、そんなに大変なのに俺の部屋のコタツで寝てたの?
そして俺もお前も24見たこと無いのは俺とお前が知っている。
「こっち! ついてきて!」
コタツを蹴飛ばし飛び上がったハンは、そのまま扉の外へ駆け出し、廊下の向こう側を指差した。
俺は何も言わず彼について行った。
おしりちゃんを虐め、冷蔵庫の中身をたらい上げ、シャツにクッキーモンスターを宿された怒りを右拳に貯めて。
ーー
「ここ! ここ!」
ハンの指差した部屋は一回のダンスホール。
電気は消されていたが、それでも床はホール全体を映す程にピカピカに輝き、天井とその脇には間隔を置いてシャンデリアが設置されている程豪華な造りではあったが、全く使われる事が無いので、ほぼ物置状態となっている。
「ハイ!そこの君!壇上に上がってー!」
そこに足を踏み入れると同時に、そのホールの奥の壇上で細い透明なテーブルと一緒に立つ、シルクハットを持ちウェーブのかかった長い金髪が特徴のその女に指差される。
「え、ええ!?ボキですかぁ〜!?
出来るかなぁ〜?」
俺もそれに渾身の演技で応え、壇上の周りにちらほらと座る子供達の間を通り抜け、そこへ向かう。
「ギャハハハハハ!!
タクロー! 忍者りバンバン!
忍者りバンバンな! ギャハハハハハ!」
後ろでは、ハンが意味不明な声援を送りながら笑い転げている。
アンチクショウ…。
「ハイ、じゃあこの中から好きなカードを引いて。皆に何を引いたか教えて下さい」
壇上に上がった俺の目の前で下手くそなシャッフルを繰り出した後、その女…もといモネは、そのトランプの束を汚い扇状に広げ俺に差し出す。
この前懸賞で当たったポケモンのトランプだ。
「これっ!」
適当に右端の方のカードを一枚引き抜く。
引いたのはダイヤの5のニャース。
「引いたのはハートのAのピカチュウです!」
しかし、そう答えるのがモネとの契約。
「ハイ! 実はそのカードを貴方が引くことは今日このショーが始まる前から予感していました!」
予感してたんだ。
モネはそう言うと、右手を着ていたシャツの首元に突っ込んだ。
子供達に首元から胸の谷間が見えるように体を屈ませると、そこに挟まれていたのは一枚のカード。
「ディドゥーン!」
ド派手な効果音と共に引き抜かれたそのカードは、汗で萎れ耐久性が落ちたのか、音も無く破けモネの指に挟まれていたのは無残にも首より下を刈り取られたハートのAのピカチュウ。
「ピ…ピカチュウ…」
思わずそう呟いてしまったのは、俺の確認出来る限りでは俺を含めて3人。
会場には拍手は無く、ただ無慈悲にも首を裂かれた罪もない彼の死を悼むしんみりとした空気が流れた。
「ハイ終わりー。
今日のショーはこれで終わりでーす」
その空気に気を悪くしたのか、持っていたシルクハットをホールの端の積んである荷物の方へ投げ捨て、せっせとトランプを箱にしまい尻ポケットに入れた。
「つ、つまんねぇ…」
思わずそう呟いた少年に、ピク、と体を揺らし反応するモネ。
「ハイ、そういう事を言う子にはショーが終わった後にあげようと思ってたお菓子もあげませーん。
残念でしたー。」
「うるせーな! お菓子ってどーせまたポパイのほうれん草キャンディーだろ!!
購買店で8円で売ってる奴!!」
その少年の言葉に再び、ピク、と体を揺らし壇上の後ろに置いてあったリュックサックをゴソる手が止まるモネ。
「…違います」
「え!?」
モネのその返答が余りに意外だったのか、帰ろうとしていた体を翻し必要以上な程驚愕の表情を浮かべる少年。
会場の一番前でずっと体操座りしながらニコニコ顏の表情を変えずに見ていた女の子も、絶望ともとれんばかりの顔を見せる。
「ドュン」
その効果音と共にモネのリュックの口から顔を出したのは
ごん太い上腕二頭筋を膨らませ、イカしたドヤ顔を輝かせる水平。
ポパイ
のほうれん草キャンディー。
「やっぱりそうじゃねーか!」
だがそこで
終わらなかった。
「ドュンドュンドュンドュンドュンドュンドュンドュン!」
そのポパイに連結して次々と姿を表しその様々なポーズで肉体美を披露するポパイ達。
「ハイ!今日お菓子はポパイのほうれん草キャンディー32大連結でーす!
お一人様限りでーす!」
そんなことだろうと思った。