その6
暫くして、酔いも回ってきたのか、場が宴もたけなわ状態になった頃だった。一人の娘が、皆を代表した形で声を上げ
「ねえ、春子伯母さん? その人って、本当に土筆さん?」
これにすぐさま、相手の方へと目をやった春子側の四人。一応ながら、マスク女は小首を左へ傾げ、いや慌てて右へと傾げている。
「撫子ちゃん。何を言い出すんです!」
今まで見た事もない表情で、聞き返すは春子さん。
(おろ? こりゃ、まさしくサッカーボールだわさ)
とは、どこまでも暢気な主役。
しかし、相手も負けじと
「だって、あまりにもタイミングがよすぎるじゃん。前日に、それもマスクをつけて、のこのこと現れるなんて……ねえ、みんなもそう思うでしょ?」
これに皆ともが頷いている。そこに
「さっきは気づかなかったけど、やっぱり怪しいよなあ」
ソース・蓮生である。
「いい? この子はね、ようやく退院できたんだよ。そりゃもう、酷い火傷だったんだからね!」
これに、今度は蓮生の隣にいる娘が
「伯母さん。いくらそう言っても、証明するものがないじゃない。だったら、勘ぐられても仕方ないよね?」
「勘ぐられるって、どういう意味よ? 椿ちゃん?」
ここで、その母親である冬子が笑い出し
「アッハッハ! いやねえ姉さんったら、しらばっくれてさ。椿はね、遺産欲しさに替え玉を用意してきたって言いたいのよ」
ついに核心を突いてきた。それもあからさまに、だ。
「な、何を言うのよ!」
孤軍奮闘の偽母親を目の当たりにした、こちらも偽娘。チラリと右隣を見て
「そろそろどうだ?」
これに
「そうしょっか」
そう返事した志保さん、すっくと立ち上がるや否や皆を見回し
「この星名志保が足を棒にして、ようやく入院先まで調べ上げお連れしたのです。よって全責任は、この星名志保にあります」
これに隣から小声で
「いちいちフルネームで言うなって。選挙演説か?」
志保さん、正面を向いたまま、まるで腹話術の人形如く口すら動かすことなく
「大事なとこで、ちゃかすな」
そしてすぐ顔を左に向け
「春子さん。どうします?」
「仕方ありませんね、ハアー」
母親は諦めた風に溜め息を一つだけついたあと
「では、土筆さん。辛いでしょうが、そのマスクを外して皆にその顔を拝ませてあげなさい!」
一斉に生唾を飲み込む音が重なり、そこにあたかも蛙がいるよう。
そして、緊張感漂う中――だがこれが蒸れすぎて、なかなか外れやしない。
「今いいところだぞ、早くせんかい!」
相変わらず、正面を見据えたまま言ってくる志保さんだったが
「焦らすなって。こちとら、顔まで取れそうなんだから」
そしてようやく、マスクの下から素顔が現れたのだが。
静寂が続いたのは、ほんの数秒だけだった。その後はというと、これが騒がしいったらありゃしない。
キャーやらウオーやらの悲鳴が、あちらこちらより沸きあがっている。
「フン。言わんこっちゃない」
鼻で笑うは星名さん。一方の木俣さんは、さかんに手で顔を仰ぎ
「あ、暑い、暑い。死ぬかと思ったぜい」
とつぶやきながらも、早くも鍋をつつき出している。やはりこの女、タフそのものだ。
その内に、もはや忍耐の限界にきたのか、一人一人と駆け出して部屋から出て行ってしまった。
やがて
「そして誰もいなくなった、てか?」
そうほざく木俣さん、その口からは半分猪の肉が顔を出している。
「ちょ、ちょっと木俣さん! おぞましすぎるからやめてくださいって!」
「ん? 失礼なこと言うやっちゃな? こちとら、必死なんだぞ……あ、こいつが虹鱒か!」
必死なのは、どうやら食うことらしい。いつのまにやら右手に持っている徳利を、がぶ飲みすらしているのだ。
これを見て呆れる志保さん
「まるで魚人そのものだなあ、ったく」
同じように、この光景を微笑んで見ている春子さん。
「これでもう、誰も口に出してはこないでしょう」
「フワー、極楽、極楽っと!」
任務を半分ほど終え、ホッとしている木俣さん。今湯船の中で、思いっきり足を伸ばしている――これがどう見ても、皮をそぎとった二本のゴボウにしか見えないが。
「ほっとけ!」
やがて立ち上がり、鏡の前まで近づき覗いている。
「うっぷ。猪が口から出てきそうだわい」
と言いながらも、そのまま鏡に映っている己の顔を見続け
「これって、もう用なしだよね?」
そして懸命に石鹸でゴシゴシと顔を洗っているのだが
「お、落ちないやないか! もう、あのくまもん野郎め、どこまでしつこく塗りたぐってるんだ!」
これ以上やれば眉毛やら鼻のほうが先に取れそうだったので、さすがに諦めた魚人さん。浴室を出て脱衣場へと向かった。
「あー、サッパリしたっと!」
浴衣に着替えて大きく伸びをした木俣さん、トレードマークの瓶底眼鏡もかけ
「じゃあ、戻るとすっか」
だがこの時、その目が点になってしまった。
与えられた自室で、テレビを見ながら笑い転げている土管探偵。
「ギャッハッハ!」
だがこの時、ノックの音が耳に届いてきた。
「んもう! いいところなのに!」
しぶしぶ立ち上がり、ドアまで向かった志保さん
「誰なんだあ? 人がくつろいでるっていうのに!」
文句を垂れながらドアを開けたところ
「ギャアー!」
文字にしたら近いが、実際にはさっきの擬音とは真逆である。
そこに立っている女が
「あ、すまん」
「マキ! マスクつけるの忘れてるだろが! もうさ、ビックリしてちびりそうだったじゃないか!」
だが、これにも相手からの反応は
「す、すまん」
「ん? どした?」
ようやく相手の様子がおかしいのに気づいた志保さん、やがて目を丸くし
「ま、まさかマスクなくした?」
「その、まさかだ。だがなくしたんではなく、盗まれたんだ」
「い、いつだ?」
「風呂に入ってる間に、だ。それ以外は無事だった」
これに志保さん、さも当然とした風に
「そら、マキの下着を盗むなんて、キングオブ変態しかいないからな」
「しばいたろか?」
だがここで志保さん、急に真面目な顔になり
「にしたって、えらい事をしてくれたもんだ」
「すまんのう」
「いくらしたと思うんだ? あのマスクって」
「そ、そこかい!」
「サンキュッパだぞ、サンキュッパ!」
「唾をとばすなって」
慌てて、顔を手で拭ってる木俣さんだったが
「だいたいな、まだ必要なのか? マスクって。もう全員がこの素顔を拝んだじゃないか」
「必要だと思うよ。いい? 明日朝、爺さんがその顔見てポックリとでも逝ってみろ。絶対、ややこしくなるぞう」
これに頷く木俣さん
「一理あるな」
「だろう?」
ここで相手が、腕時計に目をやり
「十時かあ。まあ、町まで行って、どっかで代わりを買ってくるし」
「頼んます」
「じゃあ、マキは自室に戻って、屁でもこいて眠っとけい!」