その5
「あ、蓮生さん。その方はこの星名さんの助手ですよ」
「え?」
若者が捕まえた獲物に目を落とし
「これが?」
「そうですよ、それが」
物みたいな扱いを受けた田部君、ようやく解放され、恨めしそうに男を見上げている。
この間、とっさの判断で後ろを向いていた木俣さん。
そのおかげで、相手は気づくこともなく
「じゃあ、僕は失礼します」
一言の謝りもなく、部屋から出て行った。
それを目で追っていた志保さんが
「マキ、今のが爺さんの養子の蓮生クンだ。なかなかのイケメンだろ?」
「ああ、そうなんだ」
が、予想に反し、食いつきが悪い女。己の顔が濃いせいか、好みは醤油顔なのである。
「ソースすぎるよなあ」
落胆を隠せない。
そこに志保さんが
「でさ、さっき顔を覗かせてきた女性が夏子さんだ。で、娘は撫子という」
「ジャパンは付かんのか?」
「つ、付くかい!」
この時、春子さんの口から
「まずは、その辺りからお話ししましょうか?」
これにマスクの下より
「頼んます」
「では……今、星名さんの言われたように、夏子には撫子という娘がおります」
「おいくつで?」
「確か二十三のはずです。そして亭主は宗茂といいます」
「冬子さんの方は?」
「娘は二十歳になる、『それしかないだろ?』の椿といいまして。亭主の方の名は長政です」
仰せのとおり、冬の花は少ない。
「それで全員ですか? ここに住んでるのって」
「他にはお手伝いさんの梅と、料理人の水滝がおります」
さっきからずっと指を折っていた木俣さん、ここでボソッと
「今の九人に我々春子さん家族を入れると、住人は総勢十二人となるのか」
だがこれを相手が、柔らかく訂正してきた。
「肝心の父、大五郎が抜けているかと。ああ見えましても、まだ生存しておりますゆえ」
「あ、そうだった」
ここで、ずっと黙っていた志保さんが
「マキよ。遺言状はな、明日朝に弁護士がもってくるそうだよ」
これに補足してきた春子さん。
「長浜という男です」
先ほどより忙しく手を動かせているのは田部助手で、手帳にいちいち書き留めているのだった――だがその手帳、よく見ると
「それってマキの手帳でしょ?」
「はい、志保さん。この人、自分の書いたものすら後で読めないくらい、字が下手なんで」
これにマスク女が
「いらんこと言うな」
この時、春子さんが
「木俣さん、他に何かお聞きしたい事は?」
「お父上のご容態は?」
「医者の玄海先生が言われるには、いつコロッといっても不思議ではないと」
「こらまた、あっけらかんに」
見えないが、目をパチクリしている木俣さん。続けて
「その遺言状って、間違いなく本人がしたためたものですか?」
「ええ。長浜さんより、相違ないと聞いております」
「この件を赤の他人が知っている可能性は?」
「その点は大丈夫かと。早くに緘口令が敷かれておりますので。長浜さんより、それを破れば相続の権利を失うとまで念押しされております」
「一族の中でいがみ合いとかは?」
「少なくとも表面には出ておりません」
「じゃあ、家族間では?」
「何ともいえません。ご自分の目でお確かめください」
「最寄の警察は? 車でどれくらいかかります?」
「獅子山署になります。三十分は、ゆうにかかるかと」
矢継ぎ早に質問をしてくる木俣さん。春子さんも饒舌になってきている中
「星名をいくらで雇ったんですか?」
「二百万円です」
「へ?」
すぐさま、隣を振り向いたマスク女
「て、てめえという女は」
「ち、違うって! 春子さんの方から、これでって提示されたから」
だが、そこに春子さんが
「いえ。相当なる値上げ交渉の賜物です」
「おいコラッ! すぐバレるような嘘つくな!」
だが土管女、すぐに開き直ってきた。
「てへっ。でもいいじゃん? 一割もあげるんだからさ。こっちもいろいろと諸経費がかかるんだよ。ガソリン代とか、そのマスクとか」
「それがなんぼのもんじゃい!」
ここでおもむろに立ち上がり、鏡台の方へと向かった春子さん。その抽斗の中から一枚の封筒を取り出し、また戻ってきた。
「木俣さん。すでにあなたは船に乗りかかっておられます」
そう言いながら、封筒を差し出し
「ここに十万円ございます。これで引き続き宜しくお願いいたします」
「じゅ、十万円? そ、そこまで言われるのなら、仕方ありませんね」
「有難うございます」
頭を下げた相手が、すぐに
「それで皆様には、後ほど広間にて家族と一緒に夕食をとっていただきます」
これに頷く三人だったが―-いや、木俣さんだけが
「おい、志保? これをかぶったまま食うのか?」
「当然じゃん」
「そらそうだよなあ」
そう言いながら、箸を持つ振りをしている木俣さんだったが
「箸すら見えん!」
だがこれには擬似母親が
「では、隣からこのわたくしが『アーンして!』をさせていただきましょう」
「へ? ど、ども」
そして
「これで最後になりますが、星名さんと木俣さんにはお部屋を用意しております」
春子さん、相変わらずの穏やかなる口調で
「しかし生憎ですが、飛び入り参加のおにぎりさんの分まではございません」
これにご本人
「え?」
「どうぞ、裏の物置小屋を心置きなくお使いください。ストーブも用意しておりますから」
「も、物置小屋って? ぼ、僕、そこで寝るんですか?」
相手は、それに微塵も動じることなく
「火の元だけにはご注意を……朝起きて焼きおにぎりになっていては、さぞかしお困りになられますでしょうから」
そして夕方の六時半。すでに一族全員が広間にいた。
その食卓上には一人前用の鍋セットも置かれており、すでに固形燃料には火がつけられている。
はたして先ほどより十四個の好奇の目がマスクに向けられてはいたが、おそらく夏子が言いまわったのだろう、誰の口からも素性を問うような発言はなかった。
一方の木俣さんも、その暑苦しいマスクの下からではあるが、各人を注意深く観察している。
(三人の亭主、いずれもりりしい名前のくせしおって、完全にマスオさん状態じゃん)
おもむろに鍋へと手を伸ばした木俣さん、その蓋を開けたのはいいが、まさか瓶底眼鏡をかけたままマスクをするわけにもいかなかったので
(何の鍋か、まったくわからん)
そして思い出したように、左手の小指を噛んでいる。
その時、左隣より
「はい、土筆さん。アーンして!」
手はずどおりに行動をとってきた春子さん。
「有難う、お母さん」
そう言いながら食らいついてはみたものの
(何食ってんだか、これまたわからん)
どうやらマキさん。料理においては、味覚だけでは十分でない事に気づいたようだ。
それを察してか
「虹鱒の焼いたものですよ」
「あ、はい」
(さ、魚だったのか)
「じゃあ、次は松茸ですよ。アーン!」
「有難う」
だが、臭覚も失せているので
(こら、エリンギと言われても疑わんぞ)