女性がつまったバインダー
寝られない。うーん。で自分の書いた短編を呼び出して、ぴったり二ヶ月前の10月19日に書いていたからちょうどいいや、という動機。
助動詞レベルで改訂してます。
「ここに“女性がつまったバインダー”があるの」
そういった彼女の瞳は輝いていた。突然なにを言い出すんだろうか? とまた始まった彼女の悪い癖に僕は辟易する。
「そう。“女性がつまったバインダー”これは社会に変革をもたらすわ。女性の全てがこのバインダーに網羅されている。いえ、このバインダーが女性そのものなの」
「どういうこと? もっとわかりやすくいってよ」
僕は彼女のご機嫌取りに“女性がつまったバインダー”について深く聞くことにした。興味も少しばかり、そう、今日も仕方がなく彼女につきあってあげるかな、程度にはあったから。
「そうね。言葉にするのは難しいわ。でもいいわ。教えてあげる」
「うん」
「社会を構成するものはなにかしら? ずばり人間よ」
「まぁそうだろうね」
社会――人間が集まって共同生活を営む際に、人々の関係の総体が一つの輪郭をもって現れる場合の、その集団(広辞苑第六版抜粋)――とは人間がいるから存在する。人間がいなければ社会は存在しないのだ。僕と彼女のこのなんの変哲もない時間、だけど僕と彼女との間にも社会は成立しているのだ。僕と彼女だけの社会。僕と彼女がいなければこの社会は崩壊するんだ。どちらか一人が欠けても社会は崩壊する。なんかこう考えるとかけがえのないものに思うけど、つまり僕が彼女につきあわされている社会て考えると問題があるように思ってしまう。実はゆゆしき社会問題だったらしい。
「人間。そうhuman beings。人間である。人間となる。人間は存在する。人間をしている。人間をするつもり。……運命づけられた人間という存在が人間。そんな人間が必然的に集まって社会は構成されるのよ」
今日はいつもにまして彼女は絶好調なようでとても饒舌で詩的で……意味不明だった。まぁ言おうとしていることはなんとなくわかるんだけど。これでも長くて近い付き合いなんだ。腐れ縁てやつだ。常に一緒にいるけど。
「うん。そうだね」
でも途中で話を遮ったら彼女はとても怒る。それはそれは僕を殴りかかってくる程度には怒る。普段はツンとして澄ました顔が、僕を殴っている間に涙目になることがままあるんだ。そうなると物理的だけでなく心理的にも僕にダメージがくるんだ。社会て理不尽なことばかりだと僕は思う。
「そんな社会を構成する半分は女性よ。つまり社会の半分がこの“女性がつまったバインダー”に存在しているの」
「なるほど。そんなバインダーがここにあるんだ」
「そうなの。取り扱い注意よ。極秘よ。このバインダー一つで社会の半分を支配できたといっても過言でないの」
「そうなるのかな?」
「そうなるの。このバインダーにつまっている女性。一つの例外もなく。女性を構成している項目を書き換えたら社会はそうなるの。社会的地位も価値も全て。もし中身を抜き去ったらその女性は社会から消滅するの」
「社会てそんなに簡単に変わるものなんだ。このバインダーに書かれている項目を書き換えるだけなんて、そんな簡単に社会て変えてしまっていいんだ」
僕はなんとなく社会の不合理に憤ってみる。彼女は全知全能ではないか、女性だけだから、半知半能の神になった気分なのかもしれない。なんでだろうか? とても胸が騒ついた。彼女が変わってしまう。変わって欲しい。許せないと思ってしまったのはなんでだろうか?
「そう、社会て簡単に変わってしまうものなのよ。だからはい」
「えっ」
彼女は僕に“女性がつまったバインダー”を差し出してきた。そしてとてもきれいな笑顔でこう言った。
「社会を変えてみない?」
僕はそのとてもきれいな笑顔に促されるままにうなずいてしまった。だから僕の手元にずっしりとした重みのバインダーがある。手がしびれるほど重たい。だって社会の半分の重みがここにあるのだから。
「それじゃ“またね”」
彼女はそういってここから立ち去った。挨拶は社会を構成するための大事なものだ。だけど今はその言葉を聞きたくなかったと思ってしまった。もっと他の言葉を聞きたいと思ってしまった。なんでだろうか?
僕と彼女の社会。二人だけの社会。その社会関係は僕が彼女に付き合ってあげているだけ。そう考えるととてもこの社会は不安定だ。僕が少し彼女を無視したら崩壊する社会。彼女が僕に絡まないと崩壊する社会。本当だ。社会て簡単に変わって崩壊してしまう。なんて理不尽でやるせないのだろうか? とても不安定。
「……そういうことか」
僕はゆっくりと“女性がつまったバインダー”を開ける。不安定な物質は安定を求めるように。放射性物質が放射線を出すのと同じぐらい当然な理由だ。僕と彼女のより安定した関係を求めるなんて。
「そうだ。僕て彼女の事が好きだったんだ……」
ずっしりとした重みの“女性がつまったバインダー”だったけど、その中身は一枚だけだった。そしてそれは彼女だった。
「僕と彼女の社会にいる女性て彼女だけなんだ」
だから彼女の項目にただ一つ書き加えるだけでいいんだ。“僕のことが好き”て。なんて簡単なんだろうか? 社会を変えるなんて。
だから僕はその紙に書きこまれていた二重打ち消し線の部分に目がいった。そしてその下に“書き換えられた”文面があった。すでに彼女は彼女自身で書き換えをしていたんだ。
書き換えられた後の文面は“僕のことが好き”そして書き換える前の文面も“僕のことが好き”そんな彼女らしくないとてもストレートな表現。
「なんだ。変わらないといけなかったのは僕だったんだ」
彼女は変わる必要がなかった。僕が変わるだけで、僕と彼女の社会は変革する。“男性がつまったバインダー”はないけど、必要ない。だって僕を変えるのは僕自身なんだから。そしてその僕は変わった。
そっと“女性がつまったバインダー”を閉じる。バインダーの重みが僕の今の心のようにすっと軽くなった気がした。
「待っていたのに」
いつのまにか彼女が僕の後ろに立っていた。僕はずっと彼女を待たせてしまっていたらしい。
「僕は君のことが好きだったみたい」
だから照れ隠しのしまりのない告白になってしまった。それから彼女はとてもきれいな顔で涙をこぼしながら僕に迫った。
「私も君のことが好き。ずっと好きだった。だから……歯を食いしばれ」
僕はまた彼女に殴られたらしい。じっと熱をもつ頬があたたかかった。殴られるような理不尽な僕と彼女の社会。だけど僕と彼女の社会は確かに変わった。もっと安定した心地のよいものに。
社会は変わりゆくものだ。これが僕と彼女の社会に起きた小さくても大きな変化。
元ネタは
『16日の米大統領選の第2回テレビ討論会で、共和党候補のミット・ロムニー(Mitt Romney)前マサチューセッツ(Massachusetts)州知事が即興で発した、「女性がたくさんつまったバインダー(binders full of women)」を吟味して適切な人材選びをした』という発言。(『ロムニー氏の「女性がつまったバインダー」発言、ネットで話題沸騰』2012年10月18日 19:17 (AFPBB News)から引用改変)
という感じで時事ネタからびびっときて書いた短編です。短編というよりもショートショートと言う方が正しいかもです。