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黄昏時の図書室。
開け放たれた大きな窓から覗く空は一面の橙色で、夕日を受けている2人も同色に染まっていた。
王城の中という場所柄か、あるいは時間帯か、そこにはルルとエドワードしか居なかった。
両側に3人ずつ座れる大きな木製の観覧机に向かい合って座りながら、ルルは学校の教科書を広げている。
「無理。分かんない…。」
大きく溜息を吐いて、ペンをインク壺に突っ込んだまま手から離して伸びをする。
水色のセーラー襟の白いAラインワンピース。
スカートとパフスリーブの裾には繊細なレースが付いていて、胸元にはシフォン素材の大振りなリボン。
丈はふくらはぎに付く程度で、元女子高生の感覚では長いけれど、この世界の常識で言えばかなり短い。
襟元には学年花であるバラのピンブローチ。
そんな魔法学校の制服に身を包んだまま、ルルは勉強を教わるために放課後にエドワードのもとに寄ったのだ。
「………すごい。」
相変わらず瞼を半分降ろした眠そうな表情で、エドワードは数枚の用紙を手に感嘆の声を上げる。
ぼそぼそとした聞きとり難い話し方にも、大分慣れた。
「どれはどーも。」
桃色のふっくらした唇を突き出して、不満げな表情でお礼を言うルルは明らかに不服そうだ。
「…………沢山、間違い…すごい……。」
「っ…! どうせバカですよ! だから教えて貰ってるんですよ!」
ルルは整った形の眉を寄せて、拗ねるようにふいっとそっぽを向く。
魔法分野で天才と称えられる少女は、その他の分野では残念な事この上ない出来の悪さだった。
このままでは留年しかねない。
教師に言われて危機感を覚えたルルは、エドワードに助けを求めたのだ。
のんびりぼけぼけの面倒くさがりだが、勉強だけは出来る人だから。
「…………。」
エドワードが無言のまま答案用紙から顔を上げて紫の瞳をルルの顔に向けた。
大多数の人には、ぼうっと呆けてるよう風にしか見えないだろう。
けれど10年以上の付き合いのルルには、エドワードが機嫌を悪くしているのが直ぐに分かった。
「はいはい、敬語は嫌なんでしょ。それと呼び捨てがいいと。」
「…ん。」
無表情だった顔に、ふわりと笑みが浮かぶ。
(っ…! 不意打ちだからっ。)
子供のころから変わらない、ふわふわの茶髪にアメシストみたいな紫の瞳。
くりっと大き目だった目元は、年を重ねるつれ母親似のすっきりとした流し目に変わって来た。
筋肉がついて大人っぽくなった、成長期真っ盛りの17歳のエドワード。
彼の柔らかな笑みには常とは違い温かみがあって、主人を一身に慕って尻尾を振る子犬を思わせる。
エドワードのこの愛らしい笑顔に、ルルは11年前から敵わない。
正直言って美少年と言うだけでルルにとって心の癒しだった。
(今のうちに堪能しておこう。)
たまにしか見られない癒し系美少年の笑顔を、ルルは幸せ気分で見物した。
エドワードもルルを見つめ返して、幸せそうな彼女の表情をじっと見つめる。
彼の紫の瞳には、夕焼けに照らされて淡く光って見えるルルの金髪が映っている。
子供の頃より緩くなったくせ毛が、窓から入った風に揺らされサラサラと揺れていた。
「あ。」
突如、ルルとエドワードの間に七色に光る玉が出現した。
「手紙だね。」
「…………。」
「エドワード宛てだよ。」
それは魔力で作り出す声を届ける手紙。
手紙の玉の表面には、宛名が刻まれている。
宛名に書かれた人が指で触れると割れて、音声メッセージが聞こえると言う術だ。
(どこからどうみてもシャボン玉なんだけど。魔法って本当に不思議だなぁ。)
未だに魔法で作り出すもの全てが物珍しくて、ルルは興味深く観察しながら机上で浮かぶ七色の玉をちょんっと突いてみる。
ふわふわと移動して答案用紙を持っていたエドワードの手の甲に当たった手紙はパチンと割れた。
同時に、ルルとエドワードの元に声が降ってくる。
『エドワード、ルルちゃんが来てるんですって?』
国王でありエドワードの母親でもあるレアの、凛とした高い声。
『御夕飯一緒にしましょうって、お誘いしなさいね。絶対帰さないでよ。話があるのよ。』
「…………だって。」
「うん。話って何だろう。」
「多分……面倒くさい、こと…。」
(話すことさえ面倒臭いって言う人の面倒臭いことなんて、当てにならなさ過ぎる…。)
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「魔物の、討伐ですか…?」
美味しそうに焼けた厚いステーキ肉をナイフで切りわけながら、ルルはレアに尋ねた。
「そう。東の森で巣を作ってしまったらしくてね、早めに手を打ちたいのだけれど人出が足りないのよ。」
「……それを、私がですか?」
「エドワードも付けるわよ? あとは兵と他の魔法使いもね。2人にとっていい勉強になると思うわ。」
魔力を持つ動物。魔物を倒せるのは、同じく魔力を持つ魔法使い。
魔法使いを職業として選ぶのなら、討伐実績があった方が良いのは事実だ。
こんな子供に頼むのだから、おそらく危険な魔物でもないのだろう。
「でも私…まだ魔法使いになると決めたわけでは。」
「あら。魔法以外に得意な事があるのかしら?」
「うっ…魔法くらいしか人並みに出来るものありませんよ…。」
(うーん。でもなぁ。)
フォークに指した肉片を、口に運びながら考える。
(んんー! 美味しいっ!)
必要以上の贅沢を好まないシュトレーン家の食卓と比べて数段良い肉を使っているらしい。
焼き具合も味付けも申し分なく一流だった。
こうして肉を美味しく頂いて置きながら、ルルに生き物の命を奪う覚悟はまったく無い。
ネズミ一匹殺せない。いや、虫一匹でも無理だ。
前世では夏の台所に出る黒い虫に怯えて逃げ回っていたくらいなのに。
血に染まった自分の手を、想像さえ出来なかった。
(何をどうやったって、魔物の討伐なんて不可能な気がする。)
やっぱり断ろうと口を開きかけたルルに、レアはたたみかけるように魅力的な台詞をかぶせてくる。
「討伐に成功したら、裏から手を回して進級出来るように取り計らってあげるわ。」
「……やります!」
(勉強しないで進級! 権力って素敵!)
「エドワード王子は、どうします?」
ルルはいつも通り無言で食事を続けていたエドワードに訪ねてみた。
エドワードには敬語を使わないでとお願いされているけれど、何人もの給仕の目がある場では出来るはずもない。
基本的には2人きりのときか、家族を含む信用できる人の前だけになってしまうのだ。
「………行く。」
「でしょうね。ルルちゃんが行けばエドワードも釣れるのは分かり切ってるもの。」
「………。」
レアがしたり顔で息子に意味ありげな視線を送る。
するとエドワードは僅かに眉間にしわを寄せて微妙な反応をして見せた。
親子で何かルルに理解できないやりとりをしているのだろうと結論づけたルルは、ふとある事に思い当って一人で首をかしげた。
「……あれ?」
(そういえばエドワードって、魔法使えるんだっけ?)
11年間。 彼が魔法を使ったところを一度も見ていないと、今更気が付いた。