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ルルと案内の兵を見送ったあと、玉座の間はロイドとエディ、レア以外は人払いされた。
大規模なパーティも開かれるほどの広い空間。
そこで向かい合う彼らには、ただならぬ緊張感が漂っていた。
のんびり屋で怒ることも少ないロイドが、珍しく眉を潜めている。
「あらあら、怖い顔。」
「……陛下。私たち家族は娘には自由に生きて欲しいのです。」
「自由、ねぇ。出来ないことと分かっていて良く言えるわね。」
「可能です。あの子に何も求めなければ。」
ロイドの言葉を、レアは鼻で笑って否定する。
白い足を組みかえて、背筋を正してロイドを見降ろした。
「あの子を求めないですって?そんな事、出来るわけないでしょう。」
「しかしっ!」
「いい?あの子を自由に生かすなんて不可能なの。」
「………。」
「無限の魔力を持つ者。魔力容量が存在せず、無制限に魔法を使うなんて馬鹿なことが出来る子よ?万が一、私がルルを見逃したとしても、欲しがる人間は次々と出てくるわ。」
「っ……しかし、それを知るのは家族とあなただけだ。このまま隠し通せば…。」
「子供は成長するのよ。いつまでもそうやって籠に入れて隠して守っていられるわけないでしょう。」
「……陛下。私は…あの子に、ルルに幸せになって欲しいのに。」
頭を振りかぶると片手で目元を多い、肩を落とすロイド。
エディが父を気遣いそっと彼の背を撫でた。
ルルの力が家族の手に負えないものだとは、もう重々わかっている。
それでも親心で、娘の平穏な人生を願ってしまうのだ。
「大丈夫。悪いようにしないわ。」
レアにとっても従兄であり王家の片腕でもあるロイドは大切な存在だ。
そして彼の娘のルルも大事な身内である。
だからこそ、踏ん切りが着かずに家に閉じ込めておくしか出来ないロイドの代わりにどうにかせねばと、自分が強行的な手段をとった。
「ルルちゃんを王族の傍に置いて置いておくべきだわ。あの子には、王家の守りが必要なの。」
未だ不安そうにするロイドとエディから視線を外し、レアは僅かに瞼を伏せる。
「そしてエドワードにも、ルルちゃんが必要なのよ…。」
小さく囁く彼女の表情はもう国を統括する王ではなく。
息子を心配するただの母親のものに変わっていた。
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リリックによりエドワードの部屋に置き去りにされたルルは、心底困り果てていた。
「エドワードおうじ、えほんよみまつか?」
「…………。」
「おうたうたいましゅか?」
「…………。」
「かくれんぼしまちょうか?」
「…………。」
(うわーん! この子、本当に反応無いんだけど!)
茶色と白で統一された落ち着いた室内の中、ラグにぺたりと座った2人は向かい合っていた。
見つけて来た玩具をとっかえひっかえ見せてみるルルだったが、半分落ちた瞼で、呆けたように小さく口を開けてどこか遠くを眺めているエドワードには聞こえているのかどうかも分からない。
(ひょっとして耳が悪いとか…?)
これは何か障害を持っているのかもしれない。
聴覚。視覚。他の身体的なものだろうか。
今の状況ではどれもが当てはまる気がしたルルは、そっとエドワードの手を握ってみた。
6歳児のエドワードの手も小さかったけど、3歳児のルルの手の方がずっと小さかった。
だから握ると言うより乗せると言う感じになってしまったけれど、仕方がない。
「………?」
エドワードがゆっくりと瞬きを繰り返した後、のんびりとした動作でルルの手が重ねられた自分の手を見て、そしてやっとルルの目を見た。
ルルは反応があったことが嬉しくて、思わず口元を緩めて満面の笑みを浮かべる。
「エドワードおうじ、わたちの、はなし、きこえましゅか?」
滑舌が悪いのは年齢的なものだから仕方がない。
せめて聞き取りやすいようにと、一音一音くぎってゆっくりと話してみる。
綺麗な紫の瞳を根気よくじっと見つめていると、エドワードは握る手の力を込めてくれた。
そして相変わらず眠そうな表情だったが…首を縦に降って頷いた。
「……聞こえ、てる。」
「よかった。」
(うん。耳も目も健常っぽい。)
ほっと安堵の息を吐きながら、ルルは紫の目を見つめて口を開く。
「どうして、はなしかけてりゅのに、へんじしてくれないのでしゅか?」
「……早い、から。」
「はやい?」
「……答える前に…次の会話に、移ってる…。」
「………。」
しばらくの沈黙のあと、ルルの眉間にしわが寄る。
(ワンテンポどころかツーテンポ以上遅くって周りについていけてないってこと?)
ならばゆっくりと話せば良いだけかと安心しかけたルルだったが、次いで聞こえてきたエドワードの言葉に耳を疑う。
「……だから、やめた。」
「はい?」
「……。……聞いて、もらうの…やめた。」
「………。」
「……、…話すのも、面倒…。」
ぼんやりとした表情でぼそぼそと話すエドワード。
彼の呆けた表情を追うルルの眉間のしわが更に深くなる。
「……ばか?」
「……?」
ルルは呟くと、エドワードの手を握っていた手を離し、両手を彼の顔まで持っていく。
そして両頬を、勢いを付けて叩いた。
ぱちんっ…!
乾いた音が、部屋に響く。
ルルの両手は叩いた状態のまま、エドワードの頬を包むように挟んで、紫の瞳を睨みつける。
目をぱちぱちと瞬いて固まったエドワードを見ながら、ルルは息を吸う。
王族に手を出すなんてどういうことなのか、頭の隅にも昇らなかった。
「しんぱい、しゃれなかったの?」
「……?」
「レナへいか、あなたがしゃべらなくてしんぱいしなかった?」
「………した、けど…。」
(心配されたけど、話すの面倒くさいって気持ちの方が勝ったのね。 )
ルルはきゅっと唇をかみしめる。
--脳裏に、過去の自分が次々と浮かんだ。
鈴木亜子として生きていた頃、亜子は家族の愛情には恵まれなかった。
何人もの愛人を作って家に寄り付かない父。
父を罵りながらも、陰では自分も不倫をして遊び歩いていた母。
平気な振りをして一人ぼっちの家で過ごさなければならなかった幾度もの夜。
ルル・シュトレーンとしてべたべたに愛される生活を知って、その幸せな日常に泣きそうになったのは1度や2度じゃない。
家族は、ルルにとって何よりも大切なものなのだ。
愛情の無い家族を知っているからこそ…余計に大切で、守りたかった。
(大事にされてるのに、愛されてるのに、それを蔑ろにするなんて。)
エドワードの両頬を包んだ小さな手に、きゅっと力を込める。
「……ルル?」
「………っ、い。」
「………?」
「きいてもらえる、どりょくしもちないで。かんたんにあきらめるバカ、だいっきらい!」
「……え。」
「おしょいから?ほんとにだえも、きいてくえなかったの?」
エドワードは考えるように目を伏せて、しばらくして顔を上げた。
相変わらず瞼は半分落ちていて寝むそうな表情だけれど、少なくともルルに対して話しをする気にはなったようだ。
「……違う、けど…。母上、とか…リリックとかは…待って、くれてた…。」
「だったらっ! ほかのひとにもきいてもらえるにはどうちたらいいか、かんがえて、がんばればいいでしょ、このおバカ!!」
ルルのどなり声が、室内に響き渡る。
エドワードが、重そうな瞼を持ち上げて紫の目を丸くした。
アメシストのような美しい紫。見開かれた彼の瞳はとても綺麗だった。
「ルル…。」
両ほほに添えられた小さな手を、エドワードは自分の手をそっと添えて取った。
胸の前で、ルルの小さな子供の手を優しく握る。
ルルの青い瞳を見つめながら。
エドワードがゆっくりと口端をあげて、柔らかな子供の頬に笑みを浮かべようとした。
……その時。
-----乱暴に、扉がノックされる。
「エドワード王子! 大きな声が聞こえましたが、何かございましたか?!」
「エドワード王子!!」
緊迫感を帯びた、どすの利いた男の人の声。
ドンドンと響く扉をたたく音。
突然の事態に固まる2人の子供には、扉を勢いよく開けてなだれ込むように入ってくる兵を止める術は無かった。
そしてラグの上に座り込んでいる子供達を見降ろした兵は、赤くなったエドワードの頬に気付く。
まちがいなく、ルルが叩いた跡だ。
殺気立った男たちの視線が、ルルへと向けられた。
彼らは腰の剣に手を添えて、直ぐに抜刀出来る体制でルルへ足を向ける。
「……王子に、手を出したのか!!!」
罪人を見るかのような、大人の男の殺気と怒鳴り声。
怯えたルルはひゅっと息を飲んで、自分の手を握るエドワードの手を、握り返すことしか出来なかった。