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兄に遊び相手をしてもらっている内に、シュトレーン公爵家の食堂での夕食の時間になった。
手を引いかれるままに着いていった先、食堂へ顔を出すと、テーブルには既に2人の男女が腰掛けていた。
ルルは彼らの顔を見て表情を輝かせる。
「おとうしゃま、おかあしゃま!」
「お帰りなさい、父様、母様」
「ただいま、ルル、エディも」
「さぁ、おかけなさい。料理が冷めてしまうわ。」
両親は忙しく、ルルがとうに眠った真夜中に帰っていることが多い。夕食時に彼らが居ることはとても珍しいのだ。
その変わりに朝食は必ず全員揃って取るというのが、シュトレーン家の方針だった。
「今日はお早いお帰りなのですね。お忙しのではなかったのですか?」
エディが母の向かいの席にルルを抱き上げて座らせてくれてから、隣に掛けつつ不思議そうに父に声を掛ける。
息子の問いに、ルル達の父であるロイド・シュトレーン公爵は顔をしかめてしまう。
短く刈り上げられた薄茶の髪を掻き上げながら、青い瞳でちらりと母を見たあと、小さく嘆息した。
「あぁ…その、な。」
「とうしゃま?」
ルルの父であるロイドは、兄エディとそっくりな垂れ目でのんびりや。
いつも柔和に笑ってばかりの父がこのような反応をするのは始めて見るかも知れない。
エディと一緒にルルも大きな目を瞬きさせて、興味深げに父をじっとみつめた。
「…お前たちに話があってな。時間をとりたくて切り上げてきたんだ。」
「話?」
「おはなし?」
「実は陛下がお前たちとの拝謁をご希望されている。急で悪いが明日の正午に一緒に城に来てもらうことになった。」
「は? 陛下?!」
エディがらしくも無く、大きな声を上げる。
ルルはぽかんと呆けて口を開けたまま父の言葉の意味を反芻した。
(陛下? 王様? なんで?)
「ちょーっと息子と娘の自慢話をしただけなんだがなぁ。」
エディとルルの父は、現王の従兄弟にあたる。
政務でも近しい場所にいるらしく、度々話には聞いたものの子供であるエディとルルには関わりの無い話であったはずだ。
「何がちょっとですか、もう身振り手振り大袈裟に自慢しまくってらっしゃったじゃない。」
使用人により運ばれてきた野菜のスープをスプーンですくいながら、母フローネが父ロイドに片眉をあげて見せる。
「だって陛下がエドワード王子の自慢をされるから…つい悔しくて。うちの子供たちだって可愛いのに!」
握りこぶしを作って力説する夫に、フローネは思わず溜息を吐いてしまう。
ルルは苦笑しながら母に視線を移した。
母であるフローネの艶やかな金髪は、ルルにもエディにも受け継がれている。
瞳の色は、エディは母譲りの緑。ルルが父譲りの青。
ルルのようなくるくるとカールの巻いた金髪ではない、さらりと流れるまっすぐで長い母の髪は、今はきっちりと美しく結いあげられていた。
「あの、おかあしゃま。」
「何かしら、ルル。」
「へいかに会うのは、いやなことなの?」
父と母の口ぶりからするに、自分と兄エディが陛下に謁見するのは好んでの事ではないのだろう。
しかしどうして嫌なのか、その意味が分からない。
ルルの疑問にはエディも同意したようで、彼も妹と同じように首をかしげて母を見上げる。
揃って自分を見つめてくる子供たちの純粋な問いに、フローネは2.3度首を振った。
「いいえ、ルル、エディ。陛下に謁見を許されることはとても光栄なことよ。」
そう言うとにっこり笑って、ルルの皿にパンを取りわけてくれる。
「うちは王家に縁の深い家だから、いずれあなたたちも陛下に会う機会が有ることは分かりきっていたことなの。…でもね、少し早すぎるんじゃないかと思って。」
「早い?」
「優秀な魔法使いになりえる人材を、陛下が放っておくはずがないもの。」
「もう少し、普通に子供で居て欲しいんだがなぁ。」
公爵家は、王族に継ぐ地位と権力を持っている。
そんな上流貴族の子息ともなれば、物ごころついた頃から徹底的に英才教育がほどこされるものだ。
けれどロイドもフローネも、子供は勉強よりも庭で掛け回って遊ぶことの方が重要だとばかりに、勉学には力を入れなかった。
エディは既に就学して学校に通っていることもあり、マナーや教養の家庭教師が週に何度か来ていたが、まだ3歳のルルは遊びと昼寝以外何もしていない。
だから、自分たちが優秀だなんて言われてもとまどうばかりだ。
「父上。僕、魔法は…。」
エディは魔法学校には通わず普通学校へ通っていた。
それは彼が将来、家の事業を継ぐために魔法学よりも経済学を優先したから。
魔法使いとしての兄に期待を込められても困るのだ。
「分かっているよ。そのあたりは陛下にも言ってるしな。…まぁ、あの人の本命はおそらくルルだろうな。」
「わたし?」
「ルルは魔法好きだろう?」
「…?うん。」
ロイドの問いに、深く考えもせずとりあえず頷いておいた。
好き嫌い以前に、なにせ未だに『魔法』と言う未知のものに半信半疑なのだ。
けれど物珍しくてせっせと自主勉強していたことは事実。
おそらくロイドもそんなルルの姿を見てルルが魔法学が好きなのだと思っているのだろう。
(陛下、かぁ。)
どんな人だろう、と想像しながら隣の兄に小さく切り分けてもらった肉料理を、フォークでさして口に運ぶ。
(別に、期待されるような出来の良さでもないしなぁ。会ったら期待外れでがっかりされるだろうし。)
少なくとも、頭の出来は人並みで、秀でてはいないはず。
口いっぱいに頬張った肉をもぐもぐと咬んだ。
頬に肉汁が付いていたのか、エディが優しく笑いながらナプキンで口端をぬぐってくれる。
(万が一、気に入られても困ることもないよね。)
権力者と親しくなるのは、むしろ良いことな気がする。なんとなく。
長いものに巻かれて生きるのは、得策だと思う。
そもそもが深くものを考えない、行き当たりばったり楽しければそれで良しの日本の現代女子高生資質なのだ。
ルルは楽観的に結論付けて、心配そうに自分を見つめる3人ににっこり笑ってみせる。
「へいかにあうの、たのしみだね!」
女子高生時代の記憶がはっきりと残りすぎていて、『王様』なんてものにも馴染みがなさすぎて、絵本に出てくる登場人物みたいな気がして実感も沸かない。
だから何の深い考えもなく、彼女は無邪気に笑えるのだ。
----自分より目上の者に逆らうことは罪。
たとえ正しいことを言っていたとしても、意に添わなければ罰される。
『気に入らないから』なんて軽すぎる理由で、首を刎ねられ命を奪われてしまう。
そんな、生まれた家柄が人の命の重さに比例する身分階級の世で生きている事を、まだ良く分かっていなかった。