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(やだやだやだやー!!)
ルルは泣きそうな気分でどうにか引きはがそうと首を振る。
しかしルルの思いとは反比例して、それは振り落とされないように必死でルルにしがみ付いて来た。
(無理! 絶対無理! )
一層のこと気絶してしまいたいと混乱に陥りそうになるルルの耳に、小さな女の子を思わせる高い声が滑り込む。
「ちょとちょっと! 乱暴に扱うのはやめてちょうだい!!」
(っ?!?!?!)
顔の上の生き物が、浮いた。
いや、よく見ると宙を飛んでいるのだ。
ルルは声も出せないまま瞬きを繰り返し、とりあえず上半身を起こす。
目の前で飛んでいるものは、桃色の小鳥。
皿のように丸めた目のまま、思わず天井を見上げたが、天蓋の天井とベッドを覆う生地しかない。
(少なくとも鳥って家の中で降ってくるものじゃないよね…)
もし外であったとしも、めったに落ちてこない。
「まったく!魔力に魅かれて来たらこんな乱暴な人間だなんて、予想外ですわ!」
「しゃべってるし…」
何だか理不尽な怒りをまくし立てる鳥。
尾の方に行くにつれ鮮やかな赤にグラデーションしている長い尾羽根が、ゆらゆらと揺れていた。
「…話せる魔物なんて初めて」
「あら、人語も理解できないほど知能の低い下等な魔物と一緒にしないで下さる?!」
(可愛い見た目のくせに可愛げがないなぁ。偉そうな態度…)
小鳥はルルの目線の高さを飛んだまま、くりっと丸い愛らしいルビーのような瞳でルルを凝視してくる。
なんだか良く分からない。
けれど小鳥の威圧感に負けてしまい、自然と背筋を伸ばしてしまった。
「気に入りました。貴方と契約して差し上げましょう」
「---は?今さっき文句言ってたのに?」
どう考えても気に入った人に対する台詞ではなかったはず。
「人柄どうこうではありませんわ!貴方のこの上なく極上な魔力、逃してなるものですか!」
(何なのこれ。あれだよ、無理やり押し売りしてくる訪問販売みたいな!)
こちらが戸惑っている間に押して押して契約をもぎ取られる。
前世で自分がされた経験はなかったけれど。
TVやネットなどで見聞きしていた手口を今まさにされている気がする。
「えーっと…契約って?」
「貴方は私に命の元たる魔力の供給を。どうせ幾らでもあるのだから分けてくれても宜しいでしょう?代わりに私は貴方に使役される従順なる使い魔となりますわ。どう?悪い話ではないでしょう?」
「えー。いえ、そうとうヤバい話な気がするのデスが」
「なぜ?!」
小鳥の勢いに気おされて、うっかり後ろのめりになってしまう。
「うーん…。一番はこれ以上に魔物と関係持つと怒られるから、かな?」
主に幼馴染に。
無言の圧力が籠った紫の瞳でじっと見られ続けるのはなかなかのダメージなのだ。
ルルの言葉に、桃色の小鳥はむっとした様子で不満気にそっぽを向いてしまった。
「ふんっ。昔は人間と我々魔物の契約も珍しく無かったものですけどもね。最近の人間は力のある魔物に冷たすぎますわ!」
ルルは小鳥のその怒ったような台詞の中に、寂しさのような響きが含まれているのに気がついた。
背中を向けてしまった小鳥の傍に手をつき姿勢を低くして、覗きこむようにじっと見つめてみる。
この鳥が何を考えているのかを、知りたかった。
「……あなた」
「パテカ・グバドナ・パールツァイル・メンルトスですわ」
「…パテカでいい?」
「えぇ」
「パテカは、人間が好きなの?」
「少なくとも、以前に私と契約していた人間の事は好いていましたわ。そして貴方はあの人と同じ臭いがします。ですから…」
だから、ルルに声を掛けた。
ルルはそっぽを向いてしまったままの小鳥の後姿をじっと見つめる。
さっきレアに言われたいくつかの言葉を頭の中で何回か繰り返して、何度も考えた。
少し張りつめた、緊張感を含んだ声で、小鳥にそっと言葉をかける。
「…私以外の人の前では、普通の鳥のフリするって約束してくれる?」
勢いよく、パテカが振り向く。
凄く嬉しそうだ。長い尾が振り子のように触れていた。
「あ、でもエドワードってやたら魔力に敏感なのよね。見るだけで魔力もってるかどうか判別出来るくらいだから…。」
「魔力の気配を消すくらい簡単ですわ!!」
「ほんと?」
「えぇ!!えぇ!」
何度も必死に頷く小鳥は可愛らしかった。
くすりと小さく笑ってから、ルルは背筋を伸ばしてパテカと向き合う。
期待を含んだパテカにしっかりと頷いた。
「いいよ。契約しよう」
「っ!!」
その瞬間。 天蓋のベッドのシーツの上に、ルルとパテカを囲む魔法陣が出現した。
パテカが大きく羽を広げ、ふわりとルルの眼と鼻の先の距離で浮遊する。
音も無く宙に漂びながら翼をはためかせる。
今はおそらく翼で飛んだのでいるのでは無く、魔法で浮いているのだろう。
ルルは瞼を伏せて、魔法陣の中に渦巻く魔力の奔流に身を任せた。
「△〇■〇△□□◆△〇◎」
パテカが詠唱を唱える。
公共語でもなければ、ルルが知っている魔法語でもない。
何か特殊な言語をパテカが唱え終えた時、頭の中でぱちりと何かが繋がった音がした。
目には見えない契約の名の下、パテカとルルが繋がったのだ。
(あったかい…)
お互いの魔力が溶け合う様に融合するのを、ルルは確かに感じた。
完全に目を閉じて、暖かさに身を任せていたが、次第にそのぬくもりは消えていく。
ルルがゆっくりと瞼を上げたときにはもう魔法陣は消えていて、パテカはシーツの上に停まっていた。
「私、もうパテカを使役出来るんだよね」
「えぇ。契約上はルルが主ですもの。好きなように命じれば宜しいわ」
「何が出来るの?」
「なによりも歌が得意ですわ!主の為に毎夜子守唄を唄って差し上げましょう」
「…ありがとう」
自信満々で胸を張る小鳥を前に、必要無いとは言えなかった。
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(本当に激ウマだった…)
朝日の差し込む室内でドレスを着ながら、ルルは昨夜の出来事を頭の中で反芻する。
高慢な態度に反してパテカの歌は穏やかで優しい。母親の子守唄を思い出させる歌だった。
「今まで生きてきた中で一番ぐっすり眠れた気がするよ。ありがとう」
「おほほほ」
窓辺にとまった状態で桃色の鳥は嬉しそうに胸を張って高笑いをしている。
褒められたのがよほど嬉しいようだ。
「パテカ、私ちょっと出てくるから外でも散歩してきてくれる?」
「わかりましたわ。私が必要になればお呼びなさい!」
開けて上げた窓から飛び立ち、空高で小さくなっていくパテカを見送りながら、ルルは小さくつぶやく。
「私が主…なんだよね…?」
やたらと態度のでかい使い魔と上手くやっていけるか、少しの不安を覚えてしまった。
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コンコン
第一王子の寝室にノックの音が響く。
よほどのことが無ければ、臣下であっても立ち入らない寝室が、そっとセンチだけ開いて。
数秒の間を空けても部屋の主からの反応が無いと知れば、するりと少女の身体が室内に滑り込んできた。
(まだ寝てる…?)
元々寝起きは悪いし、昼間でも常に眠たそうな顔をしているけれど。
足音を立てないように忍び足で大きなベッドに近づいた。
エドワードのベッドは重厚な木製のもので、ルルがたまに借りる部屋とは違い天蓋などついていないシンプルなもの。
けれどとても大きくて大人が5人くらいは寝られそうで、寝るのが大好きなエドワードには最高な環境なのだろう。
ベッドの上に手をついて身を乗り出し、中央で寝ているエドワードの顔をのぞいてみる。
「---あれ?起きてたの?」
「ん…」
いつも半分瞼が下りているが、今は4分の3は下りている。
糸目のような状態だけれど、一応目は開いていた。
「大丈夫?しんどくない?」
「うん。すっきり…してる…」
すっきりしているようにはとても見えないぼやけっぷりだけれど。
柔らかい髪を払って額に手を当ててみるといつも通り少し低めの体温。
顔色も戻っているので大丈夫だろうと、ルルは安堵の息を吐く。
エドワードは目元をこすりながら上半身を起こしながら、シーツの上に乗せられている傍らのルルの手を握る。
「どうしたの?」
「…ルルの、ほう」
「へ?」
「どうか、したのは…ルルのほう。言いたい…ことあって、ウズウズしてる…かお」
「凄いね、よく分かるね」
エドワードの目元が下がり、柔らかく笑った。
(相変わらずいい光景だわー)
心の癒しである美系の笑顔に内心ときめきつつ、ルルはエドワードに聞いて欲しかったことを告げることにした。
相手の目を見て、逸る心を抑えてなるべくゆっくりと台詞を紡いだ。
「あのね、私。最高魔法師目指してみようかと思って。だから一応、報告ね」
エドワードの眠たそうに落ちていた瞼が僅かに上がった。
綺麗な紫の瞳がまじまじとルルの表情を読み取ろうと見つめてくる。
「魔法使い、興味…ないって…」
「うん。他の教科より得意ってだけで、将来なる職種として考えては無かったのよ。でも、ね…」
一度後ろを振り向いて、周囲を窺ってからまたエドワードに向きなおす。
ルルは身を乗り出して口元に手を当て、小さな声で彼だけに聞こえるように話した。
「魔法で…少しだけ。少しだけよ? この国の人の考えが、変えられないかなぁと思ったの」
パテカのような。人を好きだと言ってくれる魔物が確かにいる。
そしてルル自信は、出来れば魔物と仲良くなりたいと思ってしまっている。
法を変えるほど大きな願いではまだなくて。
ほんの少しだけ、理解をしてくれる人が増えるといい。
そう思ったのだ。
乗り出していた身体を戻してから、ルルはにっこりと笑って見せる。
「最高魔法師なら、色々特典もあるしね。」
「特典?」
「だって最高魔法師ならお父様もお母様にも迷惑かけないもの」
「………。」
「迷惑だなんて思われてないって? 確かにそうだけど、でも私が嫌だから」
公爵令嬢という立場のルルは一生働く必要なんてなかった。
学校を卒業した後は家で花嫁修行。
もしくは上流貴族宅で行儀習いをかねた侍女などをして、数年後には嫁に行くのが正しい令嬢の生き方だ。
けれど前世の世界を知っているルルには、学生を終えてもなお親の世話になるのは違和感があった。
だから学校を卒業したあとの就業を希望していたのだ。
そして---。
もしもいずれ、本気で国を変えたいと願う時が来たならば。
最高魔法師と言う身分は絶対に役立つだろうから。
「高等部卒業までに最高魔法師! 今は中級だからまずは上級だね」
下級・中級・上級と3段階ある国家魔法師資格。
そして上級の更に上にある、ほんの一握りの精鋭だけが得ることができる国家最高魔法師資格を得た魔法使を、ルルは目指すことに決めた。
決心をした、いつもより少し大人びて見えるルルにエドワードは目を奪われた。
小さな手を握る己の手に力を込めると、返事をするみたいに握り返してくれる。
いまここに居て。実際に触れてもいるのに。暖かいぬくもりを感じるのに。
エドワードはルルがとても遠いところにいるような感覚を感じて、寂しさに胸の奥が疼いた。
「頑張って」
言ってはみたものの、それが本心なのかは自分でも分からない。
ただこの場で彼女の考えを否定すれば余計に離れてしまう気がして、応援するしかできなかった。
魔法も使えない。そしてなるべき将来の道は王だと決まっている。
そんなエドワードと、己の好きな方を向いて高見を目指す彼女の未来が同じ場所にある可能性は限りなく低い。
「ありがとう」と言って嬉しそうに笑うこの少女を繋ぎ止めるには、一体どうすればいいのだろう。