15
「エドワードは休んでて。ここに居てくれるだけでいいの。」
「………わかった。」
不満そうな表情だったが、することが無いなら仕方がないと、足元のおぼつかないエドワードはルルに支えられて木の幹に凭れて座る。
ルルはエドワードに笑みを見せてから立ちあがり、数歩先の魔法陣と向かった。
「……出来る…の?」
「たぶん。転移魔法なんて初めてだけど。」
「………。」
「大丈夫だよ! 魔法だけはほとんど失敗したことないし!」
物言いたげなエドワードの視線は見ないふりをした。
詠唱のみで発動できる種の魔法とは違う、魔方陣を使った魔法。
陣の中に魔力を集中して集められることから大きな術が可能だが、しかし事前に陣を作成するなどの手間があるため、あまり一般的ではないのだ。
(失敗して変な場所に転移されませんように!)
広域に渡って的確に1種の生物のみを選別して遠隔地へ転移させる為には相応の技術。
そして桁違いの魔力も必要だった。
本来幾人もの魔法使いが共同で行う規模の魔法陣を前に、規格外の力をもつ少女は意識を集中させ、己の魔力を引き出す。
今までする機会の無かった大規模な魔法。
失敗しないように祈りながら、ルルは両手を前に出して魔力を注ぐ。
木々を繋ぐ桃色に光る帯状の魔法陣が、更に強い光を放ちだす。
大きな魔力の唸りに、ルルの長い金髪が翻った。
風が吹き鳴り、揺れる木々から落ちた木の葉が舞い上がる。
魔法陣の外から内側へと渦を巻いた魔力が吹き流れ、それは陣の中心から天へと立ち上る。
桃色に光る強大な量の魔力が、勢いよく宙へ放たれた。
「……一体何事だ。」
低い男の声とともに、長身に長い黒髪を結った男がエドワードの座る木の陰から姿を現した。
「え、ヤマト先輩?!」
ルルが驚きの声を上げると共に、魔法は始動した。
魔法陣から発生する魔力の渦にヤマトが動きを停止させて瞠目する。
直視できないほどに陣は輝いた。
「あ。」
ルルは慌てて胸ポケットからロタロタを出すと、地面に置いて陣の中へと促す。
何度か降り帰りながらも陣へと入った瞬間。
光は丸い塊になった後、霧散して跡かたも無く消える。
(成功…かな?)
目視出来ない以上、正しく飛ばされたことを祈るしかない。
(うん。まぁ、成功ってことで。)
「ルル、お前…」
「…………。」
「…………。」
新たなる問題に、ルルは頭を抱えたくなった。
目を吊り上げ、鬼の形相でルルを見下ろしているだろうヤマトの方を振り向きたくない。
ルルは魔法陣のあった、今はただの夜の森となった空間をじっと見つめてたまま固まった。
「…………。」
最初に動いたのは、エドワード。
彼はふらつきながらも立ちあがり、ルルの傍らまで歩いて彼女の肩に手を置く。
首だけをエドワードに向けたルルの表情から、完全にパニックに陥っているとありありと分かった。
安心させるように、そのまま何度か肩を優しく叩いてから、エドワードはぼそりと相変わらずの聞き取りにくい小さな声でルルへと囁くのだ。
「目撃者は…消す。」
「えぇ?!」
「そうすれば、解決。」
「だ、だめ。」
「…………。」
不満そうに眉を寄せるエドワードを、ルルは諌めた。
(本気で言ってるから困る…。)
ルルは幼馴染がただのぼんやりさんで無いことに、この数日でなんとなく気づき始めていた。
何のためらいもなく、簡単に色んなものを切り捨ててしまう。
放っておけば言葉の通りにヤマトを闇に葬ってしまいそうで、ルルは慌てて首を横へふる。
「おい。」
こそこそと話をするルルとエドワードに焦れたのか、ヤマトが背後から言葉を投げかける。
躊躇いながらもルルが振り向くと、予想通り彼は怒りに満ち溢れた表情だった。
150cm前後の成長途中のルルが、190cmを越していそうなヤマトを近距離で見上げる。
長時間になると間違いなく首が痛くなるだろう身長差だ。
「せ、先輩。どうしてここへ…?」
「あんな大きな魔力、気づかない方がおかしいだろう。」
「な、内緒にしてください!」
「はぁ?ふざけるな!こんな大問題、報告するにきまっ」
「ヤマト。」
エドワードがヤマトの言葉を切って彼の腕を引いた。
「…なんだ。」
「……こっち。ルルは…ちょっと…待ってて。」
怪訝な表情のヤマトの腕を引き、ルルから少し離れた場所の木の下に移動する。
さらに周囲に聞かれないように注意を払いながらエドワードはヤマトの耳元に口を寄せる。
背の高いヤマトは、眉を寄せながらもエドワードに合わせて少し屈んでみせた。
「黙っていて…くれたら…『銀奏の書』の、写しを…あげる。」
「なっ…!!」
ヤマトの目がこぼれ落ちるかと思うほどに見開かれる。
勝算を読んだエドワードが、ほんの僅かに口端を上げた。
「だ、だがあれは最高魔法師にでもならないと観覧を許されない超貴重な魔術書。写しであっても門外不出では。」
「大丈夫。王子…だから。」
「だ、大丈夫、なのか?」
「………うん。」
ゆっくりとだが自信満々で頷くエドワードに、ヤマトは迷う様に視線を彷徨わせた。
次に目を伏せて眉間に指を当てて考え込む仕草を下かと思えば、すばやく立ちあがる。
同時に高い位置で結ばれた彼の黒髪が勢いよく跳ねた。
ヤマトはルルを振り返り、胸を張って不遜気に腕を組む。
「仕方ない。今回のことは黙っていてやろう。」
王城深くに保管された貴重な魔法書を学べる魔法使いにとって二度とないチャンス。
落ち着いて見えてもまだ17歳で未熟な青年は、誘惑に勝てなかったらしい。
「え?! いいんですか?!」
「まぁ、俺は寛容な男だからなっ!」
いかにも恩着せがましく言う先輩を、ここは一応褒め称えておこう。
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「やれやれ、無茶をする。」
彼らの死角である頭上。
背の高い木の枝に立って木の葉に身を隠し、気配をも完璧に消したリリックが溜息を吐いた。
リリックの腕には鋭いくちばしを持った大柄な鷹がとまっている。
「頼むよ。」
レアへの報告書の入った筒を鷹の足に素早くくくりつけ、横へと腕を伸ばす。
鷹は答えるように一度大きく翼をはためかせると、リリックの腕から飛び立った。
「悪いけど、国王陛下の命は絶対だからね。」
リリックが見聞きしたことをありのまま書いた報告書が王城へ向けて放たれた。
討伐対象を逃がしてしまったことも。
さらに嘘まで付いて事実を隠そうとする行いも。
「……ルル様、落第かもな。」
ルルが討伐成功の褒美を貰えなくなった、決定的瞬間だった。
「それにしても変わった子だ…。魔物の味方につくとはね。」
リリックは短かく刈り上げられた茶髪を掻きながら金髪の少女を見降ろした。
魔物は、人間にとって忌むべき存在。
彼らをかばい、守ろうとしたルルの行為が理解できなかった。
----昔。
魔物を従え使役する者のことを『魔族』と称した時代があったらしい。
無限の魔力を持つルルが、万が一にも魔物の側に付く事態になれば。
更に魔物たちがルルを受け入れるようなことがあるとすれば。
それは古い時代におこったと伝承されている、魔族と人間の戦の再来を意味するのかもしれない。
「…変な事にならないといいけど。」
常には無い無表情で子供3人を目に写しながら、彼は小さく呟いた。