14
闇が支配する森の中。
暗い空間に、魔法で作った灯り玉が一つだけ浮かんでいる。
灯り玉の光がまだあどけなさを残す小柄な少女の頭上を照らす。
黒い外套から僅かに覗く艶やかな癖のある金色の髪が、星のように煌めいて揺れていた。
「はぁっ…はぁ…。」
(しんどっ。あー、運動不足だ…。)
東の森の中を数十分走り回ったルルは、木の幹に手をついて息を整える。
「木が多すぎて魔法で飛ぶことも出来ないからなぁ。でもこれで完成、っと。」
手を付いている木に魔力を注ぎ込むと、いくつもの木と木を繋ぐ淡い桃色の光の帯が浮かび上がった。
ロタロタの住処と推測される一帯をぐるりと囲むように作った魔法陣の完成だ。
「うんうん。完璧! あとは魔法をかけるだけね。…もうちょっと待っててねー。」
ちょんと指で突いた、深くかぶった外套の胸元。
ルルの指に反応して胸元のポケットから顔を出したのは、昼間出会った赤ん坊のロタロタだった。
親は昼間に討伐されてしまったのか、探しても出て来ず。
ついには宿屋まで付いて来かねない勢いでルルに縋りつくものだから、とっさに服の中に隠していたのだ。
「すぐ他の仲間と一緒に、あなたも…。」
「何を…しているの。」
良く知った声に、慌てて振り向いた。
息を切らし、青い顔をしたエドワードの登場に、ルルは驚いて目を丸くする。
しかしふら付いた彼に気づき、慌てて駆け寄った。
「エドワード!寝てないとだめじゃない!」
「…何をしているの。ルル。」
「っ…。」
紫の瞳が放つ激情が、鋭くルルを貫く。
「エド、ワード…?」
いつだって眠そうなぼんやりしたエドワードが、見たことの無い表情をしている。
冷たくて、怖い。
その迫力に怯えて、彼の身体を支えていた手が震えた。
エドワードは厳しい表情を崩さず、更にルルを問い詰める。
ルルの外套から覗くロタロタを見て、眉を潜めた。
「答えろ。こんな大規模な魔法陣を組んで、何をするつもりだ。」
聞いたことの無い、命令口調の厳しいもの言い。
幼馴染の見知らぬ顔にたじろぎつつもルルは何とか答える。
「……転移、魔法。」
「転移?」
「ロタロタを皆、人の手の届かない森の奥深くに転移させるの。」
「…………。」
「その…誰も知らないうちに消えちゃったらいいんじゃないかなーと思って。」
人前でかばうのが無理なら。
こっそり遠くに飛ばして討伐出来ないようにしてしまえば良いのではないか。
ルルの突拍子もない発想に、エドワードはますます表情を厳しくする。
「………。」
(こわっ。)
ルルはうっかり後ずさりそうになるのを何とか我慢する。
「だ、だって、このままじゃ皆殺されちゃうんだよ? 可哀そうだよ!」
「…意味がわからない。」
エドワードが眉を潜めて、振りかぶりながら嘆息する。
小さな灯り玉の光しかない闇夜でも分かるほど、彼の顔色は悪かった。
「魔物が可哀そうだとか…。情を移すなんて、本気で理解出来ないんだけど。」
(やっぱり、違う…。)
この世界の人と、自分の違い。
11年ずっとそばに居てくれた彼でさえ、ルルの考えは突拍子もなく呆れるものらしい。
唇をかみしめて、思わず涙目になりそうになったルルの耳に、また溜息が聞こえた。
でも今度の溜息は、責める意味合いを含まない、優しいもの。
「…分からない、けど。……ルルが、したいなら…いいよ。」
「え?」
「何か…。手伝うこと…ある?」
「は?」
「………。」
再び瞼の半分落ちた眠そうな目になった幼馴染をルルはまじまじと見上げた。
協力者が現れるとは予想外だったのだ。
「い、いいの? 怒らないの? 止めないの?」
「良くない。けど…止めても、するの…だろうし。…放って、おいたら…一人で何するか……。」
つまりは反対しても無駄だろうから、賛成できないけど協力すると言うことらしい。
(そんなに頼りないかなー。)
ルルは子供っぽく口を尖らせる。
反対なら放っておけばいいのに、それも出来ないほど心配されているらしい。
エドワードが過保護すぎるのか。
ルルが無鉄砲なのか。
第三者から見れば両方なのだが、本人たちにはもちろん自覚が無かった。
ルルはやっと肩から力を抜いて、頬を緩める。
自分ひとりきりだと思っていたところに出来た仲間が、素直に嬉しかった。
でも。とルルは首を横に振る。
「ルル…?」
「あのね。すっごく嬉しいの。有難う。」
「………。」
「でも、駄目。」
「………。」
「だって、エドワード。顔色真っ青だよ? それに…。」
ルルは言い淀んで、視線をさまよわせた。
(それに…こんなことで、王子の評価に傷がつくのは相当やばい気がするし。)
もちろんルルが今からしようとすることは誰にも知られず、こっそりと行うつもりだった。
それでも完璧に隠し通せるかなんて分からない。
けれど公爵家の娘とはいえ後継ぎは兄のエディだから、いざとなればルルを切り離して貰える。
家族は賛成しないだろうけれど…もうルルには、今胸のポケットにいる可愛くて暖かい生き物を見殺しにすることは出来ないから。
けれどエドワードは、どう考えたって逃げ道がない。
ルルの困惑を正確に読んだのか、エドワードはゆっくりとした動作で彼女の被る外套のフードを外した。
あやす様に優しく金色の髪を撫でると、ルルの大好きなふんわりとした笑みを見せる。
「別に…いいよ…。」
「良くないから!」
「ルルが、願うなら……王になった時…魔物排斥の法、消しても…いいし。」
「はい? いやいやいや、そこまで望んでないから!!」
このままではルルの我儘で法律まで変えられてしまいそうだ。
魅力的な提案だけれど、中身は一般小市民のルルに、国の思想を根底から変える事態に首を突っ込む勇気はない。
何をどう言っても引きそうにないエドワードに、ルルは諦めの溜息を吐いた。
「わかった。えっと、宜しくお願いしマス。法云々じゃなく転移魔法のことだよ。」
「うん。」
「でも、もう陣も引き終わったし。私が魔法掛けて終わりだけどね。」
「………。」
「不満そうな顔しないで。」
味方がいると言うだけで、心強いのだから。