13
「っ……。」
腹部が熱くて、重い。
肉が焦げる嫌なにおいが鼻を刺激する。
濡れた感触に手をやると、熱された棒状のものに触れて、エドワードは手をやけどすると共に状況を理解した。
荒い息を吐く。力の入らない身体が揺らぐ。
ルルがほろほろと涙を流しながら、必死でエドワードの身体を支えていた。
「エ、ドワード。」
綺麗な。澄んだ鈴の音のような可愛らしい声が呼ぶ。
呼ばれたことが嬉しくて、エドワードは口元を緩めたけれど、どうしてかルルの顔はますます歪んでしまった。
エドワードの目の前にある彼女の額には王家の紋章、『王の祝福』が淡く光っていた。
何らかの危機が迫ると浮かび上がる刻印。
王家の守護化にある存在であることの証明。
敵が今回のように魔物で無く人間だったなら、相手への強力な牽制となったのだろう。
(ヤマトに、知られちゃったか。)
彼女に『王の祝福』が与えられたことはほとんど周知されていないのだ。
もっとも特別に秘密にしているのではなく、言う必要がないから言ってないという程度だが。
「っ…ル、ル…。」
「わ…私…ごめんなさっ…!」
しゃくりあげながら、幼い子供の様に泣くルルの涙をぬぐいたかった。
(…駄目だ。)
伸ばそうとしたけれど、腕がルルの顔まであがらない。
ぼやける視界で周囲を見渡すと、リリックとヤマトが周囲を守っている。
助けに駆け寄りたくても敵が立ちはだかりどうにもならないようで、悔しそうに唇を引き結んでいた。
(これ以上長引かせると、ルルがもっと泣く…。)
戦力が2人になったうえ、けが人が2人。
本人が考える以上に無鉄砲な所があるルルが、どんな行動に出るのかエドワードには予想も出来なかった。
泣かれるのもつらいけれど、考えなしに魔物に向かって行って怪我をされるようなことになるのは絶対に困る。
(っ……。)
血に濡れて滑る手に手こずりながら、腹部を貫くロタロタのツノに手を添えた。
火に触れるようなものなのに熱さなど顔にも出さず、それどころかエドワードはルルへの優しい笑みを深めるばかりだ。
傷みに耐えながら息を吐いて、ゆっくりと吸った。
もう一度吐きながら、エドワードは力を込める。
数年ぶりに身の内の魔力を感じつつ、かすれた小さな声で彼は唱えた。
「……氷の大風。」
唇から言葉がこぼれた瞬間。
「っ…!何?!」
「これは……エドワードか…?」
ヤマトが黒い目を見開いて、エドワードを振り向いた。
冷たい冷気を含んだ風が、吹き荒れる。
息も出来ないほどの吹雪に、ルルはエドワードを支える腕に精一杯の力を込めた。
氷粒交じりの雪が、勢いよく宙に巻き上がる。
エドワードの腹部をつらぬいているロタロタは、氷に覆われて固まってしまった。
ヤマトやリリックが相手にしていたロタロタも。
既に倒され瀕死状態で倒れていたロタロタも。
魔物だけでなく、地から生える草花さえも。
人間以外の全てが氷に覆われ、停止する。
「エドワード…?」
氷の世界を驚いた表情で見渡しながら、ルルはエドワードを呼ぶ。
ルルの問いたい事は分かっているのだろう。
けれどエドワードは答えずに、目を軽く伏せて魔力を込めた言葉をまた放つ。
「空間浄化」
手に触れていたロタロタのツノが、さらさらと砂のように崩れていく。
魔力の込められた氷に覆われた全てのものが、浄化され、無に返る。
風に舞ったそれは、月の光に反射して美しく輝いていた。
幻想的な光景に誰もが言葉を失った。
「っ……。」
無言の世界で、最初に動いたのはエドワード自身。
ぐらりと身体が揺らぎ、ルルにはもう支えきれない重さで、支えようとしたルルもろとも地に倒れた。
「エドワード?!」
「王子!」
「ルル!早く治癒を!」
慌てて起き上ったルルが治癒魔法を唱えるのと、リリックとヤマトが剣を納めて駆け寄ってくるのは同時だった。
ラルーアの村の青年は、呆然と目を見開きなすすべもなく。
氷の粒となり消えていくロタロタを、見つめていた。
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「痛みますか?」
「…………。」
「あの青年に王子の身分は固く固く口止めしておきました。口外はされませんからご安心ください。」
「…………。」
「ルル様の刻印のことは、特に王から口止めもされていませんので何も言いませんでした。」
運ばれた宿屋の一室のベッドの上。
無言のまま、エドワードはゆっくりと首を横にふる。
長年ルルに叱られて来たおかげで大分話すようになったが、しかし首を振るだけで伝わる場面で口を開くほど社交的になったわけでもなかった。
幼いころから見知っている王子の反応に、リリックは気分を害することもなく人当たりの良い笑みを浮かべる。
そして2人きりの今は主従関係に戻るのか、彼は丁寧な敬語で話していた。
「明日のロタロタ討伐は我々だけで行います。」
「………?」
「あれは全然一部ですよ。森中に巣があるらしいので、明日全て纏めて叩いてきます。」
「………。」
「王子はゆっくりお休みになってください。」
「……ルル、は。」
「もちろ討伐に同行させますよ。討伐依頼を受けたのは彼女自身ですから。」
そういうと不満気に眉を潜めるエドワードを余所に、リリックはベッドサイドの丸椅子から立ち上がり、去って行った。
エドワードが人が居る場所では落ち着けない性質だと良く分かっているからだ。
「………ルル。」
夜の静かな空気の中、エドワードは幼馴染の名を呟いて空を見上げる。
窓側に設置されたベッドからは、頭上高くに昇った綺麗な三日月が良く見えた。
(泣いてた。)
笑ったり怒ったり拗ねたり。
表情がくるくる変わる彼女だけれど、泣き顔をみることは実は始めてだった。
視線を空に向けたまま、エドワードは左手を自分の胸に当ててみる。
どくどくと、脈打つ心臓の鼓動を感じて、生きている音に安堵した。
(魔力、使っちゃったし。)
心臓を掴むかのように、きゅっと胸の上で手を握った。
生まれてからこれまで、エドワードが魔法を使ったのは数える程度だ。
知識さえ有れば練習など無しでたいていの魔法を使えるほど、魔法に関しての適正能力は高い。
けれど彼には、魔法を使えない理由がある。
(母上に怒られるかも。…ルルが知らなくてよかった。)
きっと魔法を使ってはいけない理由をルルが知ったなら。
エドワードが魔法を使う原因になった己を責めるだろうから。
(もう泣かせたくないし。特異体質だなんて、知られたら絶対だめだ。)
普通の人はたとえ魔力を使い切ったとしても、睡眠や休息を取れば自然に回復する。
しかしそんな魔力の常識から外れた、特異体質を持つ者が極々まれに生まれるのだ。
その代表例がルルだった。
ルルの魔力は底なしで減ることがない。
いくら使っても疲れを感じない、無限の魔力。
そして同時に、エドワードも特異体質だ。
彼が魔力を使うことは、命を使うこと。
魔法を使えば使うほど、エドワードの寿命は減っていく。
(今日の魔法で、何日死ぬのが早くなったんだろう。)
深く息を吐くと、両腕で自分の体を抱きしめた。
死が近づいた恐怖に身震いした。
それでもルルを守る為に、力を使ったことに後悔はない。
ルルが魔物にやられて死ぬくらいなら、自分の魔力全部を使うことになったとしても躊躇いなく動くくらいに彼女は大切な存在だ。
己の体質を知ってから徐々に人を寄せ付けなくなった子供のころ。
縮こまって閉じこもって、死ぬのを遠ざけるために全てを遮断したエドワードの元に飛び込んできた、金色の髪の女の子。
他人より魔力に敏感なエドワードには、直ぐに分かった。
自分と正反対の無限の魔力を持つ子。
溢れるほどの魔力が、何の悩みもない無垢な笑顔が、うらやましかった。
それなのに、どうしてだろう。
死の恐怖の中にいるエドワードと間逆の場所に居るルルに、嫉妬や怨みは起きなかった。
きらきら輝く女の子に感じた感情は…羨望。
直視できないほどに煌めく太陽。
目が離せなくて
あっと言う間に捕まった。
「ルル…。」
目をつむって俯いた。
近頃どんどん大人になっていく彼女を脳裏に描く。
(いつまで一緒に居てくれるのかな。)
成長して人づきあいが増えるに連れ、エドワードとルルが2人で過ごす時間は徐々に少なくなってきている。
そのことにルルは気づいているのだろうか。
伏せていた顔を上げて、再び窓の外の三日月を見上げる。
ぼうっと空を見ていた視界の端に、黒い何かが動いていた。
下へと視線を映して動く何かを目にして、数秒後。
エドワードの紫色の瞳が大きく見開かれる。
「ルル!?」
頭から黒いマントをかぶっているから顔までは分からない。
しかしたとえ顔が分からなくとも、エドワードがルルを見間違えることは有り得なかった。
(一体何をやっているんだ…。)
眉間に皺をよせながらも、エドワードはベッドのサイドデスクに置いてある衣服を手に取る。
「っ…!」
動くと失血によるめまいに襲われた。
傷はふさがっているけれど、熱が出てるのか呼吸も荒い。
だがエドワードは浅く息を吐いた後に何の躊躇もなく立ち上がり、夜着を脱ぎ落とす。
窓の外に視線を向けて彼女の向かう方向を目で追いながら、シャツを羽織って扉へと足を向けた。