12
教えられた東の森へと向かうと、入り口付近に白い塊が群れていた。
「うわー。あれは完全に怒らせてるな。いったいどんな挑発したんだか。」
凶暴化したロタロタは、額から伸びた白いツノが魔力を帯びて赤く変色していた。
昼間の無害な小動物だった様子を一変させ、禍々しい空気を含んでいる。
まるで飢えたライオンか豹にでも出会ったかのような恐怖を感じて、ルルは身震いした。
「たっ…!助けてくれっ!!」
声に目を向けると、十数匹の小さく白いロタロタが一人の青年を取り囲んでいる。
足首からは血が流れていた。
おそらくロタロタのツノに刺されたのだろう。
ヤマトが魔法で作り出した弓と矢を出現させて、青年へと向かって走りながら射った。
弧を描き飛んだ矢は、的確に1匹のロタロタの頭を付く。
(っ…!)
思わず一瞬、目を瞑ってしまったルル。
「ルルは…治癒を。あとの者は攻撃でいいね。夜の森の中は危険だから深追いはしないように。」
ルルの様子から戦わせることを諦めたのだろうか。
リリックが指示を出しながら剣を抜き、青年とロタロタの間に身体を素早く滑り込ませる。
同時に何匹かのロタロタが抜いた剣でなぎ払われた。
エドワードとヤマトも参戦して、青年の周囲を開けてくれた。
ルルは倒れている青年に駆け寄ると、青年の傍らに膝をつく。
ズボンの裾をまくりあげて足首をあらわにすると、完全に穴が空いていた。
(人の骨を貫通させる程度は簡単ってことですか。)
患部の周囲は重度の火傷をおこしていて、熱した槍で突いたような傷跡だった。
ロタロタのツノが赤く変化しているのは、火系の魔力を纏っているからなのだろう。
思った以上の深手にルルは眉をひそめる。
「安全な所へ動かすより先に、治療してしまった方がよさそうですね。」
「は?いや…君では無理だろう。」
青年はルルを見て、まだ子供とも言える少女に驚いたようだ。
刺激しないようにそっと手を添えたルルに、困惑した様子で首を振る。
かすり傷や打撲程度ならともかく、骨や神経を再生させなければならない程の傷。
10代半ばの子供が出来る魔法で無い事くらいは、魔法に詳しくない青年でも知っていた。
(知らない人の前であまり高位の魔法使うなって言われてるけど。仕方ないよね。)
年に不相応な魔法が、良くも悪くも目立ってしまうことはルルも自覚していた。
「治癒。」
淡く光に照らされた患部が目に見えてふさがっていく。
驚きで絶句する青年を余所に、ルルは治癒を続けながら周囲を窺った。
凶暴化したとは言っても、魔力を帯びたツノにさえ気を付ければ、3人が負けることはなさそうだ。
ルルは安堵の息を吐きながら、同時にチクリとした胸の傷みを覚える。
今の凶暴的なロタロタは…怖い。
さっさと片付けてくれとさえ考えてしまう。
だけど可愛いと思っていて、守りたかったのも本当なのだ。
(だめだめ過ぎる…。)
このまま何もせずに後悔だけして終わりそうな気がする。
ぐだぐだ考えるだけで何も出来ない自分に落ち込んだ。
けれどルルは特別に正義感が強いわけでも無ければ、変な目で見られるのを分かっていて動くほどの行動力だって持って無い。
楽に適当に。そのうち何とかなるだろう。
そんな感じで周りに流されていた前世の緩い女子高生時代と何も変わっていないのだ。
(はー…生まれ変わったって中身は同じなのよね。格好いい勇者的存在なんてあり得ないし。何事も無く終わるならもういいかも。)
今後、討伐を受けさえしなければ同じような悩みに出くわす事も無いだろう。
罪悪感は残るけれど、困るほどでもなく。
柄にもなく考えすぎて、ルルは何だか面倒くさくなって来た。
どこか投げやりな気分で、月が昇り始めた空を見上げる。
続いて地上へと視線を戻したルルの青い瞳に、白く小さいものが映った。
「あ。」
雑草の隙間から顔をのぞかせる、小さな小さな…白い生き物。
「ウサ…ロタロタの、赤ちゃん?」
ツノは白色で、凶暴化していなかった。
短い手足をたどたどしく使いながら、赤ん坊のロタロタは少しずつルルに近寄ってくる。
つぶらな紅い瞳が、ルルを見上げた。
ルルの足を嗅ぐようなしぐさ。
危険は無いと判断されたのか、目を細めてすり寄ってきた。
「可愛い…。」
姿形は同じなのに。
凶暴化して居ないってだけでときめいてしまう。
現金な己の性格にまた落ち込みそうになりながら、治癒を施していた片手だけを外すと、その手でそっと柔らかな白い毛並みを撫でた。
出来るだけ関わらないようにすると言う、エドワードとの約束は簡単に崩れてしまった。
気持ちよさそうに指先に鼻をすりつけてくる小さなロタロタに、思わず頬が緩む。
(…こんな時じゃなかったらもう浚ってしまってたかも。)
大好きな可愛い小動物の、さらに可愛い赤ん坊。
(可愛い。かわいい。かわいいかわいい。)
「………死んじゃうの、やだなぁ。」
声として出ていたかも認識出来ないほどの、小さくかすれた呟きが空気に溶ける。
「---う、わぁぁぁぁっ!!!」
突然の、絶叫。
声の主はルルが治癒を施している青年だった。
ロタロタを映す見開かれた彼の目は、恐怖に染まっている。
歩くことなど不可能な足で、どうにかロタロタから離れようと必死で足掻く。
「…あっ!」
ルルにすり寄っていた赤ん坊のロタロタが、青年に鼻先をこすりつけようとする。
純粋な、ただの好意からくる甘えにしか見えない動作。
しかし怯えた青年には恐怖でしかなかった。
「来るな! 来るなぁぁ!!」
腕を振り回し、乱暴にロタロタを振り払おうとする。
ついには振りかぶった腕が小さな身体に命中。
大柄な人間に叩かれて、小さなロタロタは衝撃に宙を飛んだ。
「だめー!!」
無意識に、ルルの身体が動く。
魔法を使う余裕さえも無いままに。
弧を描いて飛ぶロタロタのもとへ、地を蹴って手を必死に伸ばした。
ぐずぐずと考え込んでいた自分が嘘のよう。
ただ小さなロタロタが傷つくのが嫌だった。
(届いてっ…!)
伸ばした手の平の上に、柔らかなロタロタの赤ん坊の身体が着地した。
(よ、良かったぁ。)
ほっと息を吐いた瞬間。
「ルル!!」
エドワードの、らしくもない怒声が響いた。
3人が守っていた場所から飛び出してしまったルルの目の前には、ツノが赤く変化し凶暴化したロタロタ。
間違えようも無く、赤い瞳がルルを標的に捉えた。
(っ…!)
赤ん坊のロタロタを手に抱いたまま、ルルは恐怖で身を固くする。
勢いよく突進してきたロタロタに、思わず固く目をつぶった。
「ひっ…。」
その場で座り込んだまま、悲鳴を出すことさえ出来なかったルルに、何か暖かくて重い物がかぶさる。
良く知った、優しい香りがした。
香りの正体を確かめる暇もなく、ドンっと鈍い衝撃。
「っ…!」
「エドワード王子っ!!!」
目を開けたのは、リリックが我を忘れてエドワードを身分付きの名で呼んでしまってからだった。
ふわふわの薄茶色の髪がルルの頬をなでた。
息が触れるほど近くにあるエドワードの表情は、ルルが無事だったことに安堵したのか、柔らかく優しく笑っている。
「エ…ド、ワード…?」
「……だい…じょうぶ。」
ルルの足に、生暖かい液体がポタポタと落ちる。
ゆっくりと視線を下ろした先。
エドワードの腹部からは、貫通したロタロタの赤いツノ先が覗いていた。
「っ……!!」
腹部から落ちた鮮血が、エドワードとルルを赤く染めていく。
優しく笑うエドワードの表情とは逆に、ルルの顔は見る間に歪んで、大粒の涙が頬を濡らした。