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一応迷宮モノ  作者: Chroro
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第一話







第一話







 夢に揺蕩うかのような不思議な感覚に包まれていると、唐突に、とん、と何かが肩にぶつかった。

 一転、身体は現実感を取り戻してあっさりと倒れていく。そのまま尻餅をつき、その痛みに意識が急速に浮上した。

 徹が尻を打ちつけた痛みの次に感じたのは、瞼を貫いてくる光だった。そして金属の擦れる音、人の歩く音、声。

 目を開くと見た事のある、しかし非現実的な光景が目に飛び込んでくる。



「え……」



 徹は思わず声をもらした。

 鮮烈な純白ではなく乳白色に近い不思議な、どこか柔らかさのある白色に覆われた西欧系の建築様式だと思われる建造物の群れ。

 見慣れない衣服を着た者や鎧を纏い帯剣した者、ローブを纏い身の丈ほどの大きな杖を握る者、柔らかそうな毛の生えた耳や尻尾を持つ者。

 現代では明らかに時代外れな格好の人々や、コスプレと言われそうな格好の人々、そして時代外れどころか現実には在り得ないはずの存在さえ、今、目の前に存在している。

 さらに、それらは一人が消えてはまた別の者が現れるという超常現象まで見せていた。

 徹が自分の体を見下ろせば、着ていたはずのTシャツやズボンは失せ、何故か自分まで見慣れない服を着ている。

 徹は目に映る物を理解する事が出来ず、しばし呆然としていたが、ふと我に返る。寝起きのように霞がかり纏まらなかった思考がクリアになっていく。

 纏まらないなりに現状を認識しようといっぱいいっぱいになっていた脳にも余裕が生まれ、停滞していた思考がゆっくりと動き出した。

 人の目がある事など意識もせず、ただただ現状認識のために徹がキョロキョロと周囲を見渡すと、やはり見たことのある物ばかりが目に入った。

 建物や人々の服装などから考えると、ここはヴァルメイズオンラインの舞台である迷宮都市〈ウィトガルド〉の中央広場のように思われる。より正確に言えば、広場中央の石柱が円状に並べられている場、転移装置〈ポーター〉の転移陣のド真ん中だ。

 しかし、何かがおかしい。おかしいことはわかるのに、何が原因なのかわからない気持ち悪さを感じる。



「ウィト、ガルド? え?」



 混乱気味の徹は「寝落ちしたからか」と一瞬思ったが、そうではない事には嫌でも気付かされることになった。

 目の周りを探るが何も無い。HMDが、無い。

 何より、徹が今感じている風やそれに乗って漂うにおい、目の前を行き交う人々から感じる存在感は紛れも無い本物で。

 そこで、徹はようやくおかしさを感じた原因に気付いた。

 “これ”だ。

 まるで、これが現実であるかのようなリアリティ。

 徹は、混乱し再び纏まらなくなりつつあった思考を無理やり押さえつけ記憶を整理する事に努めたが、現状に至った経緯は全く分からなかった。

 急に眠たくなり、そのまま寝てしまったところまでは徹も覚えていた。ログアウトはしていなかったが、HMDは外していた。

 実はその時既に意識が飛びかけていて、HMDを外したと思い込んでいるという線も考えたが、HMDを付けていない事は確認したばかりであるし、そのHMDの映像にしてもここまで生々しくはない。

 本物に限りなく近いとは言うものの、意識して見ればやはり作り物めいた感じというのは隠し切れないものだ。

 しかし、ここにはそれが無かった。そもそも、ちょっとグラフィックがリアルなゲームに過ぎないのだから、視覚と聴覚以外の五感に影響は無いはずである。

 徹の知る限り、フルダイブとでも呼ばれるような五感全てを仮想世界で再現するシステムなどは実現していない。

 せいぜいどれか一部の再現がそれぞれ別に進歩している程度で、現実と間違うような完全な五感の再現など夢のまた夢、未だSFやファンタジーの領域である。

 仮にそのような技術が存在するとしても、一般には公開されていないのだとすれば徹には知る由もないし、そもそも一般公開される前の技術がゲームに使われるということは無いだろう。

 「明晰夢」という言葉が思い浮かぶ。夢を見ている本人が、夢を夢だと理解している夢。

 しかし、しかしだ。かつてこれ程までにリアルな夢があっただろうか? 少なくとも徹の記憶には無い。

 では、「これは現実か?」と問われると返答に詰まってしまう。

 これは夢か現実か。

 ここまで現実味を持っていれば(事実、現実かもしれないが)、夢か現実か迷ってしまってもおかしくはないと徹は思う。

 常識的に考えれば夢でしか有り得ないが、しかし、ただの夢だというにはリアルに過ぎる。己の正気を疑いつつも、現実だと思うかもしれない。

 実際、徹は今ここにいる自分が、街が、世界が夢であるのか現実であるのか判断できないでいた。

 しかし、ただ単純に判断に迷っているわけでもなかった。

 「こんなものは夢に決まっている」と考える自分がいる反面、何の根拠もなく「これは紛う事無き現実である」と何故か確信してしまっている自分がいることに戸惑っていたのだ。

 もちろん、二つの相反した考えに判断を下しかねているということもあるが、それよりもまず「なぜ?」という思いが大きい。

 これが現実であるのかわからない。ここが徹の知るウィトガルドであるという確証は無い。よく似た町かもしれない。

 それなのに、徹の一部はこれが現実でありここはウィトガルドで間違い無いのだと、納得するに足る理由を得る前から既に確信してしまっていたのだ。

 確信している理由は当の本人にもわからなかった。強いて言うならば、己の感覚が「そうだ」と強く訴えているといったところだろう。

 しばらく心の中で葛藤を繰り広げた徹であったが、結局、これは現実だと考えることにした。

 どんなに考えても、己の一部が現実味ということ以外に何をもってこの状況を現実のものだと捉えているのかすらわからなかったが、それでも徹は己の感覚を信じる事にしたのだ。

 一応、後付けとはいえ、これを現実と考える事にするのには合理的な理由もあった。

 「夢だと考えていたのに、実は現実だった」場合、危険だからだ。

 たとえ「現実だと考えていたのに夢だった」としても、実害は無いだろう。せいぜい、恥ずかしくなることぐらいだ。

 しかし、夢か現実かの区別もつかない以上、その逆の場合はあまりにも危険だ。

 夢だと考えてやりたい放題やって(実際にできるかどうかは別にして)、取り返しの付かない事になってしまっては困る。故に、この選択はあり得ない。

 こうして徹が「これは夢だ」という考えを切り捨てると、次に「どうやってここに来たのか? 帰る方法は?」という疑問が浮かんだ。

 しかし、この疑問はあっさりと放棄された。投げやりに、と言ってもよい。

 理由は単純だ。「分かる訳が無い」これに尽きる。

 随分と考え込んでしまった気がするが、結局ここに来てしまった経緯は分からず、この世界をどう捉えるかという考えを纏めただけ。

 元の世界に帰る術などさっぱり思いつかない以上、これからの身の振り方について考える必要があった。

 改めて周囲を見渡す。

 一応とは言え現状を理解し納得した事で、少し冷静になった徹はこちらを怪訝な顔で見ている者が数人いることに気付いた。

 注目されるのも当然だ。慌てた様子でいきなり周囲を見渡したかと思うと今度は急に黙り込み、そのまま広場の中央で座り込んでいれば誰もが不思議に思うだろう。

 さらに、徹には気付く由も無いことであったが、徹が目を覚ましてから既に十分は優に経っていた。目を覚ます前からならばもう少し経っているだろう。

 本人としては思考時間は短かったのかもしれないが、混乱している人間が平時のように順序良く素早く考えを整理できる訳がない。

 ましてやこの場合は明らかに非現実的な出来事に直面しており、なおさらだ。

 徹としてもある程度冷静になってしまえば、己が不審であったという事が自覚出来てしまう。

 自覚した途端猛烈に恥ずかしくなり、徹はそそくさと広場から逃げ出した。これで服が元のままであったなら、さらに多くの人の目を集めていたに違いない。




◇◇◇◇◇◇




 広場から逃げ出した徹は、恥ずかしさで火照る頬が冷めてくるころになってようやくまともな思考が出来るようになった。今度は注目されないよう道の端に佇み、行き交う人々を見ながら考える。

 落ち着いてから最初に徹が行ったことは、身の回り、つまりは服装や所持品などの確認だった。

 少し古そうだが、丈夫そうで少しごわごわとした長袖のTシャツのような服に、似たような素材の長ズボン。ベルトなどという上等なものではなく、紐でずれ落ちないよう締めてある。

 下着だけは何故か元の世界のランニングシャツにトランクスだった。靴、というか履物は、いかにも履きなれた感じの漂うサンダルのような物だ。

 手持ちの荷物は何も無く――広場に置き去りにしてしまった可能性はあるが――ズボンのポケットにも何も入っていない。まさに着の身着のままという状態だった。

 家の近所に散歩に行くなら困らないかもしれないが、生憎ここは見知らぬ地、極め付けに異世界である。心許無い、というか絶望的だ。

 幸い、気候は温暖なようなので野宿をしても凍死するような事は無いだろう。

 しかし、情報収集と食糧の確保だけはしなければならない。

 食糧は勿論の事、異世界人である徹にとってこの世界で生きていくために情報収集は必須だ。帰る方法が検討も付かない以上、手がかりを探すためにもここで生きていくしかない。

 何か情報を入手すれば帰る事を考えるのも良いかもしれないが、どんな方法であれそれを実現するための力が必要だろう。どの道、現時点ではどうやって生活していくかを考えるしかなかった。

 とりあえず、徹は荷物を置き去りにしていないか確認するために広場に戻ることにした。荷物は誰かに持ち去られている可能性はあるが、自分の格好からすると大した物は持っていなかったと思われるので、もしかしたら見向きもされず残っているかもしれない。そもそも何も持っていなかった、という可能性も大きいのだが。

 確認が終わった後は、そのままギルド本部へ向かうつもりだ。

 ギルドとは冒険者のサポートおよび取締りをする組織であり、同時にこの街を治める最大の組織である。ギルドはその役割を果たすため、いくつもの施設を抱えており、徹が向かおうとしているギルド本部以外にも街の中には多くのギルド関連の施設がある。

 ヴァルメイズオンラインでは、初心者のためのチュートリアルや各種説明がギルド本部やその他一部のギルド施設で行われていた。ゲーム通りならギルド本部に行けば様々な説明を受けられるはずである。

 広場から逃げ出すのに何も考えずにひたすら歩いたので、どのくらい広場から離れているのか徹には分からなかったが、途中で道を曲がった覚えも無いのでまっすぐ行けば広場に出る筈だった。

 そんな大雑把な考えのもと歩き始めた徹だったが、先ほど逃げ出していた時とは違った理由で落ち着きを無くしていた。

 混乱から立ち直ってみればこの町の様子には感慨深いものがあり、また、同時に大きな興奮を感じていたからだ。

 なにせ自分の記憶の上では、数分あるいは数十分前にはこの町を舞台にしたゲームをしていたはずなのだ。それが今や本当にその世界の一員となってこの町を歩いている。

 通りにはゲームでも見たことのある商店や建物が並び、歩く人々はプレイヤーのアバターでなければNPCでもなく、それぞれが一人の生きた人だ。

 それだけでも十分驚きの出来事であるが、ここはファンタジーの世界。剣と魔法、そして幻想の世界。人間だけではなくエルフや獣人、ドワーフといった様々な種族が存在し、人々は防具を纏い、武器を手にし、魔法を使う。

 もちろん全ての人がそうあるわけではない。徹と同じ人間で、武器や防具とは無縁そうな人々もいる。しかし、容姿や服装を別にしても、それらの人々も徹の生きてきた世界の人々とは違っているのだ。

 なんと言うか、纏っている雰囲気が違う。精気に満ち溢れているというか、存在感が違うというか。おそらく、この世界の人間と徹の世界の人間を全く同じ格好で並べて比べれば、一目でどちらがどちらの世界の人間かわかるだろう。それくらいの、差。

 ゲームで見たことがあるはずのものを含め目に映るもの全てが目新しく感じてしまい、興奮は冷めやらない。

 しかし、一方で、徹を落胆させることもあった。生活のことを考えるとありがたいのだが、夢というかロマンというか、そんなものをぶち壊しにされた気分である。

 何が原因かといえば、耳に入ってくる言葉や目に入ってくる文字だ。

 徹が認識している通りに発音され、記されているのならば、それは間違いなく日本語なのである。おまけに長さや重さの単位まで同じのようだ。時折外来語も混じっているようだが、日本での日常会話の範囲内のものだろう。

 唯一違うのは、通貨がゲーム内通貨のゼル(zel)であるということだ。

 これには流石に徹も脱力した。

 ゲーム内のファンタジーな世界に来たと思ったら同じ言葉に同じ単位なのである。

 読み書き会話に困る事が無いのだからありがたい。確かにありがたいのだが納得出来ないのは仕方が無いだろう。

 これなら、全て英語だった方がまだ雰囲気が出るのではないかと徹は思った。

 しかし、言葉や単位についてはともかく、店や建物にもゲームと同じものが存在しているという事は、他にもゲームと何らかの共通点があるのではないだろうか。

 徹は「ここはウィトガルド(オンラインゲームの世界)である」ということ自体を疑うことはすまいと決めたが、建物や店の名前などをはじめとしたゲームの設定とこの世界の全てが同じなどとは微塵も思っていない。

 ポーターのような大規模な構造物を除けば、多少は似たものがある程度ではないかと思っていたのだが、予想に反して今のところゲームで目にしたのと全く同じ商店や建物がいくつもある。

 徹には同じ物がいくつもあるというよりも、むしろゲームでは無名だったオブジェクトに名前と役割を当て、さらに新たな建物や細々とした要素を追加したという印象であったが。

 ともあれ、これは何か頼るにも何の当ても無い徹にとっては嬉しい事だった。

 何の根拠も無い確信だけで不安だったところに見知った物が現れて安堵したというのもあるが、もしこの調子で他にも多くの共通点があるならば、持っているゲームの知識を僅かなりとも活かせるかもしれないという事が何よりも徹を勇気付けた。




◇◇◇◇◇◇




「ま、そうだよなぁ……」



 ある意味当然と言えば当然の結果に、ポツリと独り言をこぼす。

 広場までの道のりでこれから先に希望が見えてきて足取りも軽くなっていた徹だったが、広場で再び落胆することになった。

 広場に荷物は無かったのだ。

 そもそも荷物を持っていたかどうかも分からないので駄目でもともとだったのだが、希望が見えてきて気分の良かった徹にとっては水をさされた気分だった。

 徹はしばらく肩を落としていたが、やる事を思い出して気を取り直す。これからギルド本部へ乗り込むというのに、いつまでもへこんでいる場合ではない。

 乗り込むと言うのはいささか大げさかもしれないが、これからこの都市の中枢に赴こうとする徹の気分的にはそんなものだった。

 ギルド本部へ行くためには、まず転移という徹にとって未知の体験が待っている。

 ギルド本部へはこのウィトガルド中央広場のポーターで転移する事によってのみ行くことができるのだが、徹にとってこれが第一の難関だった。

 なぜなら、転移の仕方が分からないのだ。流石にゲームのように『転移しますか?』とウインドウが出現する訳ではないだろう。

 また、そもそも転移というのは徹の持つ常識の中では有り得ない現象であった。未知の現象に対する恐れだけではなく人が掻き消えるという現象そのものに恐れを抱いていたのである。

 ポーターの転移陣の外から転移していく人々の様子を見ていても、何かを口に出しているような様子は無く、陣の中に入って立ち止まったかと思えばすぐに消えていく。

 共通したしぐさや行き先を指定する行動をしているようにも見えなかったので、おそらく陣の中に入って行き先を念じて転移しようとすればいいのだろうと予想は出来る。

 徹は傍から見ても緊張していると分かるような強張った表情で陣の中へ入ると、意を決して『ギルド本部へ転移!』と心の中で叫んだ。

 心の中でとはいえわざわざ叫ぶ必要も無かったのだが、その叫びを口に出してしまわなかっただけ上出来と言えるかもしれない。

 これが徹にとって人生初の転移だった。




◇◇◇◇◇◇




 気が付くと白い街並みと喧騒は既に無く、転移は終了していた。

 心の中で叫び終わるか否かというタイミングで体がふわりと浮き上がるような感覚に包まれたかと思えば、その次の瞬間にはもう目の前に城と言うべきか塔と言うべきか迷うような壮大な建造物が見えていたのである。

 元いた世界では実現されていない転移という奇跡。

 本来ならば緊張と恐怖から解放され安堵するとともに、本当に転移できたことに感動でもしそうなものだ。

 しかし、徹は初の転移の事も忘れて目に映る壮大な建造物に唖然としていた。

 ゲームで初めて見た時も確かに壮大だと思った。だが、今目の前にあるのはそんなものではない。比べるのもおこがましいと言えるかもしれない。

 大きさだけでもゲームで見た物の数倍はありそうな様子だが、何よりその威圧感とでも言うべき存在感が徹を圧倒していた。

 ただ巨大であるがゆえの存在感ではない、もっと別の、滲み出すような根本からの異質な存在感がこの場の空気を支配し、己の魂まで塗りつぶされていくような感覚。

 己が少しずつ上書きされていくような感覚。


 少しずつ、少しずつ体の感覚も薄れていく。


 それらの異様な状態に耐え切れず、意識が朦朧としていく。







 とんとん


 意識を失いそうになっていた徹を救ったのは、白く細いしなやかな指を持つ手だった。肩を軽くたたかれ、朦朧としていた意識が覚醒する。

 気付けばあの圧倒的な存在感は霧散しており、その名残すら感じられなかった。



(今のはいったい……?)



「大丈夫かしら?」



「うわぁっ!?」



「あら、その様子だと問題無いようね」



「あ……あの、ご迷惑をお掛けしました」



「気をつけなさいな。短気な冒険者なら邪魔だと言って切り捨てていたかもしれないわよ? もしくは魔法でボン、ね。

 私が優しくて良かったわね?」



 手のひらを上に向けてボンとはじけるジェスチャーをすると、徹の意識を引き戻した女性はくすくすと艶やかに笑った。

 身長は170cm台半ばの徹よりもほんの僅かに低いくらいで、控えめながらも金糸で細やかな刺繍のされたフード付きの白いローブを纏っている。

 



「ボンって……」



「ふふ、冗談よ。いくら短気だからって、こんな所でそんな事をする馬鹿はいないわ。

 でも、まあ、気をつけることね。突き飛ばされるくらいはするかもしれないから」



「はあ……」



「おせっかいはこのくらいにしておきましょうか。じゃ、さようなら」



「……ありがとうございました」



 戸惑いつつも徹がお礼を言うと、その女性は再びくすくすと笑いながら転移していった。

 驚きと戸惑いのせいで完全にペースに載せられてしまっていたためか徹は釈然としない気分だったが、せっかく忠告してくれたのだから感謝しようと考え直す。

 それでも付き纏って離れない違和感が気分をすっきりさせてはくれなかったが、徹はその感覚を無視する事に決め、ギルド本部へ向かって歩き出した。




◇◇◇◇◇◇




 ギルド本部のポーターは、徹が転移した直後にギルド本部の外観を目にした事からも分かるように、本部の外に存在する。

 本部の正門と一直線の橋で繋がれており、ギルド本部へ用がある者はそこを進んでいくのだ。

 今も徹と同じようにこれからギルド本部に向かう者や、ギルド本部から出てきた者が行き来している。

 ポーターとギルド本部を結ぶ橋の周囲にはほとんど何も存在しない。まさにギルド本部とポーター、そしてそれらを結ぶ橋のためにだけあるような空間で、巨大な岩塊が幾つか浮かんでいることを除けば、不思議な白さを持った空間がウィトガルドの時刻――正確には空の様子の変化――に合わせて様相を変えていくだけである。

 太陽の存在すら確認できないのにウィトガルドの時刻に合わせて明るさが変化し、青空や夕焼け、そして月も星も無い夜空が現れるのはこの空間の神秘であり、人によれば奇妙で不気味な面でもあった。

 ちなみに、夜は空中の岩塊が発光して周囲を照らしており、その様子もまた幻想的と思うか不気味と思うかは人それぞれである。

 ポーターから進み、橋を渡り終えた所に待ち構えているのがギルド本部正門だ。

 あまりにも巨大なギルド本部を乗せている、もはや大地の柱とでも呼ぶべき物の外周を取り囲む何者をも受け付けない城壁と、その城壁の延長上に伸びる透明な結界が存在しない唯一の場所。

 しかし、結界は無くとも城壁内では特殊な力場による飛行制限がかかっていて、城壁の高さを超えて飛ぶ事が出来なくなっている。

 ギルド正門を通り過ぎれば庭園だ。建物の壁面のラインを底辺に、正門を頂点とした城壁と建物の壁に囲まれる三角形の庭園である。

 徹が庭園に足を踏み入れると、橋からでは門と城壁の陰になっていて見えなかった庭園の様子を見ることが出来た。

 橋や門と同じ幅の道が建物の入り口へと続いており、その周りを芝のような草が覆い、木々が整然と植えられているが、道を取り囲むようにして立っている幾つもの柱のような物が目に付く。

 ちょうど円状に並んだ直方体の真ん中を道が通るような形だ。

 柱は道の左右では色が異なっており、片側は艶すらない漆黒、その反対側は眩いほどの純白。遠目には、どちらも赤く短いラインが幾つも入っているように見える。

 確かにゲームでもこの白黒の石柱は存在したが、徹の記憶が正しければあのような赤いラインなど入ってはいなかった。

 気になったので道から一番近い白い柱に徹が近づいてみると、赤いラインは人名や種族、年齢などを記したものだと分かる。反対側の黒い柱も同様のようだ。

 しかし、よく見てみると文字の赤の色が微妙に違う。最初は柱の色の違いのせいで異なる色に見えているのかと思ったが、そうではない事に気付いた。

 もう一度見直すと純白の柱の赤は黒ずんだ赤、漆黒の柱は鮮やかな赤であった。

 それまではこの柱の群は何なのだろうと漠然と考えていたが、その色の違いを認識した瞬間、思い浮かんだ推測に嫌な気分になり顔を顰める。

 徹の推測が正しいのならば、これは見ていて気分の良くなる物ではない。

 そんな物を見続けている道理も無いので、徹はそれまでよりも足早にギルドの入り口へ向かうのだった。




◇◇◇◇◇◇




 ギルド本部に入るとすぐに十字路がある。

 左右の道は迷宮や神殿への道だが徹はちらりと目を向けるだけにとどめ、受付と鑑定所のある部屋へ続く正面の道へと進んだ。

 しばらく廊下を歩き、そのまま大きな部屋に入ると正面に十数のブースに分けられた受付のカウンターが見える。来訪者への対応のために十人以上の受付嬢が配置されているようだが、今は全ての受付嬢が対応中の様に見えた。

 部屋の入口の左右は鑑定所になっていて、今も数人が個室に出入りしている。

 どうやらこのあたりもゲームと変わらないようなので、徹は安堵の溜息を吐く。これでまたゲームとの共通点が増えた。

 待つ人はそう多くないが、しばらく受付嬢に空きが出そうにないので徹は部屋に幾つかある数人がけの椅子の内、入口から見て左側の壁に近い所の椅子に座って空きが出るのを待つ事にした。

 待っている人数も少ないので、そう長く待つ事も無いだろう。たとえ長く待たされることになっても、しばらくは受付嬢達を観察しているだけで過ごせそうだった。

 なぜなら、割とタイトで体の線の出やすそうな服を着て微笑みを振りまいている受付嬢は美人・美少女揃いだったのだ。

 まだ少々幼げな女の子から成熟した大人の女性まで見かけの年齢は様々だが、徹が今まで目にした女性の中でも群を抜いて美しい、あるいは可愛いという点では共通だ。

 どの受付嬢も白い首輪や白いチョーカーをしているのは気になるが、そんなところも含めて流石はゲームの世界と言ったところか。

 座って一息ついた時は今までの緊張が一気に抜けてぐったりと脱力してしまっていたが、現金なもので、受付嬢を眺める姿にはそんな様子は欠片も無かった。



(これぞまさに眼福、眼福……)



 徹が感動しながら一人一人見ていると、ちょうど一つのブースが空いたところだった。しかし、次の客がそこへ向かう様子はない。

 受付嬢がいない訳ではない。ちょうど部屋の反対側なので顔までは見えないが、黒く長い髪を後ろで纏めている。

 徹は立ち上がると、誰も近づこうとしないのを不思議に思いながらそこへ向かったが、近づいてその受付嬢の顔を見たところで人が寄らない理由を何となく察してしまったような気になった。

 その顔を目にした瞬間に思わず息を止め、次の瞬間には肺に溜まった空気が感動の溜息となって吐き出される。

 椅子に座っているので身長ははっきりと分からないが、容姿は他の受付嬢と比べても遜色無い。むしろ、一歩抜きん出ていると言ってよいだろう。

 艶やかで、それこそ夜の闇を凝縮したような透明感のある濡れ羽色の髪と、それとは対照的な瑞々しく艶やかで透き通るような白い肌。

 そして、髪や肌の印象すら霞ませる、魅せられ引き込まれるような深紅の瞳。

 髪の間からのぞいている耳が長く尖っているのでエルフだと思われるが、ゲームの設定上では総じて美しいと言われるエルフの中でもこれ程の美貌を持つ者は滅多にいないではないだろうか。

 歳は幾つ位なのであろうか。外見上は少し歳下くらいに見えるが、それにしては随分と落ち着いた様子である。

 しかし、よく見てみると、落ち着いた雰囲気のせいで大人びて見えるだけで、タイトな制服に包まれた体は女性的な丸みに乏しいどこか硬さの残る体つきであることがわかる。見かけよりも大分年若いのかもしれない。

 無表情で他の受付嬢の様な愛嬌は無かったが、吊り目がちな目とすっとした眉毛が端整な容姿に凛々しさを与え、静かにぴんと背筋を伸ばして座る姿は美しく気高さを感じさせた。

 残念ながら、ここではその愛嬌の無さが客足を衰えさせているのだろう。たとえ上辺だけであったとしてもにこやかに対応している他の受付嬢と違い無表情なため、その美しさも相まって余計に近づき難い雰囲気を醸し出している。

 「気後れしそうな程の美人が、人を拒絶しているかのような冷たい雰囲気を纏っている」、これだけで近づき難いと感じるには十分である。

 それなりに順番を待つ者がいるとはいえ、急ぎの用があるならばともかく、誰だって進んで冷たい視線を浴びようとは思わないだろう。

 一応は納得出来たので、徹は元の席に戻ろうと踵を返した。



(うおっ!?)



 しかし、振り返ってみると幾つもの視線がこちらに向けられていた。よく見ると訪問者に対応していた受付嬢までこちらを見ている者がいる。

 面白そうに見ている者、哀れんでいる者、チラと見てはすぐに興味を無くす者と様々だが、大半は面白そうだという視線で見ている。次に多いのが哀れんでいる視線、そして極々少数だが睨んでいる者も。

 なぜそんなに注目されるのか徹には分からなかったが、少し考えればその理由にも見当がつく。

 わざわざ部屋の反対側からやって来たのだから、人の目に入るのは当然だ。そして、手の空いている受付嬢は何故か誰も近寄ろうとしない件の黒髪紅眼の受付嬢のみ。

 徹がこの部屋に来るまでどういった状況だったのか分からないが、あの受付嬢に関して何事かがあったのなら、興味を惹かれるには十分だ。

 徹は頭を抱えたくなった。

 ちらりと後ろを見てみれば、いつの間にか黒髪紅眼の彼女の目もこちらに向けられており、さらには徹のことを自分の客と見做しているようで、なおさら退ける状況ではなくなっている。

 それを振り切る度胸もなく、徹には黒髪紅眼の彼女の前に立つ以外の道は残されていなかった。

 救いになるものなど何も無く、むしろ黒髪紅眼の彼女が生み出している張り詰めた空気がいっそう酷くなって踏んだり蹴ったりである。

 思わぬ事態に涙が出そうになる徹であったが、意を決して黒髪紅眼の彼女の前に座った。すると周囲の雑音が消え、視線も感じなくなった。

 思わず溜息をつく。



「本日はどのような御用件でしょうか」



「ッ! あの、初めてここ、というかこの町に来たんで、町や制度について教えてもらいたいんですが」



 意外にも彼女の方から徹に声を掛けてきた。女性にしては低めの落ち着きのある声だ。

 無愛想で近づき難い雰囲気だったがどうやら職務には忠実なようだった。

 気が抜けていたところに突然声をかけられたので驚いて少しどもってしまったが、彼女は全く気にする事無く話を進めてきた。

 心なしか、ぴりぴりとした雰囲気を感じる。それにつられる様に徹も緊張感を取り戻した。



「わかりました。失礼ですが、どのくらいの期間ウィトガルドに滞在するご予定ですか?」



「わかりません。しばらくは滞在する事になると思いますが……。場合によっては定住も考えています」



「では、滞在するだけならば手続きは必要ありませんので、定住する事を前提にした話をさせていただきます。

 まず、定住をする場合は戸籍登録を行わなければなりません。

 〈認識の間〉と呼ばれる部屋に入って〈認識〉をさせていただきます。

 認識の間では認識を行う事により名前や種族を始めとした様々な情報が表示され、〈認識の円環〉という腕輪を与えられます。

 ギルドではこれを所持している事を戸籍登録の前提条件としています。死ぬまで外れる事がありませんので、ご了承ください。

 認識の間で表示された情報の内、名前、種族、年齢を戸籍に登録します。

 さらに、家族構成や配偶者、所持している奴隷などを申告していただきます。

 この際には、御本人を連れてきていただかなければなりません。その方にも認識の円環を着けていただく事になります。

 また、住居の登録も必要です。住居登録は長期契約をしている宿や借家でも結構ですが、変更する度に申告していただきます。

 住居や契約している宿が無い場合は、一ヶ月間の仮登録となります。

 登録していただいた情報を公開する事は基本的にありません。

 名前と種族は認識が行われた段階で認識の間の直前の部屋にある〈認識の碑〉に記述されてしまうので例外です。

 その他の情報に関しましては、罪を犯さない限り無いと考えていただいて結構です。

 ここまではよろしいでしょうか?」



「市民に階級は無いんですか?」



「階級と言うほどの物ではありませんが、戸籍登録者は一般市民、冒険者、奴隷に分けられます。

 冒険者とは迷宮〈ヴァルメイズ〉に挑む者の事で、認識の間で〈誓約〉を行うと冒険者として登録されます。

 奴隷は借金の形にされた者や、犯罪者本人、重犯罪者の家族などです。

 また、奴隷の子供も奴隷として登録されます。ただし、その奴隷の主人が望めば奴隷の子供は一般市民として登録できます。

 奴隷は必ず〈隷属の証〉という首輪を着けています。基本的にギルド所属の奴隷が白い首輪、それ以外が黒い首輪です。

 最近は首輪を飾りつける方もいらっしゃるようですが。

 ちなみに、白いチョーカーや白いベストは奴隷ではない、正規のギルド職員の証となっております」



「戸籍登録をするとこの町から出られなくなるという事は?」



「一般市民については基本的にありませんが、一年以上不在になる場合もしくは移住をする場合には申請が必要です。

 奴隷は基本的に町を出られません。

 冒険者は大きな力を持つので期間に関わらず申請が必要で、行動にも制限がかけられます。

 ……この町ではどのような職業も戸籍を持つ者を優先して雇う傾向にあります。

 行く当てが無いのであれば戸籍登録をする事をお勧めしますが」



「分かりました。……あ~、今お金を持っていないんですが登録出来ますか?」



「出来ます。戸籍登録や認識・誓約は無料です。登録なされますか?」



「お願いします」



「では、そちらの通路をお進みください。分岐はありませんのでまっすぐ進めばその先が認識の間です。

 〈認識の碑〉にステータスが示され、認識の円環をあたえられれば認識は完了です。

 認識を終えて認識の円環を与えられたら戻ってきてください」



 彼女はそう言ってすぐ横の通路を示した。ちょうど一人の冒険者らしき男が入って行くところだったのだが、徹が見ていると男が通路に入ったと思った瞬間、消えた。

 思わず不安になり、彼女に尋ねる。



「あれは?」



「認識の間への廊下へ転移しています。転移している本人にはただ歩いているようにしか感じられないでしょう。

 複数人の場合は、通路に入る前に全員が同行に合意するか、冒険者としてパーティーを組んでいない限り、入った人の数だけ並行世界が生まれ強制的に一人になるので他人にステータスを見られる心配はありません。

 ご安心ください」



 納得して通路へ入って行く。確かに何も変化は感じなかったのだが、振り向けば既に受付カウンターは見えなかった。

 徹は再び歩きだすと、彼女の事を考えた。

 初めは話し掛け難い雰囲気だったが、いざ話しが始まると思ったよりも態度が柔らかく、説明も丁寧で分かりやすかった。

 説明についてはマニュアルがあるのかもしれないが、それとは別だと思われる助言をくれた事もある。

 受付嬢として無愛想で話し掛け難い雰囲気には問題があると思うが、皆に避けられる程の物でもない。むしろ、美しさ由来の触れ難さの方が問題かもしれない。

 しかし、いくら触れ難さを持っているとはいえ、あれだけの美人を男が放っておくとも思えない。

 なぜ誰も彼女の所に座ろうとしなかったのかが分からなかった。実は性格が悪かったりするのだろうか。

 首輪を着けていたが、重犯罪者の家族というだけであそこまで避けられるのは奇妙な気もするし、流石に大量殺人犯みたいなのが受付に立つとも思えないから、何か禁忌に触れるような事でもしたのか……。

 性格が悪いというのは正直微妙だ。会ったばかりで、且つ、事務的な話しかしていないので判断出来るものではない。

 助言をくれた事もあるので性格が悪いという事は無いと思いたいが……。

 それに、哀れんでいたり面白そうに見ていたりする者が多かったのも気になる。

 敵意を向けていた者もいたので、もしかすると彼女に話しかけようとする者同士が牽制し合っているところへ突っ込んだのかもしれない。

 事情を知っている人間からすればさぞ面白いだろう。

 何だかそれが一番あり得そうなので憂鬱だ。こんな事で目をつけられたくはない。



「ッ! おっと……」



 徹は慌てて姿勢を立て直した。考える事に没頭していたため段差に気付かず、躓いて転びそうになってしまった。

 見ればいつの間にか大きな円形の部屋に入っていた。中心が少し高くなっており、それを囲む様に1mくらいの間隔で円形に何段か段差がある。

 中心の円には透明なガラスの様に透き通った、しかしガラスとは異なる質感の大きなプレートのような物が立っていた。

 これ以上進む通路も無いようなのでここが認識の間だろう。認識の碑がある部屋は考え事をしているうちに通り過ぎてしまったらしい。

 もし段差が無かったり、躓いたりしなければ徹は真正面から突っ込んでいた事だろう。

 気を取り直してプレートの前へ立つ。するとプレートに人の姿が映った。何と無く見た事のあるような顔だが、記憶に無い姿の青年だ。

 飛び抜けて格好良いという訳ではないが、十分に格好良いと言える顔立ち。一見、徹とは似ていないようだが、よく見ると徹の面影がある。

 黒髪黒眼で身長は徹と同じくらいだがスタイルが良い。年齢は徹より少し下、といったところだろうか。

 こいつが何なんだろうかと徹は不思議に思ったが、とりあえず見続けると青年も同じように徹を見返してきた。

 しばらくしても何も起こらないのでいい加減じれったくなってきたのだが、そこでようやく気付いた。プレートの青年の動きが徹と全く同じなのだ。



(もしかしてこれは俺か?)



 そう思った瞬間に青年の姿が消えた。おそらくそういう事なのだろう。認識した瞬間に変化は起きた。



―――汝の名を



「……オルト」



 どこからか聞こえてくる声に、一瞬悩んだがゲームのアバターにつけた名前を名乗る。「トオル」という名前の単純なアナグラムだ。

 そのまま「トオル」と名乗らず「オルト」と名乗ったのに深い意味は無かった。ただ単純に「ゲームの世界なのだから」と、そう思っただけだ。

 自分の元の容姿から少々変わっているので、何となくそのままの名前というのも変な気がしたという事もあるが。

 名乗ってからしばらくするとプレートにステータスが表示された。



   オルト〈Ⅰ〉Lv.1

   年 齢:17

   称 号:―

   種 族:喚び人

   属 性:混沌

   神 性:―

   スキル:【適応】【環境耐性】



 年齢の項目を見ると三歳ほど若返っていた。よく分からないのは属性とスキルだ。

 ステータスの表示自体はゲームと変わらないので分かりやすいのだが、混沌という属性や【適応】、【環境耐性】というスキルは見た事が無い。

 見た事が無いのは喚び人という種族名も同様だが、これはこの世界に「召喚された人」という事だろう。

 スキルの詳細などを知りたかったのだが、プレートに触れようが念じようが新たな変化は無い。腕輪が貰えると聞いていたのだが再び声を掛けてくる様子すら無い。

 まさかと思い腕を見てみれば、案の定左手に黒地に金で修飾されている腕輪が着けられていた。おまけに左手の人差指と中指には指輪まで着けられている。

 どれもいつの間にか着けられていて、いつ着けられたのか見当も付かない。

 着けていて違和感が全く無いのだ。腕輪や指輪に気付いた今も、あまりにも自然で意識しなければ着けている事を忘れそうだった。

 違和感があるとすれば、そんなものよりも先ほどプレートに映った自分の姿に対するものの方が大きい。

 顔が変わっているのに気付かないのはともかく、体のバランスが変わっていることに今まで全く気付かなかったのはどういうことだろうか?

 思い返せば、異世界にいるという異常な状況にあっさり対応したこと、妙な確信、気後れするような美人にもあっさり対応したことなど、おかしいことはたくさんあった。

 これが【適応】や【環境耐性】というスキルの効果だというのだろうか?

 ギルド本部前で自分しか感じていなかったと思われる威圧感についても気になるところだ。

 疑問は尽きない。

 しかし、きっと、前へ進むしかないのだろう。

 これもまた、何時の間にか感じていたことだった。



 再びプレートを見ればステータスは既に消え、若返っただけでなく姿までだいぶ変わった自分が映っている。

 見慣れない自分の姿をもう一度眺めると徹は受付に戻るために歩き出した。

 これが村崎徹の「オルト」としての生活の始まりだった。







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