prologue
Arcadia様の方の更新履歴を見ればわかると思いますが、更新が超遅いです。
気が向いたときにちまちま書いてるだけでなく、新しい話を書くよりも修正してるほうが楽しいという人間なので更新は期待しないでください。
prologue
カーテン越しの朝日に照らされた薄暗い部屋の中、一人の男が目を覚まそうとしていた。
瞼越しに感じる柔らかな光と傍で唸るパソコンの音に刺激され、意識が浮上する。
「ん、んぁ……くぅううううっ、はぁぁっ……」
男――村崎徹――は睡魔の甘美な誘惑を振り切り瞼を無理やり押し上げ、椅子に座り直して大きく伸びをした。背骨がくポキポキと鳴る。
ついでに首を回すと、こちらはゴリゴリボキボキと嫌な音をたてた。わずかに痛みを感じたが、そのおかげか意識もはっきりしてくる。
昨夜、徹はオンラインゲームをしていた。最近始めたばかりの多人数同時参加型オンラインRPG、いわゆるMMORPGである。
徹は大学生であったが、大学は夏の長期休暇に入り授業も無く、クラブやバイトもしていないので暇を持て余していた。
そこで目をつけたのがオンラインゲームである。以前から友人に誘われていた事もありオンラインゲームをしてみる事にしたのだが、見事にはまってしまった。
始めたばかりということもあってかやる気は満々で昨日も夜遅くまでプレイしており、場合によっては夜通しプレイする予定だった。
しかし、ゲーム内のチャットで友人と会話を始めたあたりから記憶が曖昧になり、そのまま記憶が途絶えている。
何か質問をしたところまでは記憶に残っているので、おそらく質問の返事を待っている間に寝てしまい、そのまま朝を迎えたのだろう。
キーボードを枕にして寝ていたので頬がジンジンするし、触れるとぼこぼことした感触がする。徹が洗面台の鏡で己の顔を見てみると、見事なまでにくっきりとキーボードの跡が付いていた。
幸い涎は垂らしていなかった様で、口の周りがべとべとだったり、口の周りをこすってみても涎が乾いて白くなっている事は無い。
キーボードが涎の被害にあっていないか心配だったが、この様子なら大丈夫そうだった。
顔を洗い、トイレを済ませて戻って再びディスプレイを見ると、予想通りチャットウィンドウが表示されたままになっている。
ログを確認すれば友人から返事が遅れてしまった事への謝罪と質問の回答、そして反応が無いのを不思議に思ったのか数度の呼びかけが残されている。
しかし、反応が無いので諦めたらしく、『俺も眠たくなってきたし落ちるわ』の一言を最後にログアウトしていた。
悪い事をしてしまった。徹は今度会ったらとりあえず謝ろうと心に決めてログアウトした。
「さて、朝飯にするか……。何が残ってたっけな、って、げぇ」
冷蔵庫をのぞいた徹の第一声は呻き声であった。
食事を作るのは面倒臭いが、徹はなるべく三食きちんと食べるようにしている。
しかし、ここ数日はオンラインゲームに興ずるのに忙しかっため食事を疎かにしていたのが災いした。虎の子の冷凍食品まで使い切り、冷蔵庫にはほとんど何も無かったのである。
「仕方ない、今から何か買ってくるかぁ……」
実家を出て一人暮らしの徹は自分で買い物に行かなければならない。徹は面倒臭いと思いつつ、着替えて家を出た。
ちなみに、現在の時刻は午前八時を少し過ぎたあたり。
徹がまだ最寄のスーパーが開店していないことに気付いたのは、自転車をこぎ始め五分、目的地の目前のことであった。
◇◇◇◇◇◇
徹のプレイしていたオンラインゲーム、ヴァルメイズオンラインはアバター製作の自由度と、公式サイトのショップで販売されている専用のバイザー型ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を使用する事によるアバター視点での臨場感溢れるプレイが売りの、比較的新しいMMORPGである。
内容は冒険者となって迷宮の下層に向けてひたすら潜って行くという極めて単純な物だ。最近ではプレイヤーの要望にこたえて様々な機能が追加されているようだが、その試みはまだ始まったばかりである。
これだけならば最近のオンラインゲームにはよくありそうなもので、むしろ内容的には他より劣っていると思われるかもしれない。
しかし、専用バイザーを着用してプレイするとグラフィックの精緻さが増し本物に限りなく近いリアルさが得られ、さらにR18モードではダメージを与えると肉の欠片や血が飛び散るといった刺激的な戦闘を楽しむ事が出来ることや、なによりも一見単純で古臭いとすら思わせる内容だが、非常に設定が作りこまれているといったことが好評の理由だった。
また、専用バイザーはバイザーというよりもヘッドギアと言った方が正確だと思われるような物々しさを見せており、その物々しさに見合うだけのオプションを備えていて、ヘッドフォンやマイクなどを備え多機能なだけでなく性能も上々、その割りに値段も抑えられているという事もアカウント数を増やす一因となっていた。
徹は友人に誘われてこのゲームを始めた。もちろんバイザー着用のR18モード。
初めてのログインからもう一週間ほどになるが、未だにあの感動と衝撃は忘れられない。
『ようこそ、ヴァルメイズオンラインの世界へ』
アバター製作後、初めてのログインはその一言から始まった。初心者のためのチュートリアルだ。
ウィトガルドと呼ばれる街の中央広場に降り立った『己』が勝手に歩き出し大通りの真ん中で立ち止まったかと思うとコントロール権を委譲され、アナウンスに従い再び街の中央広場に戻る。
広場に戻るまでの短い道のりを、徹はあまりのリアルさに感動し、興奮し、好奇心に溢れる小さな子供の様にキョロキョロと周りを見ながら歩いていた。
そして、実は転移装置〈ポーター〉であった広場中央のモニュメントの側で初めての転移。
転移した先では、待ち構えていた巨大な要塞とも言えるギルド本部に圧倒される。
その後もチュートリアルはギルド本部や街の施設の案内に、冒険の拠点となるマイルームの説明、肝心の迷宮攻略についてなど様々な内容が続いた。
戦闘のチュートリアルはギルドの訓練場で受けられると言われたのだが、その時はそんなことよりも街を見て回りたいという気持ちでいっぱいで、基本のチュートリアルが終わると同時に街へ飛び出していた。
気が済むまで散々街を見て回り、移動を始めとした様々な操作に慣れたところでようやく戦闘のチュートリアルへ。
簡単な説明を聞いた後、木の人形を相手に置いてあった武器をとっかえひっかえ持ち替えて攻撃をしていたのだが、「オーソドックスに剣かな」と決めかけていたところでイベント戦闘が発生。
120cm程の身長で犬の頭を持った小人の突然の出現に慌てている徹を尻目に、アナウンスが呑気に『この戦闘では、あなたのHPは攻撃を受けても減少しません。ダメージを気にせず積極的に攻撃してみましょう』などと言ってくる。
しかし、徹はそれどころではなかった。まず敵までもがあまりにもリアルであることを認識して硬直し、そしてその犬小人の狂相を見て後ずさる。
手にした棍棒を振り回して追いかけてくる犬小人からしばらく必死で逃げて回っていたが、攻撃を受けそうになる、あるいは実際に受ける度に反射的に現実の体がびくっと跳ねた。
ようやく落ち着いてくると説明された内容を思い出しつつ回避に努め、様子を見て反撃に転じる。
こちらの攻撃の直撃に喜んだのもつかの間、一瞬怯んだ犬小人も即座に反撃をしてくる。
お互いの攻撃によって血が飛び散るのは攻防に必死になっていて気にならなかったが、無我夢中で攻撃コマンドを入力していた徹の止めの一撃は相手の腹を裂いてしまい、内臓が丸見え、というかこぼれだしてきて、さらに血が吹き出してきたのには流石に参った。
斬り付けた感触や返り血を浴びる感覚、血や臓物の臭いなどが無いのがせめてもの救いであろう。
徹がしばらく呆然としている間に死体はドロップアイテムと淡い光を残して消えてしまったが、グロテスクな光景が目に焼き付いて消えなかった。
アナウンスは相変わらず変化の無い様子でこちらを労い、チュートリアルの終了を告げるがそれどころではない。
その後はドロップアイテムなどには目もくれず、すぐさま訓練場から飛び出して入口に立ち尽くしていた。
徹はR18モードの意味を軽く考えていた。あれはトラウマになりかねない。
結局その日はそれ以上何かをしようという気が起きず、ログアウト。
その後もしばらく気分が悪く、青い顔をしていたのは些細な事だろう。
これが記念すべき初ログイン時の顛末だ。
後にR18モードにも再現度の設定がある事を知って、説明書を熟読しなかったのを悔やんだ事は記憶に新しかった。結局再現度は最大でプレイしているのだが。
最近になってようやく戦闘にも慣れ落ち着いてプレイすることができるようになったので、今日は徹を誘ってきた友人に攻略サイトでの勉強の復習もかねて昼から色々と教えてもらう予定だった。
◇◇◇◇◇◇
徹がコンビニで買い物を済ませ、家に帰って食事をとり諸々の雑事も終わって準備万端、いざ始めようとしたところでメールが届いた。例の友人だ。
「何だろ……ログイン時間のことか?」
つぶやきつつ見てみると、なんと予定キャンセルのメールだった。急にバイトが入って出来なくなったらしい。明日埋め合わせをするから許してくれ、などと言っている。
バイトが入ったというのは間違いなく嘘だ。彼女とデートに違いない。徹は確信した。
そもそも、昨日約束をした時点で何か忘れている気がしていたのだ。
その忘れていたことというのは、どうやら友人が彼女と出かけるという話をしていたことだったらしい。
素直に言えば良いものを、と思う。話を聞いていたはずの自分も忘れており、予定がかぶっていることに気付かなかったのだからどちらが悪いというわけではない。
まあ、実際素直に言われたら、彼女などいない身としては『許してやるから一発殴らせろ』と冗談でも言ってしまいそうであったが。
一気にやる気が失せたので徹は不貞寝をすることにした。
しかし、しばらくソファーに寝転がっていても少しも眠たくならない。それでも、と徹はごろごろし続けていたのだが眼は冴えていて眠れず、結局不貞寝は中止になった。
起き上がって時計を見てみると時間は午後一時をちょっと過ぎたころだった。
お腹も減っていなかったので、何か飲んで水分補給をしたらヴァルメイズオンラインをすることにした。
◇◇◇◇◇◇
時刻は午前零時を回った。
あれから徹は他にする事も無いのでヴァルメイズオンラインをプレイし続けた。
昼食と夕食以外にも休憩をはさんでいたが、流石に疲れが溜まってきていた。
HMDを外して机の端に置き、しばらく眉間を揉み続ける。緩やかな刺激が疲れた目に心地良い。
思い切り伸びをすれば、座り続けていたために強張っていた体もほぐれて余計な力が抜けていくようだった。それに任せて全身の力を抜く。
すると徹は急激な睡魔に襲われた。
とろんとしてきた目にはディスプレイの放つ光がやけに眩しく感じる。
徹は鈍る頭でまだログアウトしていない事に気が付いた。
ゆっくりと降りてくる瞼を押し上げようと努力したが、奮闘の甲斐も無く、瞼は降り切ろうとしている。
意識が朦朧として体に力が入らなくなってきたが、なんとかキーボードをどけて腕を枕にした。
意識が途絶える寸前「また、寝落ちかぁ」と、ふと思った。