(10)岩と丸太の砦
ヤマタイの兵達はわ国兵のこの妙な作戦に苦戦しながらも、馬を後方に回し徒歩の兵が遠矢を放ち盾と槍で突進するという戦法で、なおも西の山道に向かってわの国の兵達を追撃して行く。ヤマタイは、五年前にヒタ国を攻めた時、岩や丸太が落ちてきて痛い目にあった崖に差し掛かり、山に物見の兵を送った。しばらくして物見の兵から本隊に「岩や丸太の仕掛けはあるが敵兵の姿はない」と報告がきた。
しかしその時、崖の上では物陰に潜んでいたヒタ国やわ国の兵が一斉にヤマタイの物見の兵を襲い、声も出させずに息の根を止めようとしていた。
崖のある山道付近になると、三段に構えて引いていくわ国兵の逃げ足が速くなった。ヤマタイの五百の兵達も騎馬兵を前面に出し、行軍の速度をあげてわ国兵を追撃していった。暫くすると崖から何者かの叫びが聞こえた。ヤマタイの兵達は何事かとあたりを見回す。
その時だった。五年前と同じく両側の崖から岩と丸太が落ちてきて、ヤマタイの兵の隊列の真ん中に飛び込んだ。岩と丸太が大音量を上げて互いにぶつかり跳ね上がり、ヤマタイの馬十数頭と数十人の兵が下敷きとなる。同時に、立ち往生したヤマタイの兵をめがけて、両側の崖からわの国やヒタ国の兵達の放つ矢が降り注いできた。
ヤマタイの兵はまたもや岩と丸太の罠にかかり、前方と左右の崖の上の見えない敵から矢で狙われ後退していく。その時、後方の物見が「岩や丸太の仕掛けはあるが敵兵の姿はない」と報告したはずの崖から、またもや岩と丸太が落ちてきて道を塞いだ。
四方から囲まれ進退窮まり、わの国とヒタ国の兵の矢の標的となったヤマタイの兵達は次々と倒れていく。五百の兵が残り百人となった時点で、ヤマタイは武器を捨てて降参した。わ国とヒタ国の兵士達は五年前と同様に再び、ヤマタイの軍に岩と丸太の仕掛けで勝利した。
このヤマタイを破った戦いの後、わ国兵は山道に積み上げられた岩と丸太を砦として戦うことになった。捕虜にした百人のヤマタイの兵は、二段構えとなった岩と丸太の砦の一段目と二段目の間に、縄でくくって人質とした。捕虜たちは反抗する事もなく、食べ物や水をもらうと頭を下げた。
数日後、ヤマタイは使者を送ってきて、わ国兵の捕虜となった百人のヤマタイ兵と、ヤマタイの捕虜となっているヒタ国の住民三百人を、交換する事を提案してきた。ヒタ国とわ国の兵士達は、この提案を受け入れることを受け入れた。
次の日、山道をヒタ国の三百人の住民が、ヤマタイ兵に囲まれ縄でつながれて到着した。まずヒタ国の三百人の人々が縄を解かれ、ヒタ国とわ国の兵士達に迎えられた。次にヤマタイの兵百人が縄を解かれ岩と丸太を乗り越え、仲間のヤマタイの兵の所に戻っていく。助けられたヒタ国の人々は、わ国とヒタ国の兵士達に感謝しつつ、避難しているヒタ国の人々が待つ山の中に消えていった。ヒタ国の人々が、ヤマタイの国に捕らえられて奴隷となるという最悪の事態は防ぐことができた。
その数か月後、ヤマタイから新しい提案があった。「無益な争いはやめよう。ヤマタイはヒタ国に留まる。ヒタ国の人々が新しいわの国に移動するならばそれを妨げないし、それを認める。その場合ヤマタイ国は今後、新しいわの国に兵を向ける事はない」というものだった。ヒタ国の人々はその提案を拒否した。その後、ヤマタイは一向に攻めてくる様子はなく、ヒタ国の海沿いの浜辺を含む東側の平地に定着しはじめた。そして、海側の土地に帰ることが出来なくなったヒタ国の人々は仕方なく山側の土地で暮らしはじめた。この結果、ヤマタイがヒタ国の東半分を支配し、ヒタ国の人々が西半分に居住するという状況が長年にわたり続く事になる。
この状況は、ヒタ国の人々にいろいろな複雑な状況をもたらしていった。山の中で暮らす事になったヒタ国の人々は海のない生活に困窮しはじめた。ヒタ国の人々は元々、わの国の人々と同じく、主に海で魚や貝を獲りそれを干物にして保存する事で食を支えていた。しかしそれが出来なくなったいま、ヒタ国の人々も鹿やイノシシなどを捕まえるしかない。それらは一年中潤沢にあるものではない。食べ物に困窮した一部の人々はヤマタイの支配する東側の地に戻って、慣れた海で漁をしたいと言いはじめた。苦しい状況を知っている人々も、それをいつまでも留める事はできなかった。ヤマタイは、東側の地に戻ってきた
ヒタ国の人々を奴隷のような扱いをしたが、人々にとっては致し方のない選択だった。
山の中に残ったヒタ国の人々の中にはヤマタイに降るより、新しいわの国に移住することを希望する人々も多かった。ヒタ国からわの国に移り住むことになった人々はわの国の人々に歓迎され、新しいわの国で共に暮らしていく事となった。




