ぬくもり
楽しんでいただけたら嬉しいです。
どれくらい歩いたのかわからない。
太陽の位置が少しだけ動いたことだけが、時間の流れを教えてくれた。
草原の先に、低い丘がいくつも重なっている。
その向こうには森が続いていて、さらにその奥には山の稜線が霞んで見える。
都会の景色しか知らなかったユリにとって、
この世界の広さは、胸の奥をぎゅっと締めつけるような壮大さだった。
「こんなとこ、一人で歩くとか……ね、ないよね普通」
自嘲気味に呟く。
でも、声を出すと少し安心した。
自分の声が、この静けさを壊すのが怖くて、どこかほっとする。
そのとき――
「……ん?」
風に混じって、かすかな音がした。
草を踏む音。
人の足音に似ている。
ユリは反射的に身を固くした。
胸の鼓動が一気に早まる。
スマホもない。
武器なんてもちろん持っていない。
音は、近づいてきている。
「誰……?」
息が少し震える。
けれど、その声に返事はなかった。
代わりに――草の向こうから、小さな影が跳ねた。
白い毛並みの、小さな動物。
ウサギ……に似ているけど、耳が思ったより長く、目は透きとおるように青い。
ふに、とした顔が、こちらをじっと見ていた。
「うわ……かわ……」
ほっとした瞬間、膝から力が抜けそうになる。
世界で初めての“生き物”。
それだけで涙が出そうだった。
そのウサギのような生き物が、突然ぴょん、と跳ねる。
そして振り返り、まるで「ついてきて」と言わんばかりに草むらへ消えていった。
「え……え、ちょっと待って……!」
小さな影を追いかけるように歩き出す。
すると、草原の奥で光が揺れた。
焚き火の光のような、柔らかい橙色。
胸が高鳴った。
誰かいる。
ユリは足を速めた。
草をかき分けて進むと――
開けた場所に出た。
そこには、小さな馬車が停まっていた。
簡素だがしっかり作られた荷台。
そのそばで、焚き火を囲むように三人ほどの人影が座っている。
ユリは言葉を失った。
この世界で初めて見る“人間”だった。
男女の区別も、年齢も、服の質感も、どれも現実感がある。
少し古風な服装だが、コスプレのような作り物感はない。
焚き火の匂いも、焼けた草の香りも、全部リアルすぎた。
ユリは息を飲む。
どう声をかけたらいいかわからない。
逃げてもいいのか、頼るべきなのかもわからない。
そのとき――
「……あれ、誰かいるぞ」
焚き火のそばにいた若い男が、ユリに気づいた。
ユリの心臓が跳ねる。
男は少し驚いたように目を見開いた。
それから、そっと立ち上がり、手を広げて見せる。
敵意がないことを示すように。
「大丈夫だ。驚かせて悪い。……迷ってるのか?」
その声は思ったより優しくて、
聞いた瞬間、胸の奥に張りつめていた緊張が少しだけほどけた。
けれど、どう返事をすればいいのかわからない。
ユリは口を開き、
「あの、わたし……」
と言いかけて、言葉が詰まった。
この世界の地名も知らない。
どこから来た、と言っても信じてもらえるのかどうかも不安だった。
そんなユリの様子を見て、焚き火のそばにいた年配の女性が柔らかく微笑んだ。
「怖がらなくていいよ。座るかい? 喉、乾いてるだろう」
女性は、湯気の立つカップを差し出してくる。
中には、ハーブティーのような香りのする温かい飲み物。
ユリは躊躇しながらも、
その温かさにひかれるように、一歩近づいた。
「……ありがとうございます」
か細い声が、自分のものとは思えないほど震えていた。
でも、その瞬間。
胸の奥に、静かな温かさが広がった。
――この世界で初めての、人の優しさ。
ユリはようやく、自分がここに“生きている”ことを実感し始めていた。
見ていただきありがとうございます。




