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花よ、異界に咲け。  作者: たなたなか
一章 はじまりの音
1/5

プロローグ

春の夕暮れ、街の喧騒が少しずつやわらいでいく。

 短大の帰り道、天野ユリはカフェの紙カップを両手で包みながら、

 ふわりと空を見上げた。


 「今日の空、めっちゃきれい……」


 頬をかすめる風はやさしく、髪先のアッシュブラウンをなでていく。

 ほんのり桜色が残る空に、薄い雲が流れていた。

 いつもならこのまま駅へ向かい、友達と少しだけ買い物をして、

 家でお気に入りの紅茶を淹れる――そんな何気ない日常のはずだった。


 けれど、その日は少し違っていた。


 足元のアスファルトが、かすかに光っている。

 それは最初、夕日の反射だと思った。

 だが次の瞬間、光はまるで呼吸するように広がり、

 ユリの身体をやわらかく包みこんだ。


 「え……なに、これ……?」


 視界が白に染まる。

 耳鳴りのような、でもどこか心地いい音が響く。

 風が途切れ、代わりに――静寂。


 ユリは息を呑んだ。

 足元にあったはずの地面が、消えている。

 重力も方向もわからない。

 ただ、光に抱かれて――


 そして、ふっと、落ちた。


 * * *


 まぶしい光が、ゆっくりと薄れていく。

 目を開けると、そこは見たことのない景色だった。


 風にそよぐ草原。

 果てしなく続く緑と、どこまでも高い青空。

 遠くには山々、白い鳥がいくつも旋回している。


 ユリはゆっくりと起き上がった。


 「え……ここ、どこ……?」


 制服のスカートが草に触れて、さらりと音を立てる。

 手にしていたカップは消えていた。

 スマホを取り出そうとしたが――ポケットは空。


 代わりに、風が答えるように髪を揺らす。


 「夢……じゃない、よね……」


 少し涙ぐみそうになったそのとき、

 鳥の声とともに、風が甘い香りを運んできた。

 それは花の匂い。

 ユリは立ち上がり、ゆっくりとその方向へ歩き出す。


 不安よりも先に浮かんだのは、

 **「綺麗だな」**という小さな感動だった。

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