第50話:宝物
璃奈の部屋。
ベッドに横たわる璃奈の手を、姉である万里奈が固く握っている。燈から事情を聞かされた彼女の瞳もまた、赤く潤んでいた。
コンコン、と控えめなノックの音。
万里奈がドアを開けると、そこに立っていたのは、咲良環だった。
「初めまして。私、咲良要の母で、環と申します。……突然ごめんなさいね。燈さんからお話を聞いて……もし迷惑でなければ、少しだけ、璃奈さんと二人でお話しさせてもらってもいいかしら」
環の、母親としての穏やかで、しかし強い意志を宿した瞳に、万里奈は静かに頷くと、そっと部屋を出て行った。
環はベッドの傍らの椅子に腰掛けると、璃奈の額に浮かんだ汗を、優しくハンカチで拭ってやる。
「……辛い、ね。……分かるわ。子供じゃないって頭では分かっていても、そう感じてしまう気持ち。私にも、分かる」
その共感の言葉に、璃奈の瞳から再び涙がこぼれ落ちる。
「でもね」と、環は続ける。
「私も親だから、少しだけ分かるの。自分のことよりも、子供の幸せを願う気持ちって、理屈じゃないのよね。……きっと、今の要やアイラちゃんも、それに似た気持ちなんじゃないかしら。だから、それは『犠牲』なんかじゃない。ただ、大好きな友達に元気になってほしいっていう、本当に純粋な気持ちだけだと思うわ」
そして、環は璃奈の手を、自らの両手で優しく包み込んだ。
「だから、受け取ってあげて。そして、元気になって。……要やアイラちゃんが繋いでくれたその温もりを、いつかあなたが、次の誰かに繋いであげるの。その未来を、諦めちゃダメよ」
その温かい手のぬくもりと、言葉の重み。璃奈は、何も答えることができないまま、ただ静かに涙を流し続け、やがて、疲れ果てたように深い眠りに落ちていった。
* * *
璃奈は、夢を見ていた。
明るい陽の差す、緑の丘の上。
バラビちゃんがなんだか元気がなくて、ぐったりしている。どうやら、病気になってしまったみたい。
そこへ、ミャクミャクと、彼の友達であるチェコ館のレネが、心配そうに駆け寄ってきた。
しんどそうなバラビちゃんを見たミャクミャクとレネは、お互いに顔をまっすぐ見つめて深く頷く。
ミャクミャクは、自分の顔の目玉がついていないぷっくりした赤い部分を一つ、ぽろり、と外して差し出した。
レネも、自分の顔の目玉がついていないぷっくりした緑色の部分を一つ、ぽろり、と外して差し出した。
二人は、その二つのぷっくりしたものを、銀色で手足が生えている、不思議な模様のタマゴ、『可能性のタマゴ』の中に入れて、しゃかしゃかとシェイクする。すると、それはキラキラと輝く、綺麗なお薬になった。
そのお薬を飲むと、バラビちゃんはすっかり元気になった。三人は、手を取り合って、嬉しそうにくるくると踊っている。
その光景を見て、夢の中の璃奈は泣いていた。
「痛くないの……?そんなの、ダメじゃないの……?自分の体の一部をあげちゃうなんて……」
すると、ミャクミャクが、くるりと璃奈のほうを振り返って、にっこりと笑った。そして、不思議そうに、そっと首を傾げてこう言った。
「ううん。だって、バラビちゃんが元気になったら、僕たちも嬉しいんだよ。嬉しいことは、ぜんぶ、宝物だよ」
その、あまりにも純粋で、温かい真実。
夢の中の璃奈の涙が、いつの間にか止まっていた。
* * *
璃奈は、静かに目を覚ました。頬に、涙の跡が残っている。
でも、不思議と心は、嵐が過ぎ去った後の空のように、どこまでも晴れやかだった。
夢の中の、ミャクミャクの笑顔が、言葉が、まだ胸の奥で温かく輝いている。
(……そっか。……そっか、そうだよね)
彼女はベッドから起き上がると、迎賓館のロビーへと向かった。そこには、一晩中眠れなかったのだろう、心配そうな顔をした要とアイラが、ソファに並んで座っていた。
璃奈の姿を認めると、二人は弾かれたように立ち上がる。
「璃奈さん……」
「璃奈……」
璃奈は、そんな二人の前に立つと、一度だけ、ぎゅっと唇を結び、そして、これ以上ないほど優しい笑顔を咲かせた。
「……ありがとう。二人が私のためにしてくれること、それは『犠牲』なんかじゃない。私にとっても、かけがえのない『宝物』になるんだって、やっと分かったの。だから、二人の気持ち、受け取るね」
その言葉に、要とアイラも、ただ静かに、そして力強く頷き返した。
三人の心が、再び一つになった。
物語は、いよいよ最後の一日を迎える。




