第35話:いのちの問いと、二人のてのひら
大阪ヘルスケア館での重い議論と、それを乗り越えた先の温かい昼食。三人の絆を確かなものにした一行は、ついに最後の課題の地、住友館へと足を踏み入れた。
入り口で、三人はそれぞれ、若葉のような形をした美しいランタンを受け取るように促された。
「すごい……」
ランタンを手に内部へ進んだ要が、思わず感嘆の声を漏らす。
「父さんの話では、子供たちが楽しめる賑やかな森だったって聞いてたけど、2050年版は、静かで、どこか荘厳な雰囲気すらある。どうやら全くの別物みたいだね」
目の前には、建物の中とは思えない、木々のざわめきと木漏れ日が揺れる美しい森の空間が広がっていた。三人が持つランタンが、足元を温かい光で照らし出す。
「注意深く体験する」という課題を胸に、三人はランタンを頼りに、森の奥深くへと続く小道を歩き始めた。
森の奥まで進んだ、その時だった。
三人が持つランタンの光が、ふいに温かいオレンジ色から、神秘的な青白い光へと変化し、一斉に、これまで気づかなかった細い脇道を照らし出した。
「こっちみたいだね」
要が言うと、璃奈とアイラも頷き返す。
三人が光に導かれるままその道を進むと、巨大な生命樹の根元に、周囲の木々と同化した、隠された扉があった。扉は三人のリボーンバンドに搭載されているICチップに反応し、重々しく、しかし静かに開く。
部屋の中は、生命樹の内部をくり抜いたような、穏やかな光に満ちた空間だった。中央には、この森の思想を体現するためにプロジェクト・アークが生み出した架空のAIペルソナである、穏やかな老紳士のホログラムが、静かに彼らを待っていた。
「ランタンの導きに従い、よくぞここまで来られました、若き探求者たちよ」
その声は、プログラムされた音声とは思えないほど、深く、そして温かい。彼は、三人がパソナ館で新たな課題を得たこと、そして大阪ヘルスケア館で何を見て、何を話したのかを、全て知っているかのように語り始めた。
そして、彼は三人に、究極の問いを投げかける。
「ここに、一本の若木がある。このまま育てば、100年後にはこの森で最も美しい大木になるだろう。しかし、今、この森全体を蝕む恐ろしい病が発生している。この若木から作られる『特別な樹液』だけが、森全体を救う唯一の薬になる。だが、そのためには、この若木を切り倒し、その『いのち』を完全に使わなければならないとしたら……君たちなら、どうする?」
その問いに、最初に答えたのはアイラだった。
「悲しいけれど、森全体が滅んでしまっては意味がないわ。私なら、若木から薬を作ることを選ぶ」
次に、要が、苦悩の色を浮かべて口を開く。
「でも、その若木が持つ100年後の未来を、僕たちが奪う権利はあるんだろうか……。もっと他の方法はないのか、最後まで探すべきじゃないかな」
そして、最後に、璃奈が、か細い、しかし凛とした声で言った。
「……私には、答えられない。だって、もし私が病気の森で薬を待っている一本の木だったら……きっと、若木に『生きて』って、願ってしまうから」
三者三様の答え。老紳士――泉屋翁は、その全てを、静かに、そして優しく受け止めた。
「ありがとう。君たちの答えに、正解も不正解もない。ただ、そのように悩み、考え、対話することこそが、『いのち』と向き合うということだ。……未来を開く準備は、整ったようですね」
彼は、最後のヒントを告げる。
「君たちが探している答えは、パソナ館のあの扉の先にある。だが、ただのデータでは意味がない。失われたものを取り戻すには、まず**『完璧な設計図』が必要だ。そして、その設計図を元に、新しいものをゼロから生み出す『最高の素材』**がなくてはならない」
「『完璧な設計図』と、『最高の素材』……」
要が、その言葉を反芻する。
泉屋翁のホログラムが、足元からゆっくりと光の粒子となって消えていく。最後に、彼は満足そうな笑みを浮かべて言った。
「未来を、君たちに託します」
その言葉を残し、賢者の姿は完全に消え去った。
三人は、二つの新たなキーワードを胸に、再びパソナ館の秘密の扉へと向かう決意を固めるのだった。
* * *
住友館で新たなキーワードを得た三人は、再びパソナ館の秘密の扉へと向かうことにした。
「さあ、これでパソナ館のあの扉の向こうへ行けそうだね。歩いて行ってもいいんだけど、アイラはちょっとしんどいかな?……おんぶしてあげようか?」
要が、半分冗談のつもりでそう言うと、アイラの反応は、全く想定外のものだった。
「……おんぶ、してもらおうかな。いいの?」
金色の大きな瞳で、要のことを潤んだ上目遣いで見つめるアイラ。そのあまりの破壊力に、要は心臓がドクンと大きく跳ねるのを感じた。
「えっ!……いや、冗談のつもりだったんだけど……アイラ、もう疲れちゃった?」
「ううん、まだ大丈夫。でも、要になら、おんぶしてもらうのもいいかもって思ったの」
スペイン館の階段で知った、生身の人間の温もり。おんぶされたら、それは、どんな感じがするのだろうか。アイラの中で、未知の触れ合いへの興味が溢れ出していた。
「……よし。じゃあ、すぐそこにe-Moverの停留所があるから、そこまでだけ、おんぶしていこう。e-Moverに乗れば、パソナ館の割と近くで降りられるから、そのルートで向かおう」
「わかったわ。ありがとう!」
なんとなく、隣にいる璃奈がジト目でこちらを見ているような気がしたが、要は意を決してアイラを背負い、停留所へとゆっくり歩き出す。
* * *
会場内を結ぶEVバス、e-Moverで移動し、リング西ターミナルで降りる。やはり、璃奈からの視線が少しだけ痛い気がする要。
(まずいな……これは、機嫌を損ねてしまったかもしれない……)
と、その時だった。
「ああーっ!忘れてた忘れてた忘れてた!また私は忘れてた!忘れてた忘れてた!ソフトクリームを買うのを忘れてた~~~っ!」
先ほどの昼食の後、結局食べ損ねていたことを思い出し、璃奈が絶叫する。
ここぞとばかりに、要は提案した。
「あ、そうだ!この停留所の横にある外食パビリオン『UTAGE』に、珍しいソフトクリームがあるらしいんだ。寄っていこうよ」
こんなこともあろうかと、要は悟との会話でとっておきのスイーツ情報を仕入れていたのだ。
「……うん。ありがとう、要くん。……でも、あっちのソフトクリームも、いつか絶対に食べるんだからね!」
三人はUTAGEの中に入る。お目当てのソフトクリームは一階にあるようだが、案内ロボが「二階の展示も素晴らしいですよ、ぜひ二階からご覧ください」と執拗に言うので、それに従うことにした。階段を登った先にある二階には、未来の飲食店のプロトタイプが展示されており、イベントスペースでは「震災からの復興」に関するシンポジウムが開かれているようだった。
二階は程々にして一階へ向かうと、要のお目当ての店があった。
「あった!これこれ!『バニラ1970』。なんでも、1970年に開催された、最初の大阪万博で売られていたソフトクリームの味を再現したらしいよ。つまり、80年前の味だ!」
「80年以上も同じ事業を続けている会社の存在自体が、驚異的ね。さすが日本というところかしら」
「じゃあ、食べてみましょうよ。80年前の味がどんなものか、私が試してあげる」
やっぱり少しだけ、璃奈の言葉に棘があるような、ないような……。
三人は『バニラ1970』をそれぞれ購入し、大屋根リングの下のベンチに座って食べることにした。ソフトクリームあるあるの、「食べている途中で本体をボトっと落としてしまう」という悲劇の回避のために。
「なるほど。すごくシンプルでミルクの味が濃い。僕は好きだな、これ」
「変にくどい甘さのスイーツより好感が持てるわ。さすが日本ね」
「……おいしい。……美味しいわ!本当ね、シンプルな味わいで、まるで飲み物みたいに、すっと体に入ってくる……いや、これはもう飲み物ね!飲める!飲めるわ!」
「飲まないで!ゆっくり味わって食べて!」
「「「あははは!」」」
美味しいソフトクリームのおかげか、璃奈の機嫌もすっかり直ったようで、要とアイラはほっと胸をなでおろした。
食べ終わった三人は、再び立ち上がる。
「さあ、ここからパソナ館まではすぐだよ。歩いていこうか」
「「では、お手をどうぞ」」
璃奈とアイラが、示し合わせたかのように、同時に両側から手を差し出してきた。
(アイラをおんぶしませんよ、というアピールのつもりだったんだけど……逆効果だったか……!)
女の子の扱いに慣れていない要は、二人の天才少女に、今回も翻弄されるのだった。




